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亀の瀬は数万年前から地すべりを起こしており、明治以降でも明治36年(1903)、昭和6年(1931)、昭和42年(1967)と3回発生している。
その内、もっとも大きなものが昭和6年(1931)からの地すべりで、大和川の河床が9mも隆起し川が塞がったため、奈良県の王寺町周辺がダム湖のようになってしまった。
そのまま放置すれば浸水域がさらに広がって、閉塞する土砂が決壊すると大阪平野が浸水することになるため、これを防ぐ開鑿工事が進められた。
この地すべりは学術的に注目されただけでなく、一日あたり最高2万人という見学者が訪れる観光地となり、茶店やうどん屋が店を出し、記念の絵はがきも販売されたらしい。
地すべりの絵はがき
「大自然の脅威にも堅固を誇りし亀ノ瀬トンネル西口も遂に大崩落せる惨状」
その後、このトンネルは復旧できず、放棄されて線路は大和川左岸へ移されることになった。
・・・以上 net 柏原市文化財課の史料より
現在の関西本線は、この第三橋梁で大和川左岸へ渡り ~ 第四橋梁で右岸へ戻っている
今日は、この第三橋梁と第四橋梁付近を見に行ってきました。
場所は大阪府柏原市峠、大和川の対岸は奈良県北葛城郡王寺町
★ 第三大和川橋梁(奈良県北葛城郡王寺町藤井 ⇔ 生駒郡三郷町立野南 )
大和川上流より
橋梁の北より、大和路快速が走る
国道25号線の歩道橋より、左の白いのが第三大和川橋梁
大和川に架かる大正橋より
大正橋のたもとにある
大和川左岸を走る関西本線(大和路線)、 この右下に国道25号線と大和川が流れる
★ 第四大和川橋梁 (大阪府柏原市峠 ⇔ 柏原市国分東条町、亀の瀬の近く)
この橋で鉄路は右岸へ渡る
鉄路を支える橋梁は大和川とほぼ直角に架けられている、鉄路は大和川の上を斜めに走る
手前は国道25号線
鉄路を下から見上げれば
手前は国道25号線
右岸へ渡って大和川沿いを走る鉄路
国道25号線から大和川右岸へ渡って第四大和川橋梁 を撮る
橋梁を走る大和路快速
大和川右岸のこの辺りには民家など10軒ほどあるが、半数ほどは空家だ
空家の近くより眺める 第四大和川橋梁
第四大和川橋梁、亀の瀬地すべり資料室の近くより
左岸を走る大和路快速、亀の瀬地すべり資料室の近くより
下に見える道路は国道25号線、その手前に大和川が流れる
亀の瀬は数万年前から地すべりを起こしており、明治以降でも明治36年(1903)、昭和6年(1931)、昭和42年(1967)と3回発生している。
その内、もっとも大きなものが昭和6年(1931)からの地すべりで、大和川の河床が9mも隆起し川が塞がったため、奈良県の王寺町周辺がダム湖のようになってしまった。
そのまま放置すれば浸水域がさらに広がって、閉塞する土砂が決壊すると大阪平野が浸水することになるため、これを防ぐ開鑿工事が進められた。
この地すべりは学術的に注目されただけでなく、一日あたり最高2万人という見学者が訪れる観光地となり、茶店やうどん屋が店を出し、記念の絵はがきも販売されたらしい。
地すべりの絵はがき
「大自然の脅威にも堅固を誇りし亀ノ瀬トンネル西口も遂に大崩落せる惨状」
その後、このトンネルは復旧できず、放棄されて線路は大和川左岸へ移されることになった。
・・・以上 net 柏原市文化財課の史料より
現在の関西本線は、この第三橋梁で大和川左岸へ渡り ~ 第四橋梁で右岸へ戻っている
今日は、この第三橋梁と第四橋梁付近を見に行ってきました。
場所は大阪府柏原市峠、大和川の対岸は奈良県北葛城郡王寺町
★ 第三大和川橋梁(奈良県北葛城郡王寺町藤井 ⇔ 生駒郡三郷町立野南 )
大和川上流より
橋梁の北より、大和路快速が走る
国道25号線の歩道橋より、左の白いのが第三大和川橋梁
大和川に架かる大正橋より
大正橋のたもとにある
大和川左岸を走る関西本線(大和路線)、 この右下に国道25号線と大和川が流れる
★ 第四大和川橋梁 (大阪府柏原市峠 ⇔ 柏原市国分東条町、亀の瀬の近く)
この橋で鉄路は右岸へ渡る
鉄路を支える橋梁は大和川とほぼ直角に架けられている、鉄路は大和川の上を斜めに走る
手前は国道25号線
鉄路を下から見上げれば
手前は国道25号線
右岸へ渡って大和川沿いを走る鉄路
国道25号線から大和川右岸へ渡って第四大和川橋梁 を撮る
橋梁を走る大和路快速
大和川右岸のこの辺りには民家など10軒ほどあるが、半数ほどは空家だ
空家の近くより眺める 第四大和川橋梁
第四大和川橋梁、亀の瀬地すべり資料室の近くより
左岸を走る大和路快速、亀の瀬地すべり資料室の近くより
下に見える道路は国道25号線、その手前に大和川が流れる