「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ちらほらと」

2021年03月16日 | ニュース・世相

                    

さくらの開花予想から数日、早くもちらほら開花が報じられるようになった。そんなに大騒ぎするほどのことかい?と少し冷めた感じで見ている。
今年に限っての話ではあるが、こっちは桜どころじゃない今を過ごしている。それにしても、今日はまだ3月半ば。それほど「さくらが、さくらが」といって騒ぐ時期なの?と聞いてみたくなる。

昭和のさくらはもっともっとゆっくり咲いたよな~。平成になって徐々に早まり、今はなんかしら、さくらまで駆け足で慌ただしく咲いていくような気がする。
あと2年で50に届く私の長女が小学校に入学するころは、4月に入ってから満開を迎え、さくらの花びらを手のひらに載せながら入学式に臨んだと記憶している。

またあの頃の入学式と言えば、お母さんの絵羽織とさくらの花びらが見事にマッチングしていたな~。父親が一張羅のスーツに選りすぐりのネクタイを締め、どんなに頑張ってもお母さんの絵羽織には勝てなかった。そんな昭和を思い出す。今は絵羽織も希少価値となった。

それにさくらはやはり、さっと咲いてさっと散るのがいい。つまり散り際を知っているから、一遍に咲いた花を愛で、散り行くのを惜しむ。これが花見の妙味ではなかったのかな~。早くから咲いて、いつまでも花見の季節が続いては、さくら咲く春の値打ちも少し薄らぎはしないかねーさくらさん。

さくらに当たっても仕方がないことだ。地球温暖化の影響でさくらが早く咲くようになったのだとすれば、その責任の一端は私にもあるということ。
ま、小理屈こねるより、咲いたさくらにこと寄せて、旧交を温めるのがよろしいようで。そんな楽しみさえ、コロナの奴は奪おうとする。イヤな世の中ではある。思いっきりどこかでお花見しよっと。

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「宮仕え」

2021年03月15日 | つれづれ噺

                                                                    

一人はスーツにネクタイ姿。一人はラフな作業服姿。そんな若い兄ちゃん二人が前触れもなく訪れた。
「市役所の者ですが、少しお聞きしたいことがありまして」と低姿勢。ひょっとしてついに家庭訪問の特殊詐欺か。でも取られるモノ何も持ち合わせていないよなー。と思いながら対応すると、間違いなく市役所の職員と分かった。それも収税課員である。

「お宅の隣の空き地の畠は誰が作っておられるんですか」ときた。要するに隣の広大な荒れ地は、相続人はいるのだが、一級住宅地で固定資産税がかさむのでみんな相続放棄をしたのだという。そのような未収税の土地に畠など生産性のある使い方をすると、使っている人間に固定資産税が課せられるのだ。と初めて知った。

「そんなことなら、いつだって畠は辞める。但しこれは、荒れ放題の藪が家の側までやってきて、害獣やヘビの住処になる。そんなことを防ぐための、防衛手段として仕方なしに畠を作っている」だから「こちらは畠を辞める代わり、藪が押し迫ってきたり、害獣やヘビの住処になるのを防ぐためには、市役所が年に3回、丁寧な草刈りでもして、荒れ放題にしないと約束してくれ」みたいな押し問答を少々。

あまり居丈高に言ってもねー、相手も給料もらっての宮仕え。ここでケンカしても三文の得にもならんことを悟って、やんわり結論は?と迫ると「一端帰って上司とも相談しましょう」ということに。その夕方の電話で「荒れ地面積に対して畠耕作の面積比率が低いので、今まで通りにどうぞ。但し、それ以上広い畑になると状況は変る可能性があります」と。先ずは納得の出来る返答をもらってひと安心。

我が身を守るために、と思ってやっていることでも意外な方面から横やりが入るものだ。もっとも、畠作りと言っても今の広ささえ持て余し気味。これ以上など望みもしない。

それにしても、荒れ地の持ち主夫婦がお元気な頃に、耕運機で耕しに来るのを、おふくろが湯茶の接待をしたご縁で畠作りが始まったのだが、その持ち主もとっくに彼岸へ。ご子息がいなかったようで、ちゃんとした相続人もいないとはね~。年月とは時に残酷な姿を見せるものではある。

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「乗り掛かった舟、その4」

2021年03月14日 | 地域活動

              
                                         

これがいよいよ最後の工事、エアコン取付作業。
かれこれ1年がかりで、あーでもない、こーでもない、悩まぬでもいいことまで少し悩んだり、少しの迷いを生じたり・・・・・・。
色々あった自治会事務所設置の顛末。いよいよ全ての作業を終えて、完成・お披露目の日を待つばかりとなった。

1週間先の3月20日土曜日、春分の日のお披露目案内を流しておいた。合わせて、要した費用の明細も一緒に「自治会の財産として広く活用するために是非一度ご覧下さい・・・」などと。ちょっと他人行儀かなと思いながらも、公共のお金を使っての作業なので、少し引き気味に、ホンの少しだけかっこつけさせてもらって。そしてお披露目が済んだら、文字通り「ご苦労さん」のお役御免。新年度の役員さん達が新たな主となって活用することになる。

色んな思いを秘めて手がけて来ただけに、単なる器が出来たと喜ばれるのもいいが、色んな活用の仕方を工夫してほしい・・・などと考えるところが「アンタは甘いよ」と言われるゆえんなのかもね。「狭いながらも楽しい我が家」ではないが、率先して、〇〇講座でも開いてみたいよ。講師は回りにおられるし、色んなカルチャー教室のセンセー方とも顔なじみだし。

しばし様子を見るか、それとも一気呵成に活用方法を指南するか、また一つ思案である。      

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「おおきに!」

2021年03月13日 | つれづれ噺

            

放送が始まって早くも13週を迎えるNHK朝ドラ「おちょやん」。おもしろい。NHK大阪の制作だけあって、関西弁が耳に心地いい。中でも、主人公の「ちよ」が、わめいたり、泣いたり笑ったり、ときに聞き取りにくいほどの早口でまくし立てたりする。そんな後で「おおきに」と言いつつニコッと笑ったり首をすくめたりする。そんな仕草と重なって「おおきに」にまで愛着を覚えるのだろうか。

室町時代以降に使われ始めた「非常に」とか「大いに」の言葉に代わる表現、という解説もある。また「おおきにありがとう」の略でもあると言われる。
好きな言葉がいくつかある関西弁の中で、この「おおきに」は、何故か別格の味わいを感じさせるお気に入りである。特に、弱い立場の「ちよ」が言うから、耳に馴染むのかもしれない。

単に有り難うという感謝の言葉の奥に、なにかもっと深い人間くささが潜んでいるような気がするのである。なんで?と聞かれたら答えようがないのだが、「おおきに」と言われたとたんに、自分がとってもいいことをしたような喜びを感じさせる、もっと燃えたくなる。そんな不思議な魅力を持っている。

世の中にもっともっといっぱい溢れさせたい「おおきに」である。
何でもかんでも当たり前のことになってしまって、「有り難い」「お陰さんで」「感謝」といった感情が希薄になっている。そのつながりで、汗をかいたり、必死になったり、歯を食いしばるなどの「努力」という言葉が消え入りそうに感じる。それは、昭和10年代生れのひがみなのかねー。

ま、ときには報われない努力もやってみるといい。頭をひねった分、手をカサカサに荒れさせた分、何かの余韻が頭の片隅に残るものもある。

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「乗り掛かった舟、その3」

2021年03月12日 | 地域活動

           

乗りかかった船も目的の港に着々と近づいている。あと数日。そしていよいよ完成のお披露目へ。
紆余曲折あったこの船の航跡。実際にはさほど難儀な瀬戸も灘もなかったはず。あれほど大多数の賛成を追い風に出港したのだから、それこそ大船に乗った気持ちで堂々とやりゃぁよかったものを。
ただそこは、船頭には船頭の思慮もあり、浅瀬に乗り上げたり出来ないプレッシャーも感じたり。なんせ、初めての船出で、経験則の足り無さが不安を増幅させたのかも。

自治会事務所設立というプロジェクト。ユニットハウスを据え付けてから1ヶ月あまり。昨日夕方に待望の電気工事を終えた。元々ブレーカーも電灯も、コンセントも装備されている既製のハウス。電柱から電線を引き、ハウスに電気メーターを取り付け結線すれば終わり。と素人は思うのだが、その手続きや立地条件下見など、世の中の決まり事があって時間を要する。ただ待つだけ。

本日3月12日大安吉日。朝一番に屋外の受電スイッチをON。次いでブレーカースイッチをON。電灯のスイッチをパチリ。灯りが点った。
なんかしらこんなことを書くのは馬鹿げているようだが、我が家を建てたときの感慨とは大いに異なる達成感を感じながら、スイッチに指を触れる。
大袈裟だと笑われるかも知れないが、自治会の皆さんのお金を預かって、全てのシナリオを描き、交渉事の一切を引き受けて来た小心者の船頭にとっては、意外に手強い舵取りではあった。

残された「使用規定」を仕上げ、後任会長への種々申し送りを済ませたら一件落着。
その前に、やはりこの手で、というか1年間一緒に頑張ってもらった役員の皆さんと、お披露目の主役を務めさせてもらおう。そのくらいはええよねー。

灯りが点る、とはこんな気持ちにさせられることなんだねー。久しぶりの感慨である。

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「あれから10年」

2021年03月11日 | ニュース・世相

                

思わず目をこすって、我が目の視力を確かめた。目に異常はない。ということは、目に入る異様な光景はまさに現実に起きている、そんな感想であった。
10年前の今日。なにをどうしたのか、珍しく昼過ぎのテレビを見るともなしに見ていた。
「おとうさん、これは何?」とテレビ画面を見ながらカミさんが言う。一瞬は何が何だかわからない、初めて目にする、表現のしようがない光景であった。

あの日から10年たった今も、確実に人々を悲しみの淵に誘う悲惨な出来事。あれが「東日本大震災」の姿なのである。
半分地団駄踏みながら「早う逃げんか!」「もっともっと早く!」「危ない!!」などとテレビ画面を怒鳴りつけ、「逃げおおせて!」と手に汗握った記憶は、今も頭の奥に、眼の奥に、気持ちの中に刻み込まれている。

合併によって大きくなった会社は、北海道、東北、岩国、九州と全国ネットで工場は至る所にあった。
関東方面のユーザーの生の声を、生産現場の工場に直接伝えることで、工場のスキルアップや品質向上と、求められる物作りをする。その伝達役「サービス・エンジニア」として本社に赴いた。そこで出会ったのは、石巻、福島県いわき市、盛岡など東北出身者が多くて、初対面から賑やかだったな~という印象が強い。

あれほどの震災など夢にも思わない、若きよき時代であった。文字通り同じ釜の飯を食った仲間となって1年あまり。それぞれの工場に戻ってからのお付き合いもあった。なのに、どういうわけか震災の3年前あたりからほとんど音信が途絶えてしまった。震災のあと、昔の住所を頼りに手紙も何度か出したが、返信はなかった。出した手紙が戻ってくることもなかった。

未曾有の大惨事に直面した人たちは、何年たとうと、どのように復興が進もうと、失ったものの大きさには代えられない気持ちの空白があるに違いない。それも、10人十色とはよくいうが、100人寄れば100通りの、1000人なら1000通りの異なる思いがある。何にも出来ない私ではあるが、ほんの少しではあっても、かつての友に思いを寄せられただろうにと思う。しかしそんな被災地の友も今はいない。この10年の悲しみのご遺族に、合掌。

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「経験を糧に」

2021年03月09日 | 家族・孫話

    地元ケーブルテレビのイントロ
 
大きな声を張り上げて走り回る子どもの数がより、周りで指導する大人の数が多いのではないか。そんな錯覚すら覚えるような、少年ソフトボール「灘オールスターズ」というチーム。9チームからなるリーグの中から選抜された12人だけが着せてもらえるユニフォームをまとって、来たるべき春期全国大会3月27日に向けて最後の調整に入っている。
そんな様子を、地元のケーブルテレビが密着取材して今夕オンエアーしてくれた。

 

      
        フライには少し余裕を    内野ゴロを掴んでファーストに送球する必死の顔

  
           インタビューに少し緊張、少し笑顔で答える孫君

好きで始めた野球ではあるが、背番号10は時に重さを感じることもあるようだが、こうしてインタビューに答える姿をみると、何事も経験することの大切さを改めて教えられる。
つい口癖で「ガンバレよ!」と言ってしまう。彼ほどの経験を持たないジジは「ガンバレよ」は激励だと思い込んでいるが、言われる方は時には苦痛になることもあるようだ。少し抑えよう、と思うのだがひとたびグラウンドに出るとね~。

今できることを精一杯やって、汗を流し、叱られて涙を流し、友と笑い、友に助けられ、友を助ける。そんな小学校生活を経験出来る彼は幸せ者である。さて将来は。そんな先のことなど何にも分かりゃしない。日々の経験の積み重ねこそが将来の肥やしだ。少し抑え気味に、静かに応援しようかねー。

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「楽しみと不安と」

2021年03月07日 | カープ一喜一憂

      

地中の虫たちがうごめき始める啓蟄に入って2日目。
私の中では「楽しみと不安」にさいなまれる『カープ一喜一憂』のムシがうごめき始めた。
今月26日のプロ野球ペナントレース開幕に向けて、その前哨戦のオープン戦が始まった。愛しのカープは昨日今日、ヤクルトと2試合を戦った。

取り敢えずはエース級の投手の出来がよくて、連勝でスタートはしたものの、先の長いペナントレース、いったいどうなるんじゃろうねー。
勝って喜び、負けてがっかり。まさしく一喜一憂のシーズンがやってきた。でもそうやって、喜んだり怒ったりすることは、気持ちが揺れ動きハイとローが行き来する。その心の揺れ動きがなんとも「生きていることの証」となる気がしないでもない。

ただただコロナに感染しないように、ガードを固めて気持ちの抑揚を抑える。そんなお籠もり生活よりはよほどマシな生き方ではあろう。
昨年の新人王、森下君の2年目のジンクスや如何に。大瀬良は、九里亜蓮は、誠也は、菊池は、個々の選手の活躍も応援しながら、最後にチームが勝ってくれることを単純に見守る。これも春の訪れという季節の移り変わりに、心が気持ちが揺り動かされているのだろうか。

プロ野球開幕の翌日の土曜日は、孫君のソフトボールチームが全国大会に出場する。幸いにして今年の全国少年ソフトボール大会は山口県の受け持ちなのだそうだ。そのお陰もあって、全国大会切符を手に入れたのかな。そんなこたーどうでもいい。背番号10を背負ってハツラツと躍動する孫君を、菊池や堂林に見立てて応援するジジバカを許されよ。体力を養っておかなければ。

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「うごめく虫たち」

2021年03月05日 | 季節の移ろい・出来事

                                     

季節の指標である「二十四節気」の立春から数えて3番目の節気に当たる「啓蟄」。
立春、雨水、春分などと比べると如何にもしかつめらしい呼び方であり、難しい字面でもある。「啓」は「ひらく」という意味。「蟄」は「土の中で冬ごもりする虫」という意味があるのだという。

そんな地中の生き物が、長い冬眠から目覚め、春の訪れを先取りするように活動を始める時期である。
考えてみれば、地中で冬眠する虫も数々あろうが、今年の場合は我々人間様にとっても、色んな虫を抑え込んで無理矢理冬眠させざるを得なかった季節が、長く続いた。

仲間とワイワイ呑むお酒の虫。接待を伴う高いお酒の虫。コーヒーを飲みながら自分の歌に酔うカラオケの虫。遊びの虫を避けるためにひたすら野良仕事に精出す虫。そんな抑圧された色んな虫は、未だ啓蟄には至らず、季節に逆らいながら今しばらく「啓」を忘れて「蟄」のままで、コロナ対策お籠もりさんを守らなければならない状況である。

一都三県のコロナ禍緊急事態宣言はさらに3週間の延期となった。首都圏の感染拡大を抑えない限り、いつどこの地方都市で再び炎上するか分からない人の流れの中では、お気の毒ではあるがやむを得ないと、納得するしかない。
我々人間様にも、季節の指標である節気の一つ「啓蟄」が一日も早く訪れて、夜の街を活気づけ、飲食業界を振興させ、自由に旅に出られる、そんな春を待ち望んでいる。
だんだん先が短くなることを実感するお年頃の人間には、切実な問題なのである。

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「春呼ぶ香り」

2021年03月04日 | アーカイブ(蔵出し)随筆

    

なんだかんだと忙しさにかまけていたら、春ジャガ植え付けや夏野菜用の畑作りがすっかり後手に回ってしまった。畑の入り口にある沈丁花も、大方で盛りを過ぎそうな勢いで咲いている。部分的につぼみの集団を見つけて「無沙汰をしたね、まだ間に合ったね」とぺこり。

沈丁花の咲く頃の大きな思い出といえば、44年前に認めた「やぶにらみ随筆その1」なるものがある。久しぶりに振り返って、蔵出ししてみたくなった。
 『春の断面』
 厳しい寒さが峠を越し、女性の白粉を思わせる沈丁花の香りに載って、ようやく春が姿を見せようとしている。長い冬眠から醒めようとする虫や動物たちに代わって、今度は我々人間様がなかなか目を覚ましにくい季節になってくる。
 子を持つ親にしてみれば、入園、入学、進学、就職・・・・・・なんとなく落ち着かないのもこの季節の特色でもある。
 ある者は、合格発表の校庭に土下座して感謝感激を身体いっぱいに表し、またある者はグッと下唇を噛みしめ、次の機会へ、あるいは他方へ夢を馳せ、静かに校庭に背を向ける。悲喜こもごも、まさに春のひとつの断面を見る。
 しかしながら、いずれにせよ両者とも本領を発揮するのはこれからであり、結果をみるのはまだまだ先のことである。人生模様にどのような色を添えるかと言うことの方がはるかに大切になってくる。
 我々はいま、その絵筆を握っている最中である。
 情報過多と言われ、綿密な管理体制の中ではあるが、菜の花に舞う蝶を愛で、四季折々に移り変わる花を愛する気持ちのゆとりを忘れず、一歩一歩を確かな足取りで生きていきたいと思う。

44年前、若干35歳。目的はきちっとしたものがあって、それを少し柔らかく相手に伝えたくて、回りくどくなったのかもねー、などと苦笑いしている。若かったんだねー。こんな時もあったのだ。

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