雨の日以来お千加は ちょいちょい お米の世話に通っている
怒りながら帰ってくるのに気になるのか また何かこさえては持っていってる
店で売る匂い袋の感じよく落ち着いた香りするのを 買い はぎれで何か仕立てては運んでいってる
お千加は誰かの世話を焼くことが好きな女なのだった
遅くなった時は 店の近くまで新太が送ってきているようだった
幸吉からそんな話を聞いた平介は お照の様子も尋ねる
「亡くなった おっかさんは 頼むって だから二人ともに 幸せになってほしいもんだが」
「それでいいのかい」と幸吉は言う
「いいも悪いも妹達だ」平介は苦笑する
互いに踏み込んではいけないセンは心得ていた
仕事で歩きながら{女}を捜している幸吉
きらきら屋で仕入れた品を背負って 「それじゃまた」と立ち上がる
幸吉はお照くらいの頃 出入りするお店の娘と恋仲になった
あちこちの後家から誘いを受けてもいた幸吉は 余り真剣に考えていなかった
口説く 口説かれる 帯を解いて―
そうしたあれこればかりを楽しんでいた
そんな軽い男は頼れない
娘が思うのも当たり前
父親が倒れ 借金の大きさを知らされた娘は身を売った
間に合わない後になって 幸吉は惚れていた いっとう大事な女だったことに気付いた
何とか身請けの金を貯めたくて 商いにも身を入れ 行方を捜すけれど―娘は最初の客にいたく気に入られ―そのまま―借金と引換えに請け出され―相手の名前は教えて貰えず ―幸吉は女の倖せ確かめたくて尋ね歩いて回るのだ
しあわせなら それで良い すっぱり諦める
そうでなければ
それまでは{女絶ち}している幸吉であった
平介と別れて お得意の家に向かっていた幸吉は 目を疑った
菊次の家から出てきたのは―あれは もしや
「おりんちゃん!」つい声が出た
女が振り向く 怯えた顔になる
ふらふら倒れる
「おりんちゃん」慌てて抱きとめると 家から人が出てきた
今をときめく人気芸者の吉次とその母親代わりの菊次だ
「お艶さんを御存じなんですか?」二人は幸吉に不審な目を向けた
お艶は 殺された 料亭むれ竹の主人 半六の妾であった
しかし後藤屋が目をつけ 押しかけてきて
お艶は散々な目に合わされた
後藤屋は今で言うサディスト 更には変態的なことを好み
半六もしないことをされ させられ 傷だらけになり倒れ伏した
その弱りきっているところへ 吉次の兄で半六を敵と狙う新三が忍び込んだのだ
新三はお艶を菊次の家に運び医者を呼んでもらった
そのお艶の留守に 半六を罠にかけ討ちとったのだが
菊次は お艶が家の前で倒れていたことにして 吉次と介抱している
怪我が半六殺しの疑いも晴らした
最近漸くお艶は立ち上がることが できるようになったのだ
後藤屋達に両親を殺された吉次にしてみれば 他人事ではなかった
「今は お艶さんと言われるんで・・・」幸吉が尋ねる
ともかくも倒れた女を家の中へ運び入れ 布団へ寝かせた
耳の後ろに並んで二つある小さな黒子
間違ない―幸吉は確信する
―これは おりんだ―
「このお人は 手前が知っている頃は おりんと呼ばれておりました きちんとしたお店のお嬢さんだったのですよ
けれど父親が倒れて 残った借金の為に
無様な話で行方が分からなくなってから 大事な心の宝物であった事に ようよう気付いたのでございます」
以来ずっと捜し続けてきたが
どうしてもみつからなかった―と続けた
「そのお人は妾の身になった事を恥じて 殆ど与えられた家をでなかったようでございます」
それでも旦那の悪友の目に止まり 酷い目に遇わされ死にかけたのだと 菊次は言った
医者に対してさえ怯えるのだと
「一度 店に荷を置いて また参っても 宜しいでしょうか」
幸吉の目に強い光が宿っている
その日から 幸吉は少しずつ おりんの心を取り戻していった
「あたしは汚れきった身です もう もう おいておいて下さいな」おりんは言う
「わたしが頼れる男だったら おりんちゃんは相談してくれたろう
今迄の災難は全部不甲斐ない男だった わたしのせいだ」
そう幸吉は言うのだった
さんざ他の男の玩具になった体
―女なんて こうされると 抵抗できないものなのさ―
半六にされたあれこれ その言葉も蘇る
そして そして 後藤屋が 自分の体にしたこと
刻みつけられた傷
おりんは追い詰められた獣の目になる
激しく首を振る この恐怖は乗り越えられない
幸吉は 菊次と吉次に相談した
いっそ暫く二人きりで暮らし 自分が怖いモノでないことを 分からせたいのだと
商いは小さくするしか仕方ない
平介に相談すると「足腰鍛えるために」代わりに回ってくれると言う
店は お照に預けた
菊次の口聞きで西浦屋が丁度空き家になっているのを貸してくれると言う
おりんは不安そうだった
漸く眠ると夢を見てうなされ 怯え目を覚ますのだ
夢の中で後藤屋が 半六が おりんを 酷い目にあわせ続けているのだ
抱き締め囁く 心を込めて「奴等は死んだ もう誰にも傷つけさせやしないよ このわたしの命に賭けて」
すうっと おりんの瞼が落ちる
幸吉は教えられたように粥を炊き 料理を作る
時々 鉄太や勇吉が お照の作ったおかずを運んできた
「お照さんて言うのは?」
「平介さんの妹の一人で もう一人のお千加さんと離れに住んで 店を手伝ってくれてます」
幸吉の説明に おりんの表情が寂しげになる
こんな自分より そのお照さんの方が 幸吉には相応しい お似合いなのに違いない
商いの事を聞きにきたお照を おりんは見た
思わず声を掛ける
お照は びっくりした顔をしたが
ぺこりと頭を下げた
「旦那様には お世話になっております
お加減は いかがですか」
ぱっちりした目 ふっくらした つつきたくなるような頬 小さな唇
そこには ここ数年で おりんが失ってしまった娘らしさがあった
―幸吉さんに似合うのは こんな娘さんなんだわ―寂しく おりんは思う