ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

“GUITAR KOZO”を聴きながら

2011-11-29 21:45:07 | うた


今年は、彼の13回忌の年であったかと思う。

村下孝蔵が46年の人生を終えてから、もうそんなに経ってしまうのだ。
「初恋」がヒットした頃、自分はもう働いていたこともあり、その頃はあまりこの歌を聞いた覚えがない。
「歌人」というベスト盤があったのだが、これがレコードでは出なかった。
カセットテープで出ていたので、それを買って繰り返し聴いていたのは、結婚していたが勤務の都合で単身赴任していた昭和59年・60年の頃だったと思う。
娘がまだまだ小さくて、目を離していた隙に、この「歌人」のカセットが娘になめられかじられ、さんざんな目に遭ってしまったのが、なんとも忘れがたい。

いつ亡くなったのか正式には知らなかったが、先ほど調べてみたら、1999年6月24日だという。
その頃は、私が腰を痛めて椎間板ヘルニアで入院していた頃だ。
ベッドの上で、テレビも多少は見ていたはずだが、音楽やニュースは入って来なかった。

あの入院中の、立っていられない、歩けない、走れないことを思えば、今は走れる。
走れるうちに走っておきたい。
そう思って、50代の今、走るようになってきた。
最近、夕闇が降りてくるグラウンドを走っていると、この村下孝蔵の「初恋」の歌詞が浮かんでくる。

放課後の校庭を 走る君がいた
遠くで僕はいつでも 君を探してた
浅い夢だから 胸を離れない

確かに、胸がキュンとなる詩であり、曲だ。
かつて、カラオケでも、彼の曲は、「初恋」のほかによく歌った。
「踊り子」「ゆうこ」などは、歌詞を見なくてもかなり歌えそうな自分である。

今から2年前に出たアルバム、「GUITAR KOZO」は、ほとんどがアコースティック・ギターで演奏された、アコースティック・ライブのようなCDだ。
今年、そのCDを購入したのだが、これがなかなか、いい。
彼のギターと、独特な歌声が迫って来る。
亡くなってしまっていることを、改めて惜しむ。
ここ数日、このアルバムを聴きながら、時に口ずさみながら、茶碗を洗う。
自分の何気ない「青春」の思い出を、1つ1つよみがえらせ、時に恥ずかしく思いながら聴く村下孝蔵である。
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惨敗…甲府にあっぱれ!!

2011-11-27 18:15:27 | アルビレックス新潟
0-3。
降格がほぼ決定している甲府相手に、文字通り惨敗である。
甲府がJ1に残留するには、次節浦和が負けることと、今節と次節連勝すること。
そのうえ、浦和との得失点差17をひっくり返すことである。
誰が考えても、無理だと思う。
今日の新潟戦で勝ったとしても、J2降格決定的なのであった。
おまけに、今節はFWハーフナー・マイクが、警告を受け出場停止である。
新潟が、甲府に引導を渡せるかどうか、というのが見どころだと思えた。

いざ試合となってみると、前半は結構互角の展開であった。
しかし、試合が進んでいくと、甲府の方が押し気味となった。
甲府の先制点が生まれたのは、前半も残り少なくなった時であった。
はね返してもはね返しても、甲府の選手がボールを拾い、ゴール目がけて押し寄せてきた。
案の定、甲府のゴールが決まってしまった。
その時、ゴールした甲府の選手が、大した喜びを見せることもなく、いち早くゴールからボールを奪おうとしていた。
なぜ?
はっと気づいた。
甲府の選手たちは、この試合と次の試合を大勝ちしようとしている。
J1残留をあきらめていないのだ!

後半は、選手を2人代えた新潟が押しまくった。
しかし、不運なジャッジで、同点ゴールがオフサイドと判定された後は、一気に甲府に勝ち運が傾く。
甲府の選手たちの方が、ボールを追いかける一歩目が早いのだ。
だから、新潟の選手たちよりスピードがあるように見える。
また、ひたむきに追われるためプレッシャーを感じる。
今年の新潟のチームスローガンは、“Aggressive & Speed”であったが、何のことはない、他のチームにそれをやられると弱い、ということか。
先日の天皇杯3回戦でも、松本山雅に走り回られて負けている。

気持ちの入った方にボールは転がる、とよく言われる。
甲府の2点目などは、まさにその典型。
シュートしたボールが味方に当たって、ゴールに入っていった。
そして、3点目も。
自分が入れる、という強い心をもってゴールに迫っていく甲府の選手。
新潟の選手は振り切られてついていけない。
決定的な3点目がゴールに吸い込まれる。
この後も、甲府の選手たちは、足を止めない。

1点でも多く。
1点でも多く。
J1残留へ。
あきらめない。

気持ちが伝わって来た。
「あっぱれ!」である。

やがて試合は、そのまま終わった。
どんなにがんばっても、得失点差13はくつがえせないだろう。
でも、甲府の選手たちのひたむきさは伝わってきた。
これでこそ、プロ。

新潟は、天皇杯で松本山雅に敗れて学んだことがあった。
今日の甲府に負けたことで学んだことも多いはず。
次節、新潟は、優勝争いを繰り広げる名古屋と対戦する。
学びを、最終戦の名古屋戦に発揮してほしい。
そう願っている。
あわせて、無理とわかっていても足を止めない甲府の健闘も期待したい。
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国道402号、苦しき思い出の道を通り

2011-11-25 23:06:02 | 生き方
出張のついでに、ひと月半前に、苦しい思いをして歩いたり走ったりした道を、車で通った。
そこは、国道402号線。

新潟シティマラソンの20km過ぎの折返しのポイント、内野新川大橋から、30km過ぎのポイント関屋分水の新潟大堰橋。
今にして思えば、満足に走れたのは20km。
残りの10kmは歩いたに等しい。
こうして車を運転して通ってみると、さすがに10kmは、結構ある。
でも、あそこでつまり20km過ぎであきらめずに、意地で30km過ぎまで歩いたのは、その後の1つの自信になっている。
30kmまで、自分の脚で到達したのだという、妙な誇りが生まれたのである。
次のチャンスでは、なんとかそこを越えたいと思う。

あれからひと月半。
すっかり夕方が早くなった。
夕日は見られずとも、こんな風景が見られた。

日本海の海は荒れていた。

冬が近い。

車を走らせていると、悪条件の中、今日も走っているランナーも何人かいた。
いいなあ、走るのって。
自分も、冬の間も、週に2回くらいは工夫して走り続けたいものだ。
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ダイモンジソウ満開

2011-11-24 23:08:30 | 草木花
晩秋を迎えた今、わが家で1番、2番を争って咲いているのは、玄関先の

そう、ダイモンジソウ。
漢字で書くと、「大文字草」。
本当にその名の通りの「大」の文字。

この花は、11月のある日の「誕生花」でもある。
なるほど、11月に咲いている。
その日生まれたウチの息子の誕生花にもなる。
ついでに言えば、学生時代好きでよく聴いていた岩崎宏美の誕生日でもある。

ユキノシタ科だそうだ。
確かに、ユキノシタによく似た花を咲かせる。
これは、

ユキノシタ。
大きく違うのが、花が咲く季節。
夏に向かう時咲くユキノシタ。
冬に向かう時咲くダイモンジソウ。


わが家では、うすいピンクのものと濃いピンクのものが並んで咲いている。
玄関を出るとき、思わず、ダイモンジソウに「行ってきます!」と言いたくなる今日この頃である。
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雨中の熱戦を引き分け、J1残留決定!

2011-11-19 22:22:11 | アルビレックス新潟

雨中の熱戦だった。
新潟対ガ大阪戦。

前半のアディショナルタイムに三門の見事なシュートが決まった。
滑りやすいピッチ。
思い切って放ったミドルシュートは、低い弾道から芝生の上でワンバウンドし、ゴールネットを揺らした。

後半になって、ガ大阪が選手を一度に2人代えたが、逆にあまり怖さがなくなった。
新潟がのらりくらりとしのいだり、カウンターをしかけたりしていた。
後半の試合時間も半分を過ぎた頃、右サイドを駆け上がった村上が、絶妙のクロスをゴール前にあげた。
上がったボールは楕円の軌道を描きながら、ゴール前に走り込んだブルーノ・ロペスにどんぴしゃり。
ヘッドで2点目をゲットした。

こうなると、今日は勝てるのではないかと、スタジアムは盛り上がった。
雨の吹き込む中、22,000人余りの観客は、最近になくよく応援していた。
残念ながら、優勝を狙うガ大阪に終盤2点を取られて、同点にされてしまった。
リードを守りきれないのは、今季よく見られた風景だ。
勝ち越しのチャンスもあったが、ゴールを割ることはできなかった。
結局試合は、2-2の引き分けとなった。

引き分けで上げた勝ち点1は大きい。
降格か残留かの対象チームは、16位の甲府。
この日の引き分けで、甲府に抜かれることはなくなった。
つまり、降格することはなくなったということ。
J1残留が決まった。
ま、引き分けなくても、今日の甲府の負けによって残留が決まったのだが。

しかし、勝ち点3を挙げられなかったとはいえ、今日の選手たちの気迫は試合から伝わって来た。
3日前に松本山雅にそうされて思い出したように、相手ボールへ強いプレッシャーをかけに行っていた。
ボールを取ろうと、しつこくしつこく相手に迫って行っていた。
そのせいか、審判が新潟に厳しく大阪に甘かったのは、くやしかったのだが。
(同点になった場面も、相手のハンドを見逃されていた。)
GKの小澤も必死の守りを見せた。
好セーブを繰り返し、同点にされても、味方選手たちを鼓舞していた。
選手たちの気合が戦う気持ちが伝わって来たから、スタンドも、今日の追いつかれての引き分けをブーイングではなく、拍手でたたえた。

帰ってから、来年度もシーズンパスを買うことにし、申込用紙に記入した。
今季は、あと2試合。
今季よい締めくくりをして、来季はさらなる奮闘ぶりを見たい。
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なんともはや

2011-11-16 21:18:58 | アルビレックス新潟
今夜は、飲みたくもないのに飲み会。
天皇杯3回戦のアルビを見たいのに…。
そう思いつつ、幹事の仕事を終え、家にやっと帰って、テレビをつける。
時間は、ロスタイム。
まもなく、終了の笛が響く。
アルビレクス新潟、JFL松本山雅に0-1の完敗。

およそJ1リーグのチームの存在感まるでなし。
たった1点が返せない。
ホームで。
J2よりさらに格下のチームに。
しかも、相手は中2日の過酷な日程だというのに。
チームが完全に成熟しているはずのこの時期に、JFLのチームに手も足も出ずに敗れるという失態。
だからこそ、今、J1の残留争いに巻き込まれているという訳だ。
これが、今季のアルビレックス新潟の実力なのだ。
福岡大に負けた大宮と同レベルということだ。
これでは、中2日後のガンバ大阪戦も善戦は期待できまい。
これで、ACLも完全消滅。
はあ…。タメイキ…。

でもなあ、出来の悪い子ほどかわいいと言う。
その気分で、J1のあと3試合を応援するしかないなあ…。
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単なるビッグマウスではない~本田圭祐選手の生き方に…

2011-11-15 22:35:13 | ひと
昨夜の今頃は、ある若者を取材したTV番組に釘付けになってしまった。
その若者の名は、本田圭佑。
昨夜は、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ていた。
そこに、彼が出ていた。
彼の志の高さに、その生き方に、年齢を越えて尊敬の念を抱いた。

彼は、よく「ビッグマウス」とたたかれる。
しかし、番組で、彼はこう言っていた。
「大きいこと吐いたら、最初笑われるでしょう?それで見返したときの周りの対応が好きなんです。本能でそれが楽しい。でっかいことを言って笑われても、自分が真顔で答えてる方がおもろい生き方やなって思うんですよ。」
そして、彼が小さなころから言ってきたのは、「世界一のサッカー選手になる」こと。
様々な挫折を味わいながら、彼はひたむきにそこに向かって進み続けてきた。
彼の歩みは、「おのれを信じる力」に支えられていた。
「信じることは、希望。信じられなくなったとき、希望の光は見えなくなる。その時に、いかに、自分を信じることができるか。信じるというのは、本当に、希望そのものですよね。」
と、彼は語る。
彼は自分のもつ可能性を信じ、日々の努力を続けている。

大けがをして、懸命に続けてきた彼は、こうも言っている。
「自分らしく今後も生き続けることがプロフェッショナルなのかなって。自分と向き合って、自分と格闘して、自問自答して。弱い自分に打ち勝って、自分らしく生き続けることが、自分に与えられた使命。自分だけでなく、みんなですよね。」
「そして、ずっと自分に打ち勝っていくことで、プロフェッショナルというものを続けて、自分の人生を通して続けていくもんなんかなって。」
自分なりの人生観がきちんとできている。
それでいて、冷静だ。
次のセリフも語っている。
「うーん、かなり偉そうに言ってますね。」
ビッグマウスでありながら、謙虚なのだ。
すばらしい若者だ、と再認識した。

若者が夢を追い、努力を続けている姿は美しい。
いつぞやここで書いた卓球の水谷選手もそうだった。
世界の頂点を目指す若者のまなざしは、美しく光っている。
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資質や能力、職場の人間関係だけの問題ではない

2011-11-14 22:09:02 | 「育」業
「新人教職員の病気退職増」
「辞める新人教員、10年間で8.7倍 『心の病』急増」
このような記事を見ると、憂鬱な気分になる。
しかし、事実なのだ。
依願退職ということは、「とてもやっていられない」という状況だということだ。
しかも、そのうち病気退職者の大半が、精神を患ったものだという。

教育の現場ならではの大変さは間違いなく昔以上に大きくなっているのだ。
記事では、その原因を、
「団塊世代の大量退職による負担の増加や、保護者や先輩教員らとの人間関係から来る悩みを原因に挙げる声がある」
「文科省の担当者は『仕事の量や保護者対応などイメージとのギャップがあるのだろう。職場での人間関係の希薄さも背景にある』と分析している」
などと挙げている。

このように単純に原因を書かれると、「たったそれだけ。何を甘いことを言っているのだ。」とせせら笑う人もいる。
原因は、複合的なもので、実はそう単純なものではないということを実感している。
これは、教育の現場が、すでに、このままではいけないことを示しているのだ。

しかし、一般の人たちには、原因が教師としての個人の資質の問題に置き換えられていることが多い。
その証拠は、現在教育の現場とは違う政治家の皆さんの政策でわかる。
悪評高き教員免許更新制しかり。橋下知事の考え方しかり。
大阪府教育基本条例案を見ると、現場の人間は、さらに息苦しくなる。
次のような部分がある。

「人事評価」で、「校長は、授業・生活指導・学校運営等への貢献を基準に、教員及び職員の人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする5段階評価で行い、概ね次に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない。
(1) S  5パーセント 
(2) A 20パーセント
(3) B 60パーセント
(4) C 10パーセント
(5) D  5パーセント

どの学校でも、この割合に応じた人事評価が行われ、この結果が給与や任免に反映されるなんて、正直たまったものではない。

なぜ、精神的な病で、教育の現場を去らなくてはいけなくなるほどになってしまうのか。
根本的な部分が解決されないと、まだまだこのような人々は増加していくことだろう。

教育を取り巻く環境のひどさゆえに発生している問題を、すべからく職場の人間関係や教員の資質能力の問題にされている。
以前に比べて、説明責任が伴うようになり、何でもかんでも数字で結果を表すように求められている。
ただでさえ、現状でさえ追い詰められているのに、理不尽な人事評価でさらに追い込まれていく未来が見える。

人事評価の前に、学校を支える基盤整備が必要なのだ。
教員が子ども一人一人を見とることが可能な主要教科10人以下の学級編制。
子どもの不平不満を全部聴いてくれるカウンセラーの存在。
発達障害児童への的確な診断ができる精神科医の存在。
学校をクレームから守ってくれる法律の専門家の存在。
コンピュータの入力やコンピュータによる資料作成がたやすくできるIT(ICT)専門家の存在。
そういった存在を増やし、様々な問題を確実に解消していくことができない限り、教員の資質や能力のせいにするだけでは、追い込まれていく教員は増えるだけであろう。

危機感を抱く未来が暗い情報ばかりが流れている。
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11月があまり好きではない訳

2011-11-12 21:52:53 | 新潟

今週は、相次いで知り合いの方の父親あるいは母親がなくなって、4日間に2度、通夜に出席した。
昨日会った方も、親類の葬儀でこの土日は東京に行くと言っていた。
11月は、私の父も、突然亡くなっている月である。
私の母の体調不良が癌だったとわかったのも、11月だった。
11月は、季節の変わり目になるせいか、体調不良が起こったり亡くなったりする年長者が多いように思う。
だから、あまりよい月というイメージがない。
(ただ、父の亡くなった翌年は、息子の誕生というとてもよいことが起こったのだが。)

だいたい、11月の新潟は、天候から、私はあまり好きではない。
新潟は、11月というと、冷え込みが激しくなる。
11月を「霜月」というが、確かに霜が降りる日も出てくる。
初雪だって降ったりする。
でも、冷え込みや霜や雪があるから、11月の新潟の天候がいやだというわけではない。
雪の季節の前の11月は、新潟は、しぐれることが多い。
突然ザッと雨が降り出すのである。
横風も強く、冷たい雨が降る。
そんな日が多い。
母の病気を医者に告げられたのも、そんな時雨の日だったことを思い出す。
11月の時雨は、冬の始まりでもある。
家からあまり外に出たくなくなるように、気分まで中にふさぎこんでしまう。

しぐれる日が少ないように、よくないことが起こらないように、と願う11月である。

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「I am a father.」聴き、気合を入れなおして出勤する

2011-11-10 23:55:08 | うた
仕事上、リーダーシップをとらなくてはいけない役割を担っている。
だから、時にその責務の重さに逃げ出したい気分にもなる。
そういった気分を晴らすためにも走ったりしてストレスを解消したりしているのだが、朝から走ってばかりいる訳にもいかない。
朝は、気合を入れ直して出勤するしかない。
そういう意味で、朝、元気出して出勤するために、この頃よく聴くのが大好きな浜田省吾の「I am a FATHER」である。

この歌は、もう6年も前に出た歌にはなるのだが、私にはいつも新鮮な感覚がある。
それは、自分の思いと共通する部分が多いから。

「額を床につくくらい 頭を下げ毎日働いてる
 家族の明日を案じて 子どもたちに未来を託して
 傷ついてる暇なんか無い 前だけ見て進む」

で始まるこの歌は、
「傷ついてる暇なんか無い」ということ、 
「前だけ見て進む」しかないということで、
朝の私の背中を押してくれる

さらにこの歌は、自分が、
「スーパーマンじゃない」「ヒーローでもない」、
「チャンピオンじゃない」「リーダーでもない」、
「ムービースターじゃない」「ロックスターでもない」
と歌っていく。

終盤は、
「迷ってる暇なんて無い 選んだ道進む」
「明日は今日よりもいい日になることを信じてる」
というところがいい。

最後は、
「Iam a father.
 かつて夢見る少年だったこのオレも 今ではFather。」
で終わる。

そう。
かつて「夢見る少年」でしかない弱い存在だった自分が、今では、一家を支える存在となっている。
同様に、かつて「夢見る少年」でしかない弱い存在だった自分が、今では、職場を引っ張るべき存在として務めなければならない重さをかかえている。
それは、この歌のFATHERの感覚と同じなのである。

仕事をしている以上、重さがついてくる。
その重さに負けてはいられない。
「傷ついてる暇」や「迷ってる暇」なんか無い、のだと思う。

明朝も、またこの歌を聴きながら、気合を入れて出勤することになるだろう。
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