ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

雪道ランAGAIN

2013-01-28 22:50:48 | RUN
そんな訳(前回の事情)で、心の中にもやもやしたものを持ったままの週末。
走りにでも出かけたいが、寒波襲来。
新潟県、上越地方や中越地方では大雪だった。
幸い、私の住む方では、そこまでひどくはなかった。
しかし、吹雪の金曜日から、気温の低い、吹雪の土曜日。
仕方なく、家でおとなしくしていた。

明けて日曜日は、昼前から晴れ間も見えた。
ラッキー!
しかし、足元は朝カチコチに凍った道路に、数センチの積雪。
とてもが走りに適したコンディションではない。
それでも、午後2時半過ぎには、滑りやすさも少しは緩和された感じの道路。
ここで、1月1日降雪・積雪の中を走った村上市元旦マラソンの経験がものを言う。
「あんなにひどい中を走れたのだから、今日だって走れるはず。」
そんなことを思える。

着替えて走り出す。
脚には防寒タイツと短パン、上半身は長袖の上にウインドブレーカー。
そして、手袋をして走り出す。
走り出してみると、歩道の雪の上はでこぼこして走りにくいが、とけてなければそれなりに小またで走れる。

商店街に行ってみよう。
あそこなら、アーケードがついているから、雪の影響なく走れるかもしれない。

そんな思いとは裏腹に、意外と足元の歩道上には雪が積もっている。
下手すると、滑って転びそうだ。
1km余り行くと、アーケード街は終わる。
Uターン。また戻って行く。
駅の反対側に出て、雪道の歩道を走る。
郊外の風景になる。

でこぼこしているから、足をくじきそうになったり。
場所によっては水が出ていて、シューズもろともぐしょぐしょになったり。


途中の田んぼ道、こんな「はざ木」が、冬木立を装っていた。

新潟らしい風景である。

選んだ帰路の歩道は、人の歩いた形跡も少なかった。
走るとズブズブ足が雪に埋もれた。
ほとんど道がなくなって、車道に出たりもした。
人の歩いた歩道に出て、ほっとした思いでまた雪の上を走って家に戻った。

1時間3分強の雪道ラン。
11kmくらいは走っただろうか。
家のサザンカが、雪中きれいに見えた。


心のもやもやを少し晴らせた気がする。
明日は、明日の風が吹く。
今日の充実感を大切にしよう。
そう思えた。

1週間後までには、シューズも乾いていることだろう。
また走ろう。
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決していやな訳ではないが…KUJORON(苦情論)

2013-01-27 18:16:35 | 生き方
それなりに誠実に、それなりに一生懸命に仕事をしているつもりではある。
それでも、様々な人がいるから、苦情が舞い込むことは、結構ある。
苦情を言われることは、基本的には嫌いではない。
その苦情には、現状の問題点が含まれているからだ。
だから、相手の言い分を聞き、しっかり改善を図ることは、とても大切なことだと考えている。
電話ではなんだからと、実際にお会いして話をじっくり聞いてみると、なんらかの行き違いが生じていることが多い。
そこを明確にして、何をどうしていけばよいのか、お互いに理解し合えると、その後の協力関係・信頼関係が以前よりしっかりできあがるのだ。
そんな訳で、苦情が持ち込まれた場合、「現状を改善するチャンス」という心構えでいつも話を聞かせてもらっている。

それでも、頭ごなしに「何とかしろ。」と、まるで難癖をつけるように苦情を連続して言ってくる人がいる。
「どうしてくれるんだ。あやまれ。」ということばかり主張してやまない人がいる。
先週は、残念ながら、そういう方との対応に追われた1週間であった。

どうにもこうにも今の世の中、「言った者勝ち」になっているように思う。
不況の世の中、うまくいかないことが多いせいか、みんなイライラしていて、寛容な心が持てなくなっているような気がする。
そのために、自分と直接の関係が薄い人に対して、許容する心がなくなっているような気がするのである。
ま、しようがないか、と自分の心の中だけで解決できずに、「あいつのせいだ」「こいつも許せん」となって、自分だけの正義を主張し、攻撃的な行動に出る。
攻撃を受ける相手の気持ちはおかまいなしである。
自分を安全なところに置いておいて、
相手に嫌な思いをさせてもかまわない、というだけなら、
それは人間としてとても恥ずかしいことだと思うのだ。
言いっ放しではなく、その相手と今後よい関係を築いていく、という心を持って接することが大切なのだ。

相手の主張を受けとめ、誠実に話を聞いている人たちは、一般にその心をもっている。(その人たちの方が多いのだが)
生きていくうえで、他の人とどのようにかかわるか、というのはとても重いことである。
相手と、どのように関係を築いて、どのようにうまくやっていくか、という心をもちながらの苦情でなくては、人間らしい心を忘れてしまっているように思えるのだ…。

さて、来週も、どうやら自分だけの正義を主張する人との対峙がありそうである。
へこたれずに向き合っていくしかないな、うん。

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昭和の大横綱、大鵬親方の逝去を悼む

2013-01-20 20:34:05 | ひと
巨人、大鵬、卵焼き…。

子どもの頃、本当に好きだったなあ、3つとも。

大相撲の大鵬親方が亡くなった。

相撲とりは短命が多い、というが、72歳。短命といってもよいだろう。

大鵬が横綱として活躍し出した頃、子どもの頃のわが家には、まだテレビがなかった。

テレビの置いてある近所の雑貨店に、「テレビを見せてください。」と人が集まったものだ。

特に、人がよく集まったのは、大相撲中継であった。

小学校入学前の私は、大鵬が大好きで、「大鵬!大鵬!」と言って応援しながら、テレビの大相撲中継を見せてもらったものだ。

ところが、応援の声が大きくなりすぎて、店の人から、「やかましい。うるさくするなら、出ていけ!」と、怒られたこともあった。

小学校時代は、しだいに、強すぎる大鵬が敗れると喜ぶ、「アンチ大鵬」になってしまった。

特に、小兵の「海乃山」という力士が好きで、立ち会いのけたぐりで何度か大鵬を倒すのを見て、すっかりファンになってしまったものだ。

人生でたくさんの苦労をかかえながらも、相撲界を背負って立っていた人だった。

性格的にもすばらしく、間違いなく、昭和の大横綱であった。

合掌。
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首都圏大雪でわかるでしょ!?サッカーJリーグ秋春制移行は無謀だって!

2013-01-17 22:39:01 | 新潟
首都圏を襲った大雪の影響がなかなかおさまらない。
大雪当日の交通機関の混乱や交通事故の発生。
そして、残雪やとけた雪が凍った後の転倒事故。
混乱が続いている。
冬の季節、いったん降ると多くの期間、雪との戦いが続く本県。
10cm程度で大雪だとは…と、多くの県民は思ってしまう。
それで、全国高校サッカーの決勝が、1週間の延期となった。
サッカーJリーグの秋春制を主張する人は、冬にこうした雪との戦いを行っている地域の人たちのことを考えられていない。
今回の雪で、少しは分かった人もいるかもしれない。
雪は、単にスタジアムだけの問題ではないと。


雪が降るのは、単にサッカー場だけではないのだ。
その周辺に影響を及ぼすのだ。
ピッチコンディションが悪くても、欧州では冬も試合をやっていると言う人がいる。
寒ければ暖房設備を設ければよい、とか暖かい格好をしていけばよい、とか言う人がいる。
家を出てから、サッカー場までたどり着くまでが、どれほど大変なのかわかってもらえたのではないか、と思う。
交通機関がマヒすること。家から出るだけでも大変なこと。サッカー場近くの駐車場の除雪も時間がかかること。せっかく試合場についても寒い思いをすること。見る人も選手たちも健康をそこないやすいこと。
試合を運営する側も、少ない観客で高い除雪費は赤字必至である。
よっぽどの物好きにならなければ、降雪・積雪の条件下のサッカーの試合を見たいなどとは思わないはずである。

J1アルビレックス新潟は、いよいよ今日入団会見が行われた。
明日は練習開始である。
今年は、残留争いに巻き込まれた昨年以上によい順位であってほしいと願う。
ただ、おそらく明日も練習場は、土の上ではない。
他チームは当たり前のように芝生の上で練習をするのだろう。
新潟には首都圏以上の降雪・積雪がある。
雪で、室内での練習しかできないのだ。
厳しい寒さ、雪。
それに不満をもらさず、練習に取り組む新潟の選手たち。
一度もJ2に落ちずに、J1で10年目のシーズンを迎える。
粘り強い守備のチームが生まれるのは、こうした季節を過ごすせいだろうか。

こんな不利な条件の中で始動するチームがあるのだ。
強引に秋春制を主張する人たちに、もっと知ってほしいのだが…。
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教え子たちからの年賀状に勇気づく

2013-01-15 22:34:55 | 「育」業
「現在ゴラン高原にて国際平和協力業務(PKO)に従事しています。
帰国予定はまだ先です。
元気にがんばっています。」

という年賀状を受け取って、驚いた。
発信人は、小学校6年生時、一時的に不登校に陥ったことがあるHである。
今から20年以上前になるあの当時は、毎日毎日彼の家と連絡を取り、情報交換し合っていた。
Hの心身の状態を知り、その安定化を図ったものだった。
その彼が、今ゴラン高原でPKOとは。
現在彼は、自衛隊員で33歳となっている。
ゴラン高原といえば、イスラエルとシリアが領有権を主張しているため、国連平和維持部隊が派遣されている所だ。
家族と離れ、厳しい条件の中、たくましくその職責を果たしているHをとても頼もしく思う。


「子どものためにも、元気に働いています。」

あえて「子どものためにも」と書いたのは、夫と離婚したK。
比較的早く結婚し、子どももできたのに、夫とうまくいかなくなり、別れたのだとのこと。
とてもつらかったけど、子どものためにもがんばらなくてはいけない、と思って毎日仕事をがんばっているそうだ。
仕事はつらいけど、家で子どもの笑顔に救われているとのこと。
小学校当時は、恥ずかしがりで、友だちの後についているだけの子だったが、今はしっかりと自分の意思をもって生きているのが伝わってきた。


「元気な子ども3人に囲まれて、母ちゃん(として)がんばっています。」

多少気弱で、気になることがあるとたびたび学校を休んでいたM。
勉強も自信が持てず、休むからなおさら学習が遅れたものだった。
繊細な感じで、なんとか自信を持たせようと働きかけを多くしていた。
今は、「母ちゃん」の言葉に、元気な母となっているのがうれしい。

教育に携わった仕事をしていると、教え子たちが成人し、たくましく生きていることを知るのは、最高の喜びである。
直接そういう姿に会ったりしたときの喜びは、さらに大きくなる。

今現在の子どもが、どんなに困った様相を見せていても、きっと成長してたくましく生きていけるはずだ。
そう信じて、周囲の大人たちが見守ったり声をかけて励ましたりしていけば、きっと大丈夫なのだ。

そういうことを教え、勇気づけてくれる、かつての教え子たちからの年賀状である。
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母校を食い物にする…!?

2013-01-14 22:32:13 | 「育」業
えっ!!?
こんなコラボあり?
昨日、日曜日恒例のお買い物に近くのスーパーに行った。
そのとき、見つけたのが、このランチパック。

赤ワイン入りのビーフシチュー
…がサンドしてあるとのこと。
「新発売」とも書いてある。
それはどうということはないのだが、大学名、校章、大学の写真入りである。
しかも、入っている袋は、紫色。
大学のシンボルカラーで色づけされてある。

なつかしい!
この紫色の大学は、実は、わが母校である。

すぐ隣に並んでいたのは、オレンジ色の法政大学、その向かいにエンジ色の早稲田大学、その隣には、紺色の明治大学…それぞれのランチパックが並んでいた。
サンドされている中身は、それぞれ違っていて、面白かった。

わが母校がビーフシチューということだが、残念ながら、自分の在学中の昭和50年代には学食にそんなメニューはなかった。
きっと今はあるのだろうなあ。
経営学部のゼミの学生たちとの共同企画製品らしい。

しっかり1個買ってきて食べた。
それなりに学食の味のような気がして、楽しかった。

他大学の味はというと、法政大学は焙煎キーマカレー、早稲田大学はメンチカツ&たまご、明治大学はオムレツハヤシ風…。
帰宅後調べてみると、製パン会社のホームページにその商品たちを発見することができた。
慶応大学、そして国立の東京大学の商品は、なかった。

こんなの、よく大学が許可したなあ。
母校を食い物にするとは…(意味が違うか!?)
大学と製パン会社に、ひたすら感心!
約7年前に、サークルの前後10数年分まとめての同窓会に行って以降、大学は訪れていない。
皆さ~ん、お元気ですかぁ~…(約20年前の井上陽水の車のCMの口調で…)。

なんともなつかしい珍商品であった。



ごちそうさまでした
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さらば、矢野貴章…

2013-01-07 22:52:54 | アルビレックス新潟

【2007年11月の試合場での画面↑】
ついに公式発表されてしまった。
J1新潟の矢野貴章選手の名古屋への移籍。
すでに新聞報道では確実視されていたけれど、正式に発表されてみると一抹の寂しさがあるなあ。
若き矢野が所属していた柏レイソルがJ2に降格した年に、新潟に移籍してきた矢野。
初めの頃は、よく相手選手に転ばされていて弱さを感じたっけ。
それが、次第にたくましさを身につけ、新潟のサポーターの期待を一身に受ける人気選手となった。
攻撃に転じた時のあのスピードのすばらしさ。
そのうえ、彼は攻撃の選手なのだが、守備もさぼらないのだ。
ひたむきで、泥臭いプレーぶりに、応援する人は皆魅せられたのだ。

他チームに移籍の話が出た時は、引きとめたい新潟のサポーター席にこのコレオグラフィが生まれたこともあった。


そして、W杯南ア大会の日本代表メンバーに選ばれたことや、W杯前最後の試合で彼のゴールを期待して応援の歓声を上げたこともあった。
W杯後に移籍したドイツから再び戻って来た昨年は、また新潟で躍動する矢野貴章が見られる、と、新潟の人々は皆喜んだものだった。

だが、残留争いに巻き込まれた昨シーズンは、矢野選手本人にとっても、よい年ではなかった。
ドイツに渡る前のような切れ味がなくなっていて、次第に控え選手としての働きが求められるようになってしまっていた。
でも、まだまだやれると、矢野本人も周囲の人々も私たちもそう思っている。
ただ、残留争いをしてしまった新潟は、もっと強くならなくてはいけない。
矢野選手も、もっと出場機会が多いチームに変わって、新しい刺激を受けながら成長しなくてはいけない。
そんな事情がある。

矢野が大好きな新潟の人々は、他チームへの移籍を機会に、もうひと花咲かせてほしいと願っている。
矢野のチャントは、皆に愛され何度も歌われてきた。

 オレたちとともに 戦おう
 矢野貴章 矢野貴章 オメキメレ貴章

「オメキメレ」は、「お前が決めろ」の新潟弁方言の言い方だ。

さよなら、矢野貴章。
新潟に、熱いプレーをありがとう!
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気晴らしに雪道ラン

2013-01-05 22:00:28 | RUN
昨日から勤務開始。
昨日は、寒い日だった。
朝は国道が圧雪の上凍っていて大変だったけど、まだ三が日明けの金曜日のせいか、そんなにひどい渋滞には巻き込まれずにすんだ。
しかし、年明け勤務初日にしては様々な電話が入った。
そのうちの一つは、寒さを助長し、気分を完全に暗くしてしまうものだった。

日が明けて、今日になっても気分の回復はならなかった。
今日は、幸い、午前中からよく晴れていた。
今日もわが家の前の路上は雪なのだが、大きな通りの車道なら大丈夫だろうと思い、昼過ぎ、気晴らしに走ることにした。
何せ、元旦マラソンで、吹雪の中を、雪や水で足元びしゃびしゃの中を走ったものだから、どんなコンディションでも走れるだろうと思ったしだいである。

さて、走り出してみると、やはり車道を走るのは、車に迷惑をかける。
雪で道幅が狭くなっているために、対向車があると後ろから来た車は、私を抜いていけないのだ。
対向車が行き過ぎるまで、私の後ろの車は待つことになってしまうのだった。
「ごめんなさ~い。」と思っている私だったが、その後私を抜いて行く車の何台かは、抜きがてら路上に残ったシャーベット状の雪を、ビシャ~ッと私の脚や体にかけていくのだった。
なんと冷たいことか。
だから、雪が少なくなっていたり、人が歩いたりした跡のある歩道では、走れそうならなるべくそこを走った。

シューズは、水を吸って冷たくなった。

途中まで、青空が美しかった。
南の方向に走る道は、濡れた道に太陽光が反射してまぶしくて走りにくかった。
でも、途中で、田が雪で白一色になり青空が美しいのをとてもすがすがしく思った。


4日ぶりに走った。
55分間走り、暗くなった気分も少し晴れたのだった。


しかし、帰宅後、高校サッカーで帝京長岡高校が敗れ、またまた気分は深く沈んだのであった。

はあ…。
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運勢「小吉」に勇気づく

2013-01-03 22:24:33 | 生き方
正月3日。
おそまきながら、初詣に出かけた。
今日は気温が低くて寒風強く、時折雪煙が舞う荒天。
そのせいか、行ったのはこの近くで一番の神社なのだが、人は結構いたとはいえ、いつもの正月ほどの混雑ぶりではなかった。

家内安全を願った後、おみくじをひく。
運勢は、「小吉」。
去年は、「末吉」だったから、今年の方が希望が持てる。

おみくじに詠まれていた歌
「春風に 池の氷もとけはてて のどけき花の かげぞうつれる」

「春の日に暖かに和らぎ、花咲きにおう如く、今までの悪い運も開けて栄える御籤(みくじ)です。心正しく行いを直(すぐ)にし、色を慎み、信心して人に慈しみを施せ。幸いいよいよ添う。」
…という意味だとか。

大吉と言われるよりも、信じられる小吉。
「心正しく行いを直にし」
…そうだよねえ。
今年一年そのように生きていけば、きっと「幸いいよいよ添う」だろうなあ。

さっそくその後、吉が舞い降りた。
テレビを見ていたら、全国高校サッカーで、新潟県代表の帝京長岡高校が鹿児島城西高校に4対1で快勝。
ベスト8を決めた。
実に見事な楽しい試合であった。
強豪相手に、新潟県代表があんなに楽しくパスをつないで得点を重ねるのは、初めて見た。
次戦も勝って、国立競技場での試合に進んでほしい。
おみくじの運に乗っていきたいところだ。

でも、小吉だから、過度な期待はいけないところかな?
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一年の計は元旦マラソンにあり

2013-01-02 15:16:58 | RUN
あけましておめでとうございます。

今年は、私の年齢も父の享年に達する。
私は、今年も一年元気にいたい。
まずは「一年の計は元旦にあり」
息子が出るというので、元旦に行われる「村上市元旦マラソン」に出場することにした。

朝は、もう5cmくらいの雪は積もっていた。
車を運転して村上市に向かう途中、場所によっては10cmくらいの雪があった。
着いた場所、村上市では、毎年元旦マラソン大会が行われている。
その回数、なんと「第58回」。
日本の元旦マラソン大会の草分け的存在だ。
会場周辺では、朝から、たくさんの役員の人たちが、車の案内や人の誘導、除雪や大会に必要な案内板の設置などに携わっていた。
ありがとうございます!
という気持ちになるよねえと、一緒に行った息子と話し合った。


駐車場がなくなって誘導された村上小学校のグラウンドは、雪!
この水分の多い雪の上を車が動くのでは、春になった頃グラウンドは車の轍(わだち)などで、ぐちゃぐちゃになっていることだろう。


さて、体育館で、開会式。

「さけりん」なるキャラクターも登場。

ユニークでかわいらしいが、重そうで動きもよくない。

開会式が終わってから、私が出る10kmのスタートまでは、1時間半もあった。
その間、雪の降ること降ること。
「わさわさ」と雪が降る、というのはこういうことかと思った。

体を動かし、外が雪で使えないので1階の駐車場で走ってウオーミングアップ。
10時半に、走る前からうれしいできごとが。
私のゼッケン番号が、村上市の名産品が当たる抽選に当たっていたのだ。

私が当たった景品の中身は、「鮭の酒びたし」。

入っている量は少ないが、値段は結構高いのだ。
酒のつまみにちょうどいい。
うれしいなあ!
こいつは、春から、縁起がいいわい!

そろそろスタートの時間、というので外に出てみたが、寒い!
こんな降雪のひどい天気なら、寒さが厳しい天気では、夏用の帽子ではなく、ニット帽の方がよかったなあ、と反省。
手には、軍手。
長袖は1枚着ていたが、ウインドブレーカーをもう1枚重ね着した。
これによって、並ぶのが遅れ、少し後ろになってしまった。


走り出してみると、これはすごいコンディションだった。
正面から、大粒の雪が襲ってくるだけではない。
足元は、びちゃびちゃの雪。
その雪が、やわらかいながらかためられているところあり、足跡で水がたまっているところあり、もろに水たまりあり。
沿道には、積もった雪。
誰もの視線がどうしても足元にだけ集中し、ゆっくりした走りになる。
それに加えて、並ぶのが遅れて後ろになったせいもあって、スタートしても前の人々の走るスピードが上がらない。
人の隙間を見つけたり、沿道の雪の中に足を突っ込んだりしながら、自分が走りやすい速さで走るまでに、3分近くかかってしまった。
でも、この空気の冷たさと雪の当たり方を見ると、重ね着したのは悪くはなかったはずだ。
目の前に、ヘビの被り帽子をしているランナーがいる。
とりあえず、この人を目安に走ることにした。

雪のせいで、1kmの標示を見逃した。
交差点を曲がって少し大きな道路に入ったら、これまたすごい道だった。
道路中央から消雪パイプで水がどんどん出て来る上、走路は雪もたまりシャーベット。
夏なら、さぞかしうまかろう。
しかし、今は冬。
走路中すべてが水たまりかシャーベット+水。
避ける術はなく、シューズはぐちょぐちょになり、冷水がすねや太ももに引っ掛かる。
おお、冷たい!なんてコンディションだ。
でも、思う。
こんな条件で走れるなんて、楽しい…?!!

こんな中で走れるなら、どんな時も走れるよなあ…。

悪コンディション下でも、タイムは尻上がりによくなっている気がした。
2kmで10分21秒。
3kmで15分22秒。
それが、コース1周が終わる5km地点で、25分5秒。
コースはわかった、あと半分。
できれば、1km5分以下となる50分を切りたいものだ。
目の前のヘビの帽子の人は、私より少しずつ速くなっているのか、差を開けられてしまった。

6km地点で30分7秒。
8km地点で40分13秒。
この辺から、
自分を抜こうとするランナーの人に付き少しスピードを上げる
→少し離される
→また別の抜こうとするランナーの人に付き少しスピードを上げる
→少し離される
…この繰り返し。
ヘビの帽子のランナーは、だいぶ前にいるのがわかるが、追えなくなっていた。
だが、追いつきたいと思ったせいか、タイムはだいぶ上がっていった。
残り1km、44分49秒。
車を止めた村上小学校から、残り数百メートルになると、いろいろなランナーがラストスパートをかけてくる。
次々に追い抜かれていく。
追い抜いて行くランナーの中に、白髪頭の、間違いなく自分と同じ50代の人がいた。
残り50m、ここでムラムラっと、負けん気が湧いた。
追い抜いてやる、そう思って一気に加速し、その人を含め2,3人を抜いた。
ゴール!
結果は、50分を30秒切ることができ、目指していた49分台のタイムが確保できた。
このひどいコンディションでも、走り切れたし、順位も50歳以上男子では、80人弱の参加者中20位台でいられたのも、それなりにうれしかった。
5kmの部に出た息子も、自己新が出て、「高校生~20代の部」で結構上位に入れたので喜んでいた。
おまけに、帰りには体育館入口で、鮭汁がふるまわれていた。

おいしかった。
体が温まった。

さあ、元旦から悪条件にめげずにがんばれた自分。
「一年の計は元旦マラソンにあり」
きっと今年はいい年になるぞ、と。
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