早いなあ。
もう1年が終わる。
去年は、娘が入院している病院を見上げながら家に帰ったことを覚えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/07/2239a9a65ad66539444008d16b16b9c6.jpg)
娘の入院生活は、9月まで続いた。
仕事が終わってから病院まで通っていた毎日だった。
ただし、今も決して症状が改善された訳ではない。
妻が一日中付き添ってはいるが、痙攣発作の不安が付きまとう。
だから、なるべく早く家に帰るようにしている。
今年は、夫婦での「お出かけ」も少なかった。
7月に福島県の浄土平・鎌沼に、
9月に新潟県の湯沢のアルプの里に、
日帰りで、出かけただけだ。
後は、娘が退院してからは、家で妻が一日中付き添っているため、夫婦でのお出かけは全くない。
娘の体調がもう少しよければ、痙攣発作の不安がなくなれば、連れていくことも可能なのだが、現状ではそれはまだ難しい。
そんな今日であるけれども、一緒に暮らしていられることに幸福感はある。
多少幼稚な感じが漂う時はあるが、喜怒哀楽の感情は昔のまま。
気持ちは本来の娘のままである。
脳の働きがよくなってきたなあと感じる頃になると痙攣発作が起こる。
その後は、決まって以前より記憶も動作も悪くなっているものなのだ。
なんとか、脳の働きがよくなってきたときの痙攣発作が起こらないようになってほしいと願っている。
十分走る練習をすることはできなかったが、走ることはますます好きになった。
タイムは、年々遅くなってはいる。
ただし、走ることが苦ではなくなっている。
1月 村上元旦マラソン 10km
4月 笹川流れマラソン エントリーしたが不参加
6月 関川マラソン 12km
10月 新潟シティマラソン ハーフ(21.0975km)
胎内市ロード大会 20km
最高でハーフの距離にしか挑戦できなかったけど、4回とも自分なりに楽しく走れたと思っている。
ただ、春先は体調が整わず、笹川流れマラソンは、今年もエントリーしながら走らず棄権であった。
走れる体がある限り、走り続けたいなあと思う。
去年は、今頃、病室の娘に別れを告げ、家に帰ってきたのだった。
あれから1年。
あっという間だった。
来年の1年は、どのようなことがあるだろう。
今年1年間に、たくさんの人々にお世話になった。
それらの人々に感謝するとともに、来年のさらなる安寧を願い、2014年を終えたいと思う。
もう1年が終わる。
去年は、娘が入院している病院を見上げながら家に帰ったことを覚えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/07/2239a9a65ad66539444008d16b16b9c6.jpg)
娘の入院生活は、9月まで続いた。
仕事が終わってから病院まで通っていた毎日だった。
ただし、今も決して症状が改善された訳ではない。
妻が一日中付き添ってはいるが、痙攣発作の不安が付きまとう。
だから、なるべく早く家に帰るようにしている。
今年は、夫婦での「お出かけ」も少なかった。
7月に福島県の浄土平・鎌沼に、
9月に新潟県の湯沢のアルプの里に、
日帰りで、出かけただけだ。
後は、娘が退院してからは、家で妻が一日中付き添っているため、夫婦でのお出かけは全くない。
娘の体調がもう少しよければ、痙攣発作の不安がなくなれば、連れていくことも可能なのだが、現状ではそれはまだ難しい。
そんな今日であるけれども、一緒に暮らしていられることに幸福感はある。
多少幼稚な感じが漂う時はあるが、喜怒哀楽の感情は昔のまま。
気持ちは本来の娘のままである。
脳の働きがよくなってきたなあと感じる頃になると痙攣発作が起こる。
その後は、決まって以前より記憶も動作も悪くなっているものなのだ。
なんとか、脳の働きがよくなってきたときの痙攣発作が起こらないようになってほしいと願っている。
十分走る練習をすることはできなかったが、走ることはますます好きになった。
タイムは、年々遅くなってはいる。
ただし、走ることが苦ではなくなっている。
1月 村上元旦マラソン 10km
4月 笹川流れマラソン エントリーしたが不参加
6月 関川マラソン 12km
10月 新潟シティマラソン ハーフ(21.0975km)
胎内市ロード大会 20km
最高でハーフの距離にしか挑戦できなかったけど、4回とも自分なりに楽しく走れたと思っている。
ただ、春先は体調が整わず、笹川流れマラソンは、今年もエントリーしながら走らず棄権であった。
走れる体がある限り、走り続けたいなあと思う。
去年は、今頃、病室の娘に別れを告げ、家に帰ってきたのだった。
あれから1年。
あっという間だった。
来年の1年は、どのようなことがあるだろう。
今年1年間に、たくさんの人々にお世話になった。
それらの人々に感謝するとともに、来年のさらなる安寧を願い、2014年を終えたいと思う。