「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「お盆、8月15日」

2020年08月15日 | ニュース・世相

    

1945年8月15日、我が国はおよそ3年9か月に及ぶ泥沼の戦争状態を、形はどうであれ自らの手で終わらせた。75年目を迎えた「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の今日は、いろいろ語りつくせない深い思いに駆られる日でもある。

過ぎ去った74年の一端を振り返るとき「人間とは如何に強欲で、傲慢で、その上に臆病ものである」ことに思い至る。傲慢と臆病。何かしら相容れない言葉にも聞こえるが、いつも周囲に怯える臆病者ゆえに、周囲の他人を攻撃することで、己の強さを誇示しようとする。いうなれば臆病者のガキ大将。
そんな気がしてならない。

そうして相手を傷つけ、自分も傷つき、みんなみんな塗炭の苦しみを味わうことになる。
そして善良な小市民は悲惨な貧しさに耐えることを強いる。そういった意味では、特に小学校に上がるまではとにかくお腹が減る、ひもじい思いがつきまとう私の人生のスタートであったような気がする。

ただその時点では、そういった空腹感が不幸なことという画一的な判断などあまりしなかったのではなかったか。多かれ少なかれみんなが同じように空腹や不足を抱えての生活であった。足るを知らない仲間同士が寄り添って、一緒に汗をかくことが当たり前であった。

そんな戦後の混乱に流した汗がやがて笑顔に変り、目には見えないけど世の中にあるといわれる「幸せ」というものに真っ正直に突き進んで行く。良くも悪くも、それが普通の生き方であったような青春時代を過ごした。もっと言えば、勉学も労働も、努力した者が報われる社会に向かっていた、頑張りしろがあった、と信じて生きてきた。その思いは今も時々頭をもたげる。

そして至る結論は、強欲や傲慢は罪である、ということ。戦争などという愚かな行為は愚の骨頂。
戦争を仕掛けることは、天に向かってツバするのと同じこと。全ては自らをも滅ぼす結果に至ることを世界の為政者は知るべきである。

本来なら全国でどれほど多くの人が集い、同じ方向を向いて戦没者の追悼をするであろう大切な日なのに、今年の場合は「コロナ禍」の最中。人々が集うことを避けるために、全ての式典や会場において縮小の一途であったことは、追悼する側、される側双方にとってお気の毒である。

これからの世の中では、このような「戦没者を追悼して平和を祈念する日」などという記念日が再び作られないことを切に願う8月15日である。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「涼を求めて」

2020年08月14日 | 季節の移ろい・出来事

    
「夏日」・「真夏日」・「猛暑日」など暑さを表現する気象庁用語が色々あることは知っている。知ってはいても、温度計を背負って歩くわけではない。だからこれが真夏日で、これが猛暑日だ、という区切りは今イチピンと来ない。それにしても暑い毎日。まさしく逃げ場のない暑さである。
屋外は言うに及ばず、屋内でも体を冷やすグッズなしでは息をするのさえ煩わしくなるような、息苦しさ、頭痛に襲われる暑さ。
テレビや新聞を賑わす、熱中症搬送に追われる救急車そして医療機関の逼迫。さらには熱中症犠牲者の続出。まっこと困った暑さの夏である。

     ただあつし起てもゐてもころんでも      正岡 子規
     あら壁に西日のほてるあつさかな         々
     なお暑し骨と皮とになりてさえ          々

俳人正岡子規はよほど暑さが苦手だったのだろう、という注釈が付く。
そういえば、作者がだれか失念したが「念力が ゆるめば死ぬる 暑さかな」という句とも出会った。

兎に角暑い。何にもせずただボーっと座っているだけでも暑い。汗がしたたり落ちる。
むしろ、このボーっと何もせんのが却って危ないのかもしれない。何かを手掛けたり、頭の血を巡らせたりすることが熱中症に掛かりにくくなるのではないか?という経験がある。確かな知見などあるわけでもなく、少ない個人的経験則なので信じてもらっては困るが、時々そう思うことがある。
エアコン、扇風機、うちわ、扇子など、風を呼んで体を冷やす冷房グッズに頼りながらでも、何かを手掛ける。

少なくとも数年前までは、家じゅうの戸という戸を開け放ち風の通り道を作ってゴロン。文庫本の一冊もあれば至福の涼と居眠りをむさぼったものである。
今はそんなに生易しくない。しかもコロナの影に怯えて、夏風邪ひいて熱でも出ようものなら「コロナ感染」の疑いを背負うことになる。

うかうか熱も出されない状況の中でのこの暑さ。お腹をこわさない程度の冷たい水やお茶の水分補給にせいぜい心がけましょうや、ご同輩!
但し、喉を凍らすような冷たいビールは少し控えめに。量を超すと夜中の小用で睡眠不足に襲われて、基礎体力の減退につながるそうな。ご用心!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ひと汗かいて」

2020年08月13日 | つれづれ噺

                                                   
                                                        ビフォー:玄関前あたりも雑草に覆われて。

思い起こせば3年前、2017年3月4日夕方。10歳離れた姉が国道の横断歩道を横断中に、高齢者運転の乗用車にはねられた。
救急搬送されたが、事故発生から1時間後には臨終が宣告された。誠にあっけない幕切れであった。
その姉が、二人いる子供のために遺産として2軒目の家を建てた。その新築完成から約半年後の事故発生とは、姉にとってそれだけの苦労はなんだったのか、哀れと疑問の残る交通事故であった。

埼玉県に住む長男、小生にとっての甥っ子が定年退職を機に故郷に帰って、亡き母の遺志を継いでこの家に住むことを決めた。嫁さんはあちらでの仕事もあり、当面遠距離別居で一人で帰ってきたのが、コロナ禍の真っ最中6月半ばであった。3週間に及ぶ隔離でコロナ経過観察を経て何事もなく普通の生活を始めた。

住むことに決めたとは言え、築後3年はほったらかしであった家の周辺は、雑草や見知らぬ雑木が生い茂り、生活に影響を及ぼすほどになっていた。
「早くなんとかして一日も早く人が住んでいる状態にしたいが、なかなか前に進まない」と甥っ子の嘆き節が聞こえる。(ビフォー写真)

      
     アフター: 生い茂る雑草、雑木を草刈り機で薙ぎ払った。

大学、就職と40年近くを東京で暮らしてきた男に、いきなり降りかかった難題である。手を貸さねば前に進まないことは理の当然。3日前に下見に行っておおよその見当を付けて帰った。お盆の迎え火を焚く今日。朝から暑いのなんの、必要道具を車に積み込むだけで汗が流れる。そんなことに構ってたらいつまでも足の踏み込む場もないまま。

一汗かくのを覚悟で来たのだから、甥っ子にも少し過酷かなと思いながらも「あーするといいよ、こーすると楽に作業できるじゃろ」。まるで草刈り老教師気取りで教え、かつやらせてみる。「そうそうそうやるんよ」時々褒める。首に巻いた虫除けタオルは絞るほどの汗・あせ・アセ。労働約2時間。見違えるほどの成果が目の前に。但し「これで5分の1が終わった」ことを宣言。まだまだこれからだよ、の暗示を掛けて今日の作業を終えた。

こういった実働作業には先ず段取り、いわゆる計画が要る。次に適切な道具が欠かせない。大釜・草刈り機・剪定用のこぎり・剪定ばさみ・草を集める熊手鍬・帽子手袋など安全グッズ。などをつぶやく。
仕上がりの様子を見て「これでやる気が出てきた」とうなずく甥っ子。大汗こそ流したが先鞭を付けた甲斐があったというもの。早速ビフォーアフターの写メを送ってきた。

無駄なアセではなかった、とほくそ笑む。でもまだ5分の4が残ってる。叔父さんはつらいのだ、でもやるっきゃないのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「つわものどもが夢のあと」

2020年08月11日 | 家族・孫話

                                       

わずか2週間という短い夏休みではあっても、とにかく岩国のじいちゃんばあちゃんの家に遊びに行きたい、という姫孫ふたり。親たちもこの願いには逆らえない。
県マタギの移動ではあるが、食事もコンビニなどの途中下車も一切なし。トイレも家を出る前に済ませて寄り道なしの一直線。車に缶詰め状態ながら、車内はエアコンはもとより、アニメシアターで退屈などしないようにできている。
但し、我が家に着けばそそくさに駆け込むのはトイレ。しっかりの手洗いを済ませ、ようやく小1と3歳とジジの「お帰りハグ!」。

二泊二日、「彼女らの思いのまま」の時間が始まる。
このたびは、あいにくの空模様で海の公園での海水浴遊びこそできなかったが、畑の収穫や団地公園の遊具、それにお散歩など、遊びという遊びは十分に楽しんだであろう。その証拠に洗濯物は山はのごとし。人数の割にはお見事というほどの量である。タオルだけでも一回の洗濯で10枚を優に超える。
ちっちゃなタンクトップや半パンなど色とりどり。まるで満艦飾を思わせる物干し台となる。
まさに遊びの達人、「つわものどもが夢のあと」である。

コロナ感染拡大という懸念の中で、お盆帰省について政府の中枢で「自粛のお勧め」と「お好きにどうぞ」という二極の思惑が見える。何を意味するのだろう。早くに発布した「緊急事態宣言」はいったいなんだったのだろう、などと今さらながら考えさせられる。

異常なまでに落ち込んだ景気の回復が思うに任せないのと、コロナの勢いが衰えるどころか益々一大事に至っている。そんな中で、何をやってもいいけどコロナ感染するのはあなたですよ!!あなた自身が感染対策をしなければ、あなたもあなたの大切な人も感染しますよ。つまり自己責任で感染から身を守りましょう。ということかな。

まあいくら感染対策を叫んでも、結果的にはいわゆる夜の街などのクラスターも止む気配はない。スポーツ選手団体が一挙に80人も感染している実態も表面化した。見えない、気配も感じない、そんな中で知らないうちに感染するコロナという厄介者。ただただ怯えるばかりだ。

立秋を迎えたというのに日中の温度は上がるばかり。それでもマスクは必需品。コロナと熱中症対策と闘うにはなんの武器が役立つのだろう。自分を守る盾は何が効果的なのだろう。ただただ熱い夏だね~。あなたならどうする??

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「風を受けて」

2020年08月09日 | 家族・孫話

            
             8月9日、11時02分 長崎に向かって黙とうを捧げる

コロナ禍真っ最中の夏休みは、極めて短期間となった。
広島県に住む孫ちゃんは、小学校で初めて迎える夏休み。広島県教委の方針で、例年に比べるとホンの束の間の夏休みでしかない。
貴重な夏休みに入った最初の日曜日、何はともあれ里帰り。いろんな遊びが待ち構えている。そんな中の一つが、じいちゃんとのお散歩である。

ハスの花を見に行こうと声をかけると「やった~!」と喜ぶ姉妹。いつもの田舎の田んぼ道をいつものようにただぶらぶらと歩くだけ。
それでも、彼女たちの目には何かと新しい発見があるらしく「じいちゃん行こ行こ」と手を取りに来る。
お姉ちゃんはさすが1年生。メモ用紙と鉛筆を持って出かける。「発見したものを書いて母さんにほうこくするんよ」。殊勝なことをいう。

最初がちっちゃなカエル、トンボ、コスモス、ハスの花のピンクや真っ白。「あのピンク色はなに?」「あれはね、タニシの卵なんよ」と、かれこれ10年前に、孫三兄弟から教えられた通りをこの孫姉妹に教え継ぐ。お姉ちゃんのメモ用紙が次々に埋まっていく。

その時、防災スピーカーから「長崎原爆投下に合わせて黙とうを」のアナウンス。10分後の午前11時02分に流れるサイレンに合わせて黙とう。
二人ともじいちゃんの言う方角に向かい、ちっちゃな手を合わせて黙とう。「もくとうってなに?」質問が来る。それらしい言葉で簡単に説明すると、また新たな発見のメモが始まる。「あの鳥はな~に?」「あれはアオサギというんよ」。そんな会話で1時間足らずではあるが、太陽直下のお散歩を終える。

            
田んぼのあちこちに、ピンクや真っ白のハスの花が、今を盛りと咲いているくらいで、別に何があるわけでもない。でもそれは、都会の自分たちの住んでいるマンションの10階の生活とは違う魅力なのであろう。
また、広島の原爆投下は地元故やがて耳にするであろう。そこに長崎の原爆投下も重なって「原子爆弾の恐ろしさ」を感じて、核なき世界に向かう気持ちを持ってくれると有難い。そうなれば今日の散歩もあながち無駄にはなるまい。この子たちの将来に、核戦争などというバカげたことが起きないようひたすら願う。

家に帰ったらすぐに丁寧に手洗いを済ませ、先ずは梅ジュース一杯。そして早速ばあちゃんとお母さんへ、発見メモの報告が始まった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コロナとマツダスタジアム」

2020年08月08日 | カープ一喜一憂

                              
                                   マツダスタジアムの顔と、入場者の賑わい

コロナ騒ぎの中ではあるが、チケットが手に入りさえすれば是が非でも行ってみたいと思っていた、オラがカープの公式戦。
本来なら5月半ばに行く予定にしていたのが、開幕が遅れ、無観客で始まり、ここにきてやっとこさ5000人までの収容OKとなった。
そんな折、内野指定席券が手に入った。なにはともあれ行かねばならぬ。チケットは2枚。どなたにご一緒願おうか迷った。
小5の孫君か?長いお付き合いの友か? いずれにしてもコロナ感染リスクを背負ってのプロ野球観戦。ここはひとつ、最悪の場合を考慮すると、家族以外をお誘いするのは精神衛生上よくない、と判断。何年振りかの夫婦観戦に落ち着いた。

  
  目の前で躍動する選手                    試合開始前、国旗掲揚・国歌吹奏

年間指定席券を拝借しての観戦ゆえ、座席は指定されている。但し、コロナ影響で昨年までとは座席の位置が異なる。入場口も昨年までとは違う。
広島駅から歩いてまっすぐ。レフト外野側から入場するのが最も近い。ところが今回は、蜜を避けるために分散入場との制約で、遠回りも遠回り、正面入り口から1塁側に向かって階段を上る。ここにもコロナ対策の厳しい対応がうかがえる。逆らうことなくすべて係員の言いなり。
やっとこさ指定席に到着。ここでも蜜を避けるため、たとえ夫婦であっても一席分開けて座るという徹底ぶり。
目の前で知った選手が、試合前のキャッチボールなど躍動する姿がまばゆい。試合前の国旗掲揚と国家吹奏。いよいよ試合開始。

  
  思いがけないスタメン発表        久しぶりにカープが圧倒的なスコアを見せる(阪神ファンさんごめんなさい)

場内アナウンスも「マスクの正しい着用を」「ファールボールは追いかけない」「大声での応援はご遠慮ください」と、耳にタコができそうなくらいことあるごとに流される。でもこれは、現在の世界情勢であり、日本の置かれた厳しい状況の中で至極当然のことであり、普通のこととして受け止める。
その分、安心してプロ野球の観戦ができる有難味が大きくなる。
そんな中でも、前半からカープの躍動が目立つ。鈴木誠也・菊池涼介のレギュラー二人を休ませた異常なスタメンが、打ち、かつ走る。
胸のすく試合を堪能させてくれた。

  
横からの眺めは結構密に見えるが、普段の6分の1に満たない少人数観客。左:ネット裏 右:ライト側内野と外野。

どんなチャンスであろうとも、どんな活躍をしようとも、拍手のみの静かな声援。トランペットに大太鼓、それに統制の取れた大応援、大声援。それが当たり前の風景であった。だがそんなものは一切ない野球が物足りない気分は確かにある。その代わり、投手の球を受けるキャッチャーミットの音。バットから弾き飛ばされる生の打球音。これぞ野球の醍醐味。これはこれで貴重な体験である。

久しぶりに堪能したプロ野球観戦。楽しさの奥に迫るコロナ感染の不気味さ。但しこちらはナイターとはいえ「夜の街の危険」とはわけが違う。
しばらくはこの状態が続くのだ。身の程をわきまえ、感染対策と上手に付き合い、自分を守り、大切な人を守る行動。そんな身の処し方の大切さを改めて痛感したプロ野球観戦であった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「原爆投下、あれから75年」

2020年08月06日 | ニュース・世相

                                                    
                原爆ドーム前を流れる元安川と繁栄の象徴、相生橋

非核三原則「見直すことはない」

菅官房長官、核武装の可能性否定

8月6日、午前8時15分。防災無線のスピーカーから流れる追悼のサイレンに合わせて黙とうを捧げる。
今年もジリジリ太陽のもと、原爆投下の日平和祈念式典が、広島平和公園を中心に執り行われた。あれから75年の歳月が流れた。
当時3歳半だった小生は、確たる衝撃も悲惨な思いもないまましばらくが過ぎた。周囲や子供同士の話の中で「とにかく大変なことが起こった」という恐怖心だけが胸の奥に刻み込まれた。そんな幼かったのに今や78歳とはね~。

毎年、世界中のビッグが集結する世界の平和祈念式典。まさに世界平和を祈り念じる「祈念式典」なのである。
お隣の大国の主席はいま、世界平和の秩序を乱すだけでなく、我が主張をゴリ押しして領土を無理やり広げようとしている手前、こういう場に顔を出すのは憚られるだろう。その点では自国発症のコロナのお陰で「式典の縮小開催」によって、大きな顔をして欠席できたのはありがたかったことだろう。

そしてこの日。平和祈念式典では総理大臣が「非核三原則」を読み上げ、官房長官も同様に非核三原則の堅持を強調。世界唯一の原爆体験国が、「核兵器を使ってはいけない」と叫ぶのは至極当然であり、まさに正しいと思う。
しかし、一気に我が国を潰す勢いの核兵器を有する国や、核兵器を持つことで核攻撃から自国を守ると主張する独裁国家が、完全に標的にしている日本列島。

そんな理不尽な国家を相手に、「非核三原則は守る」「他国からの核攻撃には同盟国の核で守ってもらう」という甘ったれた図式がいつまで続くのだろうか。これほどお利口な、紳士のやり方が、いつまでも通用する世界であって欲しいと願っているが、この頃では不安で仕方がない。
いつ核弾頭が飛んでくるのか、いつ「この島は自分ちの領土」とケンカを売ってくるのか。それらに対してどこまで本気で向き合えるのか。世界平和を祈念する日にこんなことを思うのは不謹慎だろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「イタチくん」

2020年08月04日 | 晴耕雨読

                         あちらこちら獲物を探して動き回るイタチくん。(白い枠線の中に)

お昼に近い日照りの中、1mばかり低い位置にある畑で茶色なものが動いた。なんだ?
気付かれないように目で追うと、なんと体長約30cmのイタチ君が、獲物を探してチョロチョロ素早く動き回っているではないか。急ぎスマホを取り出してその姿を追う。

いっときもじっとしてはいない。常にキョロキョロ、目を見はり鼻をきかせてお昼ご飯ハントに余念がない。少し落ち葉や枯れ草が積まれていると、鼻先で堀上げ上手に潜り込む。ミミズやバッタ、小さな虫など生き餌を探し回っている様子。チラッコチラッコ見せる姿をスマホで追うのは大変。

イタチは、顔を除く全身の毛色が褐色掛かった茶色。周囲を偵察するために立ち上がることが多いため、その姿が火柱のように見えることから「火立ち(ヒタチ)」がイタチと呼ばれるようになったとも言われているようだ。口元は白く、クリッとした円らな目の周りは黒色と、パンダ同様に愛嬌ある顔が特徴的。
この愛らしい顔に似合わず、畑づくりにとっては意外に厄介な小動物ではある。今のところ作物に被害を与えるようなワルさはしていないが、集団になると間違いなく、根菜を掘り起こしたり、甘い生り物を横取りしたりするに違いない。

ワルさをしないとほんとに可愛らしい小動物ではある。あのまんまを首に巻いたら、さぞかし冬は暖かろうに。
ただ、イタチが出てくると言うことは、この荒れ地のどこかに巣を作っているということ。これは放ってはおけないヤバイことなのかも。行政もそんなことでは構ってくれないだろうし、自衛手段を講じなければ。
それにしてもあの愛くるしいイタチ君。昼間に出てきたが、今夜のようなまん丸満月の夜など、どうして過ごしているんじゃろう。ま、大きなお世話か。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「居ながらにして」

2020年08月03日 | 季節の移ろい・出来事

         
           テレビ画面に映し出される、長岡大花火

8月1日から、市内の多くの公立小中学校で夏休みに入った。
暦の巡りによって8月は土・日のスタートとなり、実質的には今日8月3日月曜日が夏休み初日といった感じである。
早速小5の孫君が朝からやってくるかと思いきや、何かの都合があったのか、我が家に来るのが億劫になったのか、初日のじいちゃん学校は開店休業となった。半分はありがたいとほくそえんでいる。

コロナ感染拡大は衰えを見せない。連日、感染者の数値も、発生場所も広範囲に広がり、不気味さと恐怖をばらまいている。
かたやGoーtoキャンペーンなどと張り切っている業界もあるが、個人的には現在のところ旅行に出かける気分にはなれない、というところである。
もちろん、暑いからこそ涼をを求めての小旅行もやぶさかではない。冷たいおいしいグルメ旅もきらいではない。
でも、そんな旅志向の誘惑を簡単に抑えられるほどに、コロナの怖さの方がのしかかってくる。

そんな折、日本の花火師の技を代表する「長岡の大花火」が、NHK・BSで放送された。
花火師さんをはじめ、花火評論家、花火カメラマンなどの生出演で、知り得ていない花火の奥行や、花火師の心意気など、トークと実演で、それはそれは素晴らしい花火大会を、居ながらにして、エアコンの効いた部屋で堪能させていただいた。

今年は、5月のフレンドシップ花火も、岩国港花火も、夏の風物詩「錦川水の祭典、錦帯橋大花火」など全ての花火大会が、コロナ感染対策で中止となった。花火が見られないこともさることながら、孫の手を引いて河原のゴツゴツ石の上を歩くといった風流な、夏の楽しみが根こそぎ奪われた思いがする。そんな一抹の寂しさの中で、たとえテレビ画面を通してでも、本場も本場「一度は行ってみたい」と思う長岡花火を見せてもらったのは実によかった。果報は寝て待て、こんないいこともある。

本格的な暑さの中でマスクは必需品という夏。熱中症は自ら積極的に守るしかない。コロナに対しては「君子危うきに近寄らず」をモットーに、少しでも楽しみを見つけて、なんとかいい夏にしたい。
そのためには、鯉のぼりの季節を戦わずして一気に夏バテを迎えた感のある、広島カープの頑張りこそ、カープファンの留飲を下げる妙薬であり、この上ない清涼剤になるはずなのだが。

         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「葉月ついたち」

2020年08月01日 | つれづれ噺

      
         水は天地万物を潤し、全てのものを写し出す

長い梅雨期をなんとかやり過ごし、ようやく明けたと思ったら、いきなりの容赦ないジリジリ太陽。と思ったらもう葉月ついたち真夏である。
子ども達の夏休みがなかったので、7月の終わりをあまり意識しないまま8月を迎えた感がある。

8月1日、某カレンダーによるとこの日は「水の日」と記してある。
8月、真夏、の言葉から連想する最も身近なものと言えばまさしく「水」である。
次に、ピンと思い浮かぶのは「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。・・・・・・ 」説明するまでもなく、鴨長明「方丈記」の冒頭である。

やれ梅雨前線停滞だの、線状降水帯通過だのと、欲しくもない大量の雨をもたらし、揚げ句は「河川氾濫、大洪水、地滑り、土砂災害、等々」の水による大災害。こんな人々の財産を根こそぎ奪い去る水には、ただただ恨めしく思う。そんな水も少雨などで不足してくると、たちまち生活を脅かされる大惨事につながる。
すぐ近くにある瀬戸内海に浮かぶ周防大島で、橋に備えてあった島への送水管が、貨物船衝突によって破損。島への送水が遮断された「水騒動」は今も記憶に新しい。命をつなぐに欠かせない大切な水。
適度に降って万物を潤し、命の成長を見守り、ときに辛苦も悲喜もこもごもに洗い流す、そんな役割に専念してくれると有難いのだが。

前日の遊覧船舟遊びでは、普段はあまりない川面から眺める景色の新鮮さに目を見張った。
夜間照明にアップされた錦帯橋の姿も、観光ホテルの灯りも、遊覧船の提灯の灯りも、すべての灯りを区別することなく水面は写し取って川の流れにゆだねて揺れる。

ひとたび暴れ始めると手の付けられない怖さを秘めてはいるが、普段は静かに流れ、ホタルを育て、ハヤをアユを成長させる。カジカのほろ甘い鳴き声も、山から流れ出る清流にこそ生かされている。まさに大河の一滴。そして万物の命の営みに欠かせない水。
葉月ついたちを期に、ちょっとだけ水に感謝の思いを捧げたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい