先一昨日亡くなられた、満101歳の葬儀が昨日有りました。
それまでの荒れた冬らしい天候の日々が、一転晴れの良い天気。
神様も、長寿で天寿を全うされた女性の死を祝福するがごときの空でした。
一昨日まで降った雪は、除雪による投雪で小山をなし、
子供たちの格好の遊び場所となっています。
田舎では「巻き」と呼ぶ、同姓の我が家を含む七軒の家のグループのうちのお葬式。
この「巻き」全員が朝からお葬式の準備に揃います。
自宅での葬儀を終え、十一時の出棺は「門送り」と称するお別れの儀式。
多数の村人が、雪の中を三々五々集まっておばあさんへのお別れをします。
そして、火葬場へ同行したのちは「お斉(おとき)」と呼ぶお別れの昼食会。
その後、夜になるとこの地域独特の風習で「無常念仏」と言う、お骨になった仏への供養の集まりが有る。
それまでの間に、マックスの散歩を済ませた際の、冬晴れの風景です。
満101歳と言うと明治44年の生まれであること。
そして、二十歳で嫁いでこの地で82年息災に過ごされたことを、喪主がお話されました。
元気に働き、長命を得た人に与えられた特権か、安らかな最期だったとも語られています。
「無常念仏」には故人の性格を慕ってか、多数の村人が参列。
終わって、お帰りになる方々にご家族が献花の生花を束にしてお手渡しになり、礼を述べます。
昼間の「門送り」と言い、夜の「無常念仏」と言い、まだまだ血の通った風習の田舎です。
大勢の御家族、親戚、そして村人に送られての旅立ちは羨ましくさえ思えた一日でした。
これで百数戸の我が村から明治生まれの先達は皆無となったようです。残念。