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後方真ん中の山が伊那佐山、奈良県宇陀市榛原山路
手前の川は芳野川
標高 637.2m。 別名山路岳。 式内社の都賀那岐神社があります。
『 古事記 』 に記されている 「 伊那佐の山 」 とはこの山のこと。 奈良百遊山にも選ばれ、手頃にハイキングが楽しめます。 神武東征の折、神武天皇が川に竹で橋を架けたという故事から 「 竹橋 」 という名称が残っています。 ・・・・ 伊那佐文化センター前の観光案内版より
登山口のある宇陀市榛原山路の山郷
集落内の舗装路から登山道へ入る、 あと1180m と書いてある
真ん中の石碑に何か書いてあるが、よく解からない
コンクリの坂道を上ってゆくと、すぐに落ち葉の山道になってくる
左の石碑には 「 山神 」 の文字
頂上付近まで杉・桧の林が続く
正面に鳥居が見える、鳥居には大正4年4月建立と刻まれている
右の石は道標のようだ、右なんとか? 左何とか? と刻まれているが読めない
右への道は枯れ枝・倒木等でほとんど使われている形跡はない
植林されてからあまり間伐してないようだ、密になったヒノキ林が続く
1丁毎に丁石があるので分かりやすい
雑木林が増えてくる、頂上が近いようだ
山頂に神社が見えてきた
登山口から、ちょうど1時間で無事到着、 西南西に視界が開ける
神社手前の手水石の水は凍ってカチンカチン
山頂の都賀那岐神社
神社の端には神武天皇の歌碑
楯並めて伊那佐の山の
木の間ゆも 行き目守らい
戦へは我はや飢ぬ島つ鳥
鵜飼が伴 今助けに来ぬ
伝 神武天皇来目歌
神社前の水もカチンカチンに凍っている
▽ 山頂 神社横からの景色
右の遠くに金剛山系、手前中ほどの芳野川もわかる
左の上へ伸びるのは大宇陀町方面への道路か?
中ほど左右に走るのは芳野川と川に沿う奈良県道31号だろう
上の写真の中ほどヤヤ右をズームでもう少し大きく撮れば、八咫烏神社が見える
左手前に八咫烏神社が見える
帰りは、頂上近くの天狗岩展望台に寄ってから下山、明日に続く
後方真ん中の山が伊那佐山、奈良県宇陀市榛原山路
手前の川は芳野川
標高 637.2m。 別名山路岳。 式内社の都賀那岐神社があります。
『 古事記 』 に記されている 「 伊那佐の山 」 とはこの山のこと。 奈良百遊山にも選ばれ、手頃にハイキングが楽しめます。 神武東征の折、神武天皇が川に竹で橋を架けたという故事から 「 竹橋 」 という名称が残っています。 ・・・・ 伊那佐文化センター前の観光案内版より
登山口のある宇陀市榛原山路の山郷
集落内の舗装路から登山道へ入る、 あと1180m と書いてある
真ん中の石碑に何か書いてあるが、よく解からない
コンクリの坂道を上ってゆくと、すぐに落ち葉の山道になってくる
左の石碑には 「 山神 」 の文字
頂上付近まで杉・桧の林が続く
正面に鳥居が見える、鳥居には大正4年4月建立と刻まれている
右の石は道標のようだ、右なんとか? 左何とか? と刻まれているが読めない
右への道は枯れ枝・倒木等でほとんど使われている形跡はない
植林されてからあまり間伐してないようだ、密になったヒノキ林が続く
1丁毎に丁石があるので分かりやすい
雑木林が増えてくる、頂上が近いようだ
山頂に神社が見えてきた
登山口から、ちょうど1時間で無事到着、 西南西に視界が開ける
神社手前の手水石の水は凍ってカチンカチン
山頂の都賀那岐神社
神社の端には神武天皇の歌碑
楯並めて伊那佐の山の
木の間ゆも 行き目守らい
戦へは我はや飢ぬ島つ鳥
鵜飼が伴 今助けに来ぬ
伝 神武天皇来目歌
神社前の水もカチンカチンに凍っている
▽ 山頂 神社横からの景色
右の遠くに金剛山系、手前中ほどの芳野川もわかる
左の上へ伸びるのは大宇陀町方面への道路か?
中ほど左右に走るのは芳野川と川に沿う奈良県道31号だろう
上の写真の中ほどヤヤ右をズームでもう少し大きく撮れば、八咫烏神社が見える
左手前に八咫烏神社が見える
帰りは、頂上近くの天狗岩展望台に寄ってから下山、明日に続く