進学のため広島を離れて以来、いつも広島のことが心にあり、いつかは帰りたいと思い続けた。毎年のように広島カープの応援に来て、束の間の故郷の光景を楽しんだ。そして、時は流れ、思わぬことから広島に帰るチャンスを得た。だが、起業した会社が軌道に乗るには今少し時間がかかり、子供が二人とも関西の私立大学に在学中で、その喜びを味わう余裕はない。ま、しかし辛いことがあっても良い、それが広島なら。
遠くから眺め続け、美化されたシルエットを抱かせた広島だが、この地に家を構え1年半住んでみると、思いに反して取り残されつつ故郷の姿が見える。その象徴がメインストリートをチンチンとのんびり走る路面電車だ。時間があり余り、ノスタルジアを味わいたい人には良い。しかし、世の中の変化がますます加速する時代に、赤信号で停止し、乗客は車に怯えながら傘さして乗り込み、軌道が中心の広いエリアを独占し車の流れを阻害する状況は歯がゆい。
東北の中核都市、仙台との対比が分かり易い。1970年ごろ、仙台は革新市長で、予算が無く、道路はスタッドレスタイヤで穴があき、巻き上げるほこりばかりが目立った。駅から青葉山の方向を眺めると縦横の道路が山まで続くのが鮮明に見え、ビルが所々申し訳なさそうに立っていた。ところが、今はどうだ。新しくできた東京の一角かと見間違うばかりのビルの林立、高速の地下鉄が多くの人々を吸い上げては駆け抜ける。プロ野球の楽天もやってきた。
秋山市長が悪い人だとは思わない。しかし、革新首長はいつかはかかる「はしか」のようなもので、仙台もしかり、東京都もしかりだ。確かに革新首長はクリーンでイメージが良い。美濃部都知事が誕生したとき、私はテレビの画面に向かって拍手した。残念ながら、それは幻想でしかなかった。典型的な経済音痴、自らの応援母体である職員を2倍に増やし厚遇し財政は破たん状態となった。
広島を活性化させるには、まずは経済面(起業支援・中小企業の支援)、高速で安全に移動できるモビリティーの向上、そして広島人の英知を集合させた文化的高揚である。
エネルギーなどの資源も広大な国土も無い日本が生きて行くには、創造力を働かせ優れたアイデアを生み出すこと、そこに培ってきた優れた技術を織り交ぜて優れた製品やサービスを作り出してゆくことだ。しかるに、広島にはこの地域が持つ技術インフラなどの情報データベースも、情報提供や支援のサービスも希薄だ。金をかける必要はない。例えば、工業技術センター内に広島工大や市立大学を連携させた試作情報センターを作る。試作情報センターは中小零細企業がその発展に必要な技術・経済・法律などの情報をタイムリーに便利な形で提供し、あらゆる商品の試作がスピーディーにできるような体制を築く。実は、このような戦略的発展体制は愛知県で実現しており、同地域が最も発展しているのもうなずける。
経済発展が進めば、税収も潤沢となり、あらゆる方面での発展の原資となるだろう。
市内中心部の交通は、アストラムを地下に潜らせるか、チンチン電車を高架にするかの選択で交通をネットワーク化することが求められる。広島をビジネスで訪れた人は、目的地まで何で行くべきか途方に暮れてしまう。東京は縦横無尽な地下鉄網を建設し、モビリティーの良さが一極集中・一人勝ちの一因となっている。いずれにしても、メインストリートを車に開放し、高速・安全・確実な公共交通を実現しなければならない。このモビリティーの貧弱さを解消できなければ、広島は古典的な都市としての地番沈下が進み、中四国の州都を発展著しい岡山に譲らなければならないだろう。
広島は世界で最初に原爆が投下された都市だ。だから、ことさらに平和を実現する戦略研究の面で、世界をリードする研究センターが創設されるべきだ。これまでも、平和運動は絶えることなく継続されてきたが、核実験や核ミサイル製造が中止したためしはない。何故かと言えば、世界は軍事戦略で動いており、軍事戦略を無視した形での平和や経済発展はありえない。このため、世界中の卓越した研究家を集めて、実質的な核ミサイルを廃止する方向の研究を進めるべきだろう。あわせてこの国と世界の調和したエレガントな発展を研究すべきだ。
最後に、私は次の機会、広島はオリンピック誘致に手を挙げるべきだと思う。現在進めている東京への誘致は難しい。日本自体の存在が薄れて行く中、70%以上の確率で失敗に帰すだろう。しかし、広島が手をあげた場合、そもそも、オリンピックはスポーツを通して平和を実現することが目的であり、世界がそれを拒否する理由を見つけることは難しい。確かに、政府は消極的かもしれないが、一体となって推進すれば、オリンピックが広島に誘致される可能性は高い。
文責 吉井