ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

暖冬一変、豪雪

2016-01-24 21:50:51 | 新潟
先日、TVでは、東京が大雪だ、大雪だと大騒ぎをしていた。
それを見て、なんだよ、そのくらいで。
と、思っていたのであった。
それ以降、こちらで雪が降っても、まだこのくらい、などと思っていたのだった。
が、今日の午後はそうも言っていられないくらい、こちらでも雪が降り続いた。
新潟では降雪は当たり前のことと言えるのだが、今日の雪の降り方はなかなかすごいものだった。

午前中に近くのスーパーに行った時、用を足すまで20分ほどでしかなかったのだが、車の上には3cmくらいの雪が積もっていた。
家に戻る時には、路上に除雪車が動き出していた。
30cmほどの雪が道路には積もっていたのだが、新雪なので軽く感じ、車の運転もまだ完全に困るほどではなかった。

午後からは、わが家の前にも除雪車が通った。
その1時間余り後、その除雪作業に外に出た。
びっくりしたのは、玄関の外の雪の量。

午前に買い物から戻った時の靴跡が全く分からなくなってしまっていた。
深い長靴も、ずっぽりはまって、さあ大変。

車だって、屋根の上も車の下も雪に埋もれてしまっている。


道路に出ると、袋小路のわが家の前の道は、もう一度除雪が必要なくらいの積雪となっていた。

除雪作業に取り掛かる。
今日の雪は粉雪のようで、いくらか軽いから負担が少々減じられた。
とはいえ、大量の雪を捨てられるスペースまで運ぶのが大変だった。
どんどん雪捨て場の雪が高くなっていった。
ある時、ずぼっと足元が抜けて、長靴どころか太ももどころか腰まで雪に埋まってしまった。

まだ軽い質の雪だから抜け出すのは難しくなかったが、そうでなければ長靴も脱げてしまい、とても大変だったはず。
雪山を高くしていくのはいいのだが、こういうふうに足場の雪を固めながらしていくことを怠ってはいけないのである。

車の上に積もった雪は、ざっとこんなもの。

これらを下ろすだけで、またスノーダンプを使って5、6回は10数メートル先の雪捨て場まで往復しなくてはいけない。
車庫の前の除雪を行ってみると、除雪車が通ってから降った雪の量があまりにも多くて、道路がすっかり雪で埋もれてしまっていた。
道路の積雪40cm以上!?

だから、あまりにも大変で、道路の除雪を途中でやめた。

自分の家の前は除雪できても、他の家がやらなければ、車が路上を動くことはできない。
あとは、明朝も来てくれるであろう除雪車を期待して待つことにした。
今日から明日にかけて、車は出せないから、どこへも出かけられない。
そう覚悟を決めた。
今日が休日でよかった。
ただ、明日朝からの生活をしっかり考えなければ、と思った。

日本全国で大雪のニュースが流されていた。
広島県や徳島県でも大雪となっている様子が、繰り返し報道されていた。
長崎県では観測史上最高の17cmの積雪とか。
奄美大島では115年ぶりの降雪となったとか。

暖冬一変。
豪雪となってしまった、今日の雪であった。
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昔、冬の雪遊び「ダマ」

2016-01-23 15:06:34 | 新潟

すっかりの雪景色となって2週間近くになる。
会う人会う人との話は、天候の話が多いものだが、新潟だとどうしても雪の話になる。
昨日も、職場に年輩の方の来客があり、そんな雪を話題にした挨拶を交わした。
その後、昔と違って今の子どもたちは、冬になると外で遊ばなくなった、という話になった。
昔は、自分たちはそうでなかった、となるのは私を含めて年を重ねた者の悪い癖なのだが…。

昔の子どもの遊びで、今の子どもがすっかりやらなくなった雪の遊びがある。
雪の遊びと言うと、皆、雪合戦だとか雪だるまづくりだとかを思い浮かべるものだ。
しかし、私らが小学生高学年の頃熱中した遊びは、そういうものではない。
男児たちが熱中した遊びを、私らは「ダマ」と呼んでいた。
「昼休み、ダマしようで。」
そんな約束をしたものだ。
我々が「ダマ」と呼んでいたのは、おそらく「雪玉」から転じた言葉であろう。
遊び方は、簡単である。
最初は、雪玉を固く握り、それを柱や壁に押し付けながら転がし、その雪玉を丸く、硬いかたまりにしていく。
かなり硬くなったら、今度は、それをコンクリートの上などで足の裏を使って行う。
ぎゅうぎゅうと力を込めて足の裏で転がし、さらに硬くしていく。
時々体重をかけて乗ったり足に力をうんと入れてみたりして、硬くなっているのを確認し、ガチガチの硬いかたまりにしていく。
踏みつけながらやっていくので、最初は白かった雪玉も、足の裏でやっていくと、泥が凍ったようなかたまりになる。
「ダマ、できたか?」
「おお、いいぞ。」
と、お互いの雪玉が硬く出来上がったら、いよいよ戦いである。
互いのダマを雪上に置き、じゃんけんで先攻後攻の順番を決める。
何をするか、というと先攻の者から、自分のダマを雪上の相手のダマにぶつけるのである。割れなかったら、後攻の者が、今度は自分のダマを相手のダマにぶつける。
これを何度も繰り返す。
先に相手のダマを割った方が勝ち、という遊びである。
男の子たちは、冬になるとこの遊びに熱中したものである。
もっとも、熱中するのは血気盛んな男の子たちであった。
私のようなヤサ男の作ったダマは、だいたい1回で割られてしまったものである。
だから、あまり熱中はしなかった。
好きな連中は、「杉の葉をかませると硬くなる」などと言って、足で踏みつけて丸くする際に杉の葉を使ったりするなどしていた。
それがどれだけ効果があったかはわからないが、そんな工夫までして周囲の連中はダマ作り、ダマ遊びに夢中になっていたものだ。

来客とそんな冬の遊びについて話をかわしながら、「すでにその頃からもう半世紀近くがたっているのですねえ。」と言って笑い合ったのであった。

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冬、朝の5時起き

2016-01-17 20:37:25 | 生き方
朝の5時。
日曜日なのに、息子が仕事で東京へ日帰りすると言う。
できれば駅まで送ってほしい。
そう言われて起きた朝。
しっかり送って行ってあげた。

なんと優しい親であろうか(!?)

外へ出てみると、除雪車が通った跡がある。
車庫の前に雪がたまっていた。
こんなに早い休日の朝でも、もう働いて除雪してくれた人がいることに感謝
さほどの積雪ではなかったが、外は-2℃であった。
まだこんなふうに真っ暗。

だけど、面白いなあと思ったのが、街路樹。

樹氷のように輝いていた。
今だガラケー保有の私。
それでは、きれいな写真はとれない。
だけど、枝が凍っていて、そこに雪がからみつくように乗っているのは美しいと思った。


嵐を呼ぶ男、わが息子。
よそへ出張したり出かけたりすると、必ず荒天になる。
かつて赤羽マラソン出場日の大雪、名古屋出張時の地下街への洪水、笹川流れマラソンの暴風雨中止など、大した荒れ男である。
明日は、東日本は降雪積雪で荒れる天気なのだとか。
幸いにも、今回は1日違いで荒天にあわないですむようだ。

朝は、送った後、再び寝ようかと思ったのだが、手や足の末端が冷えてしまって、よく眠れなかった。
ということで、内容の乏しい今回。
睡眠不足で、もう眠い。
明日以降の除雪作業にがんばるために、早く寝よう。
お休みなさい
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今冬初の除雪作業&昨日の雪中RUN

2016-01-12 18:08:56 | 新潟
まだ真夜中とも言える午前2時過ぎ、近くの工場の敷地内で、ゴゴゴゴゴと動く音が聞こえて、目が覚めた。
音の正体は、すぐにわかった。
除雪車が動いているのだ。
工場の駐車場の除雪作業をしている音だ。
眠い頭で、除雪が必要なくらい雪が降ったのだなと考えていた。
30分ほどすると、どうやら工場の除雪作業は終わったらしく、静かになった。
そして、4時半過ぎ、今度はわが家の前に除雪車が通った。
大きな除雪車が来ると、わが家は揺れる。
その揺れが、往復で2,3度あった。
今朝は、起きたらすぐに道路わきの除雪作業をしなくてはならない。
そう思った。
朝6時、起きて上下に水のしみこまないものを着用して、長靴をはき、「スノーダンプ」を引っ張り出して、除雪作業を行った。
ざっと見て、20cm余りの積雪。
それだけでも多いのに、道路と直面する車庫の前には、除雪車が毎回たっぷりの雪を置いていく。
車庫の前の雪を除くだけでも、スノーダンプにで5,6回雪を積んで運ばなければならない。
除雪は、結構大変な作業である。

こんなふうに積雪になるのは、ある程度予想していた。
昨日午後、雪が降り出していたが、元旦マラソン以来走っていないことがどうにも気持ち悪く、近くの運動公園周回を中心に走ったときのことだ。
近くの景色で、土の上などはもう白くなっていた。

アスファルト道路は、土の上と違ってまだ黒いままだった。

それが走っているうちに、どんどん路面が白くなっていった。

それも、わずか数分のうちに、である。
同じ樹木の並木なので、2枚の写真を見比べて違いが分かるであろう。
周回コースを走っていると、自分が6分ほど前に通った足跡が、うっすらついている。

【写真右は、他の人が通ったばかりの足跡。左は、6分ほど前の私の足跡。】
それが、およそ12分前のものは、ほとんど見えない。
18分以上前に通った足跡は、すっかりわからなくなっている。
ニット帽をかぶって、首当てをして、手袋をして、万全の態勢で走り出したから、寒さは感じない。
走ることの気持ちよさはたっぷりだ。
雨中を走るとびしょびしょに濡れてしまうが、この日のような雪では、雪中といえど体に当たって雪は落ちていくから、あまり濡れずにすむ。
靴が濡れるのと寒いことだけ覚悟すれば、降り始めは雨中より雪中の方がはるかに気持ちよいと思った。

こんな降雪の中でも、健康のためのウオーキングをする人。
犬の散歩を兼ねながら来る人。
杖をつき、リハビリを兼ねながら歩いている老夫婦。
雪の中を走っている物好きは自分くらいであったが、歩きに来る人はそれなりにいた。
この雪中ランを行っている1時間のうちに、雪はそれなりに積もっていた。
帰る時の道路脇の気温表示は、0℃。

「凍結注意」との文字。
相変わらず、日によって頭痛はあるのだが、この日は、頭痛を感じるより雪の風情を楽しんでしまっていた。
走っている時は、頭痛は感じないのだから、現金なものだ。

夜寝る前にも、窓越しに結構な勢いで雪が降ってくるのを見ていた。
だから、今朝除雪車が来るかもしれないことは予測していた。
今日一日、雪はちらついていた。
下越地区のスキー場も、これで助かったことだろう。
本格的な新潟の冬景色だなあ、と思った昨日、そして今日であった。
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新潟アルビBB中村ヘッド&GMの話から伝わる厳しい「愛情」と生き方

2016-01-11 17:28:13 | ひと
「アルビレックス新潟」もあるが、「新潟アルビレックス」もある。
正式には、「新潟アルビレックスBB」と言う。
BBが付くのでわかるように、「新潟アルビレックスBB」は、バスケットボールbjリーグのチームである。
このたび、そのヘッドコーチ兼GMである、中村和雄氏の講演を聴く機会を得た。
氏の座右の銘が「心をこめて」であり、その演題にふさわしい話をいろいろと聴かせていただいた。
以下、氏の話の一部である。



私は、選手たちにどんどん言う。厳しく言う。
一流の選手は、他の人たちや子どもたちから見られているのだから、行動もしっかりしていなくてはいけない。
目を見てあいさつする。
ゴミが落ちていたら、拾う。
くつをそろえる。
しっかり返事をする。
これらのことは、当たり前にできなくてはいけない。
伸びる選手の一番の条件は、素直さである。
しかし、「いい子」であるだけでは、だめである。
「いい子」は、大切なところで自分が行かずに、他の選手に任せてしまう。
プレーする時には、大変なプレッシャーの中でやるのだから、自分を律することができなくてはいけない。
自分を律してちょっとしたことができなくては。
あいさつをする、ゴミを拾う、くつをそろえるなどは、そう言ったことに当たる。
選手でいられる時間は短い。
その後も人生は続くのだから、このくらいのことはやれるようにしたい。
そして、すべての人に感謝する心をもてるようでなければならない。

選手も時間をかけて練習するが、教える方はそれよりもっと時間をかけている。
家に帰ってすることは、その日の練習や試合の録画を見ることだ。
それを見て、選手たちの動きを見て、次はこうしようと決めている。
私は、選手には厳しいことを言う。
話を聞くときは、私の目を見て聴け。
わかったのなら、返事をしろ。
と言うことも要求する。
厳しいようで、外国人選手たちは、最初は戸惑うが、これらを繰り返していると、「日本のこういう文化は、よい」と言うようになる。
試合の後は、勝ってもよくなかった場合は、私は選手に直接言う。ボロクソに言う。
だけど、記者とか外部の人たちには、うちの選手たちのことを悪く言わせない。
どんなことがあっても、お前のためにオレは言う。
そのために、話をする。話し合う。
だけど、試合に負けた時は、あまり文句は言わない。

私は、「勝ちます。優勝します。」と言って、自分にプレッシャーをかける。
それをやり遂げるまで、徹底したい。
今日もここで「勝ちます。」と言っていたから、この後の試合で強くなった、と思われるようにしたい。
この仕事をしていて、最も大切なのは、「愛情」と「創意工夫」だと思っている。



氏の話から、「心をこめて」選手たちに厳しく言い、よい結果が出るように厳しく仕事をしている。
このことがよく伝わってきた。
すでに75歳とは思えない、非常に情熱的な方であった。
bjリーグ最後のシーズンとなる今季、新潟アルビBBのこれからの巻き返しに期待したい。
そう思わせる、中村ヘッド&GMの熱き語りであった。
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雪が降らない冬

2016-01-07 21:48:17 | 新潟
お元気ですか?
こっちは雪も降らず暖かいですよ!!

こんな年賀状の返信が今日届いた。
差出人の住所は、小田原市。
懐かしい。
3年前の2月に行ったことがあったっけ。

さて、「雪も降らず」と書いてあったが、今年の新潟も、実はあまり雪は降っていない。
いや、今日は日中少しだけちらついたから、正確に言うと、積もるほど雪は降っていない。
だから、滑れないスキー場の多いこと。
特に、新潟県の北部に当たる下越地区のスキー場は、1つもオープンできていない。
中越地区の湯沢町でさえ、例年積雪83cmが今は7cmしか積雪がないとのこと。
1年前の冬は、12月の上旬からドサッと雪が降ってね雪になったというのに、違い過ぎる。

ただ、よく「暖冬」と言われるが、ずっと晴れている訳ではない。
くもり空で、雨が降ることが多いのだ。
だから、湿気も多い。
こちらでは、加湿器はいらない。
除湿器なら必要だけど。
晴れているのなら、万々歳なのだが、夕方は暗く、冷たく、寒い。
今は体調不良もあるから、また1日の元旦マラソンからずっと走っていない。
仕事が終わって帰る時間になると、意外と天気が悪く、空気も冷たく、暗いからわざわざ走りに出る気がしないのである。

さて、この暖冬は、いつまで続くのだろう?
いくらくもり空でも、平地では雪が降らない方がよいことは確かなのである。
何と言ったって、降雪時の道路状態の厳しさや積雪時の除雪作業の大変さは、馬鹿にできないのであるから…。
このまま平野部に雪が降らない冬だといいなあ…。
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1年の計は、元旦マラソンにあり

2016-01-01 22:23:21 | RUN
まだ夜中の3時過ぎに目が覚めて、次に目覚めたのは5時半過ぎ。
さあ、あと30分したら起きて、元旦マラソンに行く準備をしなくては。
…と思っていたのに、6時15分、廊下の向こうで息子が起きた足音に目が覚めた。
やっべえ、寝過ごした!
…と思った。
けれども、台所に妻が前日に用意しておいてくれた餅や正月料理のおかげで、手早く朝食の用意ができた。
ラッキー&サンキュー!

車で村上市へ。

受付を終えて、要項で10km50歳代の参加者を見てみると、自分の次のゼッケン番号が、以前一緒に走ったISさんだった。
今回は、同年代の知り合いが少し減っていて、寂しく思った。
まあ、自分も、今回は頭痛に加え、軽い腰痛・関節痛などがある。
そのうえ、昨年ほど練習がつめていない。
だから、そんなによい記録が出るとは考えられなかった。

開会式を終えると、以前の勤務先で知っている小学生の兄妹がご両親と一緒にあいさつに来てくれた。
5年生の兄は3kmを、3年生の妹は2kmを走るのだという。
妹の方は、体調が悪くてあまり走りたくないらしい。
「順位なんか気にしないで、最後までへこへこと走り切ることができれば、それで十分なんだよ。」と励ました。
ここは、体育館の下が駐車場になっており、その周囲を1周110mくらいでぐるぐる走ることができる。
ウオームアップを行って、11時から10kmのスタートとなった。
今日は、小雪がちらつきそうだったのに、いつのまにか時々晴れ間も見られるくらいになっていた。
例年、雪の降る厳しい条件の中を走るのだが、今年は路面に雪がない。
大変珍しいことだ。

スタート地点でISさんを見つけ、互いにがんばろうと声をかけ合った。
スタートしてみると、結構たくさんの人に抜かれていくのである。仮装ランナーまでが追い越していく。
しかし、時計を見ると、私だって4分50秒のいいペースで走っていることがわかった。
皆、若いから最初から飛ばせるんだよなあ、うらやましい。そう思いつつ、今日は、この4分50秒ペースが走りやすそうだ。
途中まででもいいからこのペースで行き、50分切りを目指そう、と思いつつ走った。

「富士山、がんばれ。」と、沿道の人がよく声をかけている。
「?」と思っていたら、まもなく3km地点あたりで私を追い越して行ったのは、富士山に仮装したランナーだった。
頭から体まで、上手に布で円錐形が広がるような衣装をまとっている男性ランナーだった。
4km近くで、その富士山ランナーからひらりと赤い布状のものが地面に落ちた。
大切な衣装だろうに、と思って拾ってみると、…タイ(鯛)!

追いついて富士山ランナーに、「大切な衣装の縁起物のタイを落としましたよ。どうぞ。」と言って、渡した。
「ありがとうございます。」と言って、いったんは受け取った富士山くんだったが、まもなく「縁起物ですから、よかったらもらってください。」と逆に言われた。
「じゃあ、ありがたくもらっておきます。」といただくことにした。
うーん、春から、おめでタイ!

半分の5kmを過ぎると富士山くんが遅くなり、先に行くことにした。
7km地点あたりで、「やっと追いついたよ。」との声。ISさんだった。
ISさんは、去年のこの元旦マラソンで私より遅かったが、新潟シティマラソンでは、楽々4時間を切って走っているランナーなのであった。
先に行かれそうになったが、あと3kmだと思ってがんばって付いて行くことにした。

残り1kmになったら、後方から追い越す人が増えてきた。
ISさんとも差が少しずつ開いてきた。
あと100mくらいのところでラストスパートをかけてみたが、今年は誰も抜くことができなかった。
私より5人前にISさんがいた。
「お疲れさま。」とねぎらいの声をかけ合い、「先に行ってくれたから、追いつこうと思ってタイムが上がったよ。ありがとう。」と、礼を言った。

鮭汁をいただきながら、ISさんと話すと、彼は15年位前から走っていたのだそうだ。
私に、「このスピードで走りきれれば、相当速く走れるよ。」と言って、励ましてくれた。
彼は、フルマラソンはおろか、50kmくらいのレースも走ったことがあるのだと言っていた。
中学・高校と、運動部に所属していなかった彼なのに、人は変われるものだ。
すごいよ。
そんなふうに言う私に、彼は笑っていた。
記録証を受け取り、「じゃあまた一緒に走ろう。」と約束して別れた。

記録証のタイムは、4回の出場で最速の4分10数秒。
おお、50代での10kmの自己新記録。
やったね!
貼り出された記録を見たら、あのゴール付近で抜いて行った人は、皆50代だったようだ。
私より5人先にISさんの名前があったが、あのゴールの時の目の前の5人が、5秒差の中。
ちょっぴり悔しくなった。
あと5秒早ければ、20位台で走れたのに…。

息子は、あまりよい体調でなかったので、記録はよくなかったが、お楽しみ抽選で清酒のセットが当たっていた。
これも、新年幸先が良い、と言える。

今年のニューイヤー駅伝は、順位が入れ替わり、面白かったらしい。
だけど、それよりも、それは見られなくとも、元旦マラソンを自ら走ることの方が、やはり何倍も楽しい。
布製だけど「めでタイ」物もゲットしたし、首痛等に負けずに走り切ったし、タイムは今まで参加した中で最高の記録であった。
上々の1年の始まりと言える。
1年の計は、元旦マラソンにあり、かな?

あ、そう言えばまだ言っていなかった。

あけまして、おめでとうございます!
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