ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

阪神ファンが阪神を負けに導いてしまった、という皮肉な結果に

2010-09-30 22:37:24 | ひと
まさか、阪神ファンが自ら自分のチームを負けに導くとは…。
皮肉な結末となってしまった。
最終回。得点は3-1。2点差。マウンド上には、おさえの切り札、藤川球児が上がった。
これで、今日の負けはない。
そう確信したのは、甲子園球場に詰めかけた満員の阪神ファンだった。
ところが、この日のシチュエーションは、きわめて特別だった。
ホームである阪神甲子園球場での今季最終戦であった。
そして、長年阪神を支えてきた捕手の矢野耀大選手が今日の試合を最後に、現役を引退する。
試合後には、引退セレモニーが予定されていた。
マウンドには、ストッパー藤川球児がいる。
こともあろうに、登場のテーマ曲は、いつもの藤川のテーマ曲ではなかった。
なんと、矢野捕手のテーマ曲で登場したのである。
あの、懐かしい藤川-矢野のバッテリーをもう一度見たい。
球場のファンの心理は、そちらに傾いた。
「矢―野、矢―野。矢―野。」
銀傘に、矢野コールが響き渡った。
「矢野を出せ。」
「矢野のプレーする姿を最後に見せろ。」
そんな雰囲気が球場いっぱいに広がった。

まずいぞ。
と、私は思った。
今は、優勝争いのさなかにいる。
この試合は、捨て試合ではない。
勝たなくてはいけないのだ。
まして、優勝に向けて、もう1敗もできない状況にあるのだ。
マジック7とはいえ、要するに残り7試合、全試合勝たなくては優勝にはたどりつけないのだ。
だいたい、マジックが灯って、8連勝が優勝の絶対条件。
しかし、今季の阪神には5連勝すら、ない。
でも、阪神ファンは皆、奇跡を信じて応援していたはずだった。

まずい。
矢野コールを聞いて、藤川球児が動揺しない訳がない。
彼の胸の内に、様々な複雑な感情が湧き起って来るに違いない。
過去、常に苦しい状況の中、勝利のために力を合わせて戦ってきたバッテリー。
その相方が引退する日というのだから、尋常な気分でいられはしない。
そこへ、感情をかき乱すこのコールである。
案の定、藤川は、最終回の先頭打者に四球を与えてしまった。
力関係からして、いつもなら、簡単に打ち取れるはずのバッターである。
しかし、矢野のことで雑念が入った藤川の手元が狂い出す。
四球。次の打者も四球。
そして、バッターボックスには、今日本塁打を打っている4番打者村田を迎える。
まずい。
なんとかしなくては。
そう思った彼は、ストライクを入れることに気持ちが向いた。
いつもなら、
「打てるものなら、打ってみろ!」
とばかりに剛球を投げ込む彼だったのだが。
自ら招いた危機を乗り切ることを考える彼の投球は、威力を欠いた。
2ストライクを取り、追い込んだというのに、力のない棒球が高めに行った。
長距離打者の村田は、その球を軽くパチンとミートしただけに見えた。
しかし、そこはホームラン・バッター。
打球は、ぐんぐん飛んで、レフトスタンドに飛び込んだ。
4-3。逆転スリーラン。

日頃集中して気持ちの込めた球で勝負しているからこそ、プロの剛球投手の球は威力があり、なかなか打てない。
しかし、雑念が入ったボールは、威力が半減する。
それを見逃さないで打つのが、やはりプロの世界。

プロ同士の世界では、一瞬の油断が命取りとなる。
勝負の世界に身を置いていないファンは、そこがわからない。
だから、人情として矢野コールをしてしまった。
それが、応援する自チームの選手の集中をそぎ、逆転ホームランを打たれる方向に導いてしまった。

さすがに、阪神の選手も、ギリギリのところで神経を集中させて戦っている、プロたちである。
最終回2死を取られながら、次の2人が安打を続け、2死一、三塁という一打同点または逆転という局面にまで盛り返した。
しかし、一度離れた勝利の神は、もう一度戻って来てくれはしなかった。

あの「矢野コール」が、すべてを変えた。
阪神ファンが、自チームを負けに導いてしまった。
自力Vの消滅。
なんとも皮肉な、今季の結末であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デジカメが壊れたら、旅が楽しくなくなった…

2010-09-22 17:34:53 | お出かけ
2002年からずっと使っていたデジカメが壊れてしまった。

土日で、福島方面に出かけた。
磐梯高原に向けてドライブ。ゴールドラインを通った。
滝が3つ見られるという。
あいにくゴールドラインは、霧の中。
せっかく通行料金を730円も出したというのに、すばらしい景色はまったく見られない。
残念だ。
滝も、滑滝、とび滝の2つとも、やっぱり霧に隠れて見えない。
3つ目の「幻の滝」は、道路から少し入ったところにあるとか。
そこに期待をかけて、湿った山の道を歩いていくと…、あった、あった。しっかりした滝が。
樹木の隙間からこぼれる陽射しで、流れ落ちてきている水が時折光って美しい。
いい気分で、シャッターを押す。
滝の近くや道沿いには、ダイモンジソウ、サラシナショウマ、キツリフネ、ツリフネソウなどが、こっちも見てくれ、とばかりに咲いていた。
さらに、駐車場近くをうろつくと、さらにうれしい発見が!
アケボノソウが、ひと株咲いていた!
ウメバチソウが、ひと株咲いていた!
やったあ、きれいだなあ。
今年も、アケボノソウやウメバチソウを撮影できたぞ!
これで、景色の見られなかったことや2つの滝を見られなかったことは帳消しになったぞ!
730円のモトは取ったぞ!
…と、ルンルンとした気分で残りのゴールドラインを登っていった。

暗転したのは、その日の午後。
楽しく、何枚も写真を撮った。
ある時シャッターを押したら、突然デジカメに「記憶できません」の表示が。
え?なんのこと?
そう思ってみたら、今まで撮影した写真も保存されてない。
さっきまで保存されていたのに、なぜ?
メモリーカードが異常を起こしたのか、デジカメがおかしくなったのか。
がく然とした。
午前中から、あんなに楽しく写真を撮っていたのに。
急に…。

家に帰ってから確認したが、カード自体がおかしくなっていた。
結局、撮った写真は再現できず、心の中に思い出として残すだけとなった。

こうなってみてわかるのは、いつの間にか旅にカメラは欠かせなくなっていたということ。
カメラなき旅は、楽しくないということ。
行った先で、風景や花などを楽しみ、家に帰ってからも写真で再現して楽しむというのが、自分のライフスタイルとして当たり前になっていたんだなということに、改めて気付いたしだいである。

さて、そのことに気付いた私。
旅は翌日も続く。
このままでは楽しくないから、と夕方、宿に入る前にケイタイで大型電機店の所在を検索。
さっそく店で新たなデジカメを購入したのは、言うまでもない…!!?
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の花。私のお気に入りは、ツリフネソウ

2010-09-21 18:34:34 | 草木花
秋の花といえば、真っ先にコスモス。
そして、ハギ。
2つの花には、共通点がある。
漢字で書くと、「秋桜」「萩」。
どちらも「秋」が入っていることが1つ。
もう1つは、それぞれ代表的な花弁の色は、濃いピンクであるということ。
濃いうす紫(?)、と言ってもよいかもしれない。

山野草にも、秋になると、濃いピンク・濃いうす紫で咲くものがある。
写真の花がそれ。
「ツリフネソウ」だ。
ここ数年、秋になると、この花を探す。
そんなに日当たりのよくない、じめっとしたところに生えていることが多い。
何よりユニークなこの形。
漢字で書くと、「釣舟草」。
釣り下がった形が帆掛け舟のように見えるから、ということらしい。
でも、私には、横から見ると、ぼてっと腹がふくらんだ魚の形に見える。
そして、尻尾の部分が、くるくるっと丸くなっている。
口を大きく開けたような上の花弁は1枚もの。
下の方は、2枚舌?
なんともユーモラスである。
見れば見るほど惹かれていく。
この花を見つけ、その様子をじっと見ていると、なぜかほっとするのである。

つい先日、出かけた先で見つけて喜んだが、勤務先近くの木陰周辺でも見つけることができた。
ツリフネソウがそこかしこに咲いていた。
う~ん、秋だなあ…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卓球。40年近く前の大逆転負け(2)

2010-09-15 22:22:36 | 生き方
20-14からの逆転負け。
その試合を戦った彼と、こうして40年近くたって、あの試合のことを肴にして飲むことになるとは思わなかった。
人生は不思議なものである。

彼の名を、仮にAさんとしておこう。
Aさんと私が再会したのは、試合を戦ってから12年後のことであった。
20代もまもなく終わろうとする頃。
互いに校種は違うが、2人とも同じ県の教員となっていた。
そして、偶然同じ市に勤務することになったのであった。
大学時代、ずいぶん私よりも上のレベルで卓球をしてきた彼は、その市の前年度のチャンピオンであった。
彼から「市の卓球大会に出よう」という誘いを受け、一緒にダブルスを組んで戦うと、なんと優勝することができた。
あの時も、まさか高校時代のライバル(私にとっては。彼にとって私のことは眼中にない。)とダブルスを組む日が来るとは思ってもいなかったことであった。

時間は、そこからさらに20年近くが過ぎる。
互いに同じ市に住み、少し離れているがわりと近い勤務先になった。
「卓球しないか。」
20代のときもそうだったが、また彼から誘ってきた。
40代後半の夏の暑い日、体育施設の一室を借り切って、ボールを打ち合った。
彼は、カットマンではなく、ペンホルダーの前陣攻撃型になっていた。
中学校に勤務し部活で指導するうちに、その方が楽しくなったらしい。
何回かゲームをしたが、3回に1回くらいしか勝てなかった。
相変わらず、彼には勝てなかった。
もともとの強さが違う上、卓球をする頻度が違うのだから、仕方がない。
向こうは、部活等で結構やれる身。
こっちは、年に1度するかしないかである。
でも、こうして最初に出会ってから30年以上たって、親しく卓球ができるようになったのがとても心地よかった。

それからまた5年ほどたち、去年、異動した勤務先のすぐ隣の中学校に、彼―Aさんがいた。
「卓球しよう。」
「ああ、ぜひ。」
そう約束しながら果たせないまま、この春、Aさんは、30数キロ先に異動になってしまった。
ところが、つい先日偶然再会した結果、卓球する日が決まった。

私の家の近くの体育館で、夕方落ち合った。
汗びっしょりになりながら、練習ボールを打ち合った。
その後、お決まりのように、ゲームを行う。
お互いに、トシで体が動かないと言いながら、相手に負けまいとボールをたたく。
卓球は、すごいボールを打てるに越したことはないが、実は、相手の取れないところにボールを打てれば、それで得点が取れるスポーツでもある。
ノータッチで抜くようなボールを仕掛けたかと思うと、相手の逆を突くようなコースにゆるいボールを送る。
互いに、「クソー」「やられた」などと言いながら、自分が主役の試合に熱中する。
そう、映画にもなった「ピンポン」の主役になった思いである。
高校生であろうと中年であろうと(老年と言う人もいるが)、関係ない。
実に楽しい。

大逆転負けを食らった昔と違って、今は、11本で1ゲームである。
サービスが2本で交替するので、5本続けて得点されることは少ない。
それでも、実力差があって、Aさんの方が勝つゲームが多い。
11ゲームやって、4-7。
Aさんの圧倒的勝利である。
約2時間の卓球。
心から言える、「楽しかった!」と。

その後、「飲もう!」と意見が一致した。
2人で生ビールを何度もぐいっと開けながら、語り合った。
汗を流した後の生ビール、最高!
それにしても、40年近く前の高校時代対戦した相手と、こうして笑いながら卓球をして酒を飲むようになるとは。
あの頃、逆転負けをくらった自分には、こんな未来が来るとはとうてい考えられなかった。
Aさんは、あの大逆転の試合を、地区の1回戦での戦いながら結構よく覚えているという。
しかし、Aさんは、苦戦したから自分が1ゲーム失ってフルゲームの試合だったと誤って記憶していたこともわかった。
50歳代になって、こうして卓球をして汗を流せる楽しさを味わえる。
昔の自分たちを思い出しながら、卓球したり飲んだり人生を語り合ったり。
そういう相手がいて、そういう瞬間を共有できたことは、うれしい限りであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卓球。40年近く前の大逆転負け(1)

2010-09-14 19:02:50 | 生き方
卓球は、今のルールは1ゲーム11本。
サービスは2本交替だが、10年ほど前までは、1ゲーム21本、サービスは5本交替だった。
21本というと、たどり着くまでに結構長い。
実力のある人が相手だと、プレーのスタートダッシュがよくても、なかなか21本を先取することはできない。
それだけに、20点目を先に取ると、「よし、あと1本。」と優位に立った気がする。
3点差、4点差なら、こちらも1本くらいミスをしてもまだまだ大丈夫という気がする。
なにせ、あと1点だから、相手がミスをしてもこちらに1点が入るのだ。

高校時代、私の公式戦は、大逆転負けの連続であった。
高校2年の秋の新人戦。
1回戦で当たった相手は、隣の地区の高校のエースのカットマン。
「絶対勝ってやる。」という強い意志の下、戦う私。
1セット目は、スマッシュがビシビシ決まった。
20-14。
あと1点取れば、1ゲーム先取である。
そして、2ゲーム取れば勝ちとなる。
「勝てる。」
そう思った。
何せ、6本連続でこちらがミスをしない限り、こちらの得点となる。
自分のサービスから攻撃したが、入らなかった。
20-15。
ここから相手のサービスが5本続く。
大丈夫、勝てる。
そう思ってプレーしていた。
ところが、めったに攻撃しないはずのカットマンの彼が、サービスを出して私が返す球を、ビシバシ打ってきた。
面食らった私は、ミスを連発。
なんと、彼のサービスゲーム5本すべてを取られてしまった。
ジュース。
6本の差は、なくなった。
ここからは、1本ずつサービスが交替する。
自分にサービスがあると、心強い。
試合を組み立てられる。
再び自分のスマッシュが決まる。
21-20。
あと1本で、ゲームが取れる。
ところが、彼が粘る。
21-21。またジュース。
22-21、22-22。
取っては取られ、熱戦になってしまった。
それでも、5回連続でアドバンテージを握った。
しかし、いずれも相手に返された。
そして、6回目のジュースで、私はスマッシュをミスしてしまった。
25-26。
初めて相手にアドバンテージが移った。
彼は、サービスを出すと、3球目を果敢に打って出た。
大きい。
ボールは、てっきり台をオーバーすると思った。
が、台の端に当たって落ちた。
あれは、取れない。世界チャンピオンでも。
25-27。
第1ゲームを失った。
失った流れは戻らない。
その後、第2ゲームは、12-21くらいで完敗。
ゲームカウント0-2。
私に勝った彼は、調子よく勝ち上がった。
決勝戦にも勝って、彼は、地区のチャンピオンになった。

それにしても、この敗戦は、人生忘れられない大逆転負けであった。
もっとも、高3春、高校最後の公式戦も、1-1の最終ゲーム20-17から5本連取され、逆転負けしたのだった…。
…なんと勝負弱い私…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルビレックス新潟の勝利よりも印象的だったドラゴン久保!

2010-09-10 23:47:52 | ひと
天皇杯2回戦。アルビレックス新潟対ツェーゲン金沢の試合を見に行ったのは、ちょっとした危機感から。
矢野貴章のドイツ・フライブルクへの移籍。
チョ・ヨンチョル選手の韓国代表への招集。
酒井高徳のU-19日本代表への招集・仙台カップ国際ユースサッカーへの出場。
そして、永田充選手の日本代表への緊急招集。
2週間前の試合でレギュラーを張っていた選手たちが4人も欠けてしまった。
そのうえ、金沢には、FWに元日本代表だった「ドラゴン」こと久保竜彦選手がいる。
こちらは、永田・酒井とDFの選手が2人いないのだし、不安があったのだ。
ジャイアント・キリングを起こされたら、たまったものではない。
いくら金沢が、2日前に試合をして中1日の悪コンディションだとしても、ドラゴン久保が爆発したら、どうなるのかという一抹の不安があったのだ。

久保竜彦選手。
2004年にジーコジャパンが欧州遠征を行ったとき、強豪チェコを相手に1-0で勝利した。
その決勝点となる1点を取ったのは、まぎれもなく久保選手の個人技から放たれた力強いシュートだった。
2007年にはJ1に上がったばかりの横浜FCに所属し、浦和との開幕戦、超ロングシュートでの同点ゴールは、誰しも驚くスーパー・シュートだった。
その後、腰痛等の身体の不調が多く、あちこちチームを変わったが、今はJFLの金沢所属となっている。

ピッチ上で練習を始めた久保選手には、圧倒的な存在感を感じた。
試合でどんなプレーを見せてくれるのかについては、敵ながら楽しみになった。

そして、試合。
身体能力の高さを感じる。
最初のうちは、永田選手に代わって出場の新潟のDF鈴木大輔選手が、ボロボロにやられるのではないかと思ったほどだった。
しかし、そんな中でも、さすがにJ1で上位をうかがう新潟の選手たちは、しだいに久保選手の対応に慣れ、彼が自由に動けるようにはさせなくなっていった。

とは言うものの、久保選手の2本のシュートには度肝を抜かれた。
ドッコーン!
なぜ、あのような遠距離から、あのような低く速く鋭く重い(と感じる)シュートが撃てるのだ!?
しかも、シュート体勢に入ってから蹴るまでの動作の速いこと。
トラップして反転して蹴る。
そして、蹴ったボールは、テレビで見たワールド・クラスの選手に匹敵する速さで低く飛んでいく。
モノが違う!
と思った。
また、この姿を見て、本当に日本を代表し世界に通用する力を持ったストライカーだったのだなと思った。
惜しむらくは、全盛期を過ぎてしまったことだ。
もし、万全の体調でW杯ドイツ大会などに出られていたなら、彼は、そして日本のサッカーはどうなっていたのだろうと、もったいない気がした。

試合は、久保選手にゴールを奪わせることもなく、結果的に新潟が3-0で勝利した。
いつもは3万人を越える観衆も、わずか5664人だった。
でも、見に行ってよかった。
新潟勝利の喜びを味わえたことはもちろんよかったのだが、ドラゴン久保の往年の輝きを目の当たりにすることができたことが、うれしかった。
年齢を重ねても、まだまだこんなにすごいワールド・クラスのプレーができる。
久保竜彦選手。ピッチの上で、まだまだその輝きを見せてほしい。そう思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする