ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

ここのところの新潟…

2010-03-29 18:11:02 | アルビレックス新潟
1 ここのところの新潟、どうもすっきりしない天気。
  晴れがなかなか続かない。
  空が急に曇ってきて、やがて雨、または雪。
  空気も冷たい。
  決定的に「春!」という感じがしないのである。
  早く本格的に気温上昇、暖かくなってほしいのだが…。

2 ここのところの新潟、どうもすっきりしない戦績。
  ゴールがなかなか入らない。
  敵に急にカウンター食らって、やがて負け、または引き分け。
  気分も重たい。
  決定機に「ゴール!」という叫びが聞けないのである。
  早く本格的に機運上昇、勝ち点をあげてほしいのだが…。

…Jリーグが始まって、すでに4戦を経過。
天気も戦績も似通ったような「新潟」の今である。
わが「アルビレックス新潟」は、「●△△●」の2敗2分けで勝ち点2。
尻に火の着きそうな15位である。
今季は、監督が代わった。
4人のレギュラーが去った。
とはいえ、幹となる主力は、残っている。
だから、戦力ダウンの下馬評を覆してくれると期待していたのだが…。
先日は、かつてアルビを率いていた反町監督、在籍していたMF寺川、GK野澤の湘南ベルマーレに、0対2で完敗してしまった。
これは、いけない。
シュート数では圧倒していたのに、負けるなんて。
ソリさんも、テラも、ノザも好きだけど、やっぱりアルビレックスの勝利優先。
アルビが勝たないと、彼らまで応援できないよ。

今週は、ホームで仙台(ナビスコ杯)、大宮(リーグ戦)を迎える。
相手チームは、昨季、J2だったりJ1でも下位だったりしたチーム。
ここで勝たないと、今季の上昇は危うい。
GO!ALBIREX!!!
真価を見せろ、黒崎アルビ!!
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午後、たった一人の卒業式

2010-03-25 20:21:13 | 「育」業
来た。
来てくれた。
よかった。
精一杯のことをしてあげたいと思った。

すでに午前中、無事に卒業式は終わっていた。
今年の6年生たちは、一時期一部の子どもたちの行動が心配された。
前年度の6年生たちは、「学級崩壊」とまでは言わないが、教師や親の言うことを聞かず、心配な状況で最後の一年を過ごした。
担任の言うことを聞かない子、聞けない子が男女を問わず広がった。
そして、卒業式では呼名されても返事をしない子が続出した。
今年度の2学期、6年生の男子の数名が、今年もそのような行動になりつつあった。
周囲の子への影響力が心配された。
A女は、彼らの言動に悩まされ、不登校に陥った。

6年生の行動が不安な男子たちには、幸い次々と打つ手が功を奏し、昨年のような悲惨な状況にまでは陥らなかった。
周囲の子どもたちと、別な好ましい人間関係も生まれた。
多少の見苦しさは残ったが、昨年のような状況は回避することができた。
担任の呼名に、大きくなくても返事はしていた。
卒業証書を受け取る子どもたちは、きちんと目を合わせて礼をしていた。
いい目だった。
今年の卒業生たちは、大丈夫だ、と思った。
卒業生の歌う「YELL」の歌声は、男子の声は小さかったけれど、口が開いていた。
無事に卒業式は終わった―。
卒業式を終え、親と一緒に昼食会に参加した6年生の子どもたちは、中学校の新しい制服もまぶしく、はしゃぎながら帰って行った。

でも、呼名で返事のない子がいた。
当たり前だ。
なぜなら、彼女は、学校に来ていなかったのだから。
A女。彼女の不登校は、学級がある程度落ち着いた今も、続いていた。
卒業式。小学校最後の日なのに、学校に来られない彼女のつらさがわかるか。
来る勇気がないのではない。
来たくても、来られないのだ。
行かなくてはいけない。
でも、皆のいるところへ行こうとすると、足がすくんで動かないのだ。

午後になり、卒業生たちも親たちも皆が帰った。
今がチャンスだ。
担任が、家庭に電話をした。
今なら、学校に行けそうだ、と言う。
すぐに来てください。待っています。

職員室で、呼びかけた。
A女のために、できるだけのことをしてあげたい。
協力をお願いしたい、と。

ほどなく、彼女は母と、車で学校に来た。
「先生方、お願いします。」と叫ぶ私。
ピアノ伴奏の先生が、楽譜を持っている。
うれしい。
国歌と校歌、歌いましょう。
思わず、そうお願いしていた。

正装に着替えて、体育館に行った。
体育館には、まだ「卒業証書授与式」の看板が下げてある。
鉢植えのアザレアの花が並ぶ中に、ポツンと一人、いすに座っているA女がいた。
残してあった保護者席に座る彼女の母に近寄り、「精一杯務めさせていただきます。」と言って、お辞儀をした。

やがて、教頭先生の開式の言葉が、がらんとした体育館に響き渡る。
「国歌斉唱。」
「校歌斉唱。」
いずれも、音楽主任が指揮をする。
伴奏者がピアノを軽やかに奏でる。
周囲の先生方が、彼女のために、歌声を張り上げる。

「卒業証書、授与。」
進行係の声が響く。
担任が呼名した。
「はい。」
返事をして彼女は、たった一人自席から立ち上がり、演壇の前に立った。
目を合わせた。
「本校において、6ヵ年の課程を卒業したことを証する」
卒業証書を渡すと、A女は両手できちんと受け取り、深々と頭を下げた。
りりしく前を見つめ、目をそらすことはなかった。
やがて、証書を片手に持ち換え、しっかりと自席に戻った。

「学校長式辞。」
午前と同じ内容の、式辞を読む。なぜか。
この子にも聞いてほしかったから。
この子のお母さんにも聞いてほしかったから。
時折うなずきながら、聞いてくれるA女。
…式辞が終わった。
目を合わせて、お辞儀を合わせた。
彼女の母は、何度もハンカチで目頭をぬぐっていた。

「卒業生退場。」
彼女は、音楽に合わせて、一人で広い体育館を歩き、会場を後にした。
大丈夫。これからもいろいろあるだろうけど、生きていける。
彼女のこれからに、幸あれ。
その幸を、信じている。
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アズマイチゲ・キクザキイチゲの春が来た!

2010-03-23 21:37:17 | 草木花
春が来た。
春が来た。
春が来た。
数年前から、春が来たと感じるのは、野草の花咲くのを見つける時。
特に楽しみなのは、ここ3,4年前から、アズマイチゲやキクザキイチゲの花を野に見つけた時だ。
白い花あり、青い花あり。
日当たりのよい野原などに見られる。
イチリンソウの名で呼ばれているところも多いようだ。
よく見ると、葉の先が切れ込みがあってとがっているのが、キクザキイチゲ。
丸っぽいのがアズマイチゲ。
地面に、新しい芽のような葉が出たと思ったら、まもなく垂れ下がったつぼみをつけ、咲き出すのは、早い。
太陽を追って、首を回すように、太陽の方を向いて咲く。
曇ったり日が陰ったりすると、その花は閉じる。
早春に咲く花の中で、もっとも好きな花、アズマイチゲ・キクザイイチゲ。
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スター・アイズ

2010-03-22 22:28:40 | 草木花
春が来た。
春が来た。
春が来た。
新潟の野草で、そう思わせるのが、まずはオオイヌノフグリ。
あの小さな花が、場所によっては辺り一面を占めながら、青く咲いている。
「犬のキ○○マ」なんて、かわいそうな名前をつけられている。
でも、小さな花は輝いている。
「スター・アイズ」と呼ぶ地域もあるそうだ。
それだよ、それ!
この花の小さくとも愛らしく輝いている様は、「星の瞳」こと「スター・アイズ」がふさわしい。
青い瞳、スター・アイズ。
道端で、ちょっとした空き地で、陽射しを受け輝くスター・アイズ。
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フクジュソウ~黄金色に輝くしあわせの花

2010-03-18 23:22:02 | 草木花
フクジュソウの花を見たくて、夫婦でちょっぴりドライブ。
出かけた先は、新潟市園芸センター。
今年も、庭の一角に植えられたフクジュソウがそろそろ咲いているはずだ。
あった。
咲いている。
午後の陽射しを浴びたフクジュソウ。
その明るさが、春の訪れを知らせる。
黄金色に輝いている。
その輝きは、「しあわせ」の名にふさわしい。
この花は、太陽が出ているときに花を開かせる。
日が陰ったり、日が沈んだりしたりすると、その花を閉じる。
今週は、いい。
青空。よく晴れている。
まだ春とは言い難いような角度ではあったが、陽が射していた。
陽を浴びて、庭の一角はまさに黄金の花々がきらきらと輝いていた。
なんてまぶしい。
なんて輝かしいのだろう。
春の訪れを感じるこの花が好きだ。

漢字で表わすと、
「福寿草」。
「福寿」は、「幸福で長生き」を意味する。
そういえば、大学時代、サークルには「福寿」という姓の後輩がいた。
今思うと、なんて縁起の良い苗字なんだろう。
会わなくなって、30年余り。
その名の通りの人生を歩んでいることを願う。

フクジュソウ。
私にとっては、「福授草」。
しあわせを授かったような気持ちになれる花。
春が、来る。
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白鳥の季節

2010-03-09 23:08:03 | 自然・季節
2月まであれほどあった今年の雪が、平野部では見事になくなった。
さて、表題の白鳥である。
白鳥で有名と言えば、新潟では阿賀野市の「瓢湖」(ひょうこ)である。
かつて、「吉川さん」という方が餌付けに成功したということが、国語の教科書にも載っていたことがあった。
瓢湖には、冬になると白鳥を見に、日中たくさんの観光客が訪れる。
でも、たいがいの人は、そんなにたくさんの白鳥を瓢湖で見ることはできない。
「なんで白鳥いないの~?」とは、よく聞かれる言葉だ。
そう、湖面に浮かんで餌をもらいに来るのは、カモばっかりなのである。
白鳥は、日中はあまり湖にはいない。
では、どこにいるのか?
どうしても見たい人は、どこへ行けばいいのか?

答えは、簡単である。

「田んぼ」だ。
その周辺、数kmの範囲で、農道を通って田んぼへ行くといい。
広い田んぼの中に、白いかたまりがいくつか点々としているのに必ず出合うだろう。
近づいてみると、それらが動くことが分かる。
動くものたちは、首を「つ」の字に曲げて、田んぼをあさって餌を探しているということがわかるはずだ。
鳥だ。
鳥たちだ。
それらの鳥たちは、サギのように細身ではなく、丸っこい体をしている。
白鳥だ。
まぎれもなく白鳥だ。

そう、白鳥は、日中は湖にはいない。
周辺の田んぼに餌をあさりに行っているのである。
だから、日中、どうしても白鳥を見たい人は、新潟平野の田んぼに行くとよいのである。
農道をドライブしながら周辺を見ると、必ず白鳥が何羽か一緒になって、田んぼで餌を探している白鳥たちに出合えるから。

湖で白鳥を見たい、というわがままな(?)人には、夕方をオススメする。
田んぼへ出かせぎに行っていた白鳥たちが、湖に帰ってくるから。
その帰って来る白鳥たちが、飛びながら湖面に着水する姿は、本当に美しい。
よくぞぶつからないものだと、感心する。
湖水を切りながら、湖に着き、滑るようにしながら泳ぎ出す。
見ものである。

もう少ししたら、白鳥たちも、北へ帰ることだろう。
冬も終わる。
冬の使者も、北へ帰る。

新潟にある、「白鳥のスタジアム」は、それと入れ替わるように、およそ2週間に1度、たくさんの人を迎えてくれる。
東北電力ビッグスワンスタジアム。
アルビレックス新潟の活躍が始まる。
今週の土曜日、ホーム開幕戦である。
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教え子T氏の結婚

2010-03-04 22:24:34 | 「育」業
 教え子のT氏から、招待状をいただいた。
 彼の担任となったのは、今から22年も前になる。彼の年代は、20年前の記念すべき平成初、平成元年度の卒業生である。
 小学校高学年を受け持ったことは、6回ある。子どもから、結婚式披露宴に招かれるのは、そんなに多いものではない。これで10回目である。そのうち招待してくれたうちの4人が、どういうわけか、この代の教え子の男子たちである。
 当時の私の年齢は、31歳~32歳。なんと今回招待してくれた彼と同じ年齢である。
 20年もたっているのに、ましてはるか昔の子ども時代のことなのに…と思うと、恐縮してしまう。

 彼は、3年前、長年の念願がかなって、私と同じように小学校の教師として採用された。まだ教師3年目なのだが、彼は、昨秋の公開研究発表会で授業者となった。いかに担任している子どもたちとは言え、こともあろうに小学校2年生相手の、英語表現の時間である。しかも、発表会の会場は、慣れた自校の自教室ではなく、別な学校の一室であった。
 多少心配しながら、私はその発表会に参加し、「T先生」の英語の授業を見た。
 すばらしかった。杞憂だった。
 「たくさんのくだものの名前を知ろう」という英語学習。なるべく日本語は使わない。ほとんど英語で、小学校の2年生に指示を出す。ちゃんと2年生が答える。はきはきしている。リズムがある。すばらしいテンポだ。英語を教えるにふさわしいすばらしい授業だった。
 もちろん、用意した教材を見ると、準備に莫大な時間をかけたことが分かるものが多かった。しかし、教材は、学級の全員の人数分が用意されていた。一人ではここまでするのは大変だ。 きっと、勤務校の周囲の先生方が手伝ってくれたのだろう。
 学校職員全体の共同研究ではある。でも、職員が皆でよいスクラムを組んでサポートしてくれたからこそ、このようによい授業になっているのだろう。彼を支えてくれている皆さんに感謝したくなった。
 それにしても、彼は、子ども一人一人をきちんと見ていた。いや見取っていた。しっかりとした一人前の教師として授業している「T先生」がそこにいた。
 安心した。私が心配することはない。そう思った。

 その証拠に、この結婚式の日、式が進んだところでサプライズがあった。
 学級の子どもたちが、式場にいっせいに登場したのである。その教え子たちが主役となって、スペシャルな映像と、歌を披露してくれた。
 子どもたちや周囲の先生方、保護者の皆さんと良好な関係が築けてなければ、このような展開はありえない。彼ががんばっているからこそ、手間がかかるのに、このように「すばらしい無形の贈り物」をしていただけるのだと伝わってきた。

 T氏が、高校3年生時、交通事故にあって手術。集中治療室で生死をさまよったことは、初めて聞いた。受験生となる直前のこと。どんなに大変だったことだろう。
 その話をするお父様には、万感の思いがあったに違いない。

 教職をなりわいとする者にとって、教え子の成長こそが、最大の喜びである。
 しっかり成人した。しっかり仕事をしている。しっかり生活している。そして、結婚。言うことはない。
 教師冥利に尽きる、佳き日であった。
 
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