ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「その日のまえに」を読む

2016-06-28 17:09:42 | 読む


年に1度の人間ドックに行って来た。

こんな時でもないと、じっくりと本が読めない。
いつもなら内田康夫のトラベルミステリーとなるのだが、今回は買ったまま読んでいなかった本にした。
「その日のまえに」(重松清;文春文庫)がその1冊。
(後で調べると、知らなかったが、テレビ化・映画化もされた作品であった。)

この作品は、7つの短編で成っている。
「その日のまえに」は、後半の3作「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」が連作で、それを除くと、単なる短編集だと思っていた。
ところが、「その日のまえに」の前の4編の作品も、実は「その日」3連作とつながる、意味のある作品たちだったのだ。
4編の作品名は、「ひこうき雲」「朝日のあたる家」「潮騒」「ヒア・カムズ・ザ・サン」。
どれも、音楽好きには心当たりのある名作の曲名だ。
短編には、すべてに末期がんとなった人物やその家族等とのふれあいが書かれてある。
「その日」とは、登場人物の愛する家族(妻)が亡くなる日のことだった。
本編に当たる「その日」3連作を読み進むうちに、切なくなって泣いてしまった。
人間ドックの待合室内で、涙を流してしまった。

人間ドックは、自分の健康を保つために調べるものだ。
いのちを大切にしたいからだ。
しかし、愛する家族のいのちが亡くなる日が来るとしたら、―。

前日、W氏の訃報に関して書いたばかりである。
いのちに関して敏感になっていた私の心の奥底に純粋に響いた1冊だった。
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W氏の訃報を知る

2016-06-27 22:30:04 | 生き方
3年前に高校時代の同級生Mが亡くなったことを書いた。
以前書いたように、M氏が同級会の「永年幹事」だったのだが、その彼が亡くなってしまった。
同級会は、OLYMPIC YEARにやることになっていた。
今年は、リオデジャネイロでオリンピックが行われる。
ということは、今年は同級会の年。
しかし、Mはもういない。
どうなる?同級会。

…ところが、とんでもないことに、Mは、遺言を残していったのだ。
「同級会の幹事は、50foxに頼む」だって!!
おいおい。なぜ、私に!?
私は、郷里から離れて住んでいるのに、なぜ!?
まあ、住んでいるのは、20kmも離れていない隣の市ではあるけれど…。

さて、それなら盆の頃にやるとして、そろそろ正式に準備しないとな。
そう思って、情報集めとして、隣のクラスの同級会幹事C氏に電話をした。
C氏から聴いて驚いたのは、W氏がこの春に突然逝去していたという話であった。

W氏は高校時代軟式テニス部で、パートナーはC氏であった。
地区大会だけでなく、県大会でも結構活躍したペアであった。
青春時代のパートナーを突然失ったC氏の落胆は大きかった。
だから、C氏のクラスの同級会は、夏ではなく、少し期間を置いた秋にやるとのことであった。

それにしても、W氏である。
高校時代の彼は、一途にまっすぐ自信を持ってものごとを行う人だった。
優柔不断で気分屋の私とは違っていた。
受験生の3年生になっても、部活をがんばっていた。
違う部だったが、受験勉強がうまくいかず、部活動の練習にも身が入らない私は、W氏に尋ねたことがあった。
「受験のこと、不安にならない?」
即座にW氏は答えた。
「そんなの、部活動の大会が終わったら、がんばって集中して受験勉強すればよいじゃないか。今は受験勉強よりまず部活さ。部活も半端なヤツは、受験勉強だって半端者だよ。オレはそう思って、今部活をやっているんだ。」
迷いのないW氏の返答に、彼が大きく見えた。
確かに当時の私は、部活動も受験勉強も半端で両方ダメになっていたのであった。
そこから私は、W氏の言う言葉を信じることにした。
大会が終わってからでも、受験勉強は大丈夫、やれるはずだと。

…もっとも、意志薄弱な私には、集中力もなかった。
部活の大会が終わっても、W氏のように切り替えることはできなかったので、情けなかったのだ…。

私にとって、そんなW氏の生き方がまぶしかったのかもしれない。
高校を卒業してからは、W氏との交流はあまりなくなってしまっていた。
大学卒業後の彼は、自らの意思で郷里で働いていたが、職場には恵まれなかったとも言える。

自営業の店を畳んだり、その後勤めていた会社が倒産したりしたようだ。
亡くなった時は介護関係の仕事だったそうだが、過労が大きな原因だったのではないか、とC氏は言っていた。

C氏のクラスでも、これで3人目の物故者だとのこと。
私のクラスでも、M氏が3人目であった。
還暦を迎えたり迎えようとしたりしている私たち。
人生の後半であることを改めて感じてしまうのであった。

それでも同級会は、なんとか開催しなくてはな…。
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迷いなく駆けつけた試合、迷いなく戦い勝ってくれた新潟

2016-06-26 22:15:16 | アルビレックス新潟
土曜日だというのに、県都新潟で研修会があった。
おまけに、研修会終了後は懇親会付き。
近頃は、「飲まない選択」もできるようになった。
しかし、昔から「飲み会で飲まないのは礼儀知らずである」というような指導を受けてきた身としては、よっぽどでない限り飲む選択をする。
…ということで、懇親会終了の時間までお付き合いしたのだ。

終わった!それ行け!
会が終わったら、絶対に行くぞ、と決めていた。
この決心には、迷いはなかった。
速足で会場を脱出。
路線バスが通る道まで急ぎ足で歩き、来たバスに乗り込み、新潟駅へ急いだ。

ところが、夕方で道路は、特に3車線の左側は渋滞中。
駅が見えるところまで来て動かない。
仕方ない。
一つ前の停留所から、新潟駅まで歩く。
駅に着いたら、駅の反対側の出口へ急ぐ。
目的地まで専用のバスがある。
走って降りたら、「バスが出まーす。」との声。
「乗りまーす!!」と声を出して、バスに駆け込んだ。

外は少しずつ暗くなってきた。
今は、夏至が過ぎたばかり。
夕焼け空だ。

やがてバスは終点に着いた。
デンカ・ビッグスワンスタジアム。

今日は、1stステージ最後の一戦。
勝ち点で2上回り、15位新潟の2つ上を行く、13位のサガン鳥栖。
勝てば「勝ち点6の価値がある」と監督が言っていた、大切な一戦だ。
スタジアムは、試合が始まったばかりだった。

今日の空はオレンジ色だ。
勝つぞ!

試合は、前半GK守田の負傷退場というハプニングは起こったが、新潟の選手たちはよく動き、後半は、鳥栖にチャンスらしいチャンスを与えなかった。
そして、山崎のゴールであげた1点を守り切って、ホーム戦の連勝を果たした。
サポーターたちは、試合終了後、早川史哉のチャントを歌って、難病と闘う彼へ声援を送った。
選手たちは、試合前は、ベンチ外の選手たちは早川支援の募金活動を行っていたそうだ。

試合に勝った選手たちは、「28」という数字が書かれたTシャツを着て、場内を1周した。

「28」は、早川史哉の背番号だ。

ゴールを決めた山崎は、背番号28の早川史哉のユニフォームを着て、試合後場内を1周し、ヒーローインタビューを受けた。
早川史哉の奇禍が公表されて以来、選手もサポーターも、迷いがなくなっているように思う。
新潟らしく、泥臭くプレーする姿が見られている。

13位に浮上したといえど、16位のチームと勝ち点は2しか離れていない。
来週からは、2ndステージが始まる。
ひたむきに、懸命に戦う新潟の奮闘と早川の闘病勝利を祈るばかりだ。

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痛みを引きずる関川マラソン、ゴール後のダメージ

2016-06-20 22:04:53 | RUN
関川マラソン。
かろうじてゴールにたどり着いたのはいいけど、完璧に疲れ果てた。
陽の当たる場所に出ると、目の前が真っ白になってしまうほど疲れ切ってしまった。
ゆっくり腰を下ろしてしばらく休む。
そうやって、疲れを少し取りつつ、参加賞の1つをもらいに行った。
おにぎり2個とわらび汁である。
これをもらうために外を歩くと、目の前がすぐにチカチカして、無数の星が見える。
ふれあいドームのすぐ外のコンクリートにべったり腰を下ろし、おにぎりとみそ汁を食べた。

しかし、なかなか回復してこない。
まだふらふらするが、汗びっしょりで汚れてしまった下着から何から、すべて着替えた。
そこから、今度は、参加賞の2つめ、会場近くの桂の関温泉「ゆーむ」の無料券を使って、入湯に行く。
ところが、ここにはマラソンを終えた輩でいっぱい。
立って洗い場が空く場所を待つ。待っている間に、くらくらして困った。
温泉は気持ちよかったが、体が熱を持ってしまっていて、最後の水風呂でほてりを少し取ったりした。
おにぎりを食べた後だと言うのに、体重は、前日より4kgも減っていた。
体が冷たい飲み物等を要求していた。それ以上に眠りを要求していた。

アイスを買ってなめ、微炭酸の飲み物を買って飲みながら、車を運転して家に帰った。
しかし、運転中の眠いこと眠いこと。
帰ってすぐ、ふとんを敷いて2時間近く寝た。

目覚めて起き上がると、階段の上り下りがさらに非常につらくなっていた。
夕食時のビール(正確に言うと発泡酒である)はうまかったが、
そういえば、ずっと行っていなかった、と8時半になって、ようやくトイレに行きたくなった。
なんとレース中に行ってから、10時間ぶりのトイレであった。
それだけ体が水分を要求していたということなのだな、と改めて思った。
風呂上がりには、脚や腕がすっかり日焼けしていたこともわかった。
実にハードなハーフマラソンであった。

ひと晩たって、今朝は、上りも下りも階段は右足のふくらはぎ痛で大変だった。
特に下りは、一段で左足→右足と両足を載せないと痛くて降りられない。
まあ、一日生活して、何とか上りは大丈夫。下りはまだ痛い、という状態である。
あー、情けない。

それにしても、ハーフでこれだけ脚が痛み走れなくなるのなら、去年のように秋にフルマラソンに挑戦するのはやめた方がよいのかなあ、と思ってしまう今日であった。
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体調不良の中、関川マラソンでハーフに挑む

2016-06-19 21:47:33 | RUN
最近の体調不良は、やはり年齢からくるものなのだろうか?
夕方走ることにしている私だが、このところずいぶん忙しくて夕方からも会合があり、平日はなかなか走ることができない。
走るのは、週末に一度になっているのだが、いざ走り出すとふくらはぎや臀部からの右脚全体が痛くなったりして、まともに走れていなかったのだ。
先週の週末などは、走り出したら2kmもいかないうちにふくらはぎにピシッとした痛みが走った。
痛みが来たら、歩くにも痛い。
家に帰る2kmがつらかった。
先週前半は、階段などで歩く時も痛みを感じてしまうのであった。

ところが、その1週間後に当たる今日は、「第43回 UP・DOWN関川マラソン」の日。
せっかく4,000円の参加費を収めて参加を決めたのに、出場しないなんてもったいない。
という貧乏人根性が出てしまった。
今日は、なるべくゆっくり走ろう。
心にそう決めて、会場に向かった。

今年は、参加者が多い、と思わせる河川敷の駐車場であった。
受付は、関川ふれあいドーム。

この頭上には、館内ぐるりと「大したもん蛇まつり」の大蛇が飾られている。

いちおう念入りにウオームアップを行い、スタート地点の国指定重要文化財渡辺邸の前に移動。

知り合いの2人に会い、その後ろについて並んだ。

スタートから、走る足はあまり上げずにそろそろと行く。
知り合い2人とは、少しずつ遠ざかっていく。
同年輩だが、2人とも体調が悪いと言っていたのだが、やはり私ほどではないようだ。

そろりそろりと足を前に進めていく。
いつも5分台で行くのが、今日は6分台の前半だ。
早くはない。
5kmあたりから、ふくらはぎに違和感を感じるようになってきた。
今日は暑い。
30℃を越えると言う予報。
暑い日は、ペースはそう簡単に上げられない。
あとでスタミナ切れを起こし、相当苦しくなるからだ。
3年前の南魚沼グルメマラソンで味わっている。
それにしても、まだ前半の5kmなのに、ペースが上がらないのは苦しい。
蹴り足を強くすると、すぐに痛くて走れなくなりそうだ。だから、そろりそろり行く。
先ほどの2人の知り合いは、折り返してきた。
7km地点で折り返すと、ゆるやかな下りに変わり、少し走りやすくなった。
トイレに行きたくなったが、なかなかそれがない。
やっと見つけたが、並んでいる人がいる。待つ時間が惜しいので先に行く。

12km地点から、いよいよ丸山大橋につながる道で、急激なUPになる。
急にこの後の1kmは、7分50秒もかかってしまった。
どれだけきつい上りなのか。
これによって、足の粘りが完全に失われた。
少し下ったところで、ガマンしてきたトイレ休憩。
これ以降の下りを生かせないほど、さっきの上りが効いていた。
下りなのに7分台に近い6分台後半でしか走れなくなった。
春は桜がきれいな、高瀬温泉手前の並木の下を走る。
まだ道は6kmもある。
関川マラソンのうれしいのは、ここから4か所も給水所があることである。
ここまでも給水所は多かったが、大塚製薬がスポンサーについているので、必ずポカリスエットと水が用意されている。
この辺りからは、給水所のたびに、水を首筋や両脚にかけたりして気合を入れた。
しかし、気合は入るが、走りは少しも速くならない。
17km付近の最後の大きな上りは、腕は振るが脚は上がらない。
歩く人を抜くことはできるが、その人が再び走り出すと簡単に抜かれてしまう。そんなことの繰り返し。
15km以降、1kmのラップは、6分57秒、7分56秒、7分10秒、7分51秒、8分36秒、8分3秒。
いかにダメダメになってしまっていたかが分かる。
原因は、ふくらはぎ痛と暑さ。
ラストスパートもできないほどの脚のダメージ。

やっとのことでゴールすると、記録は今までハーフマラソン最悪の2時間22分台後半。

50代男子の170人くらいの中で150位近く。
それでも、痛みに負けず、走ることをやめなかった自分に拍手!
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最後の「付き添い佐渡」

2016-06-18 14:18:15 | 「育」業
職業柄、6月は、「付き添い旅行」に出ることが多い。
4月であったりすることもあるのだが、だいたいはこの時季。
この時期、新潟県内からそのために出かけて行く先は、SADO。
そう、佐渡である。
新潟県に住んでいながら、県内の観光地佐渡にはそんなに行く機会がない。
やはり海を越えて行くと、フェリーやジェットフォイルなど船賃がかかる。
見どころが多いことは確かなのだが、なかなか行くぞというところには至らないのだ。
だから、小学校の修学旅行的な行事の行先として、佐渡を選ぶことが多い。
県内を知らずして、県外に行くべからず!?
6月がその旅行シーズン。
トビシマカンゾウなどが咲き乱れ、暑くもなく寒くもなく、実にいい感じの時季なのだ。

新潟県内の小学校からは、以前は会津若松方面に行くことが多かった。
自然あり、歴史ありの好条件の土地が会津だった。
私も、自分が小学生の時の修学旅行の行先は、会津方面だった。
また、この仕事に着いてからも、今まで7,8回引率して出かけた。
それが、急に佐渡に変わった、ということが5年前に起きた。
起きたのは、東日本大震災。
震災被害に原発問題が重なり、大した問題がないはずの会津方面も、「福島県」というだけで、保護者からの反発が起きたのだ。
そこで、急きょ行先を佐渡にした、というところが少なくない。
最近は、会津方面に戻そう、という動きもあるが、戻らずそのまま佐渡、というところが多い。
佐渡は、歴史でも自然でも、体験的に学ぶことができるスポットが豊富なのである。
例えば、金山・銀山の遺跡は、世界遺産の登録を目指している。
例えば、朱鷺の繁殖、野生化である。
その気になれば、何通りもの見学・体験コースができる。


【飛んでくるカモメにえさをやる】

【ときの森公園でときを見る】

【相川金山で昔の鉱山の様子を見る】

【西三川で砂金採り体験…ほんとにちっちゃいけど、こんなのが採れる】

【たらい舟は楽しそう】

【トビシマカンゾウやイワユリが美しい…今年はピークを過ぎた】

佐渡島内は、さすが修学旅行シーズン。
佐渡のあちこちで、県内各地から来ている小学校の団体とかち合った。
その中には、私同様に今年が最後の「付き添い」となっている方々がいた。
子どもにとって、小学生時代の最大の思い出となる、この旅行。
具合の悪くなる子も、ケガをする子もいなくて、なによりであった。
付き添っていくのは、今年で終わりなのだな、と改めて思い、ちょっぴり寂しかった。

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史哉!!…

2016-06-14 22:53:13 | アルビレックス新潟
急性白血病の発症。
なぜ、彼の身の上に、そんなことが起こらなければならないのか?
早川史哉、22歳。サッカーアルビレックス新潟 選手。
今春筑波大を卒業して入団したばかりである。
若いのに、将来を嘱望されているのに。

彼は、ユースの頃から有望視されていた。
2011年には、U-17のワールドカップに出場し、日本のベスト8入りに貢献している。
準々決勝でブラジルに負けたその試合でも、得点を決めていたけど、試合は1点差でブラジルに敗れたのだったと記憶している。

先日の大宮戦で、いつになく多くの選手たちが泣いていた。
その訳は、やっとの思いで勝利したからではなく、難病となって試合に出られなくなってしまった彼への思いもあったのだ。
今さらながら、そのことが、わかった。

試合終了直後、ピッチで泣いていた端山は、「史哉のことは頭にあった。」と言っていた。
同い年で、今春一緒に入団し、同期でありきっといい仲間であったことだろう。
その仲間に襲った難しい病。
どれだけ複雑な思いに苛まれながら試合を戦っていたことだろう。

先日の試合後、成岡が語っていた言葉に、
「試合に出たくても、ピッチに立てない仲間もいる。」
というのがあった。
それは、試合前日に選手たちに知らされた、早川の身の上のことを言っていたのだ。
そのことがわかって、がく然とした。
しかし、早川は、次のようなコメントを寄せている。

◆早川史哉選手のコメント いつも応援してくださり、ありがとうございます。サポーターの皆さんから受ける応援は、幼いころから夢見ていた以上であり、いつも自信や力を与えてくれました。だからこそもう1度、皆さんに元気な姿をお見せできるように病気と闘います。厳しい闘病生活になると思いますが、病気と闘う姿勢や復帰を目指す歩み方を通じて、同じ病気やさまざまな病気と闘っている人、多くの人に勇気や希望を与えられることができればと感じています。華やかじゃないけど自分らしく地道にコツコツと。もう1度大好きなクラブ、アルビレックス新潟に戻って来られるように頑張ります!

なんてすごいコメントだろう。
自分の身に起こったことを受け入れ、応援してくれる人たちのことまで考えたコメントを寄せるなんて…。
こんなによい人物なのだ。
だから、コメントの実現を、奇跡の復帰を、心から期待している。
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楽しかった「新潟クラシック」

2016-06-13 22:13:37 | アルビレックス新潟

このビッグスワンで、また鈴木慎吾や寺川能人がピッチをかける姿が見られるとは思わなかった。
J1昇格を目指していたJ2時代があった。
彼らの活躍で、J1昇格を果たしたり昇格後J1の維持を果たしたりできたのであった。
(正確には、J1昇格時の1年は、寺川は大分にいたけれど)

先日の大宮線の前に、クラブ創設20年を記念し、創設時の選手やかつて新潟に在籍して愛された選手たちが、2チームに分かれ、前後半15分ずつ20分間の試合を行った。
その名も「新潟クラシック」。
レジェンドたちのプレーには、さすがに切れはない。
しかし、往年をほうふつとさせるものは、確実にあった。
鈴木慎吾の前への推進力やコーナーキック。

寺川能人の相手に自由なプレーをさせないしつこいチェイシングなど。
2人のチャント(応援歌)を歌える幸せも味わった。
GKの木寺は、味方CKのチャンスで攻め上がったりして楽しんでいた。

他にも、高橋直樹や梅山、ウッチー(内田)、神田センセイ(現強化部長)はじめたくさんの選手の姿を追いかけるのは楽しかった。
途中から、ドイツで活躍する日本代表の酒井高徳が出場した。

さすがに世界で活躍する現役日本代表は違う。

あっさり1点を決め、こんなにうまく、速いのか、と改めてゴートク(酒井)のプレーに感心した。

そのゴートクにぴったり付いてがんばっていた寺川が、この試合のMVPとなった。

4万人の観客と共に新潟を応援した時代を懐かしく思い出した。


こんなプレーが楽しめるのも、新潟がJ1にいればこそ。
さて、次節も勝利と言ってほしいものだ。

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選手も泣いていた~新潟、今季ホーム戦初勝利!!

2016-06-12 21:48:21 | アルビレックス新潟

貴重な先制点をあげた成岡が、泣いていた。
テレビのヒーローインタビューを終えて、一人遅れてヒーローを運ぶ車に乗りながら、何度も涙をぬぐっていた。

泣いていた選手は他にもいた。
新潟の選手たちは、それだけこの試合にかけていたということだろう。
思わず、もらい泣きしてしまった。
4月2日の福岡戦以来のリーグ戦勝利。
なんと10試合ぶりの勝利である。
そのうえ、今季ホーム戦初勝利である。

選手たちもサポーターたちも、どれだけこの勝利を渇望していたことか。
5月には、鹿島に1-2で敗れた後、ガ大阪・浦和・川崎と、上位のチームにほとんど得点を許さずに引き分けて、隠れた実力を示していた新潟。
それなのに、勝てると期待した仙台にも、ナビスコ杯最終戦ではリーグ戦最下位の福岡にも、4点も取られ完敗の公式戦連敗。
かなり危機感を抱いてこの日の大宮との一戦に臨んでいたはずであった。

それは、選手起用にも表れていた。
前線には端山を、左には成岡を起用した。

これが、ズバリ当たった。
前半4分、相手をかわした端山が、ゴール前でグラウンダーの速いラストパス。
そこに、足から体ごと突っ込んだのが、成岡。
ボールは、ゴールネットに吸い込まれ、見事先制。
この後も、新潟は相手に厳しくプレスに行き、攻める姿勢を貫いていた。
「今日は、選手たちが違う!」
そう感じさせるに十分だった。

しかし、油断はならない。
そこから逆転されて負けるのは、今まで見飽きるほどあったからだ。
後半になって、30℃の暑さの中を駆けていた選手たちは、守勢に回ることも多くなってきた。
後半開始10分ほどで、2人を交代せざるを得なくなった。
残り時間が15分くらいになってからは(アディショナルタイムもそこに追加すると、20分くらいの時間は)、ピンチの連続であった。
左手の負傷から復帰したばかりの守田が、ボールをはじき返す。
蹴り返さなければゴールしたボールを、味方選手誰彼なくすんでのところで跳ね返したり蹴り出したり。
選手たちの必死さが伝わって来た。

この試合、サポーターたちも、覚悟を決めて応援していることがよくわかった。
試合前、選手入場の際には、近くのスタンドを越えて人に呼びかけ、コレオグラフィーを作った。

「GET THE WIN」
勝利をつかみ取れ、ということだ。
歌って応援する声も、止むことはなかった。
試合の終盤は、私ももう立ちっ放しで、応援の声を出しっ放し。
アディショナルタイムは、定番の「アイシテル ニイガタ」を声を限りに歌っていた。
新潟サポーターのソウル・ソングである。

俺たちがついてるさ 新潟
やけどさせてくれ このゲーム
俺たちがついてるさ 新潟
伝えたいこの想い アイシテル ニイガタ


願いがかなって、やっとホームでリーグ戦初勝利であった。

選手たちの涙を見て、苦しんでいたのは、やはり選手たち自身なのだなと、思った。
勝てないとサポーターたちが、「やる気あんのか。」とか「気合みせろ。」と、よく叫んでいるが、当事者である選手たちがやはり一番苦しんでいるのだ。

なにはともあれ、これで今季3勝目。
あと2試合しか前期は残っていない。
でも、やれるはず、できるはず。
これからも、応援していく。
選手たちに、もう苦しさで泣かせたくない。
たった1勝で泣いてほしくない。
流すのは、もっと大きな歓喜の涙で十分なのだ。
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街で見かけたアルビくんだったが…

2016-06-06 22:27:13 | アルビレックス新潟

先週、こんなトラックを見かけた。
オレンジのトラック、そしてキャラクターのアルビくん。
アルビレックス新潟だ!
アルビレックス新潟のチームの用具等を運ぶのにも使われるようだ。
似ているようなものは、3年前日本平のアウエー清水戦のスタジアム横でも見かけたことがある。

目の前をこのトラックが通っているのを見て、「日曜日の試合は勝てるような気がする」とも思ったのだけどなあ。
どこに行くのか、付いて行こうと思ったが、信号に引っかかり、見失った。
残念!
見失ったと言えば、アルビレックス新潟も、リーグ戦は2か月間勝利を見失っているじゃないか。
まったく、困ったものだ。
仕方ない、家に帰ろう。
…そう思いながら、ある交差点で右折してみると、いた!
そのトラックが。

何を届けているのかわからないが、大きなスーパーに車を止めようとしていた。
車の運転席の目の前には、アルビくんのマスコットが置いてある私の車。

そのマスコットにつぶやいた。
おおい、アルビくん。届けるものは、勝利でいいのだよ。
…なんてね。
さらに、思ったのは、スーパー!?
そこからの連想が不吉だった。
「相手に勝利を安売りしてほしくないなあ」
…その不安が、もろに当たってしまった日曜日だったのだ。
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