京都府相楽郡南山城村のパワースポット
神秘と伝説が織り成すパワースポットの 戀志谷神社へ
昼前に家を出て ~河合町 ~大和郡山 ~天理IC ~名阪国道に乗り ~小倉ICから広域農道で月ヶ瀬の桃香野 ~京都府道82号 ~高山ダム沿いを走り南山城村へ ~R163号へ出て ~木津川沿いを西へ1Km程行けは沈下橋が見えた
木津川に架かる沈下橋
これが戀志谷神社へ通じる “ 恋路橋 ” です、何と言うロマンチックな名前でしょう
この橋を歩いて渡りお参りすれば恋愛が成就するとも言われているらしい
当然 私も期待して 歩いて渡りました
戀志谷神社、橋を渡ってすぐです
当社に祀られている恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側女であったといわれています。
後醍醐天皇は元弘元年(1331年)に笠置山で北条高時を討ち破りましたが、天皇の軍勢は旗色も悪く敗れてしまい、翌元弘2年3月に隠岐へ配流されました。
一方その時、姫は病気を治すため伊勢の海辺にいました。そして病気が治った後に後醍醐天皇がいた笠置へと向かう途中で、ここ南大河原の古森に着きました。姫は後醍醐天皇が既に笠置山を去った後であることを聞き、あまりの悲しみのため持病が再発し、自らの命を絶ったのでした。
姫が遺した辞世の句は後醍醐天皇を愛慕していること、また自分の病気を歎きながら後の世の人の病気や苦難をわが身に受けますとあったと言い伝えられています。そのためその言葉を人々に伝え、これを永遠に伝えます。
・・・・・・ 現地説明文より
根元は周囲4~5mありそう
神社には大木や古木が付きものです
帰りは国道へ出ず 集落の中の細い道を通ってウロウロしているとレイクフォレストリゾートの奥の方へ出た、茶畑が広がる美しい光景でした
適当に走っていると、見覚えのある府道82号へ出た ~月ヶ瀬方面へ帰る
府道から高山ダムが見え隠れする
水位の下がったダムは美しい模様を造っていた
パワースポットへ恋愛成就のツーリング
願いはかなうのでしょうか、期待!期待! のツーリングでした
神秘と伝説が織り成すパワースポットの 戀志谷神社へ
昼前に家を出て ~河合町 ~大和郡山 ~天理IC ~名阪国道に乗り ~小倉ICから広域農道で月ヶ瀬の桃香野 ~京都府道82号 ~高山ダム沿いを走り南山城村へ ~R163号へ出て ~木津川沿いを西へ1Km程行けは沈下橋が見えた
木津川に架かる沈下橋
これが戀志谷神社へ通じる “ 恋路橋 ” です、何と言うロマンチックな名前でしょう
この橋を歩いて渡りお参りすれば恋愛が成就するとも言われているらしい
当然 私も期待して 歩いて渡りました
戀志谷神社、橋を渡ってすぐです
当社に祀られている恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側女であったといわれています。
後醍醐天皇は元弘元年(1331年)に笠置山で北条高時を討ち破りましたが、天皇の軍勢は旗色も悪く敗れてしまい、翌元弘2年3月に隠岐へ配流されました。
一方その時、姫は病気を治すため伊勢の海辺にいました。そして病気が治った後に後醍醐天皇がいた笠置へと向かう途中で、ここ南大河原の古森に着きました。姫は後醍醐天皇が既に笠置山を去った後であることを聞き、あまりの悲しみのため持病が再発し、自らの命を絶ったのでした。
姫が遺した辞世の句は後醍醐天皇を愛慕していること、また自分の病気を歎きながら後の世の人の病気や苦難をわが身に受けますとあったと言い伝えられています。そのためその言葉を人々に伝え、これを永遠に伝えます。
・・・・・・ 現地説明文より
根元は周囲4~5mありそう
神社には大木や古木が付きものです
帰りは国道へ出ず 集落の中の細い道を通ってウロウロしているとレイクフォレストリゾートの奥の方へ出た、茶畑が広がる美しい光景でした
適当に走っていると、見覚えのある府道82号へ出た ~月ヶ瀬方面へ帰る
府道から高山ダムが見え隠れする
水位の下がったダムは美しい模様を造っていた
パワースポットへ恋愛成就のツーリング
願いはかなうのでしょうか、期待!期待! のツーリングでした