ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

懐かしの「昭和のサムライたち」

2014-08-28 18:37:16 | うた
昭和50年代に学生だった自分にとって、そのころの歌というのは、特別な味わいがある。
結構マイナーなものが入ったアルバムでも、CDで一度は復刻されているのだが、残念なことに一度もCD化されていないものもある。
また、ベスト盤くらい出ていてもよさそうなものなのだが、本人の意思なのか、出ていない。
そんな歌い手もいる。
その一人が、中沢厚子さんである。

エレックレコードから出たデビューアルバムは、CD化されて世に出ている。
が、CBSソニーで出たセカンドアルバム「昭和のサムライたち」は、CD化されていない。

軽快なイントロから、「あなたは昭和のサムライよ。刀代わりにペンを持っている。」と歌い出す「昭和のサムライたち」。
また、NHK懐かしの「あなたのメロディー」で好評を博しシングルレコード化された「私の街酒田」という佳曲もあった。
今でも時々は聴きたくなることがある。

ずうっと聴きたいなあと思っていたのだが、CDは発売されないままである。
レコードならCD化できる機器は購入済みなのだが、「昭和のサムライたち」や「私の街酒田」は、レコードも持っていない。
ただ、学生時代に、FMラジオ放送から録音したカセットテープが残っていた。
NHKで「昼の歌謡曲」という番組があり、12:15から特集された時の中沢厚子さんの曲である。
最近は、1万円~2万円台で、レコードもカセットテープもデジタル化できるステレオなども出ている。
ただ、「万」の金をかけるのもなあ…と思っていたのである。
すると、最近は、カセットテープ・コンバーターなるものがあるということを知った。
5000円近くのものもあるが、2000円台のものもある。
試しに購入して見たら、ネットの品評に合った通り、壊れやすかったり、再現する音がひずんだりして、不良品をつかまされた感じであった。
仕方がないので、また類似品を購入。
今度は、なんとかうまくいった。

昔の普通のテープからの録音であり、あまりいい音ではないが、デジタル化することができた。
中沢厚子さんのラジオからテープに録音した曲が、CDで聴けるようになった。
音質はよくないが、「昭和のサムライたち」「私の街酒田」「いつかある日」などが懐かしく聴けている。

「昭和のサムライたち」を初めて聴いた頃は、自分は大学浪人中だったはず。
自分で決めたとはいえ、自宅浪人でつらい毎日を送ったのであった。
まさしく「昭和浪人」だったのだ。
「心の底から許し合う 女の人もいつか会えるわ」なんていう歌詞に希望を持っていた(?)あの頃であった。
様々な懐かしい浪人~学生時代の思い出もよみがえってきたのであった。

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娘よ(54)

2014-08-27 18:22:33 | 生き方
日没が早くなった。夏も終わりが近いことを感じさせる。
娘にとっても、私たちにとっても、淡々と毎日が過ぎていく。

再転院後、娘は、日曜日に今月4回目の試験外出を終えた。
幸い体調不良を訴えることはなく、落ち着いていると言える。
最近は、歩行訓練や足腰を強化するトレーニングを入れてもらっているので、試験外出して家で過ごした時、茶の間で立ち上がったりしても、ふらつくことは少なくなった。
だが、まだ足元がふらついたり、ふいに足をひっかけたりすることもある。
油断はできないのである。
ただし、歩く姿は、発作の起きた7月に比べだいぶよくなった。

しかし、記憶障害の改善は、なかなか難しいと感じている。

帰宅途上、道路の両側に見かける店が、なくなったとか、できたとか話すことがあるのは相変わらずである。
毎度同じ場所で同じことを言う。
本人に記憶が積み上がらないから、毎回「新しい発見」のつもりで口にするという訳だ。

日曜日は、家で、高校野球の準決勝をテレビ観戦した。
新潟県代表の日本文理高校を応援したのだった。
残念ながら、5年前の再現の決勝進出とはならず、三重高校に0-5で苦杯を喫した。
家族一緒にテレビを見たのだったが、このことを後で聞くと、負けたことは合っているのだが、0-2で負けたのだと言っていた。

夕方、病院に送って行き、エレベーターの前で、行く階のボタンを押させた。
娘は、私の顔色をうかがいながら、自分の病室を2階だと思って押した。
エレベーターの扉が開き、求めているのと違う景色だったので、次には「3」を押した。
求めているのと似ている風景だったが、正面の部屋が違っていると思ったらしい。
次には、「4」を押したのだった…。

夕食を終えて、歯磨きやら洗顔やらをやっている姿は、普通の人とまったく同じなのだ。
だが、記憶や、場所、日時の認識がままならない。

最近は、家に帰りたがることが多くなってきている。
OT、ST、PT。今の病院で、様々なリハビリを行ってもらえるのはいいのだが、記憶障害の目立った改善が見られないのが、残念なところである。
われわれは、娘に痙攣の不安が少なくなれば、あとは、退院させ自宅で暮らすことを考えたいと思っている。
すでに、妻は、仕事を辞める心の準備ができている。
職場側でも事情は分かっていて、やむをえないと考えてもらっている。
今後、日中の外出から、試験外泊を経た後、特に何もなければ、その態勢を整えようかと家族で話し合っている。

今日は、夏の終わりを感じさせるに十分な、涼しい、肌寒ささえ感じさせる夕方であった。
季節も変わろうとしている。
娘の環境も、新たな展開に向けて、変えていく準備を始めるのが適切なのかもしれない。
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なぜか今頃咲いたキリンソウ

2014-08-19 22:58:21 | 草木花

数年前に、山村部の道を車で走っていたら、せっかく咲いているのに、他の雑草とともに、咲いているキリンソウが、刈られていた。
もったいないなあ、と思った妻が、茎から刈られたものを何本か拾って、家に持ってきた。
飾るだけでなく、植木ポットに植えたら、根付いたのだった。
例年6月から7月にこの花は咲いているのだが、残念なことに、わが家のキリンソウは、その後まったく咲かないまま4,5年が経過したのだった。
今年も、よそでは咲いているのに、わが家では咲かなかったなあと思っていた。
そしたら、なんとなんと、盆前になって1本、花を咲かせ始めた株があった。


キリンソウ。
調べてみると、一般には、「麒麟草」と書く。
「黄輪草」とも書くそうだ。
私が勝手に名付けた、「地上の星」、マンネングサの花とよく似ている。

しかし、この肉厚な葉は独特な感じがする。

サボテンの仲間に近いような気もする。
ベンケイソウ科マンネングサ属。
なるほど。確かにベンケイソウも葉は分厚かったなあ。

ツルマンネングサやコモチマンネングサも、もう少し早い時期、梅雨の頃に咲いていたはず。
ちょっとした狂い咲き?
ひょっとして、梅雨の時期に咲くのに、今年の夏は、雨が多かったから、梅雨と間違えて花が咲いたのだろうか?
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50代は人生のかなり後半に近くなっていることを実感した

2014-08-15 23:03:39 | 生き方
50代。
この盆でまた、50代がかなり人生の終盤に当たるのだということを様々なところから思い知らされた気がしている。

今年もまた、7年前急に亡くなった、高校時代の同級生のOのところに盆の水あげに行ってきた。
仏壇のOの写真は、本当に若く見えた。
亡くなったばかりの頃は、そうは見えなかった。
今は、ずいぶん年の離れた弟くらいの感じに見えてしまった。
彼の奥さんは、かつて私の母が入院していた時に同じ病室でベッドが隣同士だったことがあった。
おしゃべりなうちの母は、つれあいの夫(私の父)を突然亡くしたことや、私がどうしようもない情けない存在だったことなど、あることあること皆話したらしい。
だから、Oの奥さんは、「あの時50foxさんのお母さんが、突然未亡人になって困ったことを聞いていたけど、その後で、まさか自分が同じように突然未亡人になるとは思わなかったわ。」「あの時、そうなるとわかっていたら、もっともっと話をよく聞いておけばよかった、と何度も思った。」などという話を今日もしてくれた。

今年の盆は、昨秋亡くなったMの新盆である。
Mの家も初めて訪ねた。
3人残された娘がいるが、長女がしっかり応対してくれた。
近いうちに、勤務している大阪で結婚するとのこと。
彼女の叔母さんに当たる、Mの妹さん、そしてMの奥さんも途中から出てきて、いろいろと話してくれた。
Mと私の共通の高校時代の同級生だった、Cがガンで入退院を繰り返していること、新潟市の病院で診察してもらったら、やはり私たちの同級生に当たるTが定期的に点滴に訪れているらしいこと、Kは、自分だけでなく奥さんも突然倒れて介護が必要なこと……。
私の同級生たちは、すっかり具合が悪い人だらけになっていた。
人の話すことではあるけれど、単なるうわさだけではないことは伝わってきた。

突然、大学時代の「相棒」を喪ったという話も聞いた。
切ない話であった。
かける言葉も見当たらない。
ただ、OやMの奥さんに告げてきたのだが、「遺されたわれわれは、無理しすぎずに、元気に生きていきましょう。」と、言うばかりである。

娘の入院で、病院に入院している患者さんたちをたくさん見てきた。
その多くが、突然のことで倒れて自由に動けなくなった人たちである。
今日も、OやMの奥さんたちと話してきたが、皆、自分に突然の悲劇が起こるなんて考えてもいなかったことなのである。
まさか自分にそんなことが起こるはずはあるまい、と思っていたことが起こるのである。
「だから、人生って、やっぱりつらいことがおおいのですね。」
とか、
「でも、生きていかなくちゃいけないものね。」
などの言葉が、実感を伴って迫ってくる。
私も、父母や義父母を喪い、娘が去年からこの状態だ。
いつ、何が起こるか、本当にわからない。
だからこそ、今、やれることをやって、懸命に生きていくしかない、と思うのだ。

「まさか」がいつ、どんなことで訪れるか、わからない。
だけど、恐れていても仕方がない。
まず、前を向こう。
無理せずに、そして元気に、未来に向かって生きるのみである。
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アイシテル、川又。アイシテル、本間。~新潟のサポーターが抱えるジレンマ

2014-08-12 23:18:48 | アルビレックス新潟
W杯が終わって、待望のJ1リーグが再開したのだが、わが新潟は、5戦連続1-0の試合ばかりである。
これが、すべて勝利なのなら問題はないのだが、そう都合のよいものではない。
★0-1 浦和
★0-1 東京
★0-1 川崎
☆1-0 セ大阪
★0-1 神戸
1勝4敗である。
J1中断前は、2敗しかしていなかったのだが、一気の負け続きである。
5試合で、失点4は悪くはない。
しかし、得点は、5試合でわずかに1点のみ。
これでは勝てない。
深刻な得点力不足である。

そこへ、今日の2つの移籍情報である。
川又堅碁 名古屋へ完全移籍。
本間 勲 J2栃木へ期限付き移籍。
新潟のサポーターなら、2人とも大好きな選手である。

川又は、昨季、J1で得点ランキング2位の23得点を挙げている。
新潟待望のストライカーであった。
W杯日本代表候補選手でもあった。
今季の大活躍が期待された。
それが、今季中断前までわずか3得点であった。
中断後は、まったくベンチ入りすらしなくなってしまった。
チーム上層部と何らかの確執があったことが憶測された。
そして、今日はついに、名古屋への完全移籍が発表されてしまった。

本間は、新潟県胎内市出身。
地元新潟県出身だけに、「ミスター・アルビレックス」と称された選手である。
長く主将も務めていた。
J2からJ1へ新潟が昇格する前から所属し、新潟のJ1の歴史をすべて知っている選手であった。
そのたたき上げの本間が、昨年そして今年と起用される試合が激減していた。
最近は、ベンチ入りだけはしているが、交代出場することは天皇杯での試合1試合のみ。
しかも終了直前の2,3分だけであった。
新潟県出身で、新潟にしか所属したことのない選手だから、もう新潟を離れることはないと思っていた。
しかし、選手として生きるための決断をした。

2人とも言っていることは、共通している。
「試合に出たい。」
選手である以上当然のことである。
しかし、起用してもらえない。
選手の時代はそう長く続かない。
若いときだけである。
試合に出たいのに出られない。
このジレンマは、相当のものがあったのだろう。

そして、もたらされた今日の報せ。
2人の移籍。

新潟のサポーターにとってみると、新潟には強くなってほしい、と思う。
お気に入りの選手には、試合に出て活躍してほしい、と思う。

新潟が強くなるために、次々と新しい選手が入ってきている。
そのために、出ていかざるを得なくなっている選手たちもいる。
シーズンが始まってから、何人の愛すべき選手たちが出て行ってしまったことだろう。
これも、サポーターにとって、チームが強くなるための耐えなければならない試練なのだろうか。
お気に入りの選手たちが活躍して、勝ち続けるのが最もよいのだが、なかなかそううまくはいかない。
地元のチームが勝つために、チームを応援する。
それは当たり前のこと。
だが、長い間応援し続けていた選手たちがチームを去ってしまうのは、身を切られるように痛く感じるのだ。
今、多くの新潟のサポーターたちは、そんな気分にさいなまれていることだろう。

アイシテル、新潟。
アイシテル、川又。
アイシテル、本間。

短い選手生活だ。
充実させて、活躍してほしい。
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慌ただしい毎日が続くなあ…

2014-08-10 21:30:12 | 生き方
あっという間に8月になり、もうすぐ盆を迎える。

仕事が終わってから娘の病院に向かって車を運転する。
すでに、夕陽が沈もうとしていることが多い。
ここのところは、車のライトをつけなくてはならなくなっている。
日没が早くなってきた、と思っていたら、立秋も過ぎたという。
どうしてこんなに余裕がないのだろう、と思うくらい、毎日が慌ただしく過ぎていく。
学校が夏休みになっても、私たち働く者には意外と余裕がない日々である。
毎日のように、外で内で、何かと仕事がある。
それどころか、夕方、勤務時間終了後になっても、なかなか仕事の話が終わらない。
それらを終えて、というよりどこかでなんとか切り上げて、家に向かって車を走らせる。

夏で地面がすぐに乾いてしまうもあって、家では、庭の植物に水をやらなくてはいけない。
少なくとも、ミニトマト、オクラ、ナス、ピーマンなどの野菜は枯らすことができない。
水やり、風呂洗い、干した洗濯物の取り込みなどをバタバタと行って、汗をかきかき再び車に乗る。
夕方で混んでいる道路を、娘の病院に向かって走る。

病院に着くと、最近は7時を大きく回っていることが多い。
そこで、娘に会って、1時間近く前から先に病院に寄っていた妻と交替する。
娘と今の貴重な時間を過ごす。
とんちんかんな会話になることもあるが、この時間が一日で一番リラックスできる時である。
8時までが面会時間なのだが、少し過ぎるくらいまで病室にいた後、娘の「気をつけて帰ってね。」を聞いて、家への帰路につく。

9時前に夕食を食べ始め、終えると、茶わんや皿を洗う。
10時を過ぎて、風呂あるいはシャワー。
その後、寝ることになる。
暑くて寝苦しい日も多い。
枕やシーツが汗臭く感じてしまう日もある。

夜は窓を開けたまま寝るが、朝は、新聞配達のバイクやカラスなど鳥のやかましい鳴き声、朝の早い近所の人の声などで、目覚めさせられてしまう。
やがて起き上がって、また仕事に出かけるための新しい1日が始まる。

そんなことで、1日1日が、風のように過ぎ去っていく。
吹き流されている感じのする、8月である。
ようやく明日から4日間の夏の休みが取れる。
と言っても、わが家で休みは私だけ。
妻も息子も、盆も仕事だ。
明日から4日間、家事も私の仕事になる。
盆の準備と、寺や親戚回り、新盆を迎えた昨年亡くなった友人宅への水あげなどで慌ただしい毎日になりそうである。
やはりゆっくりは休めそうにない、か……???

まあ、いいや。
慌ただしいと思う。これが生きてるってことだな、きっと。
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娘よ(53)

2014-08-09 13:18:41 | 生き方
現在の病棟には、車椅子で生活する方が多い。
概して、中高年の方が多い。
中高年でなく、車椅子もいらない娘は、珍しい存在である。
結構、その動きは目立つ。
慣れないうちは、場所の認識がしっかりしていないから、足元をふらふらさせながら迷って歩いていたのだった。
だから、医師や看護師たちは、転倒したら大変だと、私らからすると「異常に」心配していたのだった。
だから、ベッドのそばに踏んだら看護師に連絡の行くマットが敷かれてしまったのだった。
だが、娘は、それを踏むと看護師が駆け付けてくるということを知っているものだから、面倒を感じるようだ。
そのマットをまたいだり、ぴょんと飛び越えたりして、マットに上がらないようにして生活していたくらいだった。
だから、それに失敗して逆に転んでしまったこともあった。
明らかに逆効果である。

医師と家族の面談で、けいれんを起こさないように、刺激を与えないよう気を付けながら、娘のリハビリを進めていくことになった。
日に3回のリハビリにも慣れてきたようである。
OT,PT,STと、3種類のリハビリがあるが、今は、足元のふらつきをなくせるように、足腰を重点的に鍛えるようなことをたくさんしてもらっている。
PTでは、自転車こぎなどもしているらしい。
OTであっても、歩行練習も入れているようだ。
そのことがわかるのも、病院の方で、スケジュールファイルを用意してくれているからだ。
毎日毎日、その日の予定がA4判1枚の紙に、時間ごとに書いてある。
スケジュールを考えて行動できるように、したことがわかるように、と配慮がなされている。リハビリやおやつの内容などについても、書き込めるようになっている。
リハビリがない時間も空欄となっているので、したことがあれば書き込める。
だが、少し時間がたつと忘れてしまうことには変わりはない。
しかし、私たちが病室を訪れ、そのファイルをのぞきこんで、「○○したの?」と聞くと、「うん、したよ。」と言って話ができる時もあるようになってきた。

娘は、やっとこの病院の生活に慣れてきたというところである。
まだまだ、日に2回も下着を取り換えたことを忘れてしまうのだけれども、少し元気でいることを喜びたい。
明日は日曜日。家への一時外出ができそうだ。
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