東京元麻布に善福寺がある。
大分は中津の出身、慶応義塾を興した啓蒙家、福澤諭吉ドンが、その善福寺に眠る。
福澤諭吉先生が日本の壱万円札の肖像になった1984年(昭和59年)11月、その善福寺に取材に行った記憶がある。
中学校の修学旅行で、大分県中津の福澤諭吉先生の生家を訪ねた記憶もある。
その際、当時の担任の先生が、福沢諭吉の七心訓を書いた額のようなものを買って帰り、後日、授業中に下記の心訓を・・大きな声を出して読まされた記憶がある。
(福澤先生が書いてないという説もあるようです。)
世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つことです。
世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です。
世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です。
世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です。
世の中で一番尊い事は人の為に奉仕し決して恩にきせない事です。
世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情をもつ事です。
世の中で一番悲しい事はうそをつく事です。
小生、上記の七つの心訓・・中学生の頃から、ずっと大嫌いです。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・略・・大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし四文の銭も、己が物としてこれを守るの心は同様なり。世の悪しき諺に、泣く子と地頭には叶わずと。また云く、親と主人は無理を言うものなどとて、或いは人の権理通義をも枉ぐべきもののよう唱うる者あれども、こは有様と通義とを取違えたる論なり。地頭と百姓とは、有様を異にすれどもその権理を異にするに非ず。百姓の身に痛きことは地頭の身にも痛き筈なり、地頭の口に甘きものは百姓の口にも甘からん。痛きものを遠ざけ甘きものを取るは人の情欲なり、他の妨げをなさずして達すべきの情を達するは即ち人の権理なり。この権理に至っては地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし。ただ地頭は富みて強く、百姓は貧にして弱きのみ。貧富強弱は人の有様にて固より同じかるべからず・・略・・ただ生計をこれ争うの勢いに至らば、俊英の少年はその実を未熟に残うの恐れなきに非ず。本人のためにも悲しむべし、天下のためにも惜しむべし。且つ生計難しと雖ども、よく一家の世帯を計れば、早く一時に銭を取りこれを費やして小安を買わんより、力を労して倹約を守り大成の時を待つに若かず。学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ。学者小安に安んずるなかれ。粗衣粗食、寒暑を憚らず、米も搗くべし、薪も割るべし。学問は米を搗きながるも出来るものなり。人間の食物は西洋料理に限らず、麦飯を喰い味噌汁を啜り、もって文明の事を学ぶべきなり」。
<「学問のすすめ」から一部抜粋>
死後100年後の世に、海千山千のさすがの福沢諭吉先生も、まさか自分がお札になって、自分の故郷の教育界が、よもや金まみれ、札まみれになろうとは・・。
きっと、高崎山の猿も福澤先生も、滑って転んで「大痛!」と嘆いている事でしょう。
「学問のすすめ」とは、善も福も・・美しく巧く生きてゆけないから輝くのでしょう、屹度。
大分は中津の出身、慶応義塾を興した啓蒙家、福澤諭吉ドンが、その善福寺に眠る。
福澤諭吉先生が日本の壱万円札の肖像になった1984年(昭和59年)11月、その善福寺に取材に行った記憶がある。
中学校の修学旅行で、大分県中津の福澤諭吉先生の生家を訪ねた記憶もある。
その際、当時の担任の先生が、福沢諭吉の七心訓を書いた額のようなものを買って帰り、後日、授業中に下記の心訓を・・大きな声を出して読まされた記憶がある。
(福澤先生が書いてないという説もあるようです。)
世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つことです。
世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です。
世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です。
世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です。
世の中で一番尊い事は人の為に奉仕し決して恩にきせない事です。
世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情をもつ事です。
世の中で一番悲しい事はうそをつく事です。
小生、上記の七つの心訓・・中学生の頃から、ずっと大嫌いです。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず・・略・・大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし四文の銭も、己が物としてこれを守るの心は同様なり。世の悪しき諺に、泣く子と地頭には叶わずと。また云く、親と主人は無理を言うものなどとて、或いは人の権理通義をも枉ぐべきもののよう唱うる者あれども、こは有様と通義とを取違えたる論なり。地頭と百姓とは、有様を異にすれどもその権理を異にするに非ず。百姓の身に痛きことは地頭の身にも痛き筈なり、地頭の口に甘きものは百姓の口にも甘からん。痛きものを遠ざけ甘きものを取るは人の情欲なり、他の妨げをなさずして達すべきの情を達するは即ち人の権理なり。この権理に至っては地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし。ただ地頭は富みて強く、百姓は貧にして弱きのみ。貧富強弱は人の有様にて固より同じかるべからず・・略・・ただ生計をこれ争うの勢いに至らば、俊英の少年はその実を未熟に残うの恐れなきに非ず。本人のためにも悲しむべし、天下のためにも惜しむべし。且つ生計難しと雖ども、よく一家の世帯を計れば、早く一時に銭を取りこれを費やして小安を買わんより、力を労して倹約を守り大成の時を待つに若かず。学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ。学者小安に安んずるなかれ。粗衣粗食、寒暑を憚らず、米も搗くべし、薪も割るべし。学問は米を搗きながるも出来るものなり。人間の食物は西洋料理に限らず、麦飯を喰い味噌汁を啜り、もって文明の事を学ぶべきなり」。
<「学問のすすめ」から一部抜粋>
死後100年後の世に、海千山千のさすがの福沢諭吉先生も、まさか自分がお札になって、自分の故郷の教育界が、よもや金まみれ、札まみれになろうとは・・。
きっと、高崎山の猿も福澤先生も、滑って転んで「大痛!」と嘆いている事でしょう。
「学問のすすめ」とは、善も福も・・美しく巧く生きてゆけないから輝くのでしょう、屹度。