ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

ムラサキサギゴケとサギゴケ

2015-04-28 21:09:15 | 草木花
こうして草花についてのジャンルを設けているが、基本的には山野草を取り上げていきたいなと思って始めたのであった。
取り上げるものは、結構雑草も多いのだが、雑草っぽいものであっても好きな花がいくつかある。
その中で、最初に好きになったのは、これである。

ムラサキサギゴケ。
形が不思議にかわいい。
鳥が飛んでいるような形である。
春に咲くこの花は、草はらでまとまって咲いていることがある。
そうすると、そこだけ明るい紫に包まれ、華やかに感じられ、好きであった。

ある時、道端に、明らかにこの花なのだと思うのだが、色が異なるものを見つけた。

白いのである。
だから、ムラサキをつけないで、こちらの花の方は、単なる「サギゴケ」と呼ぶこともあるのだそうだ。
確かに、色がムラサキがついていないだけだから、「ムラサキサギゴケ ― ムラサキ = サギゴケ 」と言える。

春になり、様々な花が咲くようになり、またムラサキサギゴケの花を多く見られる季節になった。
うれしいなあ、と思っていたら、わが家に近い公園のブランコの脇に、ムラサキサギゴケとサギゴケが一緒になって咲いていた。

うれしくなった。
久々に「サギゴケ」の方を見られて、気持ちが安らいだように感じた。



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娘よ(71)

2015-04-23 21:32:54 | 生き方
そうかあ。
娘が退院(転院)してから今日で1年になる。

倒れてから11か月も入院した病院から転院した日から、ちょうど1年だ。
入院は、普通、半年以上続けないものなのだが、娘の場合は症状が改善しなかったために、長いこと入院を続けたのであった。
1年前の4月初旬、突然点滴が外され、そしてその3週間後、退院―転院となった娘だった。

よいことなのか悪いことなのか、娘は、入院していたことを全く覚えていないのだそうだ。
でも、看護師のOさんとかIさんとかのことを聞いてみると、覚えていると言う。
「OさんやIさんのことを知っているのは、入院したからだよ。OさんやIさんは、看護師さんなのだから。」
と言うと、
「そういうことか…。」
となる。

先日、数年前娘が好きだったJUJUというシンガーの「桜雨」という歌を流し、「おまえ、この歌が好きだったよなあ。」と言ったら、「そうだっけ…?」と言っていた。
10年ぐらい前のことは結構よく覚えているが、2,3年前のことは完璧に忘れてしまっているものが多いのだ。

記憶力は回復していないが、最近は、妻が娘に少し台所仕事の手伝いもさせてみている。
ゆで卵の皮むきとか、大根おろしとか、ご飯の盛り付けとか…。
もともとは、私以外の3人分の昼食を毎朝作っていた娘である。
台所仕事も、本来は苦手ではなかったのである。
ただ、両手に物を持ったり、しようとすることが多くなったりすると、混乱してしまい、うまくできないことが多い。
そんな様子だが、家事も、少しずつでもやれることがあるのはいいなあ、と思う。

退院(転院)から、1年。
娘の症状は、決してよくなってはいない。
でも、穏やかに日々が過ぎていることだけは、うれしいことだなあと思っている。
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折れてもそこで終わりじゃない、咲ける!~チューリップ

2015-04-20 21:46:20 | 草木花
チューリップが咲いて、びっくりした。


普通は、チューリップが咲くだけでびっくりはしない。
まさか咲くとは思わなかった。
水の入ったコップにさされた20㎝弱の1本のチューリップ。
実は、このチューリップは、前日会った1年生くらいの子が、
「学校に来る途中に落ちていたから、拾ってきたんだよ。」
と言って、茎から折れたものを、私に手渡したものだったのだ。

【イメージ】

まだ青く堅いつぼみのチューリップ。
もらったものの、さすがにこれはこのままで腐っていくのだろう、咲くことはないだろうと思っていたのだった。
それが、1日たったら、翌日なんとつぼみが赤らんで色が濃くなり、なんとつぼみを開いて花を咲かせたではないか。
びっくりした。
チューリップの、植物の生命力のすごさを感じた。

「心が折れそうになる」とはよく言われる言葉だが、このチューリップは、折れそうになるどころか、折れてしまっていた。
なのに、青く堅いつぼみから、一気に花を咲かせてみせた。
さらに、3日ほどたってから見ると、まだ咲いている。
しかも、花は大きくなり、背丈も伸び、茎もひと回り太くなっていた。


折れてもそこで終わりではない。
折れてもまだ続きがあるんだよ。
折れても大きくなれるんだよ。
くじけているだけじゃいけないんだよ。
そんなことを教えてくれた、1本のチューリップ………。


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娘よ(70)

2015-04-14 21:11:34 | 生き方
娘は、無事に春を迎えた。
昨年11月に一度けいれんの発作はあったものの、幸いその後は起こっていない。
なるべく頭や体に過重な負担がないようにと、自宅で妻が配慮しながら付き添って過ごしているところが大きい。
相変わらず薬の量が多いので、娘はしきりに眠りたがる。
無理に寝せないでいるのも、身体的に負担になるのではないかと考え、午前中1時間、午後からも1時間余りの昼寝をさせて、体が休むようにしている。
また、9月には入浴中に倒れてけいれん発作に至ったものだから、本人はゆっくり風呂につかりたいらしいが、現状まだ不安があるので、湯船につかることはさせず、シャワー浴だけにしている。

 体への負担があまりないようにと配慮はしているが、その分困ってしまっているのが、体重の増加である。
娘が病気になる以前は、娘と私には35kgほどの体重差があったが、今は、その差は、約12kgほどになっている。
私が約5kgやせて、娘が約18kg太ったからにほかならない。
この体重増をなんとかしたいものなのだが、なかなか簡単ではない。
何せ、早く歩いたりすると足がもつれる可能性もあり、過重な運動をすると疲れから発作が起こるのでは、という懸念があるから、あまり運動をさせたり体を動かさせたりしないようにしているのだ。
春になったら、もっと体を動かさせようか、と考えていたのだ。
例えば、時々はもっと散歩させようなどと考えてはいたのだが、今それを難しくしているのが、娘の体質だ。
花粉症。
毎日マスクをつけ、鼻にティッシュを詰め込むようにして暮らしている。
だから、天気がいいからといって、うかつに外へ出るわけにはいかないのだ。出ると、花粉症の症状が悪化してしまう。

そんなわけで、家でぼうっとしていることの方が多い。
あれをしよう、これをしようという気にはならず、せいぜいナンプレ(数独)のレベル1とか2の簡単なものを解いて過ごしている。
精彩のない毎日の繰り返しの中で生きているせいか、記憶の障害は改善しない。
 野球を見ては、
「マー君って、アメリカに行ったんだ。」
「黒田って、いつ広島に戻ったの。」
「井端って、中日じゃなかったっけ?」
 サッカーを見ては、
「東口は、ガンバに戻ったんだ!?」
「ミシェウさんがいない。」
「三門は、どこに行ったの?」
…などのことを何度口にしたことか。

 妻が、「歯磨きしたら、パジャマに着替えだよ。」と伝えたばかりなのに、聞いたことをすぐに忘れてしまい、歯磨きせずに着替えてしまったり…。
 そんな娘に毎日付き添っている妻だから、娘の状態がちっとも上向かないことにいらいらしてしまうことが多くあるようだ。
 私は、日中仕事をしているから、娘と一緒の時間は朝晩のわずかな時間しかない。
 それに比べて、一日十娘と一緒の妻は、何度言っても同じミスの繰り返しだから、娘に対する口調が荒くなることもあるのだ。
 そうされると、娘にとっては、「怒られている」感覚になるようだ。
 花粉症、健忘症、体重上症(上昇)が現状の娘を表す病である。

 …こんなふうにしながら、家の中で、妻と娘の変わらぬ毎日が繰り返されている。
 でも、一年と少し前は、娘は入院中で、けいれん止めの点滴が手放せずにいたのだった。
 それを思えば、今は自宅で過ごせるのだから、そこのところはよしとしたい。

 今日は、夕食の終わるころ、娘の箸の動きが止まったので、「どうした?」と思い、声をかけた。
 すると、顔の右側がしびれたような感じになったのだそうだ。
 急いで、夕食を平らげるよりも夕食後に服用する薬を飲むことを優先させた。
 ずっと娘の行動を注視していたが、幸いその後は何ともなく過ごすことができ、ホッとした。
 どうか、まずはこのままけいれん発作が起こらないでほしい。
 そして、少しでも記憶が残るようになり、体重減のための行動ができるようになるとよいのだが…。



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3年ぶりに参加も、散々~笹川流れマラソン大会~

2015-04-05 21:21:46 | RUN

笹川流れマラソンって、どうして毎年天候に恵まれないのだろう?
3年前に初参加した時は、横なぐりの雪も降った。
2年前は、爆弾低気圧の来襲によって、大会そのものが中止となってしまった。
去年は、私は膝が痛くて参加申し込みをしながら、走らず棄権。しかし、参加した息子は、雨や向かい風が強かったと言っていた。
そして、今年も、小雨の中のレースとなった。
今回の目標は、あまり無理をせず完走し、2時間を切ってゴールすること。
だいたい、1kmを5分45秒くらいで走れれば達成できるはず。
そして、ゴール手前の急坂を休まず走り切ること。


さて、いよいよレースが始まった。
足元に距離表示がないものだから、どのくらい走ったのかわからないまま。
やっとわかったのは、3km地点。
3kmで17分03秒。
1kmあたり5分41秒。
だとしたら、まあまあよい調子。
その後も、ほとんど5分30秒台で走っていけた。
そして、折り返し地点へ。
そこの手前で、すでに折り返した村上元旦マラソンで最後に抜かれたSNさんや胎内市ロード大会で抜いて行かれたSさん、そしてわが息子とすれ違う。
意外と皆、私より5分以上早いのだ。
後半巻き返そう、疲れていないし…。
そう決意したのであった。

するとその時、今の職場で知り合って間もない職員が声をかけてくれた。
うれしいなあ。
ただ、2人とも、2日前の職場の歓迎会で2次会まで行って、しっかり飲んでいたのだった。
私は、その影響で、昨日は立派な二日酔い。
気持ち悪さに、頭痛にと、困ってしまっていたのだった。
「まあ、自分のペースでがんばりましょう。」
そう言って、彼より早く走り出したまではよかったのだが…。

まもなく足が動かなくなる。
自分でもスピードが出ないことが分かる。
17kmではキロ6分20秒。
次の2kmは、12分55秒。
この辺になると、後ろから来て、抜いていく人たちがたくさんいた。
それが悔しいことに、年輩の方々ばっかりなのだなあ。
自分は悲しいことにラストスパートもきかない。
最後の2kmでは、ラストの「ま坂」(魔坂?まさか?)の影響もあり、14分5秒もかかってしまっていた。
今回は、「ま坂」で歩いたり止まったりはしなかったけど、ここでも歩くように走っている若い女性が、懸命に走る私をあっさり抜いていった。
やっとのことで、ゴール!


2時間5分台の記録は、南魚沼グルメマラソンに次ぐ悪記録。
2時間切りはならなかった。
50歳代の参加者331人中200番台。
う~ん。まあ、仕方ない。
実力はこんなもんだ。
走った後、あおさ汁を飲んで

温まったが、すぐに震えがきてまた寒くなってしまった。

でも、天は、落胆した私にラッキーを与えてくださった。
レース後配られたスポーツドリンクの缶の裏に番号が書いてあると当たりなのだという。
あったじゃないか!!?

6番は、高級な塩。
帰りの店で見たら、490円もしていたぞ。
よかったなあ、レースはダメでも塩を手に入れることができたぞ、と。

そして、驚きは、近くのがけの斜面に、カタクリの花が、もう咲いていたこと。

雨なので、ちゃんと開いていなかったけど。
そして、黄色いリュウキンカと思われる花が、あちこちの民家の軒先に咲いていた。


そんなことで、天候も成績も散々なRUNになったが、景品の当たりと久々の花にいやされた、笹川流れマラソン大会であった。
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