ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

種をまいたら咲いた…名前も分かった!

2018-05-31 21:50:36 | 草木花

去年の今頃、娘と買い物に行く途中、興味をもたせる花を見かけた。
細い葉だが、何より面白いのは、その花。

トケイソウに少し似たような咲き方をした花が咲く。

生命力も強いようで、生えていた場所は、アスファルトの切れ間。


娘と歩くたびに、しげしげと見ていく癖がついた。

観察(?)を続けていたら、何度か咲き終わった後は、袋のような実ができていた。

さらに時間がたったら、その実の部分が下に落ちて、人か車に踏まれていたものがあった。
天下の公道に落とされて踏まれていたものだから、拾ってもいいだろう、と思い、拾ってきた。
中には、乾いた種が入っていた。

秋には、その種をわが家のプランターにまいたら、芽が出てきた。
雪の季節を乗り越え、育っていった。
今週は、つぼみがふくらんできていた。

そして、昨日、ついに花を開かせたものが出てきた。

咲いた姿を見ると、やっぱり面白い花だよなあ、と思う。


…それにしても、園芸品種なのだろうけど、何という名前の花なのだろう???

そう思っていたら、「花づくり大百科」という本に載っているのを妻が見つけ、見せてくれた。
その名は、「クロタネソウ」。
「ニゲラ」と呼ぶことが多いようだ。

あー、名前が分かって、スッキリした!

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高い山でなくても、怖い山となることがある

2018-05-30 22:31:23 | 自然・季節
昨日、残念なニュースが流れた。
「五頭連峰で 2遺体発見 新潟の親子か」
というものである。
見つかった時の服装から、どうやら今月上旬に遭難したニュースが流れた父と子らしい。
親子は、5月5日に山登りをして、同8時過ぎ「道に迷ったのでビバークする」と電話があり、翌6日朝「これから下山する」と再び電話後、行方不明になっていたという。
毎日何十人もの規模で捜索していたが見つからなかったのだ。
発見された昨日は、もう3週間以上もたってしまっていた。

前にこの件をここで書いたことがあったが、残雪の残る山は、登山道が雪で隠されていたり、別な道が開けていたりして、迷いやすいのだ。
見つかった沢は、深い谷や雪渓を越えた先にあり、捜索隊が入ることができなかった沢だということだ。

登山の目的地としていた松平山は、登山道の入口には「健脚向け」と書いてあったそうだ。
ルートとしては、松平山から五頭山を回って帰ってくる予定だったのではないだろうか。
単純に五頭山の登山なら、地元の小学校だって全校登山を行い、大人と一緒とはいえ1年生でも登頂するようなものなのだが、その季節は秋だ。
その頃雪はない。
そして、多くの人が登るので迷いにくく、いくらか登りやすい山である。
やはり松平山というのは、五頭山より少し標高が高く難しい部分がある山だったのではないだろうか。

先日私たちが登ったのは、500mと少しの山ではあったが、油断すると落ちたり迷ったりすることもあるだろうと思った。
高い山でなくとも、季節や気候によって、怖い山になる。
やはりこのことを忘れてはいけない。
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コンニャクの日ではない「記念日」~娘よ(89)

2018-05-29 22:36:06 | 生き方
今日は、コンニャクの日だそうだ。
何か冗談の一つも言えそうだが、わが家にとっては5年前からこの日は、冗談を交わすような余裕のない深刻な記念日となってしまった。

5年前の今日は、娘が倒れ、救急車で運ばれた日だからだ。
そこから、思いもよらない病状となり、家族にとってとてもつらい日々が続いた。
当ブログも、あの頃は今のように日々更新ではなかった。
あの年5月下旬には、山形県小国町の温見平に出かけたことを書いたのだった。
5月26日 「イワウチワ~一番会いたい花と突然出合う」
がそれだった。
1週間ほどしてから、6月2日にその続編を「温身平で森林浴」
として書いている。
そして、2回ほど南魚沼グルメマラソンに参加してハーフマラソンを走ったことを書いた後、何を言いたいのかよくわからないような内容の記事が続いた。

6月20日「悲しみに向かい合ったとき」
6月30日「わずかな光を信じて」
7月 1日「奇跡の逆転劇」

この間は、娘は集中治療室で、死んじゃうのではないかという状態に陥っていた…。
…だから、ここで何かを書く気にはなれずにいた。
しかし、7月14日以降、5月29日以降何が起こっていたのかをここで明かしていくようなことになったのだった。

幸い、3年半の間、娘に発作は起こっていない。
毎日の散歩やステッパー、スクワットなどで、ふらふらしていた体はかなりしっかりしてきている。
日中のアルビレックスのホーム戦などは、駐車場からスタジアムまでの歩きも、スタジアムの段差の多い階段歩きも、支障なくできるようになった。

倒れた年、「私、三十路になっちゃうよぉ…。」とよく言っていた娘も、あれから5年となり、その三十路も中間の年齢を迎えようとしている。
服用する薬も減らないままだ。
言うこと、やることはかなり普通になったが、まだ行動力や判断力の迅速さに欠ける。
短期記憶は、3年前に比べればましになったが、まだまだしっかり記憶に残らない…というところだ。

それでも、毎食後の茶わん洗いは自分の仕事として行っている。
「私には、こんなことぐらいしかできないから。」
そう言うところは実に健気だと思う。

今夜は、その病になった最初の日。
普通ならいまわしい日だが、逆手にとって、倒れたが復活できた記念日とすることにした。
5周年記念日。
近所のスーパーから寿司を買って、それを家族で食べて復活(中)の祝いとすることにした。
娘も、ノンアルビールで乾杯。
コンニャクの日について、冗談を言って笑っていられる。
そのことは、とても幸せなことだ。
社会復帰はまだ遠いが、みんなで支え合って生きていければ…と思うのだ。
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ヒメサユリに支えられて久々の山歩き(3)

2018-05-28 22:12:54 | お出かけ
袴腰山は、標高526m。
そんなに高い山ではないはずだが、ここへ来るまで上りだけでなく下りも織り交ぜての道だったので、そのアップダウンがきつかった。
山頂は、見晴らしがいい訳ではなかったが、ずっと見えていた粟が岳が少し後方に、

守門岳もだいぶ遠方になったような気がした。

ここには、鐘が下がっていた。

大きく鳴らしたいところだったが、すぐそばに休んでいる人がいて、じろりとにらまれたので鳴らすのをやめた。(何もこんなすぐそばで寝ていなくてもいいのに…。)
見晴らしは今いちだったが、ヤマツツジが満開に咲いていた。

もちろん、ヒメサユリも少し咲いていた。

さて下りようかと登山路を探ると、ここからまた急な下り。

ジャスト500mのところには、こんな標示もあったよ。

下り、下り、下りが続く中、この道には意味は分からなくとも様々なものが。
「藤景悟りの石」「とどめの坂」「五葉の丘」「見越しの松」「袴腰銀座」「憩いの松」「心臓破り」…。

30分間にこんなに多くのポイント標示に出会った。
そして、その途中には反対側の山の向うに、うっすらと弥彦山

や角田山が見えた。
あいにく黄砂の影響でくっきりは見えなかったが。

下り始めてから40分余り、高城城址にたどり着いた。

ここは、標高370mで、ここのいわれは下の通り。

いざという時の避難小屋もちゃんとあった。

少しだけ休んで、また下る。
近くには、空堀の跡もあった。

「終りの坂」の次は「眺めの松」なのだが、枯れてきているのが気になった。

「牛窪の城址(城跡)」というのもあった。

高城から登り口までは「ヒメサユリの小径」と名付けられている。
「たら沢のへつり」「見晴らしの尾根」「中の眺め」「上りの松」「はじめの眺め」「一の坂」…。

こうして下りてくると、さすがヒメサユリの小径、次第にヒメサユリの数が多くなってきた。
そして、一の坂に至ったときには、下り始めてから1時間半がたっていた。

道の両側にヒメサユリがあちらこちらに咲いていた。

色の濃いもの、

白いもの、

中がほんのりピンクできれいなものなど、様々なヒメサユリが咲いていて、さすが群生地であった。

15時20分頃、登り口に到着。
山頂からの下りにも2時間近くかかったことになる。
登山ルートの終了だ。

…だが、われわれ夫婦の歩きは、ここで終わりではなかったのだ。
この登り口から、われわれが山に入った八木ヶ鼻登山口まで戻らなくてはいけない。
その距離が、3.5kmもあるのだ。
今度は平地だから歩きにくくはないが、今まで4時間半も歩いたのだから、久々にたくさん歩く私たちにはちょっと厳しいなと思った。
昼下がりとはいえ、陽射しもあったし、汗びっしょりになってもいた。

それでも、私たちは、歩きながら周辺に花を探しながら歩くことを楽しむのだった。

ホオの木の花、キツネノボタン、ダイコンソウ、アザミ、ヒメシャガ、オオハナウド…。

そして、前方の八木ヶ鼻に少しずつ近づいていくのであった。

そして、八木神社の鳥居の前を通って、16時05分頃、車が止めてある八木ヶ鼻登山口に到着した。

いやあ、疲れた。
1万6千歩以上歩いた。
1万6千歩なんて、日頃走っていると、それなりに楽に走れる距離なのだ。
だが、今回の1万6千歩はきつかった。
アップダウンのそれは、平地のそれと全然違う。
ダメージが膝やかかとに出てきていた。
わずか500mと少しの山ではあったが、そこを登るのにかけた時間と体力は元気でなくては味わえないものだ。
十分、「楽しかった!」と言える。

ヒメサユリを中心に花から元気をもらって山を登り山頂に立ったり、平地では味わえない花見をしたりすることができた。
事情が許せば、ぜひまたどこかの山登りに挑戦したいものだ。
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ヒメサユリに支えられて久々の山歩き(2)

2018-05-27 20:25:19 | お出かけ
登山口に入ると、さっそく足元には、この前書いたばかりのコナスビが結構たくさん並んでいた。

ほかにも、マムシグサやフタリシズカなどが姿を見せてくれた。

前方に八木神社が見えてきたが、ここまでは実はほとんど登っていない。

ほぼ平らな道であった。
ここから、急に上りになった。
外部からは断崖絶壁のように見える八木ヶ鼻。
そこの頂上に行くためには、くねくねと曲がりくねった道だった。
時期的に、エゴノキの花が散って落ちているのをたくさん見た。

つづら折りの坂道に、コシノカンアオイやアマドコロなどを見つけながら登った。

こう書くと、いかにもスイスイと登っていったようだが、そうではなかった。
何せ夫婦で山登りするのは、去年5月に簡単に登った大峰山以来。
それ以前だと、4年前の青田南葉山リベンジ登山以来であった。
それゆえ、息切れするのも早かった。
特に妻は、娘と毎日、30回のスクワットは欠かさないとはいえ、私と違って走る習慣はないから、足腰が鍛えられていない。
休み休み登ったが、40分かかってようやく分岐点に到達した。

その所で妻は、少し休みがほしいと言って尻をついた。
数分間休んで、八木ヶ鼻の頂上目指して歩き始めた私たちに、最初のごほうびが待っていた。
頂上の手前に、一輪、ヒメサユリが咲いていたのだ。

反対側を向いていたけど、じっくり見たいので、手に取った。

会いたいと思っていたヒメサユリに、会えた喜びが広がった。

そして、八木ヶ鼻の頂上に到達。
出発から、約50分かかっていた。

守門岳、粟ヶ岳など近くのさらに高い山々が、とても近くに見えた。

少しだけ妻も回復したようで、再び分岐点から、今度は本来の目的とする袴腰山を目指して進み始めた。
しかし、また上りが続くようになると、再び妻は腰を下ろした。
水を飲んで、しばらく休んで立ち上がると、進むことを選んで歩き始めた。
この辺りには、ヤマツツジの赤い花やウラジロヨウラクの花などがきれいに咲いていた。

そして、2つ目のヒメサユリの花が、「がんばれ」と応援してくれているように咲いていた。

12時、「追分の松」なる地点到達。

「追分」(おいわけ)は、道が二つに分かれる場所をさす言葉である。
ここから袴腰山は、前方上方に見えるのに、道はなんと急激な下り。

この後、何度も急激な上り下りを行くことになる。
そういう登山道なのだ。

10分後、次のポイント、「高城の見える丘」に着く。
ただ、どっちに高城が見えるのか、分からない。
眼下の風景は、水が張られて田植えが終わった水田が広がっていた。

さらに進むと、ヒメサユリが初めて4本一緒に咲いている場所があったり、ピンクではなく白い花びらのものがあったりした。

こうしたヒメサユリに出会うたびに、がんばって進んでいることを励ましてもらっている感じがした。

こんなロープが結ばれている上り道に、これから先いくつも出合うことにもなった。

12時35分、「三角山」地点に。

腹も減ったので、この先の日陰で昼食。

メニューは、道の駅「漢学の里 しただ」で買ってきたあんぱん、いちごジャムパン、中にあんの入った「おこわだんご」。
疲れている時に、甘いものはうまかった。

元気を出して、袴腰山を目指し、再出発。

「ぶなの杜」「馬の背」を経て「見返りの丘」へ。

ここは、粟が岳方面からの登山道「ぶなのみち」の合流点になっている。
見返ると、確かにそれなりに歩いてきたな、と思う。

その先は、ロープが取り付けられている上りが多かった。
その上りの中にあっても、時々微笑むようなヒメサユリやヤマツツジに会うと勇気づけられる気がする。

そのせいか、妻も当初のようにへたり込んで坐ることはなく、休み休みではあったが、確実に前に進むことができた。
そして、真っ白なツクバネウツギを見かける。

普通花びらの中には、茶色い模様があるものだが、これは模様がなく白いだけだ。


急な上りを一歩一歩進み、待望の頂上に到達したのは、13時25分。
登山口から2時間半近くを要したが、袴腰山の山頂にたどり着いたのだった。
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強きにくじけ、弱きを助けている…そんな暇などないのだ!

2018-05-26 20:35:27 | アルビレックス新潟
本当の強者は、「強きをくじき、弱きを助ける」という。
だけど、今の新潟は、「強きにくじけ、弱きを助ける」ようなものだ。

J2リーグ第16節、アウエーFC岐阜戦。
岐阜は、前節は同じJ1から降格した大宮に2-0で完勝している。
今節、今度は新潟に勝って連勝し、勢いに乗りたいところだろう。
しかし、新潟だって、ようやく戦う形が整ってきたといえるところ。
むざむざと負ける訳はないだろうと思っていた。
もうリーグ戦も中盤戦、6勝3分け6敗の五分の成績だから、ここで負けたらまた負けが先行してしまう。
上位進出なんて考えられなくなってしまう。
アウエーでは、勝率がいい。
しっかり勝ってほしいと思っていた。

試合が始まると、序盤は予想通り岐阜が積極的に攻め込んできた。
しかし、それをいなしながら決定的な場面は作らせない新潟。
なんとか攻めに転じる場面がくるだろうと期待がしていた。
その期待通り、前半10分、初めてのチャンスのような場面で、こぼれ球に反応した渡邉新太がゴールを決めた。

その後は、もっぱら新潟がボールを支配するようになった。
しかし、追加点を奪えないでいる。
こんなときは、あっさりやられることが多いのだよなあ、と不安視していた。
その予感が当たる。
ゴール前で岐阜の選手がヘディングシュートをすると、そのボールが新潟のDF原の頭に当たってコースが変わり、同点ゴールとなってしまった。
不幸な失点だった。

それでも後半に勝ち越しゴールをあげられるだろう、タレントもそろっているのだから。
よっぽど有効なカウンターをくらったりしないかぎり、大丈夫だろうとたかをくくっていた。

ところが、後半17分、その有効なカウンターを簡単に食らい、岐阜に逆転ゴールを許してしまった。なんということだろう。
でも、まだまだ時間はあるから、このままということはないはずだ、と信じていた。

しかし、選手交代も空しく、得点が入らないままずるずると時間だけが過ぎていった。
後半入った選手たち―河田、ターレス、田中達也―は、確かにそれなりに光る動きを見せたけれども、得点には直結しなかった。

ついにアディショナルタイムも4分が過ぎ、ついに試合終了。
1-2で岐阜にも敗れた。

J2で昨年下位に沈んだチーム(昨季J3だったチームも含めて)に、いったいどれだけ負ければいいのだろう。
愛媛、熊本、栃木、岐阜。共に落ちて調子の上がらない大宮。
そして、対戦した時首位だった、岡山と大分。
新潟は、強きをくじけず、弱きを助けている。
強きにくじけ、弱きを助ける、といった状態ではとてもとても…。

これで6勝7敗3引き分けで、暫定11位に後退。
昨季J2で優勝した湘南ベルマーレは、24勝7敗11引き分けであった。
すでに負け数では並んでしまった。
残り26試合を18勝8引き分けで行ける???
…ここまで勝てないなら、それは不可能と言える。
そして昨季2位だったV・ファーレン長崎だって、24勝10敗8引き分け。
やはり18勝3敗5引き分けという高い勝率が必要だ。

現実的なところでは、2位までの自動昇格圏に入るより、なんとか6位までのプレーオフ進出チームになることが求められている。
低迷を続けていた甲府も、今日は首位大分に開始5分で3点を取り、結局6-2で快勝した。
調子を上げている。
強きにくじけ、弱きを助けているひまなどないのだ。
強きも弱きもくじくしかないのだ。

次の試合は、6月。
世間はW杯の勝敗にわくだろうが、正念場の新潟のサポーターたちにとっては、それよりもアルビレックス新潟の勝利にしか興味はないのだ。
がんばれ、アルビレックス新潟!

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ヒメサユリに支えられて久々の山歩き(1)

2018-05-25 21:38:55 | お出かけ
「新にいがた 花の山旅」(新潟県山岳協会監修;新潟日報事業社)という本がある。
2007年に初版が刊行されている。
山野草に興味を持つと同時に、山登りも多少楽しくなったのであった。
この本には、56の新潟県内の山々が紹介されている。
そして、それらの山々は、山登りの勧めだけではなく、どんな花が咲くからお勧めなのかが書いてある。
もちろん、初級・中級・上級者と、どういう登山者向けなのかも書いてある。
私は、実力的に初級者と書いてあるところしか行く気はない。
また、日帰りできるところしか行かない。
それでも、今まで登ったのは、頂上まで登ったのは11山。
途中まで登ったのが、1山。

1年に3~4つの山に登って、花見を楽しんではいたのだった。
それが、5年前に娘が病に倒れてから、いつ発作が起こるか分からないので、常時その付き添いが必要となってしまった。
そのため、夫婦そろって花の山旅には自由に出かけられなくなってしまった。
娘は今、回復の途上にはあるが、山歩きのようなハードな運動はまだできない。
そんな事情が5年間続いているので、新しい山登りの開拓はできていなかった。

今回、息子が1日、妻の誕生日祝いなのか母の日の祝いなのかはともかくとして、娘の付き添いをしてくれることになった。
その日に、山の花を見たいということになり、どこに行くかを検討した。
そこで久々に引っ張り出したのが、上記「新にいがた 花の山旅」の本。
妻が選んだのは、今が旬のヒメサユリに会える山旅であった。
つい先日の新聞に、三条市の下田地区でヒメサユリが見ごろを迎えた

行先は、三条市にある袴腰山。
高さは526.1mの山であるから、そんなに上りがきついわけでもないだろうと思った。

さて、本に載っている推奨ルートは、

八木ヶ鼻登山口➜(40分)➜八木ヶ鼻山頂➜(70分)➜袴腰山山頂➜(30分)➜高城城址➜(60分)➜ヒメサユリの小径入口➜(50分)➜八木ヶ鼻登山口

合計250分を要する山歩きである。

これに決めて、ヒメサユリを中心とした花見を楽しみたいと思った。

ヒメサユリの小径は、何年か前に行ったことがある。
ただ、それは登山ではなく、あくまでヒメサユリを見に行ったにすぎなかった。
今回は、山歩きが中心である。
久々なので、体力が持つかどうか、ちょっと心配だった。


家から車で出発。
2時間ほどかけて八木ヶ鼻駐車場に到着。

車を止めて、午前10時50分、登山口を出発した。
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サボテンの花

2018-05-24 22:02:38 | 草木花
先日、ホームセンターの花のコーナーの前を通ったら、小さいサボテンが、黄色い花を咲かせていた。
すぐ隣にはつぼみがあったので、近日中にもう1つ花が咲きそうだ。
金額も高くなかったので、可愛い花が好きな妻は、買って帰った。

その日咲いていた花は翌日にはしぼんでしまったが、2日後くらいに、買ったときにつぼみだったのが、たしかにしっかりと2つ目の花を咲かせた。


サボテンの花。
そういうと、思わず、口ずさんでしまう。

ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて
君は部屋をとびだした 真冬の空の下に

チューリップの名曲だ。
一度シングルで出された後、何年かして後、テレビドラマの主題歌になって再び売れたということがあった。

ところで、そこで歌われたサボテンは、どんなサボテンだったのだろうか?
歌詞からちょっと探ってみよう。

君が育てたサボテンは 小さな花をつくった
春はもうすぐそこまで 恋は今終わった

ここから考えると、
① 小さな花を咲かせる。
② 冬に花を咲かせる。
…こんな種類のサボテンになる。

あいにくサボテンには詳しくない。
でも、冬に咲くサボテンというのは、どんなサボテンなのだろう?
ただ、わが家の「一番美人」な花、タマサボテンの花は、夏が近づくと咲く。

咲くのは夏だし、花も小さくない。
春近くに咲いたサボテンは、シャコバサボテンくらいしか見たことがない。
でも、シャコバサボテンが咲かせる花は、小さな花ではないよなあ…。

そんなことを考えさせた、今回のサボテンの花であった。

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コナスビ~これも実から由来する名前

2018-05-23 21:40:41 | 草木花
山野草に興味をもつようになってから、その名前を知りたいと思うようになった。
そして、その名前の由来を知ると、面白いなと思うことも多い。

私が春に咲く山野草で好きな花の一つが、イワナシ。

結構毎年のように、ここに書いている。
「イワ」が付く名をもつものは、岩の上ではなく斜面に見かけることが多いというが、確かにイワナシやイワカガミは斜面に多く見つかる。

そして、「ナシ」は花が咲いた後の実が、ナシ(梨)の実に似ているから。

先月は可愛い花だったが、先日はこのように実がなっていた。
これは、以前にも書いたことがあった。

先日、散策していたら、少し湿り気の多い所でよく見かけるのだが、コナスビの花を見つけた。

花は、ナスには似ていない。
コナスビの名前は、花を咲かせた後小さな丸い実をつけるのだが、それがナスの実に似ているからコナスビと言うのが由来だという。
残念ながら、コナスビに関しては実を見たことがない。
しかし、実が似ているからその名前が付いたという点では、イワナシと同じだな、と思う。
そういえば、オオイヌノフグリの名前の由来も、その実から来ていたのだった。

コナスビは、花びらが5枚あるように見えて、実はすべてつながっている合弁花なのだそうだ。
完全に開いていると、確かに星の形のようにも見える。
これまた可愛い花である。
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試合自体は楽しめなくても、サンクスデーは楽しめた

2018-05-22 21:46:21 | アルビレックス新潟
先日のサッカーJ2リーグ,新潟―山形戦は、亀田製菓サンクスデーということだった。

入場者に、言わずと知れた「ハッピーターン」と、「ハッピーバンダナ」が配られた。
布製のバンダナも、わざわざユニフォームを意識したデザインになっていた。

J2に落ちてからも、このように、もらってうれしいものをいただけるのはうれしいなあ。
新潟のクラブスポンサーには、日本中に知れた大企業はついていない。
ついていても、他のチームも併せて支援している企業はあるけれども。
アルビレックス新潟だけを単独でスポンサー支援してくれている企業で最も有名なのは、亀田製菓だろう。

サンクスデーということで、試合前には、48名の今春の新入社員が代表となって並んで挨拶を行っていた。
そのほかにも、「俺たちの誇り新潟」のサポーターソングに合わせた映像が放映された。

その中身は、いかにも新潟らしい景色がよく出ていて、楽しかった。

毎年登場するターン王子とぽたぽた焼きのおばあちゃんの着ぐるみは今年も登場していた。


試合後には、帰ろうとしたら、スタジアム前の広場には、「ハッピーターン」のデザインが可愛い車が止められていた。

デザインの可愛いらしさに、子どもと写真を撮る親子の姿も見られた。

こんなふうに可愛いと、写真を撮りたくなるよなあ、と思った。
今、チームのバスに付けるデザインの投票を行っているが、どれも大差なくあんまりいい感じがしない。
まあ、チームバスが可愛いものにしなきゃいけないということはないけど、
それに比べたら、引きつけるものがあるなあ、この車は。
そう思った。

…ともかく、試合はどうしようもない引き分けに終わってしまったけれど、亀田製菓サンクスデーに関しては、十分楽しませてもらったなあ、と思っている。

亀田製菓様。
これからもスポンサーとしてアルビレックス新潟の支援をよろしくお願いします!
そして、サンクスデーでは、またいろいろと楽しませてください。
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