ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

晩秋だけど、桜公園で花見

2015-11-27 21:31:05 | お出かけ
家から車で20分ほど行ったところに、「桜公園」という場所がある。
そこには、「花見広場」という場所もある。

え?季節外れだって???
とんでもない。今、花が満開の桜もあるのだよ。
ほら。

と言っても、これは冬桜。

この桜公園には、立てられた看板によると、109種類もの桜が植えられているらしい。


その中には、数種類の冬桜もあるのだ。

4日前の勤労感謝の日、ちょっとだけ薄日が差していたので、娘の体調も悪くないので、無理をさせない範囲でと考え、妻と娘と私の3人でこの桜公園に出かけてきた。

この花見広場に立つと、娘が、「あの青いのって、海?」と聞いてきた。

本当だ。
海だ。
海岸沿いの発電用の風車もいくつか見えた。

桜の落ち葉も赤くきれいだった。
これは、娘が集めた葉。

近くには、ヤブコウジが群生し、赤い実がきれいな斜面があった。

ふう。
娘を連れて出かけたのは、近所のスーパーへの買い物くらいしかなかったので、いい気分転換になった。
気分がいくらか晴れ晴れした。

今日は、暴風警報が出たり、あられが降ったりして、これから訪れる季節の厳しさを思わせた。
その手前の、文字通り「花見」であった。



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長野行

2015-11-23 21:55:16 | お出かけ
この3連休の土日、長野に出かけてきた。
観光ではなく、第67回全国人権・同和教育研究大会 長野大会への参加が目的である。

全体会の会場は、ここホワイトリング。

長野五輪のフィギュアやショートトラックの会場だったところ。
あの五輪からもう17年余りも経過しているが、ジャンプ団体の日本の金メダルは記憶に新しい。
ショートトラックでも、西谷が金メダルをとったことを思い出す。
そんなことを思いながら、ホワイトリグに入ると、さすが全国大会。
1階も2階も、広い会場に大勢の参加者が集まっていた。

全体会そして分科会は、長野市周辺の20数か所で行われ、1万人以上が参加したとのことであった。
どこの会場でも、差別をなくすための熱心な実践の発表が行われた。
人が人を大切にする取組をいくつも聞くことができた。
これからの生き方に、仕事に生かしていきたい。


さて、長野市を象徴するのは、なんといっても善光寺だ。
日本の仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺なので、宗派の別がないとも聞いている。
また、女性や差別を受けていた人にもやさしい寺として存在してきたとも。
今回の研究大会のテーマにも通ずることがある。
せっかく来たのだから、現場研修(?)しなくては。
そう思って、時間を作り、善光寺参りを行った。

日曜日の午後なので、参拝客が非常にたくさんいた。
家族連れ、外国から来た人々、観光バスで移動する集団etc…。
中には、七五三の子ども、結婚式の新郎・新婦などもいた。

本堂の中も大混雑であった。

善光寺の敷地内には、こんな牛の親子像を見つけて笑ってしまった。

そういえば、善光寺のそばには、東山魁夷の美術館もある。
今は、この特別展。

以前に訪れたときは、マイクロバスなどで近くまで行っていたから、長く歩くことはなかった。
善光寺からの帰り道、表参道をずっと駅まで歩くことにした。

両側に立つ店の数々を見ながら、実に魅力的なものが多い参道だなあ、と感心した。

名物、土産物などを売る店を中心に、店のつくりやたたずまいまできちんと考えてあるように思えた。
個性的なものが多かった。

駅から善光寺までに、こういう魅力的な通りがあるなんていいなあ、と思った。
歩道が左右とも広くなっている。
並木があり、花も咲いている。
そうしたら、道をこんなバスも通って行った。

昨季、J3の2位で入れ替え戦に敗れ、惜しくもJ2昇格を逃した長野パルセイロを応援するのぼり等も目にして、いいなあとも思った。

善光寺を中心に観光都市をしっかり考えているのだなあと、よくわかった。
新潟県内の市街を考えてみると、このように駅から魅力的な通りが広がっているところがないよなあ、と思う。
このような街づくりをしっかり考えることが大切だと感じた。

人、そして街。
いろいろと得るものが多かった、長野であった。
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金属疲労…?

2015-11-18 20:21:30 | 生き方
日曜日、洗面台にある蛇口。
2つあるうちの、水を出す方の蛇口が、ひねってもひねっても空回りするようになってしまった。
ねじを外して見てみると、歯車状になっている金属部分と接してとかみ合うはずの蛇口の内側部分が、長年の使用によって、削れてしまっていた。
ありゃまあ!
ま、この洗面台も、私が結婚する前年に購入したものだった。
だから、かれこれ「3分の1世紀」以上も働いていたのだから、仕方がない。
翌日、ホームセンターに行って、使えそうで洗面台にも合いそうな蛇口を購入して取り付け、修理完了。

火曜日、この朝もコーヒーをドリップで入れて飲んだ。
コーヒーサーバーは、本来電動のコーヒーメーカーの付属品だったもの。
壊れてしまって動かなくなってからは、長らくドリップで入れて飲むために使っている。
そのサーバーを、妻が洗っていたら、取っ手とつながっていた金属がボンッと外れて飛んだ。
サーバーのガラス容器部分は、流し台にドサッと落ちたが、幸い割れなかった。
妻がびっくりして、飛んだ金属部分を見たら、取っ手とつながる金属部分を止めていたネジが、完全に腐食して切れていたのだった。
ま、このサーバーも、結婚のお祝いにと、仲人さんがプレゼントしてくれたものだった。
だから、かれこれ「3分の1世紀」位も働いていたのだから、仕方がない。
まだ、修理可能かどうか、合うネジが見つかるかどうか、定かではない。

同じく火曜日、前夜の飲み会を引きずり、多少の酔いを感じながら起きた朝だった。
左の上顎部分の歯の一部がおかしい。
ぐらぐらしている。
原因は何だろう?
特に固いものを噛んだ覚えもない。
考えられるのは、たまに寝ている時に強い歯ぎしりをするから、それか???
それにしても困った。
食べるのにもよく噛めずに支障がある。

一日中不自由な思いをして、夕方、ようやく予約してあった歯医者に行った。
歯医者は言った。
「歯が、縦に割れています。もうこの歯はダメですね。抜くしかありません。」
そう言って、さっさと手際よく麻酔を打ち、レントゲンを撮ってすぐに、作業を始めた。
麻酔が効いてくると、「じゃあ、抜きます。」と、すごい力で歯を抜いた。
バキッという音が2回響き、ガーゼを噛ませられた。
「今日は、これで治療は終わりです。20分したら、ガーゼを全部取ってください。薬の飲み方は、…。」
と言われて、注意書きを持たされ、帰らされてしまった。
ええ~っ、それはないよお!!!
だって、ガーゼを口に嚙みしめたままなのだ。
ガーゼを噛んでいるから、きちんとしゃべることもできないというのに…。

家に帰ってから、20分たってガーゼを取ってみると、真っ赤っ赤。
麻酔がとれないから、食事の時間も1時間後まで延ばした。
もらってきた注意書きにしたがって、好きな酒も飲めず、風呂も入れず、まったく困ってしまった。
こんなに簡単に歯がダメになるなんて…。
だけど、かれこれ「5分の3世紀」弱も働いてきた歯だから、仕方がないか…。

夜中に口の中に違和感を感じ、目が覚めた。
抜いた歯の辺りに生ぬるい大きなものができている。
なんだ、これは???
気になって、しばし眠れなかった。
ようやく朝を迎えて、蛇口が1か所新しくなっている洗面所に行き、鏡で口の中を見てみた。
ビックリした!
歯が取れたところに、大きな飴玉大で、団子のような赤黒いものがついていた。
少しぶくぶくとうがいをしてみたら、その赤黒団子はぼとりと取れた。
すごい。
歯を抜かれたところから出た血のりが、団子状にふくらみ、丸くなっていたのだった。
こんなことは、初めての体験だった。

幸い、痛みは出ていないのでいいが、まだまだ歯の治療が長く続くかと思うと、めげてしまう。

すべて、これ、勤続による金属疲労か?
自分と、そして人生を共にしてきたものが次々と壊れた3日間であった。






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親父の命日に、初めて親子で

2015-11-16 22:32:58 | 生き方
今日は、親父の命日。
31年もたったのかという日。
親父が亡くなった時、20代だった自分は、今やもう50代の後半も後半。
今、息子は20代を終えて30代となっている。
その息子は、市の職員として働いている。
そして、私が働いているのは、同じ市立である。
とはいえ、なかなか一緒に仕事をする機会はなかったのである。

今日、初めて同じ場所で、一つの現場で会うという機会があった。
これも、天で見守る親父のおかげか?
私は、その地域の勤務先の長であるという立場で参加。
息子は、その地域が主催する催しの支援ということでの出会いであった。

同じ場所に違う立場で参加するということになるが、なかなか“ビミョー”である。
その後行われた懇親会では、私はごく当たり前のメンバーとして参加したのだが、息子は支援役であるから、写真を撮って記録したり、その懇親会の最中の受付係をしていたり。
私はそれなりに飲んでいたが、息子は宴席につかずに廊下の受付で他の方からいただいたと思われる、ノンアルコールの飲み物をひと缶飲んだだけだったようだ。

最近はずいぶん一人前になってきていると感じた息子の姿が、このように同席した機会には、若々しく見えた。
別に一人前には見えない、という訳ではない。
懸命に自分の仕事をしている息子が、ずいぶんかいがいしく、初々しく見えたのであった。
そして、それなりに頼もしくも思えたのである。

親父よ。
30数年前、貴方の目にも私はこのように写っていたのでしょうか。
こういうことをわかってほしいから、今日のように仕事上で親子で会う日があったのでしょうか。


そんなことを天の親父に問うてみた、そんな親父の命日であった。


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林道ドライブ、2時間の紅葉ツアー

2015-11-09 22:02:39 | 自然・季節
この土曜日の午前中は、薄日が差していた。
天気予報は、くもり後雨。
だけど、午前中ぐらいは天気がある程度よいままかもしれない。
そう思って、遅れて起きてきた息子に、「2時間ぐらい夫婦で出かけて来るけど、いい?」と娘を頼んで、妻を連れ出した。
なにしろ、家で一日中暮らし、娘のことで異常がないかをずっと気遣う毎日を送っている。
気の張る生活から、少しだけ外へ連れ出してあげたかった。
短い時間だけど、家から連れ出して、自然の中に入って気分転換してほしいと思ったのだった。

「どこへ行く?」
「3年ぶりに、林道行こう。」
わが家から30分も車を走らせると、林道がある。
10数キロの道のりなのだが、標高500m近いあたりまで上がる。
4,5年前に、夫婦でドライブ中に偶然見つけた道だった。
隠れた紅葉の名所なのだ。
どこにも紹介されていない。
秋の紅葉シーズンに、山肌の紅葉が美しい。
だが、11月半ばになると、通行止めになってしまう林道なのである。
だから、11月上旬が見ごろなのである。
ただ、今年は、9月10月からすでに気温が低くなっていた。
そのせいか、紅葉は、すでにピークを過ぎていた。

すでに茶色くなっているところが多く、赤や黄が少ない。

それでも、ところどころで明るい赤にも出合う。

明るい黄色にも出合う。

日頃の行いがよいためか?峠を越えてから、天気が回復してきた。

やはり、晴れると紅葉の輝きが違う。

眼下や山の向こうに、広がる景色の非日常性!

いいよなあ。
来てみてよかった!!

陽射しに黄色の葉が輝いて見える。

金色の輝きを見せてくれる。

ああ、よかった。
妻も、「今年の紅葉は、近くの公園の樹々しか見られないと思っていたけど、今日は自然の紅葉に会えてよかった。」と、感謝してくれた。

今年の紅葉ツアー、2時間弱のこれにておしまいだなっ。

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2015ホーム最終戦、敗れる

2015-11-08 15:52:59 | アルビレックス新潟
J1リーグも、第33節。
あっという間に、1シーズンが終わろうとしている。
あと1戦残しているが、新潟は、ホーム最終戦。

まだ残留争いは決着していない。
新潟と松本との2チームに絞られている。
松本が連勝して新潟が連敗すれば、得失点差に持ち込まれてしまう。
勝たなくてはいけない。

J1リーグは、今年前後期の2シーズン制にしたものだから、11月初めての試合だというのに、ホーム最終戦である。
だいたい、こんな2シーズン制にしたものだから、試合日程は過密になり、平日の試合が多くなった。
試合日程が過密になる、ということは、選手のパフォーマンスの質が落ちる。
平日の試合が多くなるということは、試合を見に行けない人が多くなり、観客数が減るということ。
新潟は、もろにこの影響を受けていたように思う。
選手たちのケガが多く、1年を通して活躍できた選手が非常に少ない。
ホーム最終戦だというのに、その1年を象徴するような試合となってしまった。
FWの2トップに新人の平松と田中達也。
今までなかった組み合わせだ。
指宿と山崎じゃないのか?
指宿も山崎も、今季7得点をあげている。新潟の2大エースなのだが、先発じゃない。
指宿はまだ控えに名前があるが、山崎はベンチにすら入っていない。
GKも守田ではなく黒河だ。
不出場の理由が、皆、ケガである。
選手層の薄さが、もろに出てしまう。

本当に、毎試合毎試合勝利のために戦ってきた選手たちだったのに、思ったように結果が出なかった。

選手が入場し、今季の選手たちを見るのも最後だと思った。

試合前にこのポーズを見せる、チームの心臓、レオ・シルバは来年もこのチームにいるであろうか?
3年間所属し、誰もがその実力を認めた彼を、他チームが放っておかないだろうな、と思う。
このポーズを見るのも、これで最後になるのであろうか?

まもなく試合が始まる。
動き自体は悪くないが、相手湘南の選手たちの動きの方が鋭い。セカンドボールがうまくとれない。
田中達也は、前線からすごいスピードでボールを追いかけていく。
改めていい選手だと思う。
しかし、決定的な場面は新潟に生まれず、先制は湘南。
前半は、新潟0-1湘南。

後半は、交代選手は、田中達也→端山、佐藤優平→大野、加藤→宮崎。
田中達也が交代して間もなく、追加点を入れられ、0-2。

選手が交代するたびに、攻撃への希望が弱くなっていく気がした。
宮崎は、2種登録の高校生選手である。
ホーム最終戦なのに、ベストの選手が組めないという寂しさ。
一生懸命攻勢に出ようとしていた。がんばってはいたが、ゴールは生まれず、試合終了。

結果的に、神戸と対戦していた松本が逆転負けして、新潟にJ1残留が決まった。

試合終了後のセレモニーでは、社長のあいさつに対して、サポーター席からブーイングが出た。

成績不振に対してのものだろうけど、それは違うだろう、と思った。
今季は、大物のコルテースや山崎などを獲得したし、期限付きで山本を更新、佐藤優平を獲得してきた新潟だ。
成績不振は、社長のせいではあるまい。
では、監督の采配か?
柳下監督のあいさつには、ブーイングは起こらなかった。

「残り1試合、全力で勝ちに行く。」
と言いながら、悔しくてたまらない様子であった。

それは、主将大井も同じであった。

セレモニー終了後、選手が場内1周に動き始めた時、私の座っていた2階席には、夕陽の光が差し込んできた。

今日、今季のアルビの陽は沈むが、来季またJ1で陽は昇る。

ただ、来季は沈んだ成績にはなってほしくない。

あと1戦残っている。
監督や大井主将が、最終戦について、「勝利に向け全力を尽くす」と語っている。
昨年は、最終戦が大雪で新潟で試合ができず、鹿島での代替開催で敗れたのであった。
相手は、同じ柏。
昨年のリベンジを果たして、今季の有終を飾ってほしいと願っている。


さよなら、ビッグスワン。
また、来年!
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娘よ(74)~埼玉の伯父ちゃんが来た~

2015-11-05 22:30:56 | 生き方
ついこの前の土曜日・日曜日に、娘にとって「埼玉の伯父ちゃん」こと義兄がやってきた。
義兄の家には、数本の柿の木があって、たくさんの実がなる。
渋柿ではなく、甘柿である。
だから、近所の保育園に採った柿をたくさん寄付したのだとか。
もちろん、お土産の一つは、そのたくさんの柿。

義兄の妹であるわが妻は、甘柿が好きだし実家の柿なので、喜んでいた。
ほかにも、家の木になるみかんだとか、読書家なので読了したたくさんの本なども持って来てくれた。

本当は、もっと前に来たかったのだけれど、ちょっと体調を崩していたとのこと。
体調が整ったので、冬の前に、と来てくれたのだった。
今回来てくれたのも、まずは姪っ子であるうちの娘の心配が一番であった。
ただ、この日の娘は、やや不調。
朝から何度か頭痛を訴えたため、土曜日恒例のシャンプー・シャワーを取りやめ、午前も午後も昼寝を入れたのであった。

だが、夕食時には回復していてよかったと思った。

相変わらずボケボケのところが多く幼稚っぽく見えるけれども、明るくふるまっている娘の姿を見て、少しは安心してもらえたようだ。
以前に比べて、娘の様子をいくらかよくなっていると見て、喜んでくれた。

翌日、帰る時はいい天気だった。
ちょうど出かけていた息子も帰って来て、にぎやかに記念写真の撮影。

義兄の車は新しくなっていて、ナンバーは、埼玉で飼っているネコの名前にちなんだものだったのが楽しかった。

(詳細は、ヒミツ)。

それから4日たつが、今夜就寝前の娘に、聞いてみた。
「この前、埼玉の伯父ちゃんが来ていったけど、覚えている?」
「うん。柿をいっぱい持って来たよ。」
「車が新しくなっていたよね。」
娘はうなずいた。
「車は何色だったっけ?」
「シルバー。」
「そうか。残念。白だったよ。」
…と、完全ではないが、4,5日前の「伯父の来訪」を覚えていた。
そのことを、うれしく思った。

「伯父さん」、いろいろと心遣いありがとうございました。
また、娘に会いに来てください。

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今年も、故郷路を走る~胎内市ロード大会~

2015-11-04 22:41:46 | RUN

(なぜか画像が横に倒れる)
4度目となった胎内市ロード大会の参加。
この大会は、新潟県20Kロード大会、県マスターズロード大会と合わせて開かれている。
県陸連が行っている正式な大会。
ということがあって、他の地域のマラソン大会に比べ、完璧に地味。
お祭りの雰囲気が全くない。
来年以降は、県ロード大会とマスターズ大会はやめ、胎内市ロード大会1本にするそうだ。
去年からランネットを通じて公開をはじめ、参加者を募集し始めた。
だから、胎内市ロード大会には、2年前までは参加者が10名前後だったのだが、今年は、42名+女子5名のエントリーがあった。
この42名と、新潟県20Kロード大会の7名+女子1名、県マスターズロード大会の11名+女子3名が20kmを走る

コースは、胎内市陸上競技場から同市村松浜の折り返しになる。
コースは、私にとって故郷の道と言える部分がある。
だから、今回も走ってみたいと思えたのだ。

4回目のこのレース。
最近自信をつけてきた20kmという距離。
練習では、コースは違うが1時間47分台で走っている。
できるなら、1時間45分台くらいで走りたいし、初めて走った時の1時間43分台くらいにはいきたいなあ、と考えていた。


レース直前に行われた3kmや5kmの実施時は大雨であったが、20kmのスタート時には小雨になり、やみそうになっていた。
参加人数が増えたので、私のスタート地点は2列目。

スタートの号砲が鳴ると、みんなすごい速さで私を抜いていった。
がまん、我慢。
前半は、速過ぎない程度に行こう。調子が良いと感じたら、その流れに身を任せてみよう。
そう思ってはいたのだが、最初の2kmは、4分38秒と4分42秒。ちょっと速過ぎるか?
次の2kmは、4分51秒と5分01秒。安定しているが、少し速過ぎたとあとで反省せざるを得ない結果になるのであった。
4km過ぎに給水地点。この大会は、陸連公認ということもあって、水しか置いていない。
ここからも結構安定したタイムで走っていけた。
以降、キロ5分14秒、5分10秒、5分6秒、5分12秒、5分19秒。
途中私より2歳年下だが、今や町議となっている方もランナーを応援してくれていた。
その方に、今日来ているTシャツのロゴを見せ、笑っていただいた。

9kmから10kmの折り返し点手前には、天然ガスを採掘する大手会社JX日鉱日石開発の中条油業所やその社宅がある。
ここに友だちがいた私は、よく遊びに来たものだ。懐かしい。
子どもの頃の自分の思い出に会いに来る。
これが、「故郷路走りタイ」命名の理由ですね。
今年は、折返し点周辺に知っている人の姿はなかったけれども、10kmの近くに、今年も従姉が立って応援してくれていた。
行き、帰りと2度会うことができた。
帰路は、ハイタッチしながら、お礼を言いつつ健闘を誓った。
圧倒的に自分より速いランナーが多くて、自分の後ろに走る人は少ないことを確認しながら、復路を走って行った。
しかし、明らかにスピードは上がらない。
10km以降、キロ5分16秒、5分27秒、5分26秒、5分35秒、5分30秒と、次第に5分台の中盤でしか走れなくなった。
後ろから来た年輩のランナーや女性ランナーにも抜かれていく。
それでも、15kmは1時間18分50秒余りで通過。去年よりは速いことを確認した。
だが、残り5kmはさらにきつかった。
キロ5分33秒で16,17kmをそれぞれ走れたが、そこからの3kmは5分47秒、5分46秒かかり、一向にスピードは上がらない。

最後はスタジアムに入ってからも、きついだけで、ラスト1kmはおよそ6分かかってしまった。
1時間46分41秒でゴール。

昨年より1分は速かったが、1時間45分台には届かず。
やはり、前半少し速過ぎたと反省。
知人が、「前半突っ込むとだめだよ。ネガティブ・スプリットでいかなくちゃ。」と忠告してくれたけど、いくら前半抑えて行っても、後半苦しくなるから前半に少し稼ごう、というポジティブ・スプリットで走ってしまう私である。
その知人は、10kmの部に出場して、私にアンパンや飴を残していってくれた。

感謝。
それにしても、多少のアップダウンに苦しんでしまったようで、去年や一昨年に比べてもきつく感じるゴール後の体であった。
シャツも、汗でぐしゃぐしゃ。


でも、今年も、故郷路を走り切ることができた。
“故郷路走りタイ”。隊長兼隊員1名のみ。
まずは、4年間で、自身2番目によい記録で完走しました!

明けて今日、両太ももが筋肉痛…。


故郷の山は、そんな私をきっと笑っていることだろう。
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