ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

HAPPY BIRTHDAY TO ME !?

2013-02-28 21:46:10 | 生き方
誕生日の未明2時半、妻の携帯に緊急電話。
その後2時間もその件をめぐって対応に追われて寝れなかった妻、本当にゴクロウサマ!

誕生日、と言っても、誕生の記念日と言える日だ。
なぜなら、いつ年をとるかというと、誕生日の前日。
その年齢に達するのは、実は前日ということが、法律で規定されている。
だから、学校の子どもの入学対象が、3月31日までではなく、4月1日生まれの子にまで及ぶというわけだ。
4月1日生まれの子は、3月31日に年をとるっていうことだからね。

それはともかく、今年の加齢は意味深い。
ついに父の亡くなった年齢に並んだ。
50代で突然亡くなった父。
早過ぎる、と思ったものだ。
私は、子どもの頃体が弱くて、毎月のように医者に行っては、尻に注射を打たれたものだった。
だから、父と同じ年まで生きる、ということは、自分にとって一つの目標になっていたような気がする。
まあ、いつのまにか体が丈夫になって、高校時代から「体育会系」に変身してしまった自分であるから、このくらいはいきられるだろうとは思ってはいたが。

誕生日。
天からのプレゼントは、晴れのよい天気。降雪はない。
だから、自分から自分への誕生日プレゼントをすることにした。
何か?
プレゼントは、相手が喜ぶものに決まっている!
相手つまり自分が喜ぶものと言えば、天気もいいことだし、走ること。
自分に走ることをプレゼント。

夕方、田園風景の中を走ることにした。

走っている時は、こんな風景も目にした。

山と山の間、奥にもう一つの山。
よくわからないが、少し灯りがある。
それはスキー場。
そして、手前の白い包みの山。
これらは、牧草と思われる。

今日は、なにせひと月ぶりなので、強いランニングにならないように、ひたすらジョギングを心がけた。
だから、ゆっくりゆっくり。
それでも、ひと月ぶりの走りは、実に爽快であった。
走った時間は、45分55秒。
距離は、8km強かな?

ああ、気持ちよかった!

新しく年を重ねた記念に走ってよかった。
いつまでも自分に走りのプレゼントができるくらい元気でいたいものだ。

HAPPY BIRTHDAY TO ME !
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「いく」「にげる」「さる」ならぬ「いてつく」「にんたい」「さむい」の3カ月

2013-02-26 22:40:32 | 新潟
最近は、全国的に大雪のニュースが流れている。
ご多分にもれず、こちらも寒い日が続いている。
ずっと冷え込んだままで、真冬日やそれに近い寒い日が続いている。
ただし、冷え込み過ぎて積雪量はそんなに多くはない。
きっと、中山間部に落ちているのではないか。
今は、雪よりも朝夕の路面凍結の方に怖さを感じている。
何せ、毎日朝夕に-3℃の気温表示を見かけるのだから。
時折、田んぼに落ちたり縁石に乗り上げたりしている車も見かける。
例年だと、2月の下旬にこんなに冷え込みが続く日はないのだが、今年は特別だ。
この時期の忙しさを表す言葉に、1月は、「いく」、2月は、「にげる」、3月は「さる」と言うが、本当にそうだなあと、思っていた。
忙しいだけでもたまらないのに、寒さが拍車をかけてる。
今年の1月は、「いてつく」、2月は、「にんたい」、3月は「さむい」あたりが、適当なのかもしれない。
今年は寒さに「にんたい」の2月。
もうすぐ終わるなあ。

あっ。

寒さのあまり、

今月は1回も走ってないや!!!

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開幕前に高まる期待

2013-02-24 22:47:30 | アルビレックス新潟
今日も、時々吹雪。
気温が0℃を上回らない真冬日の一日。
いつもの年なら、2月も下旬を迎えて真冬日が続くなんてことはあまりないのだけれど、今年は違う。
先々週は、降るのが雪ではなくて雨になっていた。
だから、少し春が近づいたなあ、と思っていたのだけれど、真冬に逆戻りのここ数日間だ。
暗い気分になるのだけれど、そんななかでも、明るい話題は、サッカーJ1アルビレックス新潟のキャンプが順調に終わりを迎えたということだ。

今日は、清水とのプレシーズン・マッチだったのだが、4-1と快勝。
新潟同様に、練習試合で負けていない清水に対し、堂々の勝ちっぷりだ。
期待が高まるなあ。
今季新しく入った選手たちの動きがいい。
浦和から加入した注目の田中達也選手。
ブラジルから来たボランチのレオ・シルバ選手。
鹿島から加わった岡本英也選手。
福岡から来た成岡翔選手。
鳥栖から来た金根煥選手。
いずれも、今日の試合では先発出場し、貴重な働きをしていた。
去年の得点不足から脱却しそうな雰囲気がある。

すばらしいのは、清水まで応援に行った人だけではない。
新潟のサポーターの皆さんもすばらしい。
新潟では、ボランティアの人々が、吹雪の中、アルビレックス新潟の練習用グラウンドを懸命に除雪作業に当たっていたのだ。

新潟の下馬評は高くはない。
しかし、昨年の残留争いの経験と、今年の新たなメンバーによって、チームのレベルがアップしている。
来週の開幕が楽しみだ。
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雪に飽きて、相模湾沿岸へ旅するその4~二宮の菜の花、そして江ノ電

2013-02-17 22:42:34 | お出かけ
相模湾岸滞在も、3日目。
平塚のホテルの窓から、朝日の輝きが見えた。

初日、小田原で観光用のパンフレットで、神奈川県の花を巡るパンフレットとして、「かながわ花ものがたり」というのを見つけ、もらっておいた。
そこに、吾妻山公園の菜の花が紹介されてあった。
菜の花が咲いている向こうに富士山が見えている写真だ。

(HPで紹介されている写真)
富士山と菜の花の両方が拝めるなら、それほどすばらしいことはない。
新潟から、ひと足早い春を味わいに来たのだ。
ここまで梅や桜は見られたが、菜の花はお目にかかっていない。
いざ行こう、吾妻山公園!

吾妻山、などと聞くと、磐梯の吾妻山を連想する。
しかし、ここは神奈川県。
どこかと思ったら、二宮町。
平塚と小田原の中間にある町である。
箱根駅伝でも、よくこの二宮で時間差を計ったりしているのをテレビで見ている。

駅に降り立ち、吾妻山公園へ行こうと北口へ歩き始めると、なんとプランターに植えられた菜の花が、歓迎してくれた。
駅から歩いて5分の吾妻山、というが、それは登り口までのこと。
そこからは、急な階段を登ることになる。

100段登ったら、次は、200段の階段が待っていた。
面白いのは、ところどころにこうして200段の階段の何段目かが表示されていたこと。

階段が終わったところで、展望台。
二宮の駅が見える。

この二宮には、30数年前大学のサークルで同期だった人が今でも住んでいるはずなのだ。
どうしているかな、などと思った。

階段はなくなったが、さらに奥へと登りは続いた。
そして、ようやく頂上へ。
なるほど、菜の花畑が広がっている。

少し近くて遠いところに山々が連なる。その左側には、海や半島が見える。

おっと、富士山、富士山…。
山の向こうに…雲!
残念!富士山は、雲の中。
しばらく待ってはみたが、雲は晴れず、広がるばかり。
残念ながら、富士山はあきらめ、写真撮影専門。

黄色く輝く菜の花に、ほっとするひとときでありました。

このあと、どうする!?

うーん、まだ江ノ電に乗ったことがないので、乗ってみたい!

…という希望をもった私。
藤沢で降り、江ノ電に乗った。

せっかく乗ったのだから、江の島に行ってみよう。

…ということで、江の島で降りてみた。


すごい人!たくさんの人が江の島目指して歩いて行く。

江の島めぐりをしようとは思わなかったが、人々につられて、江の島に足を一歩踏み入れてみたいと思ったのだ。

橋上の歩道を歩きながら、ヨットやサーフィンに興じる人々を見たり、富士山のある方向を名残惜しく見たり。

渋滞している車を横目に、結構すぐに江の島まで到達。
着いた!

やはり人が多すぎるので、ここでUターン。
せっかくだから、記念にソフトクリームを購入、味わいつつ橋を戻る。

少しずつくもり空に変わりつつあった。

道の両脇の食い物屋を見ていると、「しらす丼」なるものが名物のようだと、初めて知った。

この後が江ノ電らしくなるのだが、さすがに休日の江ノ電。
次々に乗客が増え、風景を楽しめないまま終点鎌倉駅に着いてしまった。

ただ、15の駅をすべて通ったぞ、と。
道路を走ったり、海岸沿いに走ったり、非常に狭い住宅が密集している中を走ったりしていたのは、聞いていた通りで、変化に富んでいた。
海岸通りでは、明らかにランの格好をして進む人々もあり。
天候がよく、毎日走れることをうらやましく思った。
また、心の中で口ずさんでいたのは、昭和50年ごろに出されていた「北鎌倉」(岡本正)という歌。

「北鎌倉で降りて、歩いてみませんか」で始まるこの歌には、
「極楽寺坂の切通し…」「さくら貝を拾ってる由比ヶ浜の君」「長谷観音の前にある小さな喫茶店」など、江ノ電の駅名にある地名も多く出てくる。
今回は、時間がないので、鎌倉や北鎌倉に降りて歩きはしなかった。
でも、懐かしい歌の歌詞が心の中で渦巻いていたのだった。
そんな心地よい江ノ電乗りであった。

あっという間に3日間が終わった。
小田原―熱海―二宮―江の島。
相模湾(相模灘)に面した地域で3日間。
春を代表する花々をいろいろ見られて、ひと足早く春を味わうことができた。

最後に、東京から上越新幹線に乗り、関東とおさらば。

今回利用したのは、JR東日本のスリーデーパス。

新幹線や特急券は別に買わなくてはいけなかったが、しっかり金額の13,000円分は楽しんだのであった。
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雪に飽きて、相模湾沿岸へ旅するその3~熱海で梅だ桜だ

2013-02-16 22:40:11 | お出かけ
宿泊した平塚から熱海までは、JRの普通電車で47分。
前日行った小田原からなら22分ほどで着いてしまう。
熱海行きの各駅停車で、ちょうど10番目の駅が熱海。

熱海に行くのは、3つの目的がある。
なんといっても、1つ目は、尾形光琳の紅梅図・白梅図を見ること。
2つ目は、この時期ゆえ、熱海梅園の梅。
3つ目は、早咲きの桜、糸川の桜。
さて回れるかな?

熱海駅から、MOA美術館行きのバスに乗る。
熱海は、平地がないイメージである。
すばらしく坂ばかり。
バスも、くねくねと細い道を右に左に登っていく。
時折待ってあげないと、対向車とすれ違えない。

丘の最上部にMOA美術館はある。
2月は、尾形光琳の紅梅図・白梅図が公開される月、と数年前に聞いていたが、そのとおり、公開されていた。

MOA美術館内は、広い。
というか、なかなか展示場にたどり着けない。
長い長いエスカレーターを3つも4つも登っていく。

ご丁寧に、上りと下りのエスカレーターの間には、階段まで付いている。
ここを走っていったら、そうとうなトレーニングができるに違いない。
ようやく展示場に着いた。
まずは、能舞台。

次に黄金の茶室。


そして、ようやく様々な展示室へ。

紅梅図・白梅図の屏風は、本物が飾ってあった。
何年越し?ようやく実物を目にすることができた。
展示場を回る途中、こんな類似物(?)も見られた。

制作された作品は、本来こんな色合いだったのだろう、ということだった。
他は撮影禁止でも、これだけは撮影可能。
他でも宣伝してくれよ、というような思惑を感じる。

高台にある美術館は、外の庭や展望ゾーンに出ることができた。
海もよく見える。

青空に建物がよく映える。

沖合の初島も見えた。

以前来館した時には、帰路はバスに乗らず徒歩で駅まで戻ったのだった。
しかし、今回は、バスに乗った。
次に、熱海梅園に行きたいから。
できれば、その後、糸川の早咲き桜、というのも見てみたいから。

再び熱海駅に戻り、熱海梅園を通る路線バスに乗ることにした。
すでに午後1時を回り、空腹が気になったが、時間が気になるのでバスに乗り込んだ。

ところが、バスは、渋滞に巻き込まれてしまった。
なかなか進まない。
車の量が多い。しかも、よそからきたことを示すナンバーの車が多い。
道がわかれば、歩くかもしれないところだ。
だが、目的地は上り坂を行かなくてはいけないので、しんどいはず。
そう思うと、ガマンガマン。

熱海梅園の住所は、その名も梅園町。

やっと着いたが、さすがに観光客が多い。

園内の梅は、まだまだこれからもっと咲く、というところだけれど、紅梅・白梅が結構咲いていた。

においがよかったのは、ろう梅の咲いていたところだ。

順路に従っていくと、さすが熱海。温泉地ならではの、このような人々が。

華やかでございます。

梅にウグイス、という光景も見ることができた。


さらに進むと、「梅見の滝」が。


この滝の裏から、園をのぞき見ることができた。


園内にはスイセンも何種類か咲いていたのだけれど、こんなかわいい珍しいスイセンも。


この季節無料で入館できるのが、隣接していた澤田政廣記念美術館。

館内で作品を見て、この人は、芸術家と呼ぶにふさわしい人だと思った。
木彫りの作品が最も有名なのかもしれないが、油絵、水墨画、書まで立派な作品が並んでいた。
今まで知らなかったが、こんなにすごい人がいたのだなあ、と感心した。

他に、梅園内には、中山晋平記念館や韓国庭園もあったが、印象は濃くない。

それよりも晋平記念館脇に咲いていた、見慣れないこの黄色い花の方が楽しかった。


そういえば、昼食抜きだった、と思い出し、かわいい温泉まんじゅうを1個購入。おいしくいただいた。


梅園を出ると、道行く車は長い列。
中には、「富士山」ナンバーも発見!さすが静岡県。
…と感心しつつも、帰路は下り坂なので、ひたすら歩いて行く。

20分余り下って歩いて行くと、あたみ桜「糸川の桜」の並木に会う。

ここの桜は、早咲き日本一をうたっている。

冬の日は低く、午後3時半過ぎですでに日陰になっている所も多い。
桜の咲き方も、ソメイヨシノを見慣れている自分にとっては、華やかさが違うなあと実感。

でも、もう桜が咲いているのが見られるのだから、うらやましい。
ここでは、梅にウグイスならぬ、たくさんの「桜にウグイス」を見ることができた。

ウグイスには、梅より桜がうまいのか!?


最後に、初島行きのフェリーを見送った

後、貫一お宮の像を見て、

駅までの道を、長い階段を登った。

あえぎながら登る道の途中、コンクリートの石壁に咲いている野草の花々を、

たくましいと思ったのであった。
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雪に飽きて、相模湾沿岸へ旅するその2~小田原を訪ねる

2013-02-14 21:58:10 | お出かけ
 小田原駅から、小田原城は歩いて行ける距離である。
 駅から案内表示に沿って10分くらい歩くと、堀に囲まれた小田原城址公園に着く。
 橋を渡っていく途中、堀に浮かんで泳いでいる白い鳥たちが目に入った。
 優雅だな…と思っていたら、どうも動きが結構せかせかしている。
 橋の周辺の看板には、こう書いてあった。
 「ユリカモメにえさをやらないでください」
 …えっ!?ユリカモメ?
 なんと、お堀に浮かんでいた鳥の群れは、海鳥のユリカモメだったのだ。
 確かに、海から遠くないけれど、お堀で泳ぐユリカモメ…。
 そのミスマッチに驚いてしまった。

 橋を渡って、中を歩いていくと、よい香りが漂う。
 梅だ。

 紅梅、白梅、

 そしてろう梅が咲いていた。

 ろう梅は、季節の終わりを迎えていたが、梅は満開にはなっていなかった。
 新潟よりふた月近く早い梅の花。
 その花のきれいさと香りのすばらしさを存分に楽しんだ。

 銅(あかがね)門を横に見ながら通り過ぎ、橋を渡って常盤木門へ。

 向かう途中に、なんと早咲きの桜が、もうたくさん開いていた。

 もう、春なんだね、こちらは!!

 常盤木門をくぐると、松の木の向こうに小田原城が見えてきた。

 天守閣がよく見えないからと、高い松の木の枝を切ったということは知っていた。

 内部は、様々な展示物。
 特に珍しいものはなかったが、「北条五代を大河ドラマに」ののぼりが目を引いた。
 北条五代観光推進協議会というのがあるのだそうだ。
 戦国の世にあって親兄弟争うことなく五代百年にわたり関東を治めた北条氏。その偉業を展開することにより、北条氏ゆかりの地として歴史や文化を広く全国に紹介し、地域の活性化を図ることを目的としているらしい。

 天守閣に登り、四方を見渡した。

 山あり、海ありの眺めが広がる。
 相模湾の向こうに、三浦半島や房総半島までも見える。


 城から降りてきたら、おや、こんな姿の人たちが…。

 コスプレ…ではないが、安価でこんな昔の衣装を着て写真撮影することができるということだ。
 楽しいじゃないか。
 …とはいうものの、われわれ夫婦は、ビジュアル的に元が悪いので、パス!

 帰路は、報徳二宮神社でお参り。

 その後、銅門をくぐって、城址公園にお別れ。

 まだ、3時半。次にどこに行くか。
 あまり興味はないが(?)小田原文学館へ、と道を決める。
 その行き帰りがまた楽しかった。

 歩いて行くと、なんと道の側に、また城が!!

 何、コレ?
 表の看板やのぼりを見ると、「ういらう」と書いてある。

 これは、実は、ういろう屋さん。
 しかも、社長の名字も「外郎」と書いて「ういろう」と読む。
 公家であったとか。
 小田原のういろう売りは、和菓子だけではない。
 実は、薬なのである。
 仁丹に似ているが、効能は、頭痛、腹痛など万能薬らしい。
 帰宅後、外郎売りは、先日亡くなった市川団十郎が演じていた歌舞伎の十八番だということを、知って驚いた。

(小田原文学館は、省略。)

 小田原の街は、歴史ある街の魅力の工夫が、あちこちにうかがえた。
 街かど博物館と称して、古くからの店が昔ながらのたたずまいを見せている。


 バス停も、城壁を思わせた。

 マンホールのふたも、それらしいデザインであった。

 (後で見た観光HPも、評価してもらおうという工夫があり、すごいと思ったのだ。)

 歴史ある街づくりをしていることに感心した小田原市であった。

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冬と母の命日と

2013-02-13 22:18:39 | 生き方
真白き世界。
小田原方面から帰って来る時、東京はあんなにきれいな青空だったのに、群馬県内を新幹線が走るうちに少しずつくもり空に変わっていった。
そして、国境の長いトンネルを抜けると、そこは、まさに雪国であった。
急に白と黒の世界になり、白が圧倒的に多くなった。
わずかの距離で、天候がこうも違うのか、と改めて冬の違う現実を見せられた気がした。

今朝のこちらの風景も、雪だ。
田んぼが真っ白だ。

近くの山々も、大して標高は高くないのに、低い雲に飲み込まれている。
まさに冬の天候そのものの風景だ。


こんな冬の2月は、母の命日と自分自身の誕生日がある。
今日は、母の命日。
8年前の亡くなる寸前の頃も、よく雪が降っていたっけ。
母は、太平洋側の出身である。
だから、こうして雪だらけの新潟の冬は、相当つらかったことだろう。
生前、私らにしてみれば大した量の積雪とは思っていない日でも、電話で母の実家の方と離す時は、「大雪だよ~。」と言っていた。
大げさに言っているなあと思っていたが、実は、あれは、太平洋側出身の母の本音だったのかもしれない。
母の実家の方では、冬に雪が降るのは数度、まして積もることは珍しいのだから。
何年たっても、新潟の冬には慣れないままだったのかもしれない。


今日は、曇りが中心で、雪が降るシーンは少なかった。
ただし、積雪があるのと、平日で仕事が忙しいのとで、墓参りは、なし。
代わりに、墓地に近い従姉夫婦が先日の休み中に行ってきたとのメールが入った。
感謝の返信を送った。

母が命の灯が消えようとしていたあの頃は、その従姉の母、つまり伯母も同じ病院に入院中だった。
伯母は、母の後の翌年12月に亡くなったのだった。
母が亡くなってから、まだわずか数回の冬を越したようにしか思えないのだが、8年が過ぎたのである。
早いものだ。
自分の人生の7分の一くらいは、すでに母なし子になっているという訳だ。
さすがにこの歳だから、母がいなくて寂しいということはないが、父や母の人生を思うと、これから自分があと何年生きるのだろうか、などとも考えてしまう。

悔いなく、今を大事にしなくては。
今月にはこの後、自分の誕生日も迎え、新たな齢を加えるのだから。
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雪に飽きて、相模湾沿岸へ旅する1

2013-02-11 22:52:40 | お出かけ
雪は見あきた。
3連休。2月9日~2月11日。
珍しく予定が入っていない。
次の週から土日は3月中旬までどちらかに予定が入っている。
雪のない所へ行きたい!
という夫婦の意見が一致して、南へ。
この時期、新潟県を越えるのは雪を乗り越えなくてはいけないことと、行楽地は車が多いであろうことから、車は使わない。
調べてみると、JR東日本では、「スリーデーパス」売り出しの最終日。

以前は、新幹線や特急なども使えたのだが、今のスリーデーパスはそれらは別料金。
しかし、乗車券の料金としてもよりお得になるのなら、やっぱり遠くへ行きたい。
そこで、このスリーデーパスで、最大限遠くへ行けるのは、伊豆・伊東。
…だが、そこへ行っても、楽しみがない。
そんな理由で決めたのは、熱海と小田原。
まず、小田原。
これは、何といっても、小田原城を見たいのだ。
去年、大垣城、犬山城、名古屋城、郡上八幡城…とたくさんの城を見たから、他の城も見てみたいのだ。

次に、熱海の理由。
熱海には、MOA美術館がある。
以前行った時は秋だったが、その美術館最大の売り物、尾形光琳の紅梅図・白梅図は公開されてなく、その公開は毎年2月だと聞いていたのだ。
だから、もう一度2月に訪れて、紅白梅図を見たいと思っていたのだ。
熱海には熱海梅園も有名だし、そろそろ見るのにいい時期なのではないだろうか。


3連休は、新潟は雪になるとの予報を聞いていた。
雪と一時(いっとき)オサラバしようと、土曜日9日の朝、新潟から東京行きの新幹線に乗った。
新潟を発車してから、長岡に近づくとずいぶん積雪が増えてきた。
今年は大雪といわれる中越地方。
それが、県境越後湯沢からトンネルを抜け、上毛高原駅からさらにトンネルを抜けると、そこは陽光まぶしい関東平野。

東京までノンストップの新幹線に乗れたせいか、新潟を出発してからおよそ3時間半後には小田原に立つことができたのだから、大したものである。
30数年前の学生時代なら、3時間半では新潟からまだ大宮ぐらいまでしか行けてないはずである。
特急は上野まで4時間かかっていた。
上野から東京まで行くのにも、乗り換えが必要だった。
あの頃に比べて、2時間半くらいは早く着いていると考えられる。

さて、小田原には初めて降り立った。
そこで感じたことは、また後日書くことにしよう。
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昨日は節分

2013-02-04 20:58:28 | 生き方
今日は、立春。
関東では、立春を過ぎたから、「春一番が吹いた」とニュースで言っていた。
今夜は、新潟は、春一番ではなかろうが、強風が吹いている。
どうせまた、この後寒さが厳しくなれば吹雪となるのだろうが…。

さて今日が立春ということは、昨日が節分。
亡き父を思い出して、豆まきをした。

神棚に灯をともし、マスに入れた豆を供える。
神に祈りを捧げた後、おもむろに、マスを持って豆まきを始める。
最初は、玄関を開けて、「鬼は外!」を3回。
その後、家の中、特に神棚の方に向かって、「福は内」を3回。
あとは、開けた窓から、「鬼は外」を、
家の各部屋の戸を開けて、「福は内」を叫ぶ。
世界の中心で愛を叫ぶ…は、カッコいいが、
わが家の中心で「鬼は外」を叫ぶのがカッコいいかどうかは、不明。

昔、子どもの頃、なんでウチの親父の「鬼は外、福は内」の声はデカいんだろう、と、近所を慮って恥ずかしかった私である。
「大きな声でなければ、厄払いはできない」と、父は言っていたように思うのだが、定かではない。
かつては、炒った大豆であったが、今は落花生。
それも、「中国産のお得な落花生」である。
鬼を追い払うには、パワー不足だっただろうか???
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今年もやっぱり風邪ひいた

2013-02-03 17:43:18 | 生き方
クレーム対応、会合などで連続して毎夜遅くなっていたら、やっぱり風邪をひいた。
鼻、のどが痛み、だるい。
ああ、年に一度のいつもの風邪だなあ、と思う。

忙しくなって、ちょっと睡眠時間が少なくなると、とたんにのどから風邪をひく。
一般に熱は微熱程度。
そして、咳がひどくなる。
かかり始めから治るまでおよそ3週間。
あ~あ。

金曜日は、勤めを休み、一日中寝込んでいた。
具合の悪い証拠で、とにかく横になっているのが楽。
午前も午後も、床に入ってうつらうつらを繰り返した。
熱が高くないので、インフルエンザではあるまい。
ただひたすら寝ていたいと思うのは、体調不良以外の何ものでもない。
金曜日は、医者に行く体力もなく(?)寝ることに専念した。
呼吸器系が悪いため、夜中のいびきも相当すごいらしく、翌朝、妻から怪獣扱いされた。

土曜日の朝になって、少しは体力回復。
医者に行く体力ができたので、通院。
「インフルエンザではありませんね。でもこれから感染することもありますから、気をつけてください。」
主治医のその言葉にちょっぴり元気になった。
とはいうものの、一回や二回もらった薬を飲んだだけでは、治らす、気分がすぐれないことは変わらない。
ま、仕方ない。

そう思いつつ、まだまだ不調だが、日曜日の今日は、公務の関係で朝から昼酒付きの会合に参加。
これではよくならないよなあ…。
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