畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

連載48『凄い男がいたもんだ』

2015-12-12 12:42:54 | 登山


   凄い男がいたもんだ

 随分昔の思い出話。それも聞いた話で済みません。
団塊の世代の代表年代は、前後の学年に比して格段に人数が多かった。私の通った田舎町の中学校も、
今では統合されて一校になったが当時は二校あった。

 その内の大きい方の中学校に在籍したのだが、A組からG組までの七クラスがあった。
学年ごとにクラス替えが行われたが、最も印象に残り、今でも付き合いが多く残っているのが三年生のときのクラスのF組だ。

笑いあり、泣きあり色々な事があった。高校入試を控えた、二月のある日、
昼休み時間に遊んでいて、一人が足を骨折してしまった。

 一大事である。田舎の雪国の昭和三十八年は、国道さえ冬は雪に閉ざされ、春まで自動車は通れない。
隣町の県立病院まで、体力に自信のあるものが、交代で担架を担いだ。

 凄い男の話はまだそれより前の話。夏の話だ。
仲間数人と、担任の教師で越後駒ケ岳の麓、「駒の湯」に遊びに行ったと言う。
露天風呂があり、二箇所ある上の風呂から、下の女性が入る風呂が見えたのだそうだ。(間に簾は有ったらしいが。)

 悪餓鬼どもは、息を呑んで見ていたらしい。
ふと気配を感じ、後ろを振り返ると、なんと担任も同じ方向を見ていたそうだ。

 そして翌日、越後駒ケ岳の登山道を気軽に見学に出かけたそうだ。
一人はいつものとおりの服装で、下駄を履いていたと言う。登り始めると中々気分が良い。
もう少し、もう少しと登っている内にとうとう頂上直下の「駒の小屋」に着いてしまった。

 「駒の小屋」の番人は目を剥いて、「ここまで下駄履きで登ってきた者は居ない。始めて見た。」と驚いたそうだ。
後年「駒の小屋」の直下で遭難死した、有名な「駒の六さん」の追悼文集年譜を見ると、
六さんは昭和三十八年のシーズンから小屋番になったから、その先代らしい。

 登った事にも驚くが、下りの困難を思うともっと驚いてしまう。
遊びで鍛えた団塊の世代の体力は信じられないようなものだったのだろう。

 その男は私を「ドン」と言っては、からかった。曰くはドンファンからだと言うが、
当の本人には全く身に覚えのない事だ。今は言葉の真意を問う術も無い。

 皆から愛されたその豪傑も、自ら起こした事業の失敗から、若くして自ら命を絶ってしまった。
越後駒ケ岳をみるといつもそいつを思い出してしまう。そして甘酸っぱい青春の記憶も。

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小春日和が続く魚沼の風景

2015-12-12 04:42:36 | 風景

 もう数回の降雪を見た越後三山。
山頂付近の雪は来春まで溶けることなく根雪となることでしょう。



 雪国の宿命とも言うべき雪も、降るのは遅い方がよく、そして積雪も少ない方が良い。
一日儲けの様な小春日和の日を慈しむかのような村の風景です。



 やがて、例年並みだったならば2メートル前後の積雪に見舞われる豪雪地。
昨年の今頃は雪に覆われていて、忘れもしない今日12日は一気に根雪となる降雪が有った日。



 暖かな空気をため込むかのような家々。
ほら、豪雪対策で高床式と言われる高いコンクリートの基礎になっている家が多いでしょう。



 見る間に山裾の村は山の陰に包まれ始めます。
山をすぐ傍に控えた村、特にスベルべの家なんて午後二時を少し回ったら日陰になっちゃう。

 山裾で季節風が巻く事と、すぐに日陰に入る事とで積雪は少し離れた地域よりも格段に多い。
こんな豪雪地、雪の中で生まれたスベルべも日陰育ちのお陰で色白な美老年。ってホントかな(大笑)。
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大島渚を殴った野坂昭如を殴り損ねたスベルべ

2015-12-11 06:26:13 | 暮らし

  「新潟日報より」

 作家で、作詞家でタレントでも有った、「野坂昭如」氏逝去の報が新聞に掲載された。
氏の逝去の報に触れ、思い出すことがある。

 あれは、昭和58年。野坂氏が田中金権政治に反発し、当時の新潟三区から衆議院議員選挙に立候補した時のことだ。
スベルべの地元で、立会演説会が有り、氏の経歴への好奇心と、僅かな政治意識から出席してみた。

 話し、演説の内容は一方的で勉強不足。説得力に欠ける内容だったと記憶している。
そこで、血気盛んなスベルべは反発を覚え、野坂氏の弁論に反論した。

 野坂氏は新潟三区の住民は、全て田中金権絡みの土建行政で食べている。
田中が居なくなったら、それまでの反動で全国から反発を買い、干される。と言うのが主たる主張。

 「そんな、事は無い。この厳しい雪国三区、この深い雪の中でも農業で食べようと努力している人も多い。
三区の人間が全て田中角栄にすがって生きているなんてことは無く、不見識」と訴えた。

 野坂氏の回答については記憶は無いが、勉強不足の氏の言葉は到底納得出来るものでは無かった。
他にも質問者、発言者が多く、遠慮したスベルべはそれ以上の論戦はせずに終わってしまった。

 まだ、反論をしたいスベルべは、当時六日町に置いた選挙事務所を訪れるべく考えた。
そして、その話をしようと会場を出た野坂氏の前に立った。

 なんと、すると野坂氏はスベルべに殴られると思ったらしく、ファイテングポーズを取り、
腕を顔の前に上げて、パンチから顔を防御する姿勢を取ったのだった。

 野坂昭如と言うと、今でも語り草になっている「大島渚」殴打事件がある。
その時期と、新潟三区で立候補した時期関係は、興味が有ったらお調べ下さい。

 野坂氏をいくら血気盛んな年頃とは言え、スベルべは殴打するなんて気は無かったですね。
でも、本当に一発ぶん殴っていたら「大島渚を殴った野坂昭如を殴った男」なんて名前を売っていたかも(大笑)。
コメント (2)
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山の宝物~それは大根~♪

2015-12-11 04:23:41 | 野菜

 一度雪の下にしたいと思った大根だけれども、嬉しい誤算と言うか雪は降らない。
ま、雪の代わりに霜が降ったから良いかと考え大根を収穫した。

 思い出すのも悲しいけれど、昨年は12月12日に一気に積雪量が増え、大根は収穫不能に。
100本を越える、美味しい「雪の下大根」は、あわれ雪の下で眠り、無駄になってしまったのでした。



 ほら、丸々と肥えた、美味しそうな大根だ事。
一般的に「青首系」と言われる大根も、見た芽は同じでも実にさまざまな種類が有り、味も異なります。



 本当にお陰さまって言うか、今年の冬の入りは穏やかで野菜の収穫は順調でした。
ご覧の通り、9割方の野菜の収穫は終わっていますね。もうこれから収穫するものは文字通りの儲けもの。



 でも、まだ未練がましく雪の下にしたくて、20本を越える大根は残しています。
ここまできたら、一つ間違えて万が一雪の下にして収穫できなくても悔いは無いですね(笑)。



 「手前生国と発しまするに、越後でござんす。越後と言ってもいささか広うござんす・・・・・・」
「魚野川の水を産湯に使い・・・・」と言いたいところだが、この大根の産湯は水道水!



 ほら、先程収穫したばかりで土に汚れた顔とは全く違う美人、いや美男子でしょ(笑)。
美味しいですよー、この大根。切ると血、おっと違った美味しそうな果汁、汁が滲みでてくる。

 これをね、輪切りにして綺麗な絵皿になんか綺麗に並べるのよ。
そしてね、パラーりとばかりに塩を振り、待つこと数分。

 おっとっとー、ほら大根からぽたりぽたりと甘いしずくが・・・・。
もう、大根の刺身よ、とれとれのー。塩を振ったと言うのにその甘さ美味しさたるや、現す言葉も無し。

 これから寒い寒い冬、雪に覆われる厳しい冬を前にした神様のプレゼント。
さて、山の畑は半年近い冬眠、お休みに入ります。この非効率的な生産体系が美味しさの秘密。ってスベルべの持論です。
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「農天市場」の冬囲い

2015-12-10 06:06:33 | 暮らし

 話は前後するけれど、駅のホームに来春用のユリの球根を植えた日の午前中の仕事です。
近所のオジサンと、同級生の手伝いを得て、農天市場の建物を冬仕様に。

 前方は従兄弟が作ってくれた、簡易な庇でこれは前の単管の脚を畳むとそのまま入り口を閉じられる仕様。
まだ、山の畑の野菜収穫も残っているので、締め切りは後回しです。



 それで、常時オープンしていた裏側をこんな風に閉鎖。
多少の隙間は見えるけれどもこれでOK。吹雪の際は小鳥たちが避難のために入りこむでしょう。



 「イボ竹」と言う、野菜の支柱も洗って、寸法別に束ねてテーブルの下に収納。
何年も掛けて、それぞれの野菜に適した寸法を取り揃えたから、長短各種が山ほどあります。



 春には無くてはならない、簡易温室「ビニールハウス」の骨材も何本かずつ束ねて格納。
表を見てお分かりの通り、小春日和にしごとが捗ります。



 これは、支柱を二本建て、上にかぶせるとアーチになるプラスチック部品。
色々な資材を格納し、最後はトラクターを納めて、作業は一応終了。

 あ、そうだ今気が付いたけれど、トラクターの洗浄がまだだったなー。
来春にはオーバーホールの予約を入れたから、綺麗にして備えなくてはなりませんから。



 最後は、「野菜・直売」「野菜・新鮮」と大書した看板を撤去しました。
昨年の今頃は、初雪も終わり大変な寒さと、雪のために仕事は難航していた事を思い出します。

 今年は小春日和に恵まれて仕事がはかどり助かっています。
昨日はスベルべママは一日休む事も無く家中の障子の張り替え。

 スベルべは午前中は山の畑で大根の収穫と、下に持ち帰って水洗い。
午後は、来春のさつま芋の苗取りのための「芋床」の資材にするための枯れ葉集めなどをしていました。
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