ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

1年が終わる

2014-12-31 20:44:38 | 生き方
早いなあ。
もう1年が終わる。
去年は、娘が入院している病院を見上げながら家に帰ったことを覚えている。


娘の入院生活は、9月まで続いた。
仕事が終わってから病院まで通っていた毎日だった。
ただし、今も決して症状が改善された訳ではない。
妻が一日中付き添ってはいるが、痙攣発作の不安が付きまとう。
だから、なるべく早く家に帰るようにしている。
今年は、夫婦での「お出かけ」も少なかった。
7月に福島県の浄土平・鎌沼に、
9月に新潟県の湯沢のアルプの里に、
日帰りで、出かけただけだ。

後は、娘が退院してからは、家で妻が一日中付き添っているため、夫婦でのお出かけは全くない。
娘の体調がもう少しよければ、痙攣発作の不安がなくなれば、連れていくことも可能なのだが、現状ではそれはまだ難しい。
そんな今日であるけれども、一緒に暮らしていられることに幸福感はある。
多少幼稚な感じが漂う時はあるが、喜怒哀楽の感情は昔のまま。
気持ちは本来の娘のままである。
脳の働きがよくなってきたなあと感じる頃になると痙攣発作が起こる。
その後は、決まって以前より記憶も動作も悪くなっているものなのだ。
なんとか、脳の働きがよくなってきたときの痙攣発作が起こらないようになってほしいと願っている。

十分走る練習をすることはできなかったが、走ることはますます好きになった。
タイムは、年々遅くなってはいる。
ただし、走ることが苦ではなくなっている。
1月 村上元旦マラソン 10km
4月 笹川流れマラソン エントリーしたが不参加
6月 関川マラソン 12km
10月 新潟シティマラソン ハーフ(21.0975km)
胎内市ロード大会 20km
最高でハーフの距離にしか挑戦できなかったけど、4回とも自分なりに楽しく走れたと思っている。
ただ、春先は体調が整わず、笹川流れマラソンは、今年もエントリーしながら走らず棄権であった。
走れる体がある限り、走り続けたいなあと思う。

去年は、今頃、病室の娘に別れを告げ、家に帰ってきたのだった。
あれから1年。
あっという間だった。
来年の1年は、どのようなことがあるだろう。
今年1年間に、たくさんの人々にお世話になった。
それらの人々に感謝するとともに、来年のさらなる安寧を願い、2014年を終えたいと思う。
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高い 忘年会

2014-12-23 23:08:59 | 新潟
だいたい、幹事の方々が相談に来た時から、イヤな予感はしていたのだ。

新潟市内で一番高いところで、夜景を見ながら、ステキな忘年会をしたい。

なるほどなあ。
新潟市内で最も高いビルディングにある、「ホテル日航新潟」の30階で下界を展望しながらの忘年会。
いい画になるだろうなあ。
でも、忘年会は12月だぞ。
新潟の冬は、雪が降るぞ。
強風だって吹く。
JRは、何年か前の特急いなほ号の脱線転覆事故以来、風が強い時は、低速運転をしたり運休をしたりするのだ。
天候条件がそういう日に当たったら、どうするのだ?
…というようなことは、ひと言言っておいたが、幹事をはじめとする職員の皆様は、
「めったにそんなことはないですよ。」
と口をそろえて言う。
「たまには、新潟へ出て騒いでみたい。」
という欲求が高かったようだ。
あえて上司がその希望に反対してやめさせるようなつれない真似はしたくもなかった。
忘年会は、2か月以上前にそこに決まっていたのだった。

ところが、懸念はきちんと当たる。
この冬は、大雪になっている。
昨日の忘年会の前日も結構たくさんの雪が降った。
朝は、除雪が間に合わず、交通渋滞で国道をはじめ大混雑。
おかげで、遅刻の憂き目にあってしまった。
幹事は、朝からJRの運行状況のチェックに余念がなかった。
「大丈夫です。運休とかはなく、ほぼ正常通り動いているとのことです。」

やがて、勤務を終え、午後7時からの新潟での忘年会に、各自が様々な方法で新潟の会場に集まった。
確かに、眼下にある光の流れや暗く浮かぶ大河・信濃川は、なかなかであった。

5種類の発泡酒&ビールの利き酒を全問正解した30代男性職員にはアッパレだったし、食事もおいしく、楽しく2時間が過ぎた。

さて、2次会に向かう職員たちとは別れて、歩いて駅に向かうと、信濃川から吹き付けてくる風が相当強い。
案の定、駅に着くと、アナウンスは「強風のため、次の電車はいつ出ることになるかわからない」と繰り返していた。
そして、電光掲示板は、やがて出発予定の電車の電光掲示をやめた。
何も列車の出発予定を掲示しなくなった。
やっぱり!
ああ、2か月前の不安が的中した!!!

一次会後、タクシーの相乗りで私より先に駅に来て、電車に乗ろうとしていた女性職員たち5人と会った。
彼女らも困惑して、5人でタクシーに乗って遠い自宅へ帰ろうとしていた。
しかし、4人乗りのタクシーしか動いておらず、全員は乗れなかった。
ついにそのうちの1人が、学生の娘のアパートに押し掛けることにした。
そうやって、残りの4人がタクシーに乗り、帰って行った。

さて、私は、家が比較的近いもう一人の職員と、やはりタクシーに乗って帰るはめに。
料金は、1万円を超えたのであった。
「まあ、二次会に行ったと思えば」と、同乗してきた職員は言ったが、割り勘にしたとはいえ、それにしても、JRの料金の10倍以上である。
本来は、市内を展望できる高いところでの忘年会。
それが、想定外に高くついた忘年会になってしまった。
二次会に行った以上の金がかかってしまった。

そういえば―。
二次会に行った人たちも何人かいたはずだが…。
ホテルを予約していなかった人たちも、その中にはいたよなあ…。

彼らは、無事に帰れたのであろうか?
酔っぱらって駅に着いて、列車の運行休止を知った人は、酔いもさめるような思いがしたのではなかろうか…???

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雪の合間に走る

2014-12-21 22:34:26 | RUN
12月になってから、週末になる度に雪が降っている。
そのために、週末中心に走っている私には、外を走りたくとも走れない、という状態が3週間にもなる。
今日の日曜日もまた、午後からしんしんと雪が降り積もってきている。
昨日の土曜日は、久々に天気はくもり。
雪が降ってなく、道の雪も少なくなってきていた。
しかし、歩道はまだまだ雪が多い。
だからと言って、車道を走るのは、危なくなりそうで、ドライバーにも申し訳がない。
しかも、いつ雨か雪になってもおかしくないコンディション。
体育館では走れるところもあるだろうが、休日は何かの大会が行われていることが多く、邪魔が入らず走れるところはあまりないと言える。
アーケードがある商店街を走るという手もあるのだが、結構赤信号で待たされてしまう。
通行人の邪魔にもなりやすい。
そんな訳で、走れる場所がほしいと思うことの多い雪の新潟である。

さて、それでも走りたい私が選んだ場所は、線路をくぐる地下道。

車道の隣に歩道があり、その始まりから坂道となって最深部までが200m。
地下道のこちら側の始まりから向こう側の終わりまで行くと、400mになる。
往復すれば、800mになる。
この途中には、2か所階段があって地上に出られる場所がある。
階段上りも入れて、出口周辺の雪のない道(消雪パイプのおかげで雪がかなり消えている)も向こうにもこちらにも200mほどある。
地下歩道も、消雪パイプ

のおかげで、下へ行くほど雪は少なくなっている。
ここを走ろう。
アップダウンのある道で、なかなかいい距離になる。
行って戻って、1回のその距離約1600m。
このコースを6回ほど行けば、およそ10kmくらい走ることになる。

…ということで、1時間9分と58秒走った。
久々だったことと、アップダウンのある慣れないコースだったことから、今夜少々筋肉痛であった。
とはいえ、走れたことは楽しかった。
走り終わって30分くらいの後には雨が降り出したのであった。



話は違うが、先週の娘は、やたらと眠たがっていた。
だから、昼寝を多く入れたり、夜寝るのを早くしたり。
痙攣とかの不調は起こらなかったが、一日中ぼうっとテレビ画面を見ていることが多く、毎日書かせている記録表にも、間違いが多くあった。
体温と体重、血圧などの数字を混同したり、記録欄を間違えて書いたり、食べたばかりの食事を思い出せなかったり…。
いつも忘れやすいのだが、最近は特にその度合いがひどくなっているように感じた。
冬が本格的になって、脳の働きも冬眠しようとしているような感じであった。
まあ、私自身も頼まれたことを簡単に忘れたりしているので、人のことは言えないのであるが…。(忘れっぽい親だからねえ…)
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娘よ(67)~週の半ば、娘の誕生日があった

2014-12-13 23:11:21 | 生き方
しんしんと雪が降っている。
また明日までに積もりそうだ。
1週間前の土日の大雪は、その後1週間かけて毎日の雨で消えかかってきたのに、また今日土曜日から静かに降り積もっている。

今週は、週の半ばに、娘の誕生日があった。
午前中に、伯母さん的な親類が来てくれ、娘の大好きなレアチーズケーキ等を持って来てくれて、祝ってくれた。
また、埼玉の伯父さんから誕生日祝いの花が届いた。

伯父さんへのお礼の電話をしながら、涙を流したとのことだった。
そして、夜には、2年前勤めていた職場の一番仲の良かった同僚の方が訪ねてきてくれた。
久々に会えたこと、わざわざ来てくれて、ことに娘は感激して、涙でぐじゅぐじゅになった。
娘は感激屋なので、その時その時に涙を流す。
だが、記憶はなかなか残らない。
この一年は何だったのか、と思うようなこともある。
誕生日を迎えたということは、着実に三十路の階段を上っているということだ。

ただ、1年前に書いたものを見ると、本当に容態が悪かったのだなあと、改めて思ってしまう。
それに比べたら、まだよいと言える。
今が家で過ごせていることを喜びつつ、暮らしてはいる。
ただ、毎日毎日記憶がすぐになくなるがゆえの失敗を繰り返す娘に、妻はいささか落胆することも多い。
それでも、よろけることも少なくなり、先月の発作からは、やっと体調が回復してきたと思う。

相変わらず静かに雪は降り続いている。
雪が降り積もり、大地のすべてを真白に隠すように、時間がたつことによって、娘の不調もすっかりなくなってしまうとよいのだが。

娘へ。
誕生日おめでとう。
この一年は、病気からの回復を目指した一年だった。
次の一年が、さらによくなる一年になるといいね。
みんなで支えていくからね。


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突然の大雪

2014-12-07 17:53:20 | 新潟

雪だ。
雪だ!
雪だ!!

土曜日の朝はびっくりした。
明け方に除雪車が通って行ったのは、寝床で気が付いた。
それでも、勤めが休みだから、家の前の除雪は、ゆっくり起きてからでいいだろうと思っていた。
ところが、いざ起きて外の様子を見に行ったら驚きであった。

膝が埋まってしまうくらいの雪が積もっていた。

車の屋根にも積雪がたっぷり乗っかっていた。

屋根からは雪庇(せっぴ)がせり出していた。

道路に行って見てみると、除雪車が通った後、20cm以上降り積もったらしい。
道は再度の除雪が必要なほど雪でふかふかになっていた。

12月上旬だというのに、この大雪は何だ!?
長期予報では、今冬は暖冬小雪だともっぱら言われてきていた。
…うそつきぃ~…!
と、恨んでみても現状が変わるわけではない。
これが、出勤が必要な朝ではないことを感謝しなくては。
まずは、懸命の除雪。
暖冬小雪の予報に甘えて雪吊りをしなかった沈丁花や猫柳、南天たちは、雪の重みですっかり倒れてしまっていた。
ただ、雪が降り続いているので、今はそれを直してやるよりまずは玄関や車庫の前の除雪作業が先だ。

想定外の大雪は、県内でも全国でも大混乱を巻き起こすものだ。
徳島では死者も出ている。
新潟でも、飛行機の発着が見送られたり、JRで遅延が出たりと、高速道路が通行止めになったり、道路がのろのろ状態になったりしていた。
この日は、サッカーJ1の大切な最終戦の日であった。
新潟でも、ホーム最終戦の柏戦が行われる予定であった。
ところが、そんなに積雪の多くない新潟市内でも、30cm以上の雪が降った。
最終戦だから、全国のJ1の試合が一斉に行われるはずなのに、新潟―柏戦だけ中止になった。
せっかくのホーム最終戦だから、1シーズンの集大成の試合を見たいし、選手・監督に感謝したいし、という思いを持ったサポーターは大勢いたはずだ。
でも、中止(正確には延期)。
残念だ。
おまけに、代替試合は、明日月曜日の夜に鹿島サッカースタジアムで行われるのだとのこと。
全然ホームじゃない!!!
…と、雪害によって、様々な障害が生じたのであった。

今日も朝は、雪が降っていた。
除雪車が来たので、それを除ける作業をした。
昨日よりも雪は重くなっていた。
沈丁花や猫柳を雪の下から掘り出した。
もう小枝が裂けたり折れたりしていた。
荒縄でぐるぐるっと縛り、やっと冬支度を整えた(遅!)。

こんなに早く雪が多く積もると、これからの冬が長く感じられそうな気がする。
長期予報の外れが今回に限るもので、長い目で見ると暖冬小雪が当たっている。これからでもそんな冬にならないかなあ…。
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娘よ(66)

2014-12-04 22:06:26 | 生き方
あれから―痙攣の発作が起こってから―5日がたった。

幸いにも、娘を5日前に襲った痙攣は、その後起こっていない。
あの翌日は、ダメージのせいで、ひたすら眠っていた。
熱も高かった。
3日目になると、以前と同じ生活のパターンで暮らせるようになった。
相変わらず、というか、また、というかふらつくことが多い。
そして、眠たがっている。

午前・午後ともに眠くなるものだから、毎日2回の昼寝は欠かせない。
ただ、毎日見ている妻とすれば、目をはなすのが怖い。
最近は寒いせいもあって、茶の間にふとんを持ち込んで、日中はそこで娘を昼寝させている。
だから、茶の間にふとんが置きっぱなしだ。

それなのに、ダメージを受けたから、
「なんで、そこに私のふとんがあるの?」
などと聞いたりすることがあるのだ。
日に2,3度も。
何か月もたったのに、まだこんな状態なのか…と時には落胆しそうになることもある。

それでも、いつも思う。
あの去年の7月のICUに入っていた時は、ずっと眠らされていた。
脚は細くなり、皮膚はカサカサ、粉をふいているように見えた。
それからすれば、まだ話ができる。
ぼんやりして過ごすことの多い今の娘である。
陽気な一面もかいま見える。
だから、まだ救われている思いなのだが。

娘は、もうすぐまた一歳としをとる。
なんとか少しでもまた年相応の言動に近づいてほしいと思うのだ。

そのためにも、もう少し体が元気にならないとね。
毎日毎日、娘が寝床につくときに思う。

明日、元気になあれ!


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