秋の山の畑でもっともスペースの大きなところ。
丸い大根用の畝の他、平畝が4畝あり、内3畝の平畝には緑のマルチシートを張った。
ここは二番目に広い所で今年最初の大根の種を播いたところ。
キャベツもここに植えて有ります。
山の畑最後のスペースで、色々なサラダ材料を最初に播いています。
そろそろ伸び出して来ていますから、来週あたりは収穫可能かな。
三日ほど前に種を播いた「紅くるり」大根の芽が出始めた。
ほら、「栴檀は双葉より芳し」で軸がもう赤いですよ。
北京紅芯大根も芽生えた。
紅化粧も一人前に赤い軸、茎を見せている。
小さな蕪類や、ラディッシュはこんな風に芽を出します。
緑色のマルチシートに開けた穴からは「野沢菜」が顔を覗かせている。
こんな風に播いた種は次々と芽を出し成長を続けています。
「播かぬ種は生えぬ」なんて言葉が有るけれど、何事もやらなければ始まらない。
会社時代に柄にもなく労働組合の役員を引き受け、役員をすることを昇進のきっかけと捉える仲間も多い時代に、
妙に潔癖なスベルべは上司の懸命な昇進試験受験の勧めにも首を縦にすることは無かった。
労働組合活動を出世、昇進の手段として考えることが出来ない、子供のような考えだったのですね。
時代は会社の体制が180度変わる時代で、そんな時代に役員をする奴はそもそも変わり者。
案の定、新体制下では正規の椅子を与えられず、いわゆる「窓際族」の位置を与えられる。
スベルべが叱咤激励してきた、年下の連中はスベルべが死んでしまうのではないかと思ったらしい。
そんな中で最後の昇進試験、管理職登用試験が行われ、スベルべはなんとか滑り込んだのでした。
その時、合格を我がことのように喜んで下さった、先輩の言葉が「煮た豆じゃ無かった」です。
ま、最後は男の意地で受けた試験でしたが、合格の結果は中間管理職として苦労することに繋がる。
言葉の意味は「煮た豆」かと思っていたけれど、ほら、ちゃんと芽が出たじゃないか。と、言うことでしょう。
ああ、こんなことを書いていたら先輩に無性に会いたくなってきましたよ。
先輩も80歳になられたんじゃないのかなー。今度時間を作ってお訪ねしてみよう。