ここから先は、残り6km。
無理をして速く走ってこなかったので、まだ足が軽く感じられた。
残り6㎞と少なくなってきたなら、と少しスピードを上げてみたくなって、一人一人ランナーを抜いて行った。
そこに、ゼッケン「7」で始まるランナーがいた。
それは70代であることを意味するが、どう見ても70代後半の方だ。
ハアハアと音を立てて息を吐きながら、腕を振り懸命に走っている。
抜いた私をさらに抜き返そうとする姿に、感動した。
10年後、こんな走りができたらいいなあと思えた。
16㎞地点で「あと5kmだ、がんばって走れ!」と、強い口調で上から目線で声をかける年輩者を後にすると、遠くダークグレイの空に溶け込んだような、デンカビッグスワンスタジアムが見えた。
「鳥屋野潟公園」の道路標示を見ながら道を曲がると、ここからが悪天候のクライマックスだった。
向かい風がものすごく強い。雨も当たって来る。
なのに、若い女性ランナー2人が、「青春だあ!」などと笑いながら、風に向かって駆けていく姿に若さを感じ、こっちも力が湧いてきた。
オレは若くないけど、まだ力は残っているから、後を追うぞ。
そう思って走ってもその2人からは離されていくのだが、他の多くのランナーを抜いて行くことはできた。
だが、スマホが雨に濡れていうことをきかなくなり、この後ゴールまで写真撮影はできなくなってしまったのは残念だった。
手袋は雨水を吸って冷たくなり、ぎゅっと力を入れて握り、何度も水をしぼり出した。
シューズは水びたしになり、ぐちゅぐちゅで冷たい履きものになっていた。
だけど、この悪天候の強風雨に立ち向かって走っている自分を、なんだか誇らしいような気分になる私だった。
残り2km半を切って、ようやく向かい風の道に別れを告げることができた。
冷たい雨や風に当たり続けて、脚が棒のようになっているのを感じた。
そのうえ右膝の下に違和感もあるが、まだ走れる。
自分と同じ60代を示すゼッケンを抜くのはいいが、抜かれるのは悔しい。
残り2km。ラストスパートに移ろうかと思ったのに、凍った棒のようになった脚は、力を入れたらふくらはぎがつりそうになった。
そうか。残り4kmからここまでの悪条件下の奮闘で、最後の力も使い果たしてしまったか。
つらない程度に気をつけながら、道路からスタジアムへの道に入っていった。
残り1kmを切ったところで、知り合いの40代ランナーのお母さんが、私の名前を呼んで応援してくれた。ありがとう。
あとで調べてみると、その息子は1時間35分でゴールしていたのは、さすがだね。
ガード下からスタジアム前の広場を走って行くと、先に終わったランナーが「アルビがんばれ!」と私のユニを見て励ましてくれた。
こぶしを握って、腕を掲げ、「ありがとうございますっ!!」と叫んだ。
Nスタンド入口脇を通って、入場ゲートをくぐり、トラックの最後の100メートルは、ラストスパートしたくなり、何人かを抜き、ガッツポーズでゴール。
頭上のビジョンには、代わる代わるゲストランナーがあいさつする映像が流れていた。
場内を約半周しながら、フィニッシャーズタオルをもらい、ランナーズチップを外してもらい、最後に完走賞のおにぎりとルレクチェグミと水をもらって場外へ出る。
手荷物受取場は2階なのだが、棒の脚は一段ごとに筋肉痛と関節痛を感じさせ、階段を上るのがきつかった。
手荷物を受け取った後、着替えるより先に、冷え切った体を温める温かいものがほしくて、無料振る舞いの列に並んだ。
最初は切り餅、次は鶏白湯。
どちらも長い長い列だったので、並ぶ間にすっかり体が冷え切ってしまい、何度もガタガタ震えた。
そこでもう一度Yさんと会え、悪天候下の健闘をたたえ合った。
あとで彼は私よりも10分程度早くゴールしたらしいと知った。
ラーメンの温かいスープはとてもうれしくありがたかったが、冷えた体には量が足りなかった。
食後急いで着替えたが、体の震えは簡単には止まらなかった。
息子と会うと、
「凍死しそうなくらい寒かった。特にゴールした後。」
と話しながらも、練習不足でも走り切れたことを互いに喜び合った。
「暑さ寒さも彼岸まで」というのに、彼岸の中日、酷寒の大会となった。
雪こそ降らなかったが、低い気温の中、冷たい雨と風に打たれながらも、悪天候に負けずに走り切れた自分のことがとてもうれしかった。
それができたのは、こんな悪天候でも開催してくれた大会スタッフのおかげ。
そして、雨風で寒いのに、沿道で温かい声援を送ってくれた皆さんに、心から感謝したい。
お世話になりました。ありがとうございました。
(おわり)