柳生街道は 奈良市内から能登川に沿って春日山原始林に入り石切峠を越えて忍辱山から柳生に至る
今日は奈良市内から能登川の渓流沿いの石畳の道=滝坂の道を地獄谷新池まで 約1時間
街道に入ってちょっと歩くと石灯籠がある、常夜燈と彫られている、昔は幹線道路だったのだ!
緩い上り坂が続く、能登川は無数の小さな滝を造り流れる、この渓流の音と小さな滝の流れ落ちる音を聞きなから苔生した石仏や巨木の中の石畳の道を歩く。
こんな石畳がずっと続く
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/fb/57952f8697cfd31084bbdc928ebb32de.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/69/ff7a9a98f335ac92c15e2494eb4b49bf.jpg)
朝日観音です
山の自然の岩面に彫られている、文永二年の銘があるとのこと、西暦1265年の作だ!
このほかにもっと高い場所の岩面に彫られた夕日観音や大きな岩に彫られた寝仏もあった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c7/141bebfdde7f9e688cc049ec1200e385.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/77/6c03bfa1c8b6f546b9a43dbe5bf3bc24.jpg)
杉の巨木、樹齢数百年だろう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/1e/6c628a9cce89a4b5174edc84612a8042.jpg)
首切地蔵です
荒木又右衛門がためし切りしたと伝えられる首切地蔵です。 彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われます。 谷川沿いに登ってきたこの道は滝坂道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行により敷かれた石だたみの道は、昭和のはじめまで柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬の背につけて下り、日用品を積んで帰ってゆくのに使われてものです。⇒ 現地の説明文です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/ef/32da8dd625553ec9bbd8051cd8392f8e.jpg)
首切り地蔵の横にある、これも樹齢数百年だろう
常夜燈の近くには 「天然記念物春日山原始林」 の石柱が建っている。 杉の巨木等生い茂った原始林の中に苔むした石畳の道、大小の岩を縫って流れる渓流を見ながら・・・・ その昔、剣豪や柳生の忍者もこの道を歩いたのだろうか?
・・・・・ 2時間余りの、昔を偲ぶ柳生街道でした。
今日は奈良市内から能登川の渓流沿いの石畳の道=滝坂の道を地獄谷新池まで 約1時間
街道に入ってちょっと歩くと石灯籠がある、常夜燈と彫られている、昔は幹線道路だったのだ!
緩い上り坂が続く、能登川は無数の小さな滝を造り流れる、この渓流の音と小さな滝の流れ落ちる音を聞きなから苔生した石仏や巨木の中の石畳の道を歩く。
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山の自然の岩面に彫られている、文永二年の銘があるとのこと、西暦1265年の作だ!
このほかにもっと高い場所の岩面に彫られた夕日観音や大きな岩に彫られた寝仏もあった
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杉の巨木、樹齢数百年だろう
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首切地蔵です
荒木又右衛門がためし切りしたと伝えられる首切地蔵です。 彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われます。 谷川沿いに登ってきたこの道は滝坂道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行により敷かれた石だたみの道は、昭和のはじめまで柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬の背につけて下り、日用品を積んで帰ってゆくのに使われてものです。⇒ 現地の説明文です
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首切り地蔵の横にある、これも樹齢数百年だろう
常夜燈の近くには 「天然記念物春日山原始林」 の石柱が建っている。 杉の巨木等生い茂った原始林の中に苔むした石畳の道、大小の岩を縫って流れる渓流を見ながら・・・・ その昔、剣豪や柳生の忍者もこの道を歩いたのだろうか?
・・・・・ 2時間余りの、昔を偲ぶ柳生街道でした。