畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

皮肉な結末

2013-10-11 08:08:34 | 暮らし

 台風24号の接近が午後に迫った日の朝です。
スベルべママは兄夫婦が旅で不在の実家に93歳の母が心配で一泊。
スベルべは何時もと同じにマックスと山の畑へと向かう。


 少し怪しげな雲行きではあるけれどまだ風は弱い。
予想進路から見ると、佐渡島を通過する予報だが一つ間違ったら直撃かもしれない。


 越後三山は波乱含みの天候をよそにどっしりと構える。


 畑に着き、風にあおられた場合を想定して大根の根元に手で土を寄せ始めた。
でも、とんでもない数の大根の根元に手で土を寄せることは並大抵の努力ではすまない事に気付き中止。


 マックスと急いで山を下り、一人で味噌汁を作り卵焼きを作って朝食。
スベルべママは強風を心配して、早めに帰宅したけれど幸い台風24号の影響は僅かなもので済んだ。

 台風の進路は気流、気圧配置などの複雑な条件が重なり予想は難しいですね。
いや、人の進路、人生も同じようなものなのかなー。なるようになるようで、なるようにならない。

 北海道の鉄道会社が相次ぐ安全軽視の結果の事故の発生で揺れ動いている。
テレビのニュースを見て、記者会見で頭を低くする社長の姿を見て驚きと、そして懐かしさを感じた。

 実は30年近く前に彼、社長とは一緒の職場にいた。
彼は日本一の国立大学を卒業し、北海道などの転勤を経て若干28歳の若さで現場長として赴任してきた。

 対するスベルべは働き盛りで、仕事も労働組合関係も人一倍頑張っていた。
そして、柄にも無くちっぽけな正義感から、その職場の労働組合の長を務めることになっていた。
つまり、現場長と、そして相対する労働組合の責任者として10歳ほど年上のスベルべは対峙する立場となった。

 労基法、労使関係法で毎月、36条協定、すなわち時間外労働の協定を結ばなければならなかった。
要するに、労働組合の長が協定書に押印しなければ翌月の、時間外労働は出来ない事になる。

 そこで、労使交渉では無いが、その立場を利用して職場の問題点を話すことになる。
いくら、学歴が違っても年齢、人生経験には一日の長が有る。随分説教がましい話もした。

 将来を嘱望され、幹部職としての道が約束されているエリートと雑草のようなスベルべ。
誰にも意見がましい話などされたことのない彼には、随分腹の立つ相手だった事だろう。
もとより、出世など諦めた、いやする気も無い平社員と超エリートの間に噛みあう要素など無いのも当然。

 しかし、時は分社化、民営化で組織が大きく揺れ動いていた最悪の時代。
新会社としての組織が発足すると、職場にスベルべの定位置は無くいわゆる「窓際族」になる事に。
知恵を付けた人物の存在も分かってはいたが、見事に仇を取られた結果にもなったのだった。

 スベルべは自分の立場の暗転と、掌を返したような仕打ちのはざまで鬱となる。
子供のような正義感の塊のスベルべは、使用者側にもそして仲間にも厳しい行為が多かったですからね。
半年ほど苦しんだ末に、あれほど嫌っていた幹部登用試験に挑戦し合格と言う結果に鬱も解消の方向に。

 そしてその後、転勤の辞令を彼から受けることになるのだが、素直には受け取れなかった。
「貴方は、私の椅子を奪うばかりか、職場まで変えてしまうのか」と言い、食い下がった。
私の後ろには辞令を待つ社員が何人も並んで待っているので一旦受け取って再度詰めよった。

 彼も困惑したような顔をしていたけれども、私も辞令が覆ることなど無い事は承知のうえでの事だ。
結局最後まで、互いの立場を合い受け入れ理解することは無かった。

 そして、今までも忘れられない送別会の席上での彼の言葉。
「私の前頭葉にはスベルべと言う名前が刻みこまれました」と言われたのだった。

 時は流れ必然の結果として彼は社長を務めることになり、スベルべは百姓になった。
人間はやはりなるようにしかなれないものですね。雑草のスベルべは死ぬまで雑草です。

 でも、雑草には雑草の魂が有る。そして、雑草には雑草なりの幸せも有る。
有為転変、長い人生の内には色々有るって事でしようかね。
自ら持って生まれた、激しい気性の部分も有り、平穏ばかりの暮らしでは無かったスベルべの人生です。

コメント (6)
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