今年は、彼の13回忌の年であったかと思う。
村下孝蔵が46年の人生を終えてから、もうそんなに経ってしまうのだ。
「初恋」がヒットした頃、自分はもう働いていたこともあり、その頃はあまりこの歌を聞いた覚えがない。
「歌人」というベスト盤があったのだが、これがレコードでは出なかった。
カセットテープで出ていたので、それを買って繰り返し聴いていたのは、結婚していたが勤務の都合で単身赴任していた昭和59年・60年の頃だったと思う。
娘がまだまだ小さくて、目を離していた隙に、この「歌人」のカセットが娘になめられかじられ、さんざんな目に遭ってしまったのが、なんとも忘れがたい。
いつ亡くなったのか正式には知らなかったが、先ほど調べてみたら、1999年6月24日だという。
その頃は、私が腰を痛めて椎間板ヘルニアで入院していた頃だ。
ベッドの上で、テレビも多少は見ていたはずだが、音楽やニュースは入って来なかった。
あの入院中の、立っていられない、歩けない、走れないことを思えば、今は走れる。
走れるうちに走っておきたい。
そう思って、50代の今、走るようになってきた。
最近、夕闇が降りてくるグラウンドを走っていると、この村下孝蔵の「初恋」の歌詞が浮かんでくる。
放課後の校庭を 走る君がいた
遠くで僕はいつでも 君を探してた
浅い夢だから 胸を離れない
確かに、胸がキュンとなる詩であり、曲だ。
かつて、カラオケでも、彼の曲は、「初恋」のほかによく歌った。
「踊り子」「ゆうこ」などは、歌詞を見なくてもかなり歌えそうな自分である。
今から2年前に出たアルバム、「GUITAR KOZO」は、ほとんどがアコースティック・ギターで演奏された、アコースティック・ライブのようなCDだ。
今年、そのCDを購入したのだが、これがなかなか、いい。
彼のギターと、独特な歌声が迫って来る。
亡くなってしまっていることを、改めて惜しむ。
ここ数日、このアルバムを聴きながら、時に口ずさみながら、茶碗を洗う。
自分の何気ない「青春」の思い出を、1つ1つよみがえらせ、時に恥ずかしく思いながら聴く村下孝蔵である。