「あれから3年」は、もちろん娘のことである。
今日で、ちょうど3年になる。
娘が職場で突然倒れ、救急車で運ばれたとの知らせを受けた日。
当日朝、頭痛がするとは言っていたものの、そのようなことになるとは思ってもみなかった。
しかし、思ってもみなかったことは、それから信じられないほど多く起こった。
すぐにでも退院できそうだったのが、原因不明の痙攣発作に何度も襲われたこと。
精神的にも異常としか言えない事態に陥ったこと。
身体拘束までなされてベッドから離れられなくなったこと。
集中治療室で眠らされ、口や鼻、首や体などいくつもの管や線につながれながら、ガリガリにやせていったこと。
やっとの思いで回復が図られてきたというのに、再び痙攣発作が度重なるようになり、また集中治療室に逆戻りしたこと。
それ以降は、記憶がまったく積み上がらなくなってしまったこと。
入院生活が、1年たっても続いたこと。
完全な回復には至らないまま、退院まで1年半もかかったこと。
退院してすぐまた家で倒れ、救急車で運ばれ再入院したこと。
その退院以降、ずっと今日まで1年8か月の間、毎日を家で過ごしていること。
3年という月日は、短かったというべきか、あっという間に過ぎた、というべきか。
ただ、今まで味わったことのない複雑な感情に揺さぶられることがあまりにも多くあった。
命だけは、と願った日々。
どうして娘だけがこんなにつらい目にあわなくてはいけないのか、と涙した日々。
またあの発作に襲われるのではないかと、怯え続けた日々。
今、娘は、とりあえず普通に暮らしている。
幸いなことに(?)娘には、自分が入院した記憶が全く残っていない。
自分がどれだけ厳しい入院生活を送ってきたのか、全く覚えていない。
「私、職場で倒れたことも、その職場に通っていたことも、全然覚えてないよ。」
とも言う。
6週間前に、母が(私の妻が)入院したことも、全く覚えていない、という。
記憶が残らないことは相変わらずなのだが、それでも最近は、前日のことを覚えている時もあるようになってきた。
少しマンガを読む意欲が出てきて、「ちはやふる」の単行本を時々読んでいる。
何回か読み始めたのだが、何日たってもストーリーが覚えられない。
せっかく4巻あたりまで読んだのに、次の日には忘れてしまって、また1巻から読み始める、ということの繰り返しになるのが、悲しい。
痙攣発作は、1年半の間起こっていないが、時々頭痛を訴えることもある。
それが、ひょっとすると軽い発作に当たるのかもしれないと思ったりもする。
外出して強い刺激を受けたりした場合、発作を引き起こすことがあるから、慎んだ方がよいと言う主治医の話は変わっていない。
だから、本当は気分転換にどこかに連れて行きたいのだが、ガマンしているところなのである。
本人はともかく、仕事を辞めて娘に付き添っている妻にしてみると、気分転換ができないことが最もつらいことなのである。
それでも、前述のように、少しだけは記憶が残る時もあるようになってきている。
話す内容も、時々われわれ夫婦は気が付かないことを指摘することがあったりもする。
前のようにはふらつかず、体力も少しはついてきたと思える。
ただ太ってしまったので、本人は動くことを面倒くさがることが多いのが困ってしまうのだ。
自分でも「私、D・E・B・Uだから。」なんて言いながら、明るくふるまっている。
今日も、首や肩を痛がる私の、肩をもんでくれた。
3年前の、命だけはと願った日々を思うと、その姿はうれしい。
だけれども、未来のことを考えると、もう少し早く、もう少しよい状態になってほしい、と願う親心である。
今日で、ちょうど3年になる。
娘が職場で突然倒れ、救急車で運ばれたとの知らせを受けた日。
当日朝、頭痛がするとは言っていたものの、そのようなことになるとは思ってもみなかった。
しかし、思ってもみなかったことは、それから信じられないほど多く起こった。
すぐにでも退院できそうだったのが、原因不明の痙攣発作に何度も襲われたこと。
精神的にも異常としか言えない事態に陥ったこと。
身体拘束までなされてベッドから離れられなくなったこと。
集中治療室で眠らされ、口や鼻、首や体などいくつもの管や線につながれながら、ガリガリにやせていったこと。
やっとの思いで回復が図られてきたというのに、再び痙攣発作が度重なるようになり、また集中治療室に逆戻りしたこと。
それ以降は、記憶がまったく積み上がらなくなってしまったこと。
入院生活が、1年たっても続いたこと。
完全な回復には至らないまま、退院まで1年半もかかったこと。
退院してすぐまた家で倒れ、救急車で運ばれ再入院したこと。
その退院以降、ずっと今日まで1年8か月の間、毎日を家で過ごしていること。
3年という月日は、短かったというべきか、あっという間に過ぎた、というべきか。
ただ、今まで味わったことのない複雑な感情に揺さぶられることがあまりにも多くあった。
命だけは、と願った日々。
どうして娘だけがこんなにつらい目にあわなくてはいけないのか、と涙した日々。
またあの発作に襲われるのではないかと、怯え続けた日々。
今、娘は、とりあえず普通に暮らしている。
幸いなことに(?)娘には、自分が入院した記憶が全く残っていない。
自分がどれだけ厳しい入院生活を送ってきたのか、全く覚えていない。
「私、職場で倒れたことも、その職場に通っていたことも、全然覚えてないよ。」
とも言う。
6週間前に、母が(私の妻が)入院したことも、全く覚えていない、という。
記憶が残らないことは相変わらずなのだが、それでも最近は、前日のことを覚えている時もあるようになってきた。
少しマンガを読む意欲が出てきて、「ちはやふる」の単行本を時々読んでいる。
何回か読み始めたのだが、何日たってもストーリーが覚えられない。
せっかく4巻あたりまで読んだのに、次の日には忘れてしまって、また1巻から読み始める、ということの繰り返しになるのが、悲しい。
痙攣発作は、1年半の間起こっていないが、時々頭痛を訴えることもある。
それが、ひょっとすると軽い発作に当たるのかもしれないと思ったりもする。
外出して強い刺激を受けたりした場合、発作を引き起こすことがあるから、慎んだ方がよいと言う主治医の話は変わっていない。
だから、本当は気分転換にどこかに連れて行きたいのだが、ガマンしているところなのである。
本人はともかく、仕事を辞めて娘に付き添っている妻にしてみると、気分転換ができないことが最もつらいことなのである。
それでも、前述のように、少しだけは記憶が残る時もあるようになってきている。
話す内容も、時々われわれ夫婦は気が付かないことを指摘することがあったりもする。
前のようにはふらつかず、体力も少しはついてきたと思える。
ただ太ってしまったので、本人は動くことを面倒くさがることが多いのが困ってしまうのだ。
自分でも「私、D・E・B・Uだから。」なんて言いながら、明るくふるまっている。
今日も、首や肩を痛がる私の、肩をもんでくれた。
3年前の、命だけはと願った日々を思うと、その姿はうれしい。
だけれども、未来のことを考えると、もう少し早く、もう少しよい状態になってほしい、と願う親心である。