大相撲九州場所は、琴櫻の初優勝で終わった。
順調に出世してきた彼は、父が琴ノ若で祖父が先代琴櫻だった。
私にしてみれば、琴櫻と言えば、今でもその祖父の姿の方が先に浮かぶ。
50年以上前になる自分の小学校時代は、「巨人大鵬卵焼き」の時代。
男の子の遊びとしては、外では野球、中では相撲というのが結構当たり前だった。
相撲は、木の床なので固い運動場(あの頃は体育館というしゃれた呼び名はなかった)でありながら、結構やったものである。
今の時代なら、けがが危ないので止められるところかもしれないが、あの頃はそんなことは気にせず、何年生でもよく興じたものであった。
私の小学生以前から、大鵬の時代は長く続いた。
なにしろ、32回も優勝した横綱だからね。
小学生になる前には、まだ集落にはテレビのある家が数軒しかない時代だったから、ある家まで出かけて行って、「見せてください」と言って、上がり込んだものだった。
大鵬が好きだったから、彼が土俵に上がると、テレビの前で大きな声で「大鵬、大鵬」と声援を送っていたら、その家の主に「やかましい。静かにできないなら、出て行け!」とどなられたこともあった私であった。
その大鵬の孫にあたるのが、王鵬である。
下から上がって来たときには強さをあまり感じなかったが、ここ数場所力をつけてきた。
今場所優勝した琴櫻に、唯一の土を付けたのが王鵬であった。
その琴櫻―王鵬の一番を見て、しみじみ時の流れを感じた。
昭和40年代、彼らの祖父に当たる大鵬と琴櫻は、何度も対戦していた。
圧倒的に大鵬が強く勝っていたが、現在の孫同士の対戦は、琴櫻が秋場所前まで4連勝していた。
だが、地力をつけてきた王鵬が今場所も琴櫻に勝ち、2連勝。
攻守、力のこもったいい相撲だった。
なかなかいい勝負になってきた。
今から50年以上前の時代に、先代琴櫻も大鵬も、まさか半世紀余りの後に孫同士が戦うことになるとは思いもしなかっただろうなあ、と思ったのであった。
自分は、その、祖父たちの現役時代も知っているし、現在の孫たちをも知っている。
もちろん、彼らの父の琴ノ若や貴闘力の相撲もずっと見てきた。
ずいぶん長く見てきたことになるなあ、とちょっぴり感慨にもふけったのである。
さらにいえば、大横綱大鵬が引退した頃には、横綱となって活躍していたのは、北の富士だった。
そして、その頃は大関でその時代が長かった先代琴櫻も、大鵬が引退した2年後、33歳で横綱昇進を果たした。
ただ、横綱時代は8場所と短かった。
2年後、昭和49年名古屋場所の直前に琴櫻が、場所中には北の富士が引退していった。
…子どもの頃から、そんなふうに、大鵬・北の富士・琴櫻を見てきた。
一時代を築いた、それぞれ魅力のある横綱たちだった。
今場所は、場所中に解説者の北の富士の訃報が流れた。
昭和40年代の横綱が、3人とも、もうこの世にいなくなってしまった。
横綱と言えば、ヒーローである。
子どもの頃よく見たそのヒーローたちがいなくなって、その孫たちが土俵を盛り上げるようになった。
そこに、長い年月を感じ、自分の年齢が上がったことを感じてしまう。
だが、その活躍は、うれしいことでもある。
孫たち世代の活躍は、きっと天上の彼らも喜んでいるに違いないのだから。