先日、野沢菜を採りました。
昔は雪国のどの家も冬の食べ物として、かならず大きな桶に漬け込んでいた野沢菜です。
食習慣の変化により、今は漬ける家庭はほとんど無くなったようです。
我が家の場合は、量的には少ないのですが毎年漬け続けています。食べ方は煮菜としての方が多いのですが。
亡母が沢山つけていた頃は文化の日、11月3日ころ漬けていたような記憶が。
さて、我が家の野沢菜はスベルべ自慢の方法で、マルチ栽培で根元に土がほとんど入り込まない。
この根元、株の間に雨で撥ねた土が入り込み、洗い落としに苦労していたのでした。
折れやすい野沢菜の土を、折らずに洗い落とすのは至難の業。マルチ栽培はその苦労を無くしました。
折らずに洗うために、一晩塩水に漬けて柔らかくして洗うなんて方法さえ有りました。
でも、スベルべの場合は水でゆすぐ程度で、わずかについた土もきれいに流し落とされます。
昔は各家庭では大きな野沢菜漬け専用の木製の大樽を使っていたものでした。
我が家にも二つ大きな樽が残っていますが、今は越冬用大根の収納庫代わりになっています。
今は、量的にも少ないので、こんな四角のプラスチック漬物樽?容器を使用。
今回はスベルべが担当し、にがり入りの塩を使い、10キロほど漬け込んでいます。
塩分濃度は3パーセントで、野沢菜を計量し塩の量を加減しました。
昔は日にちを経過し、乳酸菌発酵で酸味が出てきたものも好まれたものです。
漬けたばかり、一夜漬け程度でもサラダ感覚で美味しく食べられる。
その昔、京都の聖護院蕪が長野に入り、そこで蕪では無く茎を主として食べる野菜として発達。
そして、長野の野沢から越後に入り、冬の食べ物として親しまれてきたのですが、ほとんど食べる習慣は消えました。