
今回の大雪警報はいわゆる、里雪型となり我が家の周りの降雪は少なかった。
のみならず、青空さえ顔をのぞかせたので、雪は緩み家の裏の雪も量が減った。
しかし、相変わらず食堂の窓の外からは風景も見えない。
そこで、勤務が終わって帰宅してから、その家の裏の雪を片づけることにした。

まどの外側に映る我が姿。
足元は「かんじき」で固め、スノーダンプで雪を押し出す。

自然落下式の屋根からの落雪は一定個所に積り、大山をなす。
今回は二階の床部分辺りまで、そう5メートルを超えようかと言う山になっていた。

スノーダンプを持ちあげて、勢いをつけて雪の山を切断。
こんな風に大きな豆腐状に切り出して、家の後ろの水田に運び出す。

後ろの水田は他人様のものだけれど、春先になったら水を張って頂き溶かしてもらいましょう。
人力だけとは言え、ダンプカー一台分、いや、それ以上の量を短時間に運び出した。

ほら、ようやく窓の外から風景が見えるようになりましたよ。
これで、一歩だけ、わずかだけれども春に近付いたのかな。
でも、まだ国道の湧きの雪は深く、我が家からは大型トラックもようやく屋根の一部が見えるだけ。

今から三十年前、昭和56年の冬の風景です。
我が家の二階の窓からの写真ですが、前の家は一階部分は完全に雪の下。
あのころはこんな暮らしが普通で、日曜日、休日ともなると朝から晩まで雪仕事。
先ずは屋根の雪を下ろし、それからその下ろした雪を片づけて、
一階の窓を掘り出し、仕事が区切りになると夕方になっていたものです。
向こうの国鉄のアパートを見て下さい。
屋根から下ろした雪で、二階まですっぽりと埋もれてしまいました。

そんな頃、久しぶりの晴れ間にはしゃぐ、幼かった娘達の姿。
駅前の道路だけれども、広いように見えても現在の道路の歩道部分の道幅しか有りません。
したがって、屋根の雪を下ろすとたちまち通行不能になってしまう。
そこで、私たち夫婦は、この幼かった娘たちが眠っている、朝もまだ暗い四時に起床し、
ロータリー除雪車の黄色の回転灯が近付くのを待って、道路めがけて屋根の雪を下ろしていました。
一仕事を終え、娘たちが雪下ろしの音に目覚めなかったことに安堵しつつ風呂に入り、
汗を流してからもう一眠りし、そして、朝食を食べてから出勤していました。
すごい生活でしたねー、今の若い人たちだったら耐えられない生活だったでしょう。