ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

釜トンネル経由

2008年07月05日 | 千伝。
大学1年生の七月初旬・・夏休みの初日だった。
新宿駅から独り夜行列車に乗った。
夜も明けぬ朝、松本駅に到着。

穂高に登る若い男女のカップルとタクシーに相乗りして上高地まで行った。
どうやって運んだのか、大正池に浚渫船が浮かんでいたのに驚いた。

河童橋界隈で木の木っ端を拾って杖がわりに使う。
河童橋を起点に釜トンネルを抜けて安房峠を越えて高山まで歩く道程計画だった。

行きのタクシー運転手から「釜トンネルは、お化けが出るから気をつけて歩きなさい」と忠告されていた。

当時の釜トンネルは天井から水が雨のように滴り落ちて気味が悪いほど真っ暗。
釜トンネル内の下り道をトボトボと歩く。
当時は、マイカー規制はなかったような気もする。

背中を誰かが引っ張るような気もした。
気にかかるが、後ろを振り向くと何かに憑かれてしまような気がした。

上高地に入る釜トンネル内の対向車のランプが眩しいが、その文明的な光にホッとし救われたような気持ちなる。

一度も後ろを振り返ることもなく歩いて抜けた釜トンネル。

そこから、どんどん登り道を歩いた。

安房峠の頂上近くで、「一緒に乗っていきませんか?」と車に乗っている若い男の方に声をかけられた。

ヒッチハイクするつもりは毛頭ないし高山まで歩くつもりだと言うと、「着くのは真夜中になりますよ」と言う。
それではという事で便乗させてもらった。

彼が言うには、釜トンネルを抜けるぼくの姿を見たという。
「根性あるなぁ」と思いながら話しかけてみたくなったと言う。

ぼくより3歳程年長の方だったが、道中、信州飛騨北陸の話を観光ガイドのように面白く聞かせて呉れた。

夕方、高山に着いて街中を散策。
翌日、富山県高岡経由で金沢着。

兼六園と金沢大学(当時は金沢城内にキャンパスがあった)を見学。
内灘まで出て日本海を見る。
能登半島が霞んで見えた。

北陸線列車に乗って、金沢を発って福井駅で停車中に、何故か「ふくい」と書かれたプラットフォームに魂入られてしまう・・写真を一枚撮っている。

当時、二度と訪れることもないと考えていた信州飛騨北陸地方への一人旅だった。

ところが、その後の人生いろいろ。

この地域が、ぼくのフィールド人生の棲家になっている。

あの時、あの釜トンネルで後ろを振り向いておけば良かったと思う事がある。
時々、今でもフーと現れては、思い起こすことがある。

全く他愛もなく意味もないことであるが・・巡り会わせである。

今日は、飛騨トンネル開通に伴い、東海北陸高速道(愛知ー高山・白川郷経由ー富山)の全線開通・・時の流れを感じます。

福井地方・・連日30度を超える猛暑です。
夕方、10KMをオーバーペースで走ると、足が引き攣り止まってしまいました。
冬がくるまでに、ハーフマラソン、来年には、フルマラソン42,195KMを完走できる身体作りに専念しているこの頃です。

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いつまで どこまでも 走れるのだろうか・・50代からの再挑戦です。(笑)