畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

GSさん、若き日の雄姿ですよ

2012-02-26 04:35:12 | 暮らし

 先日コメントを下さった「GS」さん、若き日の私の姿ですよ。
これは上越線の石打駅構内で、これから浦佐駅まで作業をする直前です。

 動かすマシンは日本で三台しか製造されなかったモンスターマシン「DD53」です。
前に立つ若き日の私の背丈をはるかに超える掻き寄せ回転翼に驚かされます。
プッシャーと呼ぶ後押し機関車と本体とで合計3,000馬力と言う巨大、強靭な心臓部でした。

 この時も私が正操縦者と言う責任者を勤めていたはずです。
まだ、二十歳代の若造の私が、掻き寄せ回転翼の上に突き出たコクピットに乗り込み指揮をしていた。


 石打駅と次の大沢駅との中間を作業しています。
これは仕事の中でも花形の「反対投雪」で、下り線山側の雪を、反対の上り線の外に飛ばしています。
右側の斜面に人が見えますが、災害派遣された陸上自衛隊員の姿です。


 六日町駅で発車を待つ「DD14」の前に並ぶ先輩と私。
先輩は真面目に腕に「保線作業責任者」の腕章を付けているから、
これは当時就任したばかりの「高木国鉄総裁」をお乗せした時のものですね。 


 私も珍しく真面目に帽子の顎紐を掛けたりしていますよ。
国鉄の総裁に同乗して頂き、作業をお見せするなんて、まるで「お召し列車」の機関士のような名誉でした。
帽子の後ろに見える暑苦しいばかりの厚い髪が眩しい(笑)。


 「DD14」は「DD53」の半分の馬力1,500馬力でしたが、
それでも作業能率は目を見張るようなものが有りましたね。


 今は残念ながら「DD53」も「DD14」もその姿を見ることは有りません。
「DD53」は今は一台が動態保存されているのみと聞きます。

 巨大なモンスターマシンはその持つ巨大過ぎる作業能力を持て余し使われなくなってしまったのです。
家屋が沿線近くに立ち並んだと言う環境の変化と、操縦出来る技術者も居なくなってしまったのです。

 今は、この写真のように小型の「MR」モータカーロータリーが主力です。
地方紙に「雪に弱いJR」と言う、雪が少し降ると運休してしまう体制を批判する投書が有りました。

 それも、二件続き、「公共交通」の役目を投げ出していると、痛いところを突いていましたが、
ついぞ、JRからの反論、お詫びの言葉は掲載されませんでした。
昔を知るOBの一人としては寂しい限りです。

 昔は、文字通り身体を張り、命がけで仕事に取り組む私のような馬鹿がいたのです。
新幹線も開通しない時代で、東京と新潟の生命線は俺が守る。って言う心意気でしたよ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする