百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

♪からたち日記が流行った頃

2008年07月16日 | 千伝。
さて、世界中のトイレが、台所よりも美しくなって、糞尿が流され捨てられるのではなく、エネルギーに変換された時こそが、初めて江戸時代を克服したと言えるかも知れない。

台所とは、料理される動物にとっては地獄である。

命を喰って排出する入り口と出口は、きれいに掃除することが、頂き物に対する感謝の礼だと思う。

ところで、兄の話では、はじめて水洗トイレを使ったのは、京都の旅館だったそうだ。

母の数え三十三歳の祝いで、お正月に京都で家族全員で過ごした。

昭和34~35年の頃である。

小生、わずか3歳ぐらいだったが、宿の中庭に鮮やかな朱色の太鼓橋があり、目を下にやると池の中にたくさんの鯉が泳いでいたのを憶えている。

大きな広間に豪華な畳・・分厚い座布団を積み重ねて、はしゃいで走り周っていたが、内心怒られると思いながら、宿泊客は我が家だけだったせいか、誰からも叱かられないまま皆笑っていたので幼い心でほっとした記憶がある。

・・それと、岩風呂というのがあって驚いた記憶がある。

数年後、父は、自宅の風呂を岩風呂に改造していたが、あとの掃除に困り、いつのまにか元の風呂の形状に戻っていた。

因みに、あの京都で宿泊した旅館は、枳殻荘(きこくそう)という宿だったらしい。

インターネットで調べると、まだ商いをされているようで嬉しかった。

そのうち・・懐かしさを求めて宿泊したい宿であります。


カタルシス

2008年07月15日 | 千伝。
・・浄化という意味がある。

張り詰めたような気配を呼び込むような人物ならば、それをカタストロフィ(破局)と呼ぶこともできよう。

逆に、たとえば、その人が現れるだけで、澱んだ気配が、和むことがある。
とりわけ、若い頃には、その人がいるだけで、気持ちが高鳴ったような感覚である。

中年になると、その人がいるだけで、汚染された周りの空気が浄化されてゆく雰囲気の感覚である。
毒物であろうが、その人の手が、それに触れると浄化されてゆく雰囲気の感覚である。

歳を重ねてゆくと、実際に、すべての不潔さや醜さや毒物を浄化してしまう雰囲気を備える人物と出会う。

それは、若さという爆発的な美しさという単純な次元ではなく、それを超越した人生経験や体験から培われた人間としての年輪の積み重ねの美しさと呼ぶべきものかもしれない。

多分、この感覚は、若い世代には判らないと思う。
否、異性の対する純な恋愛対象の感覚に似ている。

ただ、歳を取るだけ取っても、いつまでも業突張りの強欲な破局的な老人も、この世には沢山棲息している。

浄化できる人たちは、貴重な人材なのである。
あの人もそうである。

時に、カタルシスの純粋さは、カタストロフィと繋がることもあるので、ご用心。

浄化作用のできる雰囲気のあるカタルシスな人間でありたいものです。

元気を出して♪


エロティシズム

2008年07月14日 | 千伝。
はじめに、山本モナの不倫の話題ではありません。

一体全体、何を基準に男と女の相性を信じてよいものかという疑問があります。

若い頃ならばアレコレ考えることもなく速やかな合体もひとつの方法手段でした。
エロスの世界での相性度を確かめることもできました。

相性という形の美学を加えれば、アプローチだけでは媚びた独善となり、無視という形は貴高い毒舌となります。

相性という相方には、喜んでいただける程度のアプローチを残して去るのが、賢い男女の終わり方なのかなと、この頃思う次第なのです。

ただ、相性という形にエロスを加えれば、多分、無視という形は最悪の醜さであり、アプローチという形が最善の美しさなのでしょう。

プラトンのイデア論からプラトン的愛(プラトニックな感情)という軸がなければ、高齢になるほど、エロティシズムというテリトリを乗り越えることができません。

その重みが深くなってゆくわけです。

そう、誰もが言います。

エロスがなければ、人類の繁栄も子孫も現代も未来も歴史も存在しないのです。

しかし、プラトニックがなければ・・
この世は、弱肉強食の乱れ放題なエロティシズムな人間世界となるのでしょう。

あいうえお憲法

2008年07月13日 | 千伝。
久しぶりに大阪の創作家である藤本義一さんに関連する記事を読んだ・・面白いです。

「食べ物関連、占い霊感の類のテレビ番組は、邪道である。背後霊がどうのこうの、食べ物屋の紹介なんて、いちばん金がかからず、それで数字がとれる・・とても薄ぺっらい」と切り捨てる。

「衣食足りて礼節を知るという言葉があるが、今は、どうもそうでない。社会や文化に対するテレビの影響は強大だからこそ、このままテレビが現在のままだと、社会や文化の劣化が進むのではないか・・」と危惧する。

~藤本義一さんが、ある経済誌に載せたというエッセイからの抜粋~

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

文化の化に、草冠をつけると、花になる。

文化の化が、冠になると、貨になる。

あいうえお憲法  
あ:アイディア い:インタレスト う:ウォーク え:エキサイティング 
お:オーナーズシップ(自分が創ったという確認)

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

含蓄の深い言葉です。

あいうえお憲法の5項目がないと、自分のドラマが完成しないという人生哲学にも通じるのでしょう。

小生が、高校時代の頃、藤本義一さんは、人気絶頂でした。

高校時代のクラスメートの一人が、
「うちの母親は、作家の藤本義一の奥さん(藤本統紀子さん)と高校時代に同じクラスメートだった。わたしの方が成績も器量もよかったのに・・あの人は、藤本義一の奥さんになって、それなのに、わたしは、牛乳屋の女房。こんな人生になってしまった・・」
と自分の母親の自虐ネタを話していたのを思い出しました。(笑)

はて、あのクラスメートの母上さまは、その後、幸せな人生を過ごされたのだろうか・・?

たちあおい

2008年07月12日 | 千伝。
今日の午前中、地元福井テレビの番組が、四国の香川県高松市内にある丸亀商店街の再開発、取り組みを紹介していました。

再開発とユニークな取り組みによって、商店街の通行人は1.5倍、売り上げ額は3倍となり、全国から注目されている商店街です。

私も同じく、この四月に福井から高松まで日帰りでしたが、丸亀商店街を見学して来ました。

でも、取り立てて述べる感想はありません。
根本的なことは郊外のショッピングセンターへ流れる人の動きを中心部に取り戻すこと。
ドーナツ現象を解消させてマンションなどを建て居住人口を増やすこと。

烏合の衆が全体として潤うのは、人の賑やかな場所です。

さて、今日の福井地方は、30度を超える暑さでした。

炎天下の日中・・郊外の緑の絨毯が広がるお気に入りの場所まで経由して、およそ20KMのほどの距離歩いたり走ったり、横歩き、後ろ向き方向で進んだりの「ナンバ走法」の練習を夕方まで楽しんでいました。

さすがに、その珍妙な走行方法を眺めていた車のドライバーや近くの方々からは、奇異の視線を注がれてしまいました。(笑)

夏の水田

近い将来の日本の美しい水田は、誰が守るのだろう? 誰が、お米を作るのだろう?

ほんとうに、地方の街の中心部にある商店街に人を呼び戻して、賑わいを取り戻す事が大事なことなのだろうか?

そんなことを練習中に考えながら、左足の甲を痛めました。(涙)

立ち葵

佇むヒヤシンス、いや、立ち葵(たちあおい)の姿は、向日葵(ひまわり)と甲乙つけがたく、何を考えているのやら・・教えてほしいものです。

学問のすすめ

2008年07月11日 | 千伝。
東京元麻布に善福寺がある。

大分は中津の出身、慶応義塾を興した啓蒙家、福澤諭吉ドンが、その善福寺に眠る。

福澤諭吉先生が日本の壱万円札の肖像になった1984年(昭和59年)11月、その善福寺に取材に行った記憶がある。

中学校の修学旅行で、大分県中津の福澤諭吉先生の生家を訪ねた記憶もある。
その際、当時の担任の先生が、福沢諭吉の七心訓を書いた額のようなものを買って帰り、後日、授業中に下記の心訓を・・大きな声を出して読まされた記憶がある。
(福澤先生が書いてないという説もあるようです。)

世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つことです。
世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です。
世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です。
世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です。
世の中で一番尊い事は人の為に奉仕し決して恩にきせない事です。
世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情をもつ事です。
世の中で一番悲しい事はうそをつく事です。

小生、上記の七つの心訓・・中学生の頃から、ずっと大嫌いです。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・略・・大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし四文の銭も、己が物としてこれを守るの心は同様なり。世の悪しき諺に、泣く子と地頭には叶わずと。また云く、親と主人は無理を言うものなどとて、或いは人の権理通義をも枉ぐべきもののよう唱うる者あれども、こは有様と通義とを取違えたる論なり。地頭と百姓とは、有様を異にすれどもその権理を異にするに非ず。百姓の身に痛きことは地頭の身にも痛き筈なり、地頭の口に甘きものは百姓の口にも甘からん。痛きものを遠ざけ甘きものを取るは人の情欲なり、他の妨げをなさずして達すべきの情を達するは即ち人の権理なり。この権理に至っては地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし。ただ地頭は富みて強く、百姓は貧にして弱きのみ。貧富強弱は人の有様にて固より同じかるべからず・・略・・ただ生計をこれ争うの勢いに至らば、俊英の少年はその実を未熟に残うの恐れなきに非ず。本人のためにも悲しむべし、天下のためにも惜しむべし。且つ生計難しと雖ども、よく一家の世帯を計れば、早く一時に銭を取りこれを費やして小安を買わんより、力を労して倹約を守り大成の時を待つに若かず。学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ。学者小安に安んずるなかれ。粗衣粗食、寒暑を憚らず、米も搗くべし、薪も割るべし。学問は米を搗きながるも出来るものなり。人間の食物は西洋料理に限らず、麦飯を喰い味噌汁を啜り、もって文明の事を学ぶべきなり」。
<「学問のすすめ」から一部抜粋>

死後100年後の世に、海千山千のさすがの福沢諭吉先生も、まさか自分がお札になって、自分の故郷の教育界が、よもや金まみれ、札まみれになろうとは・・。
きっと、高崎山の猿も福澤先生も、滑って転んで「大痛!」と嘆いている事でしょう。

「学問のすすめ」とは、善も福も・・美しく巧く生きてゆけないから輝くのでしょう、屹度。

冠を頂く

2008年07月10日 | 千伝。
世界の主要国の首脳達が集う日本でのサミットの報道に関して・・。

英国各紙から届く論評が、日本の新聞記事に載る不思議である。
日本のマスメディアが基軸として伝えるのは、世界の中の日本の存在感の有無である。

英国人の風刺「食糧危機を考えながらの豪華な夕食会」・・これぐらいのレベルの風刺を、何故、日本のマスメディアが真っ先に世界に発信することができないのだろうか・・。

日本人の媚びるしかない組織内の表現能力の問題である。
本質的には、日本人として受ける教育風土の前提問題である。

多分、いや大分である。

大分県の教員汚職・・昇進や採用への便宜。
これは、大分県だけではなく、昔から続く日本における国民的な風土、便宜社会である。
公務員だけではない、メディアを含む企業でも同様である。

分かり易く言えば、国会議員の二世、三世が典型的な筆頭モデルではないのだろうか?

さて、北海道のG8サミットも閉幕。

「王冠をかけた恋」「世紀の恋」の英国のウインザー公の名をつけた、ザ・ウインザーホテル洞爺でのG8サミット。

政治家は、国民に恋さえすれば、冠を失う事はない。
だが、教育者は、教え子に恋すれば、破廉恥になる。

大事なことは、教育者は、冠を頂く、この世を善くする引率者である。
さもあれば、教え子たちから、冠を頂く。

ナンバ走法♪

2008年07月08日 | 千伝。
独り歩きをする時、「ナンバ走法」を、人もまばらな郊外の農道で練習しています。

とあるブログ仲間の日記に触発されたのもありますが、10月に走る予定のハーフマラソンで「ナンバ走法」を試してみようと考えています。

ただ、人前に晒す勇気も必要かなぁ・・。(笑)

要は、「ナンバ走法」とは、竹馬走法と同じ仕組みです。
右足と右手、左足と左手を同時に前に出す走法です。
現代の走法とは、まるで逆です。

・・おまけに、小生、デブです。
珍妙なロボットになったような走る出で立ち姿は、妙に自分でも恥ずかしくなります。(笑)

古武術研究者の甲野善紀氏によれば・・

「・・飛脚など、昔の走りの専門家の技術は、現代よりはるかに精妙。それが明治以降の西洋化で大きく変貌。江戸時代以前の日本人の歩き方は、同じ体側の手足を同時に前に出す歩き方(ナンバ)で、現代人とはまるで逆。昔の武術の達人は体の使い方、動かし方が現代人とは根本的に違う。体の動かし方を変えなければ、昔の達人のような動きはできない。ここ百年で日本人の動きは大きく変わった」・・とか。

・・小生、甲野氏の考える達人レベルの領域に関しては、全く判断できません。

一般人の領域として自分の身(体)の動かし方を走る事で、変えてみようと考えています。

独り歩き・・「ナンバ走法」をイメージをしながら、走ったりしています。

自分でもためらうような故意なナンバ走法・・でも、それ以上に、だんだんと楽しくなる要素があるのも確かなはず・・。(笑)

とりあえず、なるべく手を腰に当てて、腕を振らない日常生活の常歩(ナンバ)です。

自分にファイトします♪

ニュースアングル

2008年07月08日 | 千伝。
今朝7時過ぎの福井地方・・台風到来かと思うぐらいの猛烈な豪雨に見舞われました。
今は、陽射しが強すぎるぐらい暑いです。

さて、ちょうど北海道洞爺湖湖畔でG8サミットが開催されているので・・こんな顛末もあり得るという「落書き的なニュース」の展開です。

ある日の世界遺産の奈良の法隆寺には、世界中から(勿論イタリアからも)大勢の観光客が訪問していました。

その数ヶ月後、いや数年後、イタリアのあるマスメディアが、法隆寺でイタリア語での沢山の落書きを発見・・。

イタリア人の学生集団やサッカーチームのコーチの手による落書き(なんと個人的署名入り)が、世界遺産である法隆寺でたくさん発見されたニュースがイタリア国内で流されました。

特定された落書きした本人達の言い分として、楽しい思い出の記念として落書きをしたとの由・・。

イタリア国内では、学生達は停学処分、指導すべき立場にあるコーチには解雇通知・・。

もし、こんなイタリアでの落書き問題処分のニュースがあれば・・、逆の立場で、われら日本人ならば、一体全体どのような見解(報道評価)をするのでしょうか?

妥当、至極当然のこと?
厳しすぎる処分?
恥という美意識を尊重した処分?

イタズラをした者に対する罰則を与える社会的なルールも必要でしょうが・・
国内向けではなく、世界に向けての日本のアピール方法も大事です。

恥という概念(美意識)は、ローカルな集団意識を強固する手段にもなります。

とりわけ、世界的な経済不安、原油高騰、食糧危機、地球温暖化問題等々の曲がり角にある時代です。

世界のマスメディアの視点(アングル)も、国内向け、海外向けの区別がなくなりつつありますが、ナショナリズム、ローカルという感覚は、いかんせん取り除くことは困難です。

しかし、唯我独尊的な国内向けのニュース報道体制は、取捨選択できなくなった安易な日本人像のマイナス面なイメージが浮かんできます。

グローバルな視点だけがいいとは言いません・・もっと広角的なアングルでの日本発信の報道を望みます。

今日は、午後から・・独り歩きの散策時間です♪

天の川を越えて

2008年07月07日 | 千伝。
今日は、七夕。

あいにく、今夜の福井地方は、星ひとつ見えない曇り空でした。

そんな夜空を見上げながら・・
あなたの願い事が、叶いますように・・と祈りました。

子供の頃、笹飾りは、川や海に流していました。
今の時代、そんなことをしたら大変です。

文月七日・・短冊に書いた願い事は、分別ゴミになって処分されるのも嫌です。(笑)

短冊を小さくした笹船に乗せて、そっと流しました。

天の川を越えて、希いが届きますように♪

あしたは七夕

2008年07月06日 | 千伝。
昨日は、携帯電話ショップに出向きました。
TVのCMで流れていた腕に携帯電話を巻いてジョッギングするシーンを思い浮かべながら、アームホルダーを買うつもりでしたが、ネットでの販売限定だそうです。


さて、宮城県仙台や神奈川県平塚の大掛かりな七夕祭りの規模ではないですが・・
昨日から、福井でも七夕祭りが始まりました。

それぞれの笹の葉にたくさんの願いをこめた短冊が飾られていました。

ところで、みなさんの七夕の希い事は、何ですか?

日本は、願い事が、いろんな時季、さまざまな場所でカタチで、いつでも、どこでも祈ることが出来る・・
世界一素敵な国なのかもしれません。

そのぶん、叶わない願い事もたくさんあるわけです。

万葉集の時代から・・
この切ない想いも世界一多い国なのかもしれません。

あなたと一緒に過ごせない七夕の夜・・その想いを天空に託して祈ります。

あしたの七夕の夜、雨天だろうが・・夜10時ごろ、夜空を見上げてくださいね。

みなさんの希い事が叶いますように・・福が届きますように♪

釜トンネル経由

2008年07月05日 | 千伝。
大学1年生の七月初旬・・夏休みの初日だった。
新宿駅から独り夜行列車に乗った。
夜も明けぬ朝、松本駅に到着。

穂高に登る若い男女のカップルとタクシーに相乗りして上高地まで行った。
どうやって運んだのか、大正池に浚渫船が浮かんでいたのに驚いた。

河童橋界隈で木の木っ端を拾って杖がわりに使う。
河童橋を起点に釜トンネルを抜けて安房峠を越えて高山まで歩く道程計画だった。

行きのタクシー運転手から「釜トンネルは、お化けが出るから気をつけて歩きなさい」と忠告されていた。

当時の釜トンネルは天井から水が雨のように滴り落ちて気味が悪いほど真っ暗。
釜トンネル内の下り道をトボトボと歩く。
当時は、マイカー規制はなかったような気もする。

背中を誰かが引っ張るような気もした。
気にかかるが、後ろを振り向くと何かに憑かれてしまような気がした。

上高地に入る釜トンネル内の対向車のランプが眩しいが、その文明的な光にホッとし救われたような気持ちなる。

一度も後ろを振り返ることもなく歩いて抜けた釜トンネル。

そこから、どんどん登り道を歩いた。

安房峠の頂上近くで、「一緒に乗っていきませんか?」と車に乗っている若い男の方に声をかけられた。

ヒッチハイクするつもりは毛頭ないし高山まで歩くつもりだと言うと、「着くのは真夜中になりますよ」と言う。
それではという事で便乗させてもらった。

彼が言うには、釜トンネルを抜けるぼくの姿を見たという。
「根性あるなぁ」と思いながら話しかけてみたくなったと言う。

ぼくより3歳程年長の方だったが、道中、信州飛騨北陸の話を観光ガイドのように面白く聞かせて呉れた。

夕方、高山に着いて街中を散策。
翌日、富山県高岡経由で金沢着。

兼六園と金沢大学(当時は金沢城内にキャンパスがあった)を見学。
内灘まで出て日本海を見る。
能登半島が霞んで見えた。

北陸線列車に乗って、金沢を発って福井駅で停車中に、何故か「ふくい」と書かれたプラットフォームに魂入られてしまう・・写真を一枚撮っている。

当時、二度と訪れることもないと考えていた信州飛騨北陸地方への一人旅だった。

ところが、その後の人生いろいろ。

この地域が、ぼくのフィールド人生の棲家になっている。

あの時、あの釜トンネルで後ろを振り向いておけば良かったと思う事がある。
時々、今でもフーと現れては、思い起こすことがある。

全く他愛もなく意味もないことであるが・・巡り会わせである。

今日は、飛騨トンネル開通に伴い、東海北陸高速道(愛知ー高山・白川郷経由ー富山)の全線開通・・時の流れを感じます。

福井地方・・連日30度を超える猛暑です。
夕方、10KMをオーバーペースで走ると、足が引き攣り止まってしまいました。
冬がくるまでに、ハーフマラソン、来年には、フルマラソン42,195KMを完走できる身体作りに専念しているこの頃です。

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いつまで どこまでも 走れるのだろうか・・50代からの再挑戦です。(笑)


どこまでも

2008年07月04日 | 千伝。
お年寄りを介護していると、裏切られる行為というものを考えさせられます。

あの世へ片足を突っ込んだような老いた男でさえ、ベッドから手が伸びて、女の胸を触りたがります。
痴呆に近づいた老いた女は、男に一緒に寝ようとベッドに手招きをします。

・・人間として最後まで残る不穏かつ正直な煩悩かもしれません。

正直な気持ちは、決して善悪という範疇で括ることはできません。
犯罪者だって、正直な気持ちを実行しているのですから。

まだ、自由自在に歩ける人は、往々にして相手を裏切ることがあります。

30年昔の七月・・恋愛事で裏切られました。
20年昔の七月・・仕事上で裏切られました。

谷から天へ

どんな恋愛をすれば、どんな仕事をすれば、自分は満足できるのか・・
この世に生まれて、どんな生き方をすれば、この人生を潤すことができるのか・・

若い頃から、自分なりに、よ~く、じっくりと考え抜いたものです。
今でも、思案します。(笑)

自分自身に与えられたポジション(人生)という選択権(カード)をうまく采配するだけです。

口は災いのもと・・それが原因で、最近、知人の口煩い二人が遠くに去りました。
相手を目の前にして、言いたい事を口煩く言う人間は、つまらない人間が多いです。
ところかまわず、本音で口を出すべきではありません。
それが大人です。

結局は、自分から逃げても、相手を追いかけても、巧くゆきません。

裏切る行為も裏切られる行為も、詐欺でなければ、お互い様かもしれません。
そう考えないと、正体不明な嫉妬やら自己嫌悪とかが現れて心が疲れてしまいます。

お互い大事に扱われ、上品な楽しい時間を過ごす人生は、恋愛や対人関係のサクセスストーリーの理想かもしれません。

それに近い心構えが、気楽で能天気な思いやりと勇気かもしれません。

「この人ならば、どんなことがあっても大丈夫。どこでも通用する」
・・と言われる福となる人間でありたいものです。

七月と八月は、いつも いつまでも、思い出の多い時季です。

人生は、いつも七転八倒よりも、いつまでも七転八起です。

あなたのこと、どこまでも応援しています。


酒と珈琲

2008年07月03日 | 千伝。
ズワイガニやフグなどは、旬の食べ物として、口にしたいものである。

それに、うまい日本酒でもあれば、空腹感が満腹感にかわり、そのうえに幸福感さえ生じてくる。

商売で最高に成功感を感じる時は、この幸福感を客に与えた時ではないだろうか。

ランチを売って空腹感を埋めている商売は、数多あるが、満足感のある店は少なく、ましてや幸福感を売る店は巷にはない。

幸福感は、高級感にも似て、高いカニや、アンキモ、フグ、寿司、フォアグラ・・。
ブランデーでは、ルイ13世、ナポレオン、ヘネシーXO・・・。
スコッチでは、バランタイン、日本酒では、各大吟醸でもあれば・・

酒嫌いにとっては、ダイナマイトに違いない。

お付き合い程度が、ちょうどいい。

珈琲を飲みながら・・単純に、幸福感を運んでくれる。

雑誌「酒」編集長だった佐々木久子さん(享年81歳)のご冥福をお祈りします。
合掌。

ファイト♪

2008年07月02日 | 千伝。
ひまわりの涙は、間違って添えられたのだろうか・・気になります。

ちょっと、気持ちが揺らいで、ふらついているような微妙な面持ちです。

でも、「まあまあ大丈夫」と鼓舞しています。

ファイト♪(笑)

お世話になっている介護職の方々から、経営側と折衝するための労働条件の改善待遇と昇給アップの要求作成プランの相談を受けました。

こういう場合、要求という言葉よりも、希望案、報告案の方がソフトになります。

「まあまあ」で何とかまとめて落ち着くのが、「まずまず」の結果を導き出す最善の策と考えます。

Only so so, Just so so ・・ More or Less の感覚です。

ただ、楽しい思い出がないと、楽しい人生はありえません。
生きる勇気も同じです。
そう、楽しい思い出が、支えとなるはずです。

だから、いつも笑顔で朗らかに元気で・・強い気持ちで♪

今夜も、あなたが眺める同じ月や星を眺めています。(笑)