ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

決していやな訳ではないが…KUJORON(苦情論)

2013-01-27 18:16:35 | 生き方
それなりに誠実に、それなりに一生懸命に仕事をしているつもりではある。
それでも、様々な人がいるから、苦情が舞い込むことは、結構ある。
苦情を言われることは、基本的には嫌いではない。
その苦情には、現状の問題点が含まれているからだ。
だから、相手の言い分を聞き、しっかり改善を図ることは、とても大切なことだと考えている。
電話ではなんだからと、実際にお会いして話をじっくり聞いてみると、なんらかの行き違いが生じていることが多い。
そこを明確にして、何をどうしていけばよいのか、お互いに理解し合えると、その後の協力関係・信頼関係が以前よりしっかりできあがるのだ。
そんな訳で、苦情が持ち込まれた場合、「現状を改善するチャンス」という心構えでいつも話を聞かせてもらっている。

それでも、頭ごなしに「何とかしろ。」と、まるで難癖をつけるように苦情を連続して言ってくる人がいる。
「どうしてくれるんだ。あやまれ。」ということばかり主張してやまない人がいる。
先週は、残念ながら、そういう方との対応に追われた1週間であった。

どうにもこうにも今の世の中、「言った者勝ち」になっているように思う。
不況の世の中、うまくいかないことが多いせいか、みんなイライラしていて、寛容な心が持てなくなっているような気がする。
そのために、自分と直接の関係が薄い人に対して、許容する心がなくなっているような気がするのである。
ま、しようがないか、と自分の心の中だけで解決できずに、「あいつのせいだ」「こいつも許せん」となって、自分だけの正義を主張し、攻撃的な行動に出る。
攻撃を受ける相手の気持ちはおかまいなしである。
自分を安全なところに置いておいて、
相手に嫌な思いをさせてもかまわない、というだけなら、
それは人間としてとても恥ずかしいことだと思うのだ。
言いっ放しではなく、その相手と今後よい関係を築いていく、という心を持って接することが大切なのだ。

相手の主張を受けとめ、誠実に話を聞いている人たちは、一般にその心をもっている。(その人たちの方が多いのだが)
生きていくうえで、他の人とどのようにかかわるか、というのはとても重いことである。
相手と、どのように関係を築いて、どのようにうまくやっていくか、という心をもちながらの苦情でなくては、人間らしい心を忘れてしまっているように思えるのだ…。

さて、来週も、どうやら自分だけの正義を主張する人との対峙がありそうである。
へこたれずに向き合っていくしかないな、うん。

コメント
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