昭和50年代に学生だった自分にとって、そのころの歌というのは、特別な味わいがある。
結構マイナーなものが入ったアルバムでも、CDで一度は復刻されているのだが、残念なことに一度もCD化されていないものもある。
また、ベスト盤くらい出ていてもよさそうなものなのだが、本人の意思なのか、出ていない。
そんな歌い手もいる。
その一人が、中沢厚子さんである。
エレックレコードから出たデビューアルバムは、CD化されて世に出ている。
が、CBSソニーで出たセカンドアルバム「昭和のサムライたち」は、CD化されていない。
軽快なイントロから、「あなたは昭和のサムライよ。刀代わりにペンを持っている。」と歌い出す「昭和のサムライたち」。
また、NHK懐かしの「あなたのメロディー」で好評を博しシングルレコード化された「私の街酒田」という佳曲もあった。
今でも時々は聴きたくなることがある。
ずうっと聴きたいなあと思っていたのだが、CDは発売されないままである。
レコードならCD化できる機器は購入済みなのだが、「昭和のサムライたち」や「私の街酒田」は、レコードも持っていない。
ただ、学生時代に、FMラジオ放送から録音したカセットテープが残っていた。
NHKで「昼の歌謡曲」という番組があり、12:15から特集された時の中沢厚子さんの曲である。
最近は、1万円~2万円台で、レコードもカセットテープもデジタル化できるステレオなども出ている。
ただ、「万」の金をかけるのもなあ…と思っていたのである。
すると、最近は、カセットテープ・コンバーターなるものがあるということを知った。
5000円近くのものもあるが、2000円台のものもある。
試しに購入して見たら、ネットの品評に合った通り、壊れやすかったり、再現する音がひずんだりして、不良品をつかまされた感じであった。
仕方がないので、また類似品を購入。
今度は、なんとかうまくいった。
昔の普通のテープからの録音であり、あまりいい音ではないが、デジタル化することができた。
中沢厚子さんのラジオからテープに録音した曲が、CDで聴けるようになった。
音質はよくないが、「昭和のサムライたち」「私の街酒田」「いつかある日」などが懐かしく聴けている。
「昭和のサムライたち」を初めて聴いた頃は、自分は大学浪人中だったはず。
自分で決めたとはいえ、自宅浪人でつらい毎日を送ったのであった。
まさしく「昭和浪人」だったのだ。
「心の底から許し合う 女の人もいつか会えるわ」なんていう歌詞に希望を持っていた(?)あの頃であった。
様々な懐かしい浪人~学生時代の思い出もよみがえってきたのであった。
結構マイナーなものが入ったアルバムでも、CDで一度は復刻されているのだが、残念なことに一度もCD化されていないものもある。
また、ベスト盤くらい出ていてもよさそうなものなのだが、本人の意思なのか、出ていない。
そんな歌い手もいる。
その一人が、中沢厚子さんである。
エレックレコードから出たデビューアルバムは、CD化されて世に出ている。
が、CBSソニーで出たセカンドアルバム「昭和のサムライたち」は、CD化されていない。
軽快なイントロから、「あなたは昭和のサムライよ。刀代わりにペンを持っている。」と歌い出す「昭和のサムライたち」。
また、NHK懐かしの「あなたのメロディー」で好評を博しシングルレコード化された「私の街酒田」という佳曲もあった。
今でも時々は聴きたくなることがある。
ずうっと聴きたいなあと思っていたのだが、CDは発売されないままである。
レコードならCD化できる機器は購入済みなのだが、「昭和のサムライたち」や「私の街酒田」は、レコードも持っていない。
ただ、学生時代に、FMラジオ放送から録音したカセットテープが残っていた。
NHKで「昼の歌謡曲」という番組があり、12:15から特集された時の中沢厚子さんの曲である。
最近は、1万円~2万円台で、レコードもカセットテープもデジタル化できるステレオなども出ている。
ただ、「万」の金をかけるのもなあ…と思っていたのである。
すると、最近は、カセットテープ・コンバーターなるものがあるということを知った。
5000円近くのものもあるが、2000円台のものもある。
試しに購入して見たら、ネットの品評に合った通り、壊れやすかったり、再現する音がひずんだりして、不良品をつかまされた感じであった。
仕方がないので、また類似品を購入。
今度は、なんとかうまくいった。
昔の普通のテープからの録音であり、あまりいい音ではないが、デジタル化することができた。
中沢厚子さんのラジオからテープに録音した曲が、CDで聴けるようになった。
音質はよくないが、「昭和のサムライたち」「私の街酒田」「いつかある日」などが懐かしく聴けている。
「昭和のサムライたち」を初めて聴いた頃は、自分は大学浪人中だったはず。
自分で決めたとはいえ、自宅浪人でつらい毎日を送ったのであった。
まさしく「昭和浪人」だったのだ。
「心の底から許し合う 女の人もいつか会えるわ」なんていう歌詞に希望を持っていた(?)あの頃であった。
様々な懐かしい浪人~学生時代の思い出もよみがえってきたのであった。