「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「あせ・アセ・汗」

2023年08月20日 | 地域活動

    
           生い茂る夾竹桃の剪定                           急斜面の草刈り

小学校の夏休みの終わりが近づくころに、私たち地域活動の大きな出番の一つがやってくる。
暑い盛りの活動であるが、長年にわたる学校と地域社会の結びつきの中で定着してきた「学校環境整備作業」という、校庭やその周辺の樹木の剪定や草刈りをして、子供たちの学びの環境を整備する事業である。

かつては我が子二人がともにお世話になった小学校でもあり、PTAという地域活動の出発点を体験させてもらった場所でもある。
子供は世界の宝物、地域の宝物、だから地域を挙げて大切に育てましょうと大声で呼ばわる立場としては、当然の汗を流す作業の一つである。

        
      運動場のオアシス、藤棚 剪定前                   スッキリ 剪定後
日はさんさんと降り注ぐが陰がないのが校庭の特徴でもある。そんな校庭の一角に藤棚がこしらえてあり、長椅子が並べられている。
夏休みも構わずにソフトボールの練習をする子どもたちの休憩タイムに日陰を提供するオアシス的大切な場所。その藤棚も1年ほったらかすと伸び放題でボ~ぼ~になっている。そこへ鋏を入れ、丁寧に駆り込んで一休みできるオアシスを再現する。子どもたちの喜ぶ顔が思い浮かぶ。

もちろん学校行事なので保護者も大挙して参加する。地元の学校支援団体のお年寄りとうまく分割して作業を進める。
中には口ばかり動いて手が動かないグループには「この部分はこのようにして子どもたちの役に立たせたいのですが」と積極的にお願いし、道具の使い方などをヤングママたちに教えて、動いていただく。
この時ばかりは、見も知らぬどこかの年寄りの言うことでも素直に聞いて手を動かしてくれる。

そんなこんなで、汗の滴る二日間の大仕事を終えた。子どもたちの笑顔は直接見ることはなかったが、校長先生の感謝にあふれる笑顔に接することで流した汗が爽やかなものになる。老体に鞭打って今しばらく続けてみよう。子どもは地域の、世界の宝物なのだから。

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「故郷の味が」

2023年08月19日 | つれづれ噺

                   
                  また一つ故郷の味が消えるニュースを伝える 中国新聞

また一つ、ふる里の味・ふる里ブランドが消えることになった。
町中から約20分もクルマで走った山間の集落。鉄分を多く含む赤土から採れるダイコンは、地元の人たちの手でたくあんに加工された。試行錯誤を繰り返すうちに、独特の酸味を帯びた「阿品たくあん」の味として、地元だけではなく全国ネットのブランド商品として売り出されるに至った。

山林に囲まれ耕作面積の狭い集落で生まれたブランド商品は、地区住民の大きな副収入となって生活を潤した歴史もある。
しかし、高齢化社会とはこういった地域社会の仕組みにも大きなダメージを与える。加えて人口流出による地元住民の減少は、地域の持つ宝物さえ輝きを失わせるという罪作りな結果を招く。

幸いなことに今回の阿品たくあんは、過去の実績や味わいを知るファンもあって、新興の地元漬物店に引き継がれることになり、60年の歴史が完全消滅ではなく後継者が見つかったということは有難い話である。但し、今後の生産活動や原料調達などは地元から離れることになりそうなので、地元への貢献と言う意味では縁遠くなる。その点は少し気の毒な話ではある。

私にとって阿品という集落とのご縁は高校1年生に始まる。自宅から学校までの距離約30kmを自転車通学する強者同級生の住所が阿品であった。考えてみれば、阿品たくあんは60年の歴史に対して、私たちはそれより5年も早くお付き合いが始まったということである。
今も彼が所有し手入れを続ける竹やぶの、出始め旬のタケノコを賞味させてくれる有難い友でもある。悠々自適とは彼のためにある言葉のような優雅な日々を送っている。大病もせず元気でいてくれるのが何より嬉しい。そんな山間の集落の一つの歴史に目が行った。

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「おじサロン」

2023年08月17日 | ニュース・世相

                                                                

待っても待っても大地を潤し、地表温度を下げる雨が降ってくれない。
送り火を焚く頃になると、そぞろ吹く風にも幾分かの涼しさを感じ始める、と言われてもいるのに全くそんな気配を感じさせない夏。この暑さいったいいつまで続くのだろう。そんな暑さ対策と高校野球の魅力に惹かれて、エアコンとテレビのおこもり生活があまり苦にならなくなった。
但しこれも、すぐ目の前に秋が近づいている、高校野球も佳境に入って優勝争いが見え始めた、そんな魅力があるから我慢できる。

今日の紙面に「おじサロン」という編集委員コラムが載っていた。
「余計なお世話だ、ほっといてくれ。一人で生きて何が悪い・・・」という中高年の男性たちからの予想外の強い反応にびっくりした。という現代社会の現実を目にした感想から始まる記事であった。

頷ける部分もあるし、もうちょっと人間らしく世間と関わって生きて行くのも悪くないよ、と反論したい部分と相半ばである。
いま、世界では孤独の健康リスクが問題視されているという。それらが昂じると「孤独」が「孤毒」、つまり毒されてしまう危険があるという。
そんな危険から身を守る一つの方法として、孤独を愛するおじさんたちのお友だちづくりのコミュニティ「おじサロン開設」というストーリー。

肩書を外し、名声も地位も外して互いを認め合い、共感する付き合い方こそが「おじサロン」の真骨頂なのだが。
私の知る限りでは、現役を遥か前に終えた人間の集まりのはずなのに、過去の肩書や専門的知見をひけらかす人のなんと多いことか。そんなものを首から外し、ゆるーく人の輪に入ってこれるホンの少しの努力が「おじサロン」の入会資格とでも言えるのかも。孤独も集団も厄介だね~~。

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「精霊流し」

2023年08月16日 | 季節の移ろい・出来事

                                             
     
            

お盆の締めくくりと言える「送り火」を焚く日。現世にお環りになったご先祖の霊をお浄土へ送り届ける道を照らすともいわれる送り火。
近くの自治会が主催する毎年の恒例行事「精霊流し」。地域を上げた送り火の行事でもある。
地域活動の広報担当して写真撮影もあり、海辺に置かれた精霊船の点火や灯篭の灯をカメラに納めた。

今ひとつ今年の場合は個人的な精霊流し、イヤな思いを燃え上がる炎とともに海に流したいという願いもあった。
というのも、どういうわけか鬼の霍乱ならぬ暑さの霍乱にやられたのか、迎え火が焚かれる13日の日曜日は朝から夕方までご供養参りに精を出した。
その日の夕方から突然首筋の調子がおかしくなった。その痛みは尋常ではなく、自分の力で頭を支えるのが辛いほどの鈍痛。まるで強烈なむち打ち症に襲われたような痛み。この痛みには実体験があり、3週間入院した遠い昔のむち打ち症を思い出させている。

兎に角痛み止めを飲んで対応。動かない首筋に悩まされ、ガンガン痛む頭。顔を上げることも顎を引くことも適わない。ひどい目に遭った。
オレがいったい何をしたというの?どこかの仏前でご無礼なことをしてバチが当たったんじゃろうか、それとも何かにとり憑かれたのかと思わせるミステリックな激しい痛み。まるでいきなり重病人になった感じ(笑)

そんな塩梅で、お盆の三日間をやりきれなく過ごしてしまい、ブログにも手を出せない状態でした。
お盆帰省していた孫たちも今回ばかりはあまり相手も出来ないままになってしまった。でも帰るときにはスイカにカボチャに取れたて野菜をたんまり持って帰らせたので良しとしよう(笑)

兎に角訳の分からない突然の重病に襲われた今年のお盆。決して若くないのだから更に気を付けるんよ。というお教えと受け止めよう。
瀬戸内海には気の毒だが、こんな個人的辛さまで精霊の送り火とともに海に流させてもらった。悪しからず。

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「お盆の入り」

2023年08月13日 | 季節の移ろい・出来事

                      
                      親・兄弟の霊に手を合わせて   

今日はお盆の入り、迎え火を焚いてご先祖の霊を迎える日とされている。この地方では迎え火を焚き送り火を焚く習慣がない。その代わりというのもおかしいが、個人的に出来る精一杯の供養をする一日となった。最初は、昨年4月に亡くなった姉の集団法要勤行に参列し焼香をしてきた。その足で近くに住む甥っ子の家に出向き、七回忌を済ませた姉の仏壇にお参りした。

お弔いの一日と決めていた今日の締めくくりは、先日きれいに磨き上げたお墓にお花を供えお線香をくゆらせた。暑い陽射しに熱くなった墓石に手を当てると、「よ~来てくれたね~」という母の声が聞こえたような気がした。この年になるまで感じたことのない不思議な感情である。良くも悪くも、この身もやがてそば近くに行くことになる現実を予感させたのであろうか。

いつか必ずそばに行ってまた肝を焼かせるじゃろうから、あまり早く招かないで、いましばらくこの世での活動を見守って欲しいものだ。などと勝手なお願いをしてきた。
1年に1度くらい、こんなお線香の香りを身にまとう日があってもいいよね~。そのための先祖供養のお盆だもの。

     ❝ ときどきは みんな集まれ 大西瓜 ❞      陽山 道子    

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「他愛ない一日」

2023年08月12日 | 家族・孫話

昨日から本格的にセガレ家族が里帰りするという。
植木などに巣をかける蜘蛛を悲鳴を上げて怖がる姫孫のために、竹ぼうきを振るって蜘蛛の巣を完全に取り除いて、帰ってくるのを待つ。
そこで、取るに足らない川柳がふと頭をよぎる。

   ❝ 孫嫌う 蜘蛛の巣払い 帰省待つ ❞ 

帰ってきたら一目散に冷蔵庫から冷えたスイカを取り出し「あまい!」と歓声を上げながらぱくつく。
一夜明けたら「じいちゃんスイカ割がしたい」という。5kgも6kgもある大玉を使われてはたまったもんじゃない。畑に残しておいた裏なりの発育不全をもぎ取って、形ばかりのスイカ割り。

  
4年生の姉は姉なりに勘を働かせて、ちっちゃなスイカを細い棒で探り当てる。年長さんはスイカが本当に割れてはいけないのでヘッピリ腰。

  
目隠しを取って気持ちよく割らせると、それはそれで大喜び。都会のマンション住まいではできない小さな夏休み体験をさせてやる。
年長さんのお手手はまさにモミジがふくらんだような柔らかさで、スイカを叩く力も加減する。そこへ行くと姉ちゃんはもういっぱしのおんなを思わせる大きな手に力強さが備わっている。

そこでまたお粗末川柳が浮かんだ。

   ❝ 孫の手も 賞味期限が あるんだね ❞ 

そんな他愛もない一日を里帰りの姫孫と過ごした。ジジにとっても、頭の中を空っぽに出来る有難い一日であったのかもしれない。
あれこれ神経使わない時間の浪費は老体にとっては大切である。といいつつ、孫の喜ぶ顔を見たさに、やっぱり色んな工夫をしてはいるもんだねー。

 

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「山の日」

2023年08月11日 | つれづれ噺

                     
8月11日、今日は「山の日」。
四面を海に囲まれて、海からの資源に助けられてきた歴史から考えても「海の日」は必要だと、早くから国民の祝日に制定された。
ならば、山の恩恵は豊かな海を創り出すことに始まって、資源の恩恵という意味では海に勝るとも劣ってはいない。それゆえに国民の祝日に制定される前から、国内の幾つかの県や自治体で「山の日」は制定されてきた経緯があるという。

山高きゆえに尊からずとはこの頃よく耳にするが、高かろうと低かろうと山が山であることに何の間違いもないことから、海の日に少し遅れて山の日が制定されて以来今日で8回目の山の日を迎えたことになる。
高い険しい山は信仰の対象になったり、低くても近隣の地形に特色があれば、地方豪族や戦国時代の武将の居城地として重宝された身近な歴史は今もはっきりと残されている。

故郷の山、住む町に連なる山、我が国土の67%、つまり3分の2は山林と言われる我が日本。
生活の資源化や国力増強に、国土の3分の2の山林をもっともっと活用することはできないのだろうか。
製紙や木綿繊維が隆盛を極めた頃はその原材料となる木材が重宝され、製紙会社などは競って山林を買い集めた時代もこの目で見てきた。それも時代の流れと共に根本的に見直され、地球埋蔵資源一辺倒になってから山林は荒れる一方となった。山師と呼ばれる職人さんもいなくなった。

河川の氾濫や土石流を作り出すのも、地球温暖化による海面温度上昇による異常気象が原因と叫ばれているが、今一つ山の管理不足、山の放置もその原因の一つになっていることは疑いない。ハワイ・マウイ島では森林火災から住宅地火災に広がり多大な損失が報じられている。
今日の山の日を契機に、国内産業の見直しの声が上がってこないものかと、淡い期待をかける日でもある。

 

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「暑さ異変か」

2023年08月10日 | 季節の移ろい・出来事

     
         キューリに珍しい真っ白い花が                 ナスの木にはスイカがぶら下がっている

心配された台風6号は、予想よりも有難い方向に進路がずれた加減で大きな影響もなく通り過ぎた。線状降水帯などという集中豪雨はごめん蒙りたいが、正直なところ雨は欲しかった。連日の猛暑でカラッカラに渇ききった大地を潤して欲しかった。台風影響の雨に潤いを求めるのもおかしな話だが、目下そこまで渇きに渇いた地表温度を少し下げたい。大雨で難儀をされている地方の人には叱られるが、長い間雨らしい雨に恵まれない渇きっぱなしも災害に近いものがある。

小さな家庭菜園では、キューリもナスも熱射病でフ~ラフラ。キューリなどは4本も植えたのに、熱射病に水不足、肥やしのやりすぎなど作りての無責任もあって枯らせてしまった。仕方なしに秋採りキューリを2本植え替えた。そのうちの1本に、見るも艶やかな真っ白い花が咲いた。しかもキューリそのものも順調に育っている。黄色と相場が決まっているキューリで初めてお目にかかる純白の花。単なる自然のいたずらか。

ナスの隣に植えたスイカは伸びに伸びてナスの木に舞い付き実を付けている。数年前にはキューリによじ登ったスイカが、まるでキューリにスイカが生ったと話題になったこともある。そんなこんな、異常気象の中で育つ野菜もスタンダードなものばかりではない、何が起きてもおかしくない世界情勢を真似しているのか先取りしているのか。

暑い暑いとこぼしながらも間もなくお盆がやってくる。盆を境に気候が変わるのを当て込んで色々やらなきゃならないことがある。
まず手始めは、ナスとピーマンの茂った枝葉を切り落とし、坊主近くにさっぱりさせて9月を待つ。順調に季節が流れれば、新たな芽を吹き新たな花を咲かせて秋味の収穫となる。その一方で秋冬野菜の種まきが始まる。畑づくりが忙しくなる。

暑いときには暑いように体をいたわる工夫をしながら、農作業は段取りよく進めなくてはならない・・・と、畑づくりのベテラン同級生が教えてくれた。あらたな挑戦が目の前である。それにしても半端でない暑さが続くお盆前。今しばらく気を緩めない暑さ対策を。

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「風物詩」

2023年08月09日 | 風物詩

8月9日、長崎に原爆が投下された日。長崎平和祈念式典が行われ、午前11時02分に1分間の黙とうを捧げた。
元々人間が人間を殺戮するために作られた原子爆弾という兵器。富裕で世界の覇権を争う大国は有り余るほど持っている。そんな核兵器の恐怖に怯える弱小国でさえ、核には核を持って対抗するのが一番とばかりに、各種の弾頭発射実験を繰り返す。そんな中で世界から核兵器を無くす運動を展開する唯一の被爆国ニッポン。聞こえていても聞こえないふりをするのか、すぐにでも核兵器使用のボタンを手許に引き寄せている大国。

核兵器の平和利用ならともかく、あの忌まわしい殺りく兵器の話になると、矛盾だらけで訳わからなくなる。声高らかに世界を指導できる人格者の出現が待たれる。が、そうなると世界を制覇したような錯覚に囚われて再び勝手気ままな蛮行をしでかすのだろう。矛盾の連鎖だけが残される。

そんな憂き世を一刻でも忘れさせる故郷の風物詩「地区の盆踊り」を覗いてみた。長い歴史を持つ岩国音頭の保存を意図する会が揃いの浴衣を着こめば、地域の民踊愛好グループが踊りを添える。

               
地元の中学生に、伝統の音頭と太鼓叩きを伝承しようと頑張っている。児童生徒も祭の法被をまとってバチを振るう。今は興味を持ってくれているが、高校大学就職と故郷を離れて行く。かつて私たちが青年団の頃がピークであった岩国音頭盆踊りも、歌い手や太鼓叩きが高齢化や後継者不足というか、ほとんどいなくなった。もっとも盆踊りの開催場所が激減した。なんとかしてこういったお祭り風景、故郷の風物詩は残したいと思ってはいるのだが。
               
遠い昭和を思い出すような出店も、自治会役員さんの計らいで繰り広げられた。揃いの法被でテキパキ動く店員さんは、地元高校の女子生徒が担当しているという。面白い。小・中・高に保護者そして地元のお年寄り、こぞって盆踊りを楽しむ光景は未来永劫残したいし、きな臭い憂き世を一刻でも忘れさせる効果はある。
              

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「早くも立秋!」

2023年08月08日 | 季節の移ろい・出来事

   

暦は立秋を表示している。しかし、雨らしい雨が全くふらない8月は連日連夜、熱中症警戒アラートと熱帯夜に苦しめられている。とても秋の気配を感じる余裕などありはしないが、季節は確実に進んでいるということだ。暑中見舞いも今日から残暑見舞いに変わるように、気持ちを切り替えたいのだが。
そんな季節の必須行事が墓掃除である。クルマで15分も走ったところに先祖代々のお墓がある私たち夫婦は、ある意味幸せと言えるのかもしれない。

故郷には家もなく住む人もいなくなって墓所だけが残されている話も少なくない。墓掃除やお盆の墓参りにわざわざホテルをとっての里帰りは気の毒である。故郷の墓を引き上げて、都会に住む自宅近くの霊廟に移動するなどの話もあちらこちらから聞こえる。そんな墓じまいや墓所処分などご先祖への思いや葛藤が渦巻く季節を迎えているということか。

灼熱の太陽を避けて夕方6時過ぎに墓掃除に出かけた。いま流行りの通販専用商品の高圧洗浄機を買って2個のバッテリーにたっぷり充電した。昨年まではしっかり時間をかけて、濡らしたタオルの手拭き掃除で、それこそ磨き上げたものだった、。その点では今年は文明の利器による手抜き墓掃除とはなったが、お盆を前に墓石の頭から顔、胴体、足元まで高圧洗浄で昨年までよりもっときれいになった。それもあと何年続けられるか、神仏のみぞ知る。

そしてその後のことは先に述べたとおり、倅たちが遠くから里帰りして墓掃除・墓参りをするのかどうか。押し付けては悪い気がする。
私たちが元気で生きている今、倅たちに墓の処置の判断を求めるのも酷な話。いざその時を迎えてこそ腹を据えた決断をすることが肝要。今はただただ現状維持、先のことなだ分からないよね~。それにしても日暮れ時の墓掃除ではあったがやはり暑い、体重に影響するほどの汗が滴る。

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