.
《 昨日、11月23日 》
楠妣庵観音寺を後にして、大阪府唯一の村 = 南河内郡千早赤阪村桐山の 上赤阪城跡 へ向かう
城跡への入口に着いた時、空には分厚い雲かあり、暗く今にも雨が降りそうな感じだった
登山道入り口から少しの間は 、U字溝の底に落ち葉が溜まったような路が続く
少し進むとU字溝状態の路から ~ 黄色い落葉の混じる登山道となる
所々に鮮やかな黄色の葉をつけた木がある
途中には、二の木戸・三の木戸・ そろばん橋・四の木戸・茶碗原 の案内板 ~ ~ そして本丸下、ここを上れば 本丸 である
本丸下からも分厚い落葉の絨毯
茶色っぽい落葉の上には、可愛い丸っぽい黄色の葉を付けた小さな木
本丸へ到着
大阪平野の北から南まで一望! 『 史蹟 楠木城阯 ( 上赤坂城址 ) 』 の大きな石碑がある
登山口の案内には 「 本丸まで約20分 」 と書かれていたが、私の足では 30分弱かかった
国史跡 楠木城跡 ( 上赤坂城跡 )
標高349.7m。 比高150m。 自然の険しい地形を利用した中世山城です。 小根田城 ( おねだじょう ) ・桐山城 ( きりやまじょう ) ・楠木本城 ( くすのきほんじょう ) とも呼ばれています。 鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成 ( 1294?~1336 ) によって築城されたといわれています。
元弘3年 ( 1333 )、平野将監 ( ひらのしょうげん ) と楠木正季 ( くすのきまさすえ ) は、多勢の鎌倉幕府軍相手に奮戦しましたが、水路を断たれ陥落しました。 糞尿を敵にかけた奇策は 「 糞谷( くそんど )」 という地名になって残っています。 合戦の様子は 『 太平記 』 からもうかがえます。
城の遺構は、曲輪 ( くるわ )・堀切 ( ほりきり )・竪堀 ( たてぼり )・横堀 ( よこぼり ) で構成されています。 とくに、大手前 ( おおてまえ ) と搦手 ( からめて ) にある堀切群は堀を二重にしたおおがかりなもので、大手前の 「 そろばん橋 」 は特徴的です。 遺構からみると戦国時代に改修されていますが、それ以前と考えられる遺構も残っています。 この場所には「一の木戸」がありました。
昭和9年3月に国史跡に指定されました。
・・・・ 登山口の説明板より
本丸へ着いた時には、分厚い雲も徐々に薄くなってきて ~ 南の方から青空が広がってきた ~ 60分ほど待ったら見晴らしはかなり良くなってきた
▽ 以降 城跡からの眺め
左の矢印に明石海峡、右の矢印にあべのハルカス
大阪平野の北部方面、右端に生駒山、 上空には大きな白い雲
明石海峡大橋がボンヤリ見えている
向こうに淡路島、右端に明石海峡大橋が見える
左に大阪府富田林市のPLの塔、右にあべのハルカスが見える
ちょっと分かり辛いが 大阪市港区と住之江区を結ぶ赤い港大橋も見える、その後ろは大阪湾、その向こうに兵庫県の何とか市?も見える
右の高いビルは大阪府の咲州庁舎だ
大阪府堺市の方だろう?、大阪湾と対岸の兵庫県も見える
中央遠くのやや右、背の高いビル=大阪市住之江区の大阪府咲州庁舎が見える
北の方を見れば、後方右に生駒山
城址から明石海峡大橋まで直線距離で 約59Km
遠くの景色が見えたら嬉しいですね、 「 そんなもんが見えて何が嬉しいのだ! 」 と言われると、ちょっと困るけど、やっぱり嬉しいのです。
気分を良くして帰りました。
《 昨日、11月23日 》
楠妣庵観音寺を後にして、大阪府唯一の村 = 南河内郡千早赤阪村桐山の 上赤阪城跡 へ向かう
城跡への入口に着いた時、空には分厚い雲かあり、暗く今にも雨が降りそうな感じだった
登山道入り口から少しの間は 、U字溝の底に落ち葉が溜まったような路が続く
少し進むとU字溝状態の路から ~ 黄色い落葉の混じる登山道となる
所々に鮮やかな黄色の葉をつけた木がある
途中には、二の木戸・三の木戸・ そろばん橋・四の木戸・茶碗原 の案内板 ~ ~ そして本丸下、ここを上れば 本丸 である
本丸下からも分厚い落葉の絨毯
茶色っぽい落葉の上には、可愛い丸っぽい黄色の葉を付けた小さな木
本丸へ到着
大阪平野の北から南まで一望! 『 史蹟 楠木城阯 ( 上赤坂城址 ) 』 の大きな石碑がある
登山口の案内には 「 本丸まで約20分 」 と書かれていたが、私の足では 30分弱かかった
国史跡 楠木城跡 ( 上赤坂城跡 )
標高349.7m。 比高150m。 自然の険しい地形を利用した中世山城です。 小根田城 ( おねだじょう ) ・桐山城 ( きりやまじょう ) ・楠木本城 ( くすのきほんじょう ) とも呼ばれています。 鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成 ( 1294?~1336 ) によって築城されたといわれています。
元弘3年 ( 1333 )、平野将監 ( ひらのしょうげん ) と楠木正季 ( くすのきまさすえ ) は、多勢の鎌倉幕府軍相手に奮戦しましたが、水路を断たれ陥落しました。 糞尿を敵にかけた奇策は 「 糞谷( くそんど )」 という地名になって残っています。 合戦の様子は 『 太平記 』 からもうかがえます。
城の遺構は、曲輪 ( くるわ )・堀切 ( ほりきり )・竪堀 ( たてぼり )・横堀 ( よこぼり ) で構成されています。 とくに、大手前 ( おおてまえ ) と搦手 ( からめて ) にある堀切群は堀を二重にしたおおがかりなもので、大手前の 「 そろばん橋 」 は特徴的です。 遺構からみると戦国時代に改修されていますが、それ以前と考えられる遺構も残っています。 この場所には「一の木戸」がありました。
昭和9年3月に国史跡に指定されました。
・・・・ 登山口の説明板より
本丸へ着いた時には、分厚い雲も徐々に薄くなってきて ~ 南の方から青空が広がってきた ~ 60分ほど待ったら見晴らしはかなり良くなってきた
▽ 以降 城跡からの眺め
左の矢印に明石海峡、右の矢印にあべのハルカス
大阪平野の北部方面、右端に生駒山、 上空には大きな白い雲
明石海峡大橋がボンヤリ見えている
向こうに淡路島、右端に明石海峡大橋が見える
左に大阪府富田林市のPLの塔、右にあべのハルカスが見える
ちょっと分かり辛いが 大阪市港区と住之江区を結ぶ赤い港大橋も見える、その後ろは大阪湾、その向こうに兵庫県の何とか市?も見える
右の高いビルは大阪府の咲州庁舎だ
大阪府堺市の方だろう?、大阪湾と対岸の兵庫県も見える
中央遠くのやや右、背の高いビル=大阪市住之江区の大阪府咲州庁舎が見える
北の方を見れば、後方右に生駒山
城址から明石海峡大橋まで直線距離で 約59Km
遠くの景色が見えたら嬉しいですね、 「 そんなもんが見えて何が嬉しいのだ! 」 と言われると、ちょっと困るけど、やっぱり嬉しいのです。
気分を良くして帰りました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます