2003年1月1日 天皇一家
この年はまず、天皇陛下のご病気発覚と手術の為のご入院から始まりました。
皇后陛下がお付き添いをなさり、その間皇太子殿下が代行を務められるのです。
当然皇太子妃である雅子様も責任重大でした。
2003年1月13日 天皇陛下をお見舞い
2003年2月14日 誕生日写真を撮影
この日は皇太子様の誕生日に発表する写真を撮影しました。
愛子さまは大変健やかに見え、しっかりと歩いているように見えました。
一人っ子でおっとりとしているので表情がないのも仕方ないかと思われ。
しかし、宮内庁の中では「世継ぎ問題」は終わっていませんでした。
堤医師が何者かに陥れられ、スキャンダルが毎日のように報道されるに至って、では次はどの医師にお願いしたらいいのか、誰であれば男子を産んでくれるのか。
すでにタイムリミットは近づいており、天皇陛下は毎日気に病んでおられましたが、皇后陛下は未だ秋篠宮家にGOサインを出そうとはなさらなかったのです。
皇后様は心から皇太子様を不憫に思っておられ、世継ぎは、世継ぎだけは東宮家からでないといけないと心から思われていたのです。
しかし、秋篠宮も同じ天皇のお子だし、こういう時の為の宮家であるのに、そこに産児制限をかけるとは一体何をお考えなのかと、林田東宮大夫は皇后の自分勝手な意思を何とかしたいと思っていました。
2003年4月13日 葉山静養
東宮職では内親王の言葉の遅さが問題になっていました。
もう1歳も半分をすぎようとしているのに言葉が出ない。
これは明らかに「ことばの教室」で見て貰う必要があるのではないかと考えていたのです。
また、歩いているとはいえ、すぐに転んでしまうし、両側から手を持っていないと危なっかしい感じがします。
「女一宮様はどこか障害がおありなのでは」と蔭では噂が立っていました。
4月になって漸く内親王は、ボールを「ボ」ウサギを「ウ」というようになりました。
それでほっと一安心というわけにもいかなかったのです。
2003年4月17日 春の園遊会
2003年4月26日 みどりの愛護のつどい
2003年5月6日 那須静養
実は雅子様も少々気にはなっていたのです。
ご自分の娘が喜怒哀楽を示さない事に。
嫌な事には全身で拒否をするけど、その他は何の反応もない。
葉山で同じ年頃の子が持つペットボトルを無理に引っ張って執着を示したくらい。それすら「進歩」だと思いました。
「他の子と何が違うのか」
自分で見極めたい。
みんなと普通に触れ合えば「普通」になるんじゃないか。
そこで雅子様は東宮職に「公園デビュー」を持ちかけました。
「公園デビュー?公園に?ご一家で?」
女官長は肝をつぶし、あっけにとられます。
「そうよ。公園で普通の子供達と遊ばせたいの」
「それなら東宮御所にご学友を選定してお呼びになればよろしいのでは?皇后陛下はかつて皇太子様の為に、健康優良児を沢山招いて遊ばせた事がおありです」
「ここじゃダメ。公園でないと」
「でも警備が・・・もしもの事があったらどうなさるのですか?」
「いいから言われた通りにして。私達は公園に行きますからっ!」
さあ、それからは東宮職は上から下へひっくり返したような大騒ぎになりました。
皇宮警察を呼んで、なるべく厳しくないようにけれど完全なる警備体制を敷かなくてはいけません。
お忍びですからできるだけ短い時間に切り上げて貰って・・・等々、
皇太子殿下に説得をお願いした所で何もしてはくれない。
2003年5月13日 公園デビュー みなもと公園
2003年5月23日 みなもと公園
むしろ皇太子様は大変乗り気になってしまって「楽しそうだ」とまでおっしゃったのです。
そして、ついに公園デビューは行われました。
さりげなく公演に一家は現れ、内親王を遊ばせていると近くの子供達も寄って来る。やがて親も「あれ?」と、東宮一家である事に気づき、少し騒ぎになってしまいました。
周りは心配で心配でたまりませんでした。
でも、雅子様はそうやって目立つ事が好きらしく、次々他の子供達と愛子さまを振れ合わせます。
そこにいるのは、近寄りがたい皇族というより普通のセレブ一家でした。
2003年5月30日 東宮一家
これらの行動に危機感を募らせたのは宮内庁でした。
いくら警備がついているとは言っても、皇太子夫妻が子供を連れて普通に外出するとは何事なのか。
そんな事よりも、今考えるべき事は何なのか。雅子様はおわかりでない。
勿論、皇太子殿下もおわかりでない。
広い東宮御所、そして赤坂御用地があるのに、わざわざ一般人の公園に現れて騒ぎを起こすというのは、皇族としてあり得ない行動です。
それをいくらご説明申し上げても、皇太子殿下は「でも雅子は望んでいるし」としかおっしゃらず、雅子様に至っては「子育てに口を出さないで」と怒り心頭で怒鳴りまくる始末。
さすがの宮内庁長官も頭を抱え込んでしまいました。
しかし周りの意見を聞き、今一度考えるという事も必要な立場だとも思うのです。
そうでは無い母親とその言いなりになる父親の元に育ったのですから、それなりにしか育たなかったのは仕方ないこと、内親王であろうが何であろうが関係はないと思います。
愛子さまのご成長は国民の誰しも知っている事ですし、この頃までにカミングアウトしておけばどれほど愛子さまは救われたか…
ブログ主様の[見てきたような云々]のコメントもありますが、私は現実より随分優しく表されていると思います。
秋篠宮皇嗣御一家に対する誹謗中傷するコメントや妄想記事についてはどうお考えなのか、そういうコメントをされる方に問いたいです。
一連のブログは現実にあった事に基づいたものです。
内容が気になるという事は、、、それだけ事実に近いと思ったからでしょうねw
有り得ると。
私は周りに対する態度や言葉使いは、実際はもっと酷いものだと思いますよ。
ご成婚前のまさこ嬢の様々な様子を思い出して下さい。
たくさんの記事ありがとうございます。
そうそうこんなことあった〜と、懐かしいというよりはあの頃の違和感の再確認で、確信に変わったと言うか。
愛子ちゃんの公園デビューといえば、平日昼でもヒマなナルさんのこのこ付いて行って、遊ぶ我が子?子ども連れ?を見ながら缶ビール飲んでましたよね?
そんな父親いねーよ💢と思ったものでした。
毎日休みのナルさんならではですが、まさか一般人も子を遊ばせながら昼からビール飲んでるなんて思ってたんでしょうかね?
どこが国民に寄り添ってなんだか。
そういうトンチンカンを通り越して無神経なところが嫌なんですよ。
でもこれは流石にまずいと思ったのか、知らぬ間に検索しても出て来なくなってました。
それならその場で止めたら良かったのに。
ネット上の画像なんかは消せてもその場にいたママさん、テレビで見た人々の記憶は消せませんよ。
それから少しして、帰宅した夫が少し青い顔をして、いきなり「おい、愛子さまは〇〇〇だって!」実は夫の知り合いには徳仁さまに親しい人がいました。
美智子さんの手作りクッキーを一緒に召し上がるような人です。「そんな馬鹿な、〇〇〇の子はあんな遊び方は出来ない、絶対に違う!」と言ったのですが…
それ以来、その方からは皇室の話題を聞く事は無くなりました。
実を言うと紀子妃の悪い噂を聞いたのも、この夫の会社関係の集まりでした。
当時から何年も経ち書きやすくなったので、書かせていただきますが専務が中心となりあちこちに紀子妃はとんでもない女だ、と言い触らしていました。
また会社の集まりに来た社員の奥さんなども見て来たように色々と酷い事を言い触らしていました。
会社は元芙蓉Grとだけあって社員1万人を超える一部上場企業でしたが、倒産した会社の人員を雇用したりするうちに、在日や被差別民が増え
カルトが人事に入り込んだ事で決定打が打たれた感じです。この様に日本人の優しさが仇になった企業が多いのではないでしょうか?
そういう意味では日本の皇室はまだ「それほど悪くはない」のかも知れません。国際基準に従ってスマートに、ずる賢く、怠惰に、贅沢を満喫することが出来るようになったのだ、そう考えることも出来ます。
それでも、かつての日本人は太平洋戦争で降伏したとき、「天皇陛下に申し訳ない」とまで言った国なんですよね。
国民の今上天皇に対する敬意が感じられないのは、陛下の家族至上主義によるものが大きいと思います。全力で守るべきものは雅子さまなどではなく国民なのではなかったでしょうか?
公演デビューという雅子さまの決断自体は愛子さまにとって良い方向に作用したように私は思います。
「皇室とか、決まりとか、そんなの知ったこっちゃないのよ」的な雅子さまの母としての愛情、強さというのは、彼女のただ一つの長所です。
https://www.asahi.com/gallery/photo/koushitu/railway/20190326/008.html
この問題行動についても、ひと悶着あったのではと推察しますが、言う事を聞かない人がいたのでしょう。
何が言いたいかといいますと、雅子さんに限らず、一般人のように振舞うのが平成流開かれた皇室の目標になっているのではないかという事です。
昭和の東宮妃が、母子手帳を欲しがったという話もあったような。
庶民と同じように振舞うのなら、国の税金で養う意味がありません。勝手に退位、祭祀をしないなど存在意義の感じられない内廷皇族5人について、皇族らしく振舞うのか、庶民になりたいのなら皇室を離れるか選ばせるべきだと思います。
いちご大福さま
私もふぶきさんはどこか優しいし、控えめと思います。
本質的には皇室がお好きなのと、同じ母親として少し同情の余地があるのでしょうか。私が今や皇族として認めるのは秋篠宮御一家、常陸宮ご夫妻、信子様だけです。紀子さまが自由にお産みになっていたら、もっと早くに男児を授かり、もしかしたら四人目にも恵まれていたかもしれないと思うと残念でなりません。長男の嫁のご機嫌の方が皇位継承者より大事だなんて酷すぎます
このシリーズは読み物としての位置付けですが、どこか温かく、雅子さまにもご同情の意を感じます。
数々のお振る舞いも、「雅子さまがそうなのたったら仕方がない」と思いました。それによって、皇室の伝統は踏みにじられましたが。しかし、美智子さまというもっと凄い伝統破壊者がいましたし、よほどリテラシーか低いのか、今でも「雅子さまはとても家柄が良く、ご優秀ゆえ皇室で苛められ、苦労した」と本気で思っている人のなんと多いことか。昭和天皇から反対されたのは、第一にその家柄(チッソ関係者)なのですけどね。
「見てきたような事を書く」というようなコメントで批判した人は、まさに見てきたような嘘や紀子さまの悪い噂の書き込み(悠仁さまを東大に進学させたいというお考えなど)には、どう対処しているのでしょうか。悠仁さまの進学先なんて、庶民はわかりませんよね。
我が子もそうでした。
何百人というお子さんを見てらした園長先生から話された際、世界が真っ暗になったのを記憶しています。
いきなり、はい分かりましたとはならず、表には出さずに母親は目まぐるしい日々の中で受容と否定、諦め、否定、受容を繰り返します。
結果、様々な相談先や支援に続き段々と受容できたと思います。
雅子さんの場合、医療や療育をふんだんに受けられると思うのですが、「誰よりも優秀」で入内した筈の自己否定が出来なかったのではと拝察します。
男の子をもうけられなかった悔しさ(お父さまをガッカリさせた)もおありでしょうが、だからこそ愛子さん依存が深くなったのではと。