一斉あいさつ運動とともに、交通指導ボランティア
暦は早くも7月。今年も後半折り返しに入って来た。
半夏生という、7月の初めを象徴するような言葉がある。「半夏」という毒性を秘めた草花が咲き始めるころ。つまり、半夏が生え始めるころで「半夏生」なのだそうな。
そんな7月に入っても、身の周りでは数多くのボランティア活動が盛んである。
今朝も早くから地区内の「一斉あいさつ運動」が行われた。広報担当としては、カメラを抱えて走り回る。
校門に続く道路の分かれ道。交通量の多い交差点。通学自転車と歩行者が入り混じる狭い通路などなど。
要所に立つ社協や自治会の役員さんが「おはよう」と大きな声で呼びかける。たまに「おはようございます」の元気良い声が返ってくる。多くは、ややうつむき加減のボソボソ声である。そういった活動する大人に気恥ずかしさを感じるのだろうか。
「あいさつってなんじゃろう、なんで必要なんじゃろう」と思う児童生徒も少なくないのだろう。
先ずは言葉よりも実践で……。街頭に立って直接言葉を交わす、あいさつをする。これはこれで必要。
問題は、子どもたちにとって「あいさつが何故ひ必要か、どんな意味を持つのか」この基本的思考に答えてやらなければ、なんかしら空々しい空気を感じてしまう。もっとも、そんなことは小学低学年で教わったことである。
だから、成長とともにその必要性や「意義」みたいなものは忘れているのではないか、と感じさせられる。
あいさつが何故必要か??改めて聞かれると、ちょっと考えてみたくなるが、人間関係で必要不可欠な気持ちのふれあいのスタートである。あいさつをしたら人間同士のふれあいやつながりが成功するのか??そんなに生易しくない。
どうしたって相いれない人間関係や国家関係はある。それでもあいさつもしないよりはした方がよいに決まっている。
現場実戦指導はもちろん大切であるが、何かのチャンスを捉えて、実社会で体験してきた生きた話を聞かせながら、「やはり挨拶は大切な人間行為なのよ」と、話せる場所づくりも必要になって来るな~と勝手に思った次第である。