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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

崖の上のポニョ

2008年07月17日 | 千伝。
この映画は、スタジオジブリの作品。
脚本、監督の宮崎駿さん・・広島県鞆の浦(福山市)で自炊生活と散策をしながら、滞在中にこの映画の構想を練ったとのこと。

テレビCMで、♪ポニョ、ポニョ、ポニョポニョ・・とテーマ音楽が流れているのを聴くと、ちょっと引いてしまいますが、試写を観た中年世代の評判がよいのです。
思わず涙がこぼれてしまう作品だと言います。

鞆の浦には、幼い頃から何度か連れて行ってもらった思い出があり、それに伴う自分なりのイメージもあります。

以下、取り急ぎ個人的な箇条書きです。

沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)がある。
地元では「祇園さん」と呼ばれており、京都の祇園神社(八坂神社)の本社でもあるらしい?

室町幕府初代将軍足利尊氏は、ここで挙兵し京に上り、最後の将軍足利義昭は、京からここに追放されたのち、この地で室町小幕府を樹立し終焉した。

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った山中鹿之助の首塚がある。

また、おもてなしへの返礼(リップサービス)であろうが・・福禅寺の対潮楼の座敷から眺めた仙酔島の借景を、朝鮮通信使代表は「日東第一形勝」(朝鮮より東で一番の絶景)と墨書した。

頼山陽の「日本外史」も鞆の浦で構想が練られたとも言う。
坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」事件の舞台にもなっている。

万葉の時代からの歴史のある港町「鞆の浦」である。
西の九州豊後水道と東の紀伊水道からの流れる瀬戸内海に潮流がぶつかる場所、鞆の浦の沖合いだったことから、潮待ちの港町としての繁栄があった。
明治以降、港町としての利点が、船舶技術の発達により近隣の尾道へと変遷してゆく。

現在の鞆の浦は、埋立て・架橋計画問題が持ち上がっており、「世界遺産に値する景観価値を破壊する」などとして反対の立場の声があがり、尾道出身の大林宣彦氏、宮崎駿氏等の著名人から見直しを求める運動もある・・景観か利便性か・・どちらかを選択するのかで揉めている鞆の浦なのである。

宮崎駿さんは、日本国憲法第九条を支持表明をしている。
「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」と言った作品には、必ず体制を批判するメッセージを残している。

中学校の音楽の授業で、宮城道雄の箏曲「春の海」が、鞆の浦をイメージしたものだと教えられた記憶がある。

実際、鞆の浦は、道も狭くて不便で漁港程度の様相を呈した小さな町である。
あくまでも個人的な感想であるが、とても「春の海」をイメージする長閑な空間があるとは思えない。
観光客を誘致しようと目指すものの今の状態ではリピート客は、少ないと思う。

鞆の浦から四国多度津に渡るフェリーが、まだ運航されているはずだが・・?
どれぐらいの経済波及の効果があるものか判らない。

とりあえず、以上が鞆の浦に関する個人的な見解としての箇条書きです。

はて、余談ですが、鞆の浦の近郊に海に突き出た格好の阿伏兎(あぶと)観音という子宝神社があります。結婚後、数年経ち、ここにお参りに行くと、小生にも息子が恵まれました。
なかなか威風堂々とした景観に驚かれるはずです。

鞆の浦という港町は、好きでも嫌いでもありません。
要は、掴めきれない歴史の港町というイメージがあります。
言い換えれば、潮の流れ同様に歴史の流れに流されたまま、この港町自体が、歴史の流れの中で舵を切っていないというイメージなのでしょう。
外部から押し寄せる歴史の流れに、単に場所を提供しただけという雰囲気です。

さて、鞆の浦をどのようにイメージさせるのかどうかわかりませんが・・
「崖の上のポニョ」観にゆくつもりです♪