見るのも切ない生乳廃棄
繰り返し報じられ、その映像を見るたびに切なく、考えさせられる。それは生乳の廃棄というニュースだ。酪農農家は過去にも色々な事情で振り回され、廃業の危機に瀕してきた。近隣でも、一時期は夏季の育成牧場さえ開かれて、何人もの人たちが酪農事業に従事していた。しかし、一人また一人と廃業し牛舎の取り壊しが続いている。
過去と今回の酪農の危機は事情も違うが、生乳を流して廃棄するニュースは見るに忍びない。後継を志したが、毎年続く赤字状態の経営に、諦めざるを得なかったという話さえ合った。当然だろう、利益を見込めない仕事を継ぐという事は勝利の見えない戦争に参加するようなものですから。
酪農に限らず、我が国の農業政策はどうしてこんなに貧しいのだろう。食糧自給率の低さは識者に指摘され続けているが、改善の兆しはない。防衛費の増もそれなりに理解しなくはない。だが、食料自給率も国家の存続に必要な分野であることは論を待たないだろう。腹が減っては戦が出来ぬという言葉もある。国民に安全の確保と、暮しに希望を持たせられる農業政策の実現が待たれる。
(去る、3月17日の地方紙新潟日報に投稿が採用掲載されました。)