ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

さよなら,さようなら…

2015-03-31 22:21:11 | 生き方
3月31日。
3年間勤めた勤務先、勤務最終日。
辞令が下りた。

合併があって誕生した市。
だけど、自分にとって生まれ故郷となった市。
それなのに、赴任当時はなかなかなじめなかった。
しかし、時が、人が、思い出が、私の心をとかしていった。

だけど、娘の突然の病で、十分に時間を使うことができなかった。
それでも、今を迎えている。
迎えた今日の日、職員の皆さんに見送られて
旅立ちの時が来た。

建物を出た。
エンブレムの掲示してある建物全体に向かって、思わず一礼した。
そして、職員の皆さんにも…。

目頭が熱くなった。
さよなら、皆さん。
さようなら、出会ったすべての人たち、そして思い出たち。

明日からまた、新しい一歩が始まる。
別れのために、今日がある。

さよなら、さようなら…。


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また新たな別れの季節を迎えている

2015-03-26 23:25:41 | 生き方
異動の命令が下った。
今の勤務先に3年。
後ろ髪を引かれる思いがする。(前髪がないためだけではない。)


さっそくある家の人とその情報を手に入れた子どもが、勤務先へ夜に親子で駆け付けてくれた。
その手には、可愛い花束(?)を持って。

メッセージまで付いていた。

うれしいなあ。
わざわざこんなことまでしてもらって。
家の人とその子の厚意が、胸にしみた。


また新たな別れの時期を迎えている…。
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春の訪れ

2015-03-21 22:29:51 | 自然・季節
4月5日(日)にある笹川流れマラソンにエントリーしている。
そこで走る距離は、ハーフ。
20km以上になるから、なかなかハードだ。
おまけに、あの最後の急な上り坂は、すごい。
だから、20km近く走れるようになっておこう、と、ここ3週間の週末には18~19km前後を走っていたのだった。

今日は、右ふくらはぎの下部が少々軽い痛みがあって、そこまで走る気にはならなかった。
おまけに、どうやらこの齢になって初めて花粉症の傾向らしく、鼻がグスグスいって困っている。
そこで、花粉状況が少し落ち着くように感じる夕方になってから走りに出た。
今日は、久々に、今年になって初めて、勝手に「明日潟」と名前を変更して呼んでいるコースを走ってきた。
およそ8kmくらいでしかないこのコース。
途中は、一般道に並行している田んぼのそばの歩道を走る。
驚いたことに、もうつくしが出ていた。

1週間前は雪でおおわれていたのに、一気に春めいたようだ。

その他には、キュウリグサやオオイヌノフグリなども、もう青々とした花びらをもっていた。
きっと日中、陽が射していた時には真っ青な花びらを小さいけれど大きく広げていたに違いない。
明日潟の周遊コースを走っていたら、ショウジョウバカマが咲いているのが目に留まった。

次には、湿地帯にミズバショウの花が咲いているのを見つけた。

その後頭上には、マンサクの木の黄色い花が。

キクザキイチゲも、夕方なのでつぼみになっていたが、もうたくさん咲いているようだ。


もう、こうなると、RUNどころではなくなってしまう私。
持っていた携帯で写真を撮りまくってしまった。
夕方なので、ピントが合わない場合が多かったが、春の到来をそこかしこの花々で感じることができた。
待ちに待っていた春が来たのだなあ、とうれしくなってしまった。

しかし、潟には、1羽だけ白鳥が残っていた。

足や羽が傷付いていて、北には帰れないらしい。
毎年この潟には居残る白鳥がいる。
「ここでがんばって生きていこうよな。」と、思わず心の中で呼びかけた私であった。

春分の日の夕日が沈みゆく中、春の訪れを感じ、帰路の足取りは軽かったのであった。


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ホーム開幕戦は清水と引き分け

2015-03-14 22:26:47 | アルビレックス新潟

待望のホーム開幕戦。
昨年末は、降雪・積雪により、試合延期となり、鹿島で代替開催となったのであった。
ホーム戦は、実に久しぶりとなった。
おまけに、今季開幕戦は逆転負け。
しばらく勝ってないから、この日の勝利を期待していた。

オーロラビジョンが改修され、新しくきれいになっていた。

それだけでなく、なんとアウエー側からも正面に映像が見られるようになっていた。

小さくとも映像が流れるのは、今までなかった。
試合前の選手入場時には、コレオグラフィ―も見られた。

“La FAMILIA”
…ということは、「オレたちは、家族だぜ!」という気持ちを表したかったのだな。
円陣組んで、試合が始まった。
選手選択に迷うFWツートップは、達也とラファエル・シルバ。

今日は、達也がキレキレだった。
攻守にわたってすごく動きがよかった。
ただし、残念ながら、達也もチームも無得点。
後半も、いつもより長くプレーした。
達也に代わって、ジュビロ磐田から入団した山崎がニックネームの通り、ギュンギュン駆け、ドリブルを仕掛ける。
こちらも光っていた。
山崎だけでなく、今年加入した選手たちは、皆よい動きを見せていた。
平松は、右のサイドハーフで2試合連続出場。
新人らしからぬ堂々としたプレーは、好感が持てる。
左サイドバックのコルテースは、当たっても倒れない。
実にたくましい。
高卒2年目となる小泉は、本職ではない右のサイドバックで2試合連続出場。
このポジションには、アギーレジャパンに選ばれていた松原がいるのだが、それを押しのけての出場である。
試合を見ていると、なるほどしっかり守っている。
そして、簡単にボールを失わないし、ミスが少ない。

試合は、ボールをかなり支配したものの、0-0で清水と引き分け。

負けなかったのはよかったけど、できれば勝ち試合にしてほしかった。
…というのは、欲目かな。
昨日まで、雪が降って積もっていたのだ。
そのため、まともな練習を積めなかったのだから、仕方がない、とも言える。

試合を重ねれば、きっとよい結果が出るのではないだろうか。
そう思わせる、ホーム開幕戦であった。

ついでに、今日は一緒に行った息子に、サッポロビール6缶セットが当たった。

勝って乾杯できると、さらによかったのだけどね。

これからの試合で勝利の美酒を味わいたいものだ。
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みんな、子どもだったのに…

2015-03-12 22:33:29 | 生き方
今週初め、父方の伯母が亡くなったとの連絡が入った。
火葬や葬儀に立ち会ってきた。
伯母は、満96歳、享年98歳であった。

伯母の子どもは、4姉妹だが、皆私より年上。
60代~70代である。
葬儀に際し、久々に4人がそろった。
なんでも、伯母のつれあいだった伯父が亡くなった時以来の全員集合で、20年ぶりだということであった。

長姉の長男Yさんは、うんと年下だと思っていたら、50歳だという。
なんと五十路の仲間ではないか。
また、三女の長女Iさんも、もう四十路に入っているという。
びっくりだ。
みんな、いつの間に立派な中年に!?
みんな子どもだったのに…。

考えてみると、当たり前なのだ。
私が高校生の頃、Yさんは小学生だったし、私が働き出したとき、Iさんは小学校に入学したばかりだった。
それから、40年や30年もの間まともに会っていなかったのだから、みんなオジさん、オバさんになるよなあ。
面影はたっぷりなのだが、Yさんの弟なんぞ、私と同じ「光頭」になっていて、驚いたのであった。
あんなにふさふさの少年だったはずなのに…(少年時代から自然光頭だったら困るけど)。
時の流れは、情け容赦ないものだなあ、と感慨にふけってしまった。

誰もが、老化していくということだな、と改めて感じたしだいである。
私自身も、五十路の残りが少なくなってきた。
伯母の孫たちに当たる人たちが、葬儀だけでなくその準備等であちこちに顔を出していた。
伯母のひ孫にあたる子どもたちが、乳児、幼児、あるいは児童として、葬儀に参列していた。

時代が回っている、確実に。
そう感じた伯母の葬儀であった。

そんななか、直会を終えた菩提寺の住職が帰り際に言った。
「みんなくたばってしまっても、ワタシはくたばらないぞ。ヒッヒッヒ。」
このセリフが非常に面白可笑しくて、笑ってしまった。

さすが和尚。
そのくらいの気合で生きていきたいものだ。
うん。はっはっは。
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開幕戦は敵の術中にまんまとはまってしまった新潟

2015-03-08 17:57:30 | アルビレックス新潟
いよいよサッカーJ1リーグの2015年シーズンが始まった。
新潟は、例年になく外部への流出選手が少なかった。
しかも、加入選手は、元ブラジル代表だったコルテース、磐田の山崎など、多くはないが必要なポジションに的確な補強をしたように思えている。
得点力不足だった昨季の欠点を補えば、そこそこいい線行くのではないかと思っていた。

開幕戦は、アウエーサガン鳥栖戦であった。
FWラファエル・シルバの先制で、勝てる、と思ったのも束の間、DF舞行龍(マイケル)が負傷交代してからリズムがおかしくなった。
結局、同点に追いつかれ、後半早々には逆転を許してしまった。
新潟は、さしたるチャンスも作れないまま、1-2の逆転負け。
シーズン前に鍛えてきた得点力不足の解消はならなかった。

新潟は、数年前のカウンターサッカーから、ポゼッションサッカーへとスタイルを変えてきている。
そのためには、しっかりパスがつながることが大切なのだが、開幕戦はうまくパスがつながらなかった。
パスをしている間に、相手の鳥栖の選手の方がボールに追いついてしまうのである。
鳥栖の選手たちの動きが鋭くて、新潟の選手たちの動きがずいぶん緩慢に思えのだった。
その訳は、試合後の新潟・柳下監督へのインタビューで明らかになった。
「新潟の選手たちは少し下でボールをつなごうという意識はあったのですが、なかなかボールスピードも上がらなかった。鳥栖の選手たちはそのあたりも分かっていて、インターセプトを狙っている。」
なぜ、ボールスピードが上がらなかったのか?
それは、スタジアムの芝の長さにあった。
芝が長いと、パスのスピードが上がらない。
その分、選手はパスカットすることが可能になる。
新潟の選手たちは、普段と同じつもりでパスをすると、それがことごとく鳥栖の選手の餌食になっていたのだった。
同じようなことが、スポーツ紙の記事にも書いてあった。
そうかあ、こういう作戦もあるのだなあ、と敵ながら感心した。
自分たちのチームに有利になるように、スタジアムの環境を整えるというのも一つの作戦なのだ。
まんまとしてやられた気持ちになった。

柳下監督は、次のように談話を締めくくっている。
「我々としたら、次節ホームでやれるので、自分たちのスタイルを出せるように、勝点3が取れるようにしっかり準備します。」
そう。今度はホームだから、スタジアムの環境に面食らうことはないはずだ。
1週間後の土曜日、初勝利を喜びたいものだ。

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誕生日を自ら祝うために走ったのだったが…

2015-03-03 22:15:02 | RUN
誕生日祝いに、自分に対してのプレゼントを何にしようか!?
今は、欲しい物もないなあ。
何か物が増えたって、置き場に困るだけだから。
欲しい物は、しいて言えば………丈夫な体!!!
そうだ、走りに行こう!
雪もほとんど解けたことだし、たくさん走りたい。
ということで、サイクリングロードを選んだ。
周囲の雪が解け、そろそろ4km地点から先の道も走れるようになったかな?と、走りに出かけた。
15kmくらいは走りたいな、と思って走り出した。

4km地点で、以前は2週間前でも雪があったのに、

この日は、すっかりなくなっていた。

調子に乗って、農道ともいえるような田んぼ道を走っていく。

意外と向かい風が強い。
もうすぐ雨が降るぞ、という東風「だしの風」だ。
ゆっくりしたペースで走っていけば大丈夫だろう、とトコトコと5km地点へ。

今日は、往復15kmを走ろう、と再決意して5km地点から先を目指した。
田んぼの中の道だから、まったく風を防ぐものがない。
そんな中をがんばって7.5kmポイントも通過。
8km地点の手前には、この雪の山。

ここから先は、まだ雪が多いので引き返した。



帰りは追い風、楽だ、と思えたのは10km辺りまで。
そこから先は、行きの向かい風で体力を使ってしまったことと、明らかな練習不足とで、脚が上がらなくなってしまった。
8km地点まで行ったということは、残りも8kmもあるということ。
10km走っても、まだ6kmも残っていたということ。
足が進まず、本当に困った。
脚の付け根が少し痛み、脚全体が重く感じる。
この感覚は、3年前の笹川流れマラソンでハーフを走った時と似ている。
なかなか進まない。
走っていることが好きなはずなのに、苦しいばかりになってしまった。
「ランランラン」が、心が「乱、乱、乱!」に。
ずうっと足の疲れと苦しさにもがきながら、なんとかかんとか、スタート地点に戻って来ることができた。
家に帰ったら、温かいうどんを食べたのに、体が変調。
発熱はしなかったが、寒気はするし、眠気には襲われるし。
夕食まで、昼寝を2時間近く。
だるさはあったが、やっと回復した。

やっぱり練習していないと、もろに疲れが出るものだ。
ゆっくり走れば大丈夫だろうと思っていたけど、今冬は最高で10kmくらいしか走ったことがなかったものなあ。
それを一気に16kmは、ちょっとがんばり過ぎた。
だけど、苦しくなってからも走れたのは、まあよかった。
誕生日の自分からのお祝いRUNは、さすが50代後半。
やはり齢を1つとったことも感じるものになってしまったのであった。
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誕生日に改めて知る「生老病死」

2015-03-01 22:17:22 | 生き方
このブログの名前にあるように、五十路をどんどん駆け上っている。
また新たに歳をとった。
誕生日は、珍しく休日だった。
娘のこともあるし、家庭でゆっくり過ごしたいと思って、出るべき他からの会の誘いも断っていたのだった。
ところが、突然電話が入った。
15年ほど前に、3年間お世話になった方が亡くなったのだという。

その方は、地域の名士でもあり、行動力のある方だった。
だから、地域のためにと、市長や議員などへもよく陳情に行ったりしていた。
その成果があり、その地域には児童館の建設、学校の増築、通行量の多い国道の地下道の建設などが行われたのだった。
5年ほど前に会った時はお元気だったのだが、さすがに80代の後半ともなると、体調不良もあったらしい。
医者嫌いな方で、今回も医者にはいかないと言い張っていたらしいが、本当に悪かったのだろう、即入院となった。
残念ながら、入院5日後に帰らぬ人となった。
通夜に出席するため、高速を使っておよそ100kmの距離を車を走らせ、行って来た。

通夜の経は30分余りで終わりはしたのだが、その後の坊さんの法話が長かった。
やはり30分以上を要した。
ただ、その話は前にも聞いたことがあるような内容ではあったが、私の誕生日にふさわしい話であったと思っている。
話の中心は、「生老病死」についてであった。
仏教では、自分の思いどおりにならないことを、「苦」と言うのだという。
人生の一切が苦であるといい、この世は迷いの世であるという。
生まれてから死ぬまで、人は苦から離れられない。
「生」はおくとして、「老」いていき「病」になり「死」を迎える。
そのどれもが苦の連続であり、人として避けては通れない。
いつまでも若くありたいと思う人が多いが、老いずにいつまでも若かったり、病気にならなかったり死ななかったりするのは、人ではない。
化け物である。
楽であることを人は願うが、決して楽なことばかりが続いたりはしない。
生きていること自体が苦である。
人生は、苦の連続なのが当たり前なのである。
ざっとこんな話だったが、今の自分に合っている話であった。
心の中にスーッと入ってきた。

生老病死。
人はそれを避けられない。
誕生日に知るにふさわしい話であった。

余談:
通夜の後、夜9時、スーパーで弁当の売れ残りを買い、そのスーパーの一角にある電子レンジを使って温め、即いただいた。
自分の誕生日を祝うごちそうは、定価480円から100円引きの「魚介香る漁師の炊き込みごはん弁当」と同じく20円引きのペットボトルのお茶であった。

ありがたいお話の後は、割引でありがたい夕食であった………!?
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