熊野古道・馬越峠へ
古来、熊野へ続く道は祈りの道であった。 ある者は極楽浄土の来世を夢見て、ある者は心身の悩みの癒しを求めて一歩一歩石畳を踏みしめていった。
目指すは、三重県紀北町の海山である。
8時過ぎに家を出る、給油後 河合~田原本~桜井~榛原~R369・368で御杖~美杉~仁柿峠~R166へ出て、松阪市飯南町からK710飯南三瀬谷線へ入り相津峠を越えて~道の駅奥伊瀬おおだいへ~大宮大台から高速に乗って終点の紀勢大内山IC~R42で南へ向かう ~ 熊野古道のツヅラト峠とか始神峠とかの案内板が目につく
紀伊長島を過ぎて~まだ南へ ~ やっと道の駅海山へ着いた、11時44分だ、ノンストツプで3時間半程
馬越峠の入口はここから数百m
バイクを停めて石畳の道を馬越峠へ向かう
峠まではかなり時間がかかりそうだ、とりあえず歩こう
夜泣き地蔵から一里塚まで
ここまで40分かかった、峠まであと30分程かかりそう、ここで引き返す
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/10/586bea64e9923ff89f688d18093a9e29.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/e4/92cf17e9d3406111024934fd720e32c6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/83/bdfbb0ab11e117c48d1d9c52fef52a64.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/4d/11fa3c87213cdba411a528db7d8ed86b.jpg)
夜泣き地蔵尊
石積みの祠で、明治までは旅人の無事を祈る石地蔵があったといわれている。 やがて地区の人々が子供の夜泣き封じを祈って 「夜泣き地蔵」 と呼ぶようになり、今も新しい哺乳瓶が備えられている。⇒⇒ 現地説明文より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/dc/8016cf4ae242983ea9b47a662bc121cb.jpg)
地蔵尊横の渓流です、ここにも石がゴロゴロ
石畳の石は現地調達だそうです、この山は石・石・石でできているのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/b3/3cd213bf95aa8e5c96d566afeaf3a008.jpg)
一里塚
説明板が無かったら見過ごしそうである
江戸時代、全国の主な街道には、距離を示す目印として、一里(約4Km)ごとに、一里塚が設けられた。
まだまだ石畳が続く、思ったよりも大きな石である、幅1m以上の石も! 極楽浄土の来世も心身の悩みの癒しも、、、何も求めなかったが、延々と続く石畳の道に感動
感動 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/atten.gif)
帰りに紀北町三浦の高塚公園展望台へ寄る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/a5/9ecaf5dbd391a48a4b649c8a9cf8b9c3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/cb/9df9520ffce9e8c0ff3edd4b542dfeba.jpg)
ここへは何回か来ているが、なかなかスカッと晴れた天候にめぐり合えない、今日も “紀伊の松島” はボヤ~としていた
ほとんど休憩なしで往復 317Km の ツーリング + 熊野古道詣 の一日でした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_warai.gif)
古来、熊野へ続く道は祈りの道であった。 ある者は極楽浄土の来世を夢見て、ある者は心身の悩みの癒しを求めて一歩一歩石畳を踏みしめていった。
目指すは、三重県紀北町の海山である。
8時過ぎに家を出る、給油後 河合~田原本~桜井~榛原~R369・368で御杖~美杉~仁柿峠~R166へ出て、松阪市飯南町からK710飯南三瀬谷線へ入り相津峠を越えて~道の駅奥伊瀬おおだいへ~大宮大台から高速に乗って終点の紀勢大内山IC~R42で南へ向かう ~ 熊野古道のツヅラト峠とか始神峠とかの案内板が目につく
紀伊長島を過ぎて~まだ南へ ~ やっと道の駅海山へ着いた、11時44分だ、ノンストツプで3時間半程
馬越峠の入口はここから数百m
バイクを停めて石畳の道を馬越峠へ向かう
峠まではかなり時間がかかりそうだ、とりあえず歩こう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/10/586bea64e9923ff89f688d18093a9e29.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/4d/11fa3c87213cdba411a528db7d8ed86b.jpg)
夜泣き地蔵尊
石積みの祠で、明治までは旅人の無事を祈る石地蔵があったといわれている。 やがて地区の人々が子供の夜泣き封じを祈って 「夜泣き地蔵」 と呼ぶようになり、今も新しい哺乳瓶が備えられている。⇒⇒ 現地説明文より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/dc/8016cf4ae242983ea9b47a662bc121cb.jpg)
地蔵尊横の渓流です、ここにも石がゴロゴロ
石畳の石は現地調達だそうです、この山は石・石・石でできているのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/b3/3cd213bf95aa8e5c96d566afeaf3a008.jpg)
一里塚
説明板が無かったら見過ごしそうである
江戸時代、全国の主な街道には、距離を示す目印として、一里(約4Km)ごとに、一里塚が設けられた。
まだまだ石畳が続く、思ったよりも大きな石である、幅1m以上の石も! 極楽浄土の来世も心身の悩みの癒しも、、、何も求めなかったが、延々と続く石畳の道に感動
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/atten.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/atten.gif)
帰りに紀北町三浦の高塚公園展望台へ寄る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/a5/9ecaf5dbd391a48a4b649c8a9cf8b9c3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/cb/9df9520ffce9e8c0ff3edd4b542dfeba.jpg)
ここへは何回か来ているが、なかなかスカッと晴れた天候にめぐり合えない、今日も “紀伊の松島” はボヤ~としていた
ほとんど休憩なしで往復 317Km の ツーリング + 熊野古道詣 の一日でした
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