一昨日の夕食時に十二月にしては多い雪に、思わず昔の思い出話。
これは豪雪の年として記録に残る昭和56年の風景。『56豪雪』として記録に残る年。
今から30年ほど前の冬の風景です。
手前に幼い下の娘が居て、その向こうには妻と上の娘。
その頃、屋根から落とした雪をスノーダンプで片づける若き日のスベルべの姿。
二階の窓から妻が写した一枚で、私が妻を写した一枚も有るけれどこちらは省略(笑)。
屋根から下ろした雪で、二階の窓ガラスを割ってしまったのもこの年。
降り続く雪に雪を運び出す場所も無くなって来て父に「重機を頼まない?」なんて進言した。
でも、父は「いくらなんでもこれ以上降り続くことは無いと思う」と、否定。結果は父の言葉通りに。
しかし、これに懲りて夏には自家用の消雪用井戸を新設することとなった。
この年の駅前の風景。4メートルは超える雪の壁。
我が家の隣の家です。平屋では無くて二階屋ですよ。
こんな風に、一階部分はすっぽりと雪に埋まってしまうのが冬の光景。
こうなってしまうと一階部分に有る居間なんて、昼でも薄暗く電灯が必要でしたね。
向こうに見えるブロック造の二階屋は屋根から下ろした雪で屋根近くまで埋まってしまった。
こうなると、冷蔵庫の中で暮らしているようなものでしょう。
夜の駅前の風景です。
雪明かりで幻想的な感じじゃないですか。
でも、こうして一応機械除雪が始まり無雪道路になっているから、有難いものでした。
今のように除雪体制も整わず、一台のロータリー除雪車のみでしたけれどもね。
古い我が家は屋根の道路側の雪を下ろす時は大変でした。
ロータリー除雪車の除雪車後に道路に落とすと自動車は通行不可能になってしまうから。
そのために、若きスベルべ夫婦は屋根雪下ろしの身支度をしてニ階から遠くを見渡す。
ロータリー除雪車の黄色の回転灯を見つけると、大急ぎで屋根に上がり道路に雪を投げおろした。
幼い娘達が目覚めて、両親の不在に気付き泣き出さないかなどと心配しつつでした。
こうして、早朝、四時五時から屋根の雪を下ろして出勤したものです。
二人とも若かったから出来た荒仕事でしたね。
でも、こうして無雪道路になる前はもっともっと辛い冬でした。
この時期から遡ること十五年ほど前のことですが、そのお話は又の事にしましょう。