ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

土手道を走った

2015-02-22 21:11:44 | RUN
昨日は、終日いい天気だったのだが、夜には酒の会も予定されていた。
ぐったりしてその会に参加していくわけにはいかなかったので、走りに出るのは控えようかと思っていた。
でも、本当にいい天気だったのだ。
走らないなんて、もったいない!
30分くらい、疲れないようにゆっくりジョギングしてくることにした。
向かった先は、川沿いの土手道。

土手に上がってみると、結構風が強い。
でも、川の遠景に雪山が美しい。
遠くの山々が、白銀に輝いている。
奥の山々は、冬だけに真っ白だ。

この辺りの雪も、数日間でほとんどとけたから、晩秋のような景色が広がっている。
この土手は、桜堤としてたくさんの桜の木が植えてある。
でも、花が咲くのは、あとふた月近く先のことだ。
その桜が並ぶそばの道は、車が入って来ないから、安心して走っていける。
15分くらい走ったら帰ろうと思って走り出した。
こんなところにも、ランニング愛好者がしっかり走っている。
わずかの時間なのに、走っている人を10人近く見かけた。
今は、本当に走る人が多くなったなあ、と思った。
かくいう自分も、その一人なんだけどね。

15分で戻るのはもったいなくなって、22,3分間も走ってしまった。
いい加減、この辺で帰ろう。

ゆっくりならいいだろうと思ったのだけど、結局45分間も走ってしまったので、脚がだるくなってしまった。
でも、気持ちのよい走り日和だった。
こんな日ばかりが続くといいなあ。


今日も走るつもりだったけど、結局前夜の飲みの影響で少々体調不良、走る気にならず。
膝や太ももも疲れがたまってしまい、走らず、東京マラソンをテレビで見るだけの日になってしまった…。
…反省の日曜日になってしまったのであった…。
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春のような陽射しがうれしい

2015-02-21 17:50:23 | 新潟
同じ新潟県でも、平野部と山間部では雪の降り方が違う。
そういうことはよくあるのだが、今年は、さらにそうだと思う。
先週から今週にかけても、県境の山間部、津南町では大雪で民家がつぶれたりした。
幸いそこの住人の方は、助かったからよかったけれども。
平野部に住んでいる私には、2月に入ってから、あまり雪で困ったことはない。
12月から大量に雪が降り、あっという間に根雪になってしまったのだったが、幸いこのひと月ほど、困ってしまうほどの雪は降ってはいない。
まあ、都心など太平洋側なら交通がマヒしてしまうかもしれないけど、こちらでは5~10cmくらいは、大して困ることはない。
この時期にしては、平野部では雪がない、と言える。
「この冬は、少雪である」と、冬が来る前に長期予報が言っていたが、山間部は大雪。
しかし、平野部では、今の時期にしては少雪と言えるのだ。

今日は、青空。
まるで太平洋側のように明るい陽射しに包まれた日中だった。
午前中、娘と散歩に出かけた。

遠くの山々が、白く輝いていた。

午後、昨秋積雪が早くて植える間もなかったチューリップの球根を今更ながら植えた。
少しでも咲いておくれ。
庭の雪も少なくなった。
関東のあちこちでは、福寿草が咲いているというニュースを聞くようになった。
だけど、新潟では、普通に咲くのはまだ早い。
でも、わが家の庭の福寿草はどうかな?と見てみると、

おお、芽のようなものが出ている。
まだ2cmにも満たないけれども。
金色に咲く日が来るのが楽しみだ。
春よ、来い。

ネコヤナギも、ふわふわとした姿を見せてくれた。

例年よりも早いかもしれない。
2月のこの時期に春の訪れの近いことを感じられるなんて、本当にうれしい。

春よ、来い。
本当の春よ、早く来い。

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DECADE ~ 10年 ~

2015-02-11 22:13:12 | 生き方
2月11日。
母の命日の2日前。
命日は、今年は金曜日。
平日なので、墓参りに行けない。
土曜日以降に行くよりも、早めに行こうと、午前中、曇り空の下、妻と娘を連れて、出かけてきた。
墓のある場所に着くと、場所を知っている娘はどんどん上っていこうとした。
墓一面にも、積雪があった。

彼岸の頃飾った花が枯れていたが、それが入っていた入れ物も、最近の寒さで分厚く凍っていた。
弱く雨が降り出してきた。
湿気と冷たい風で、線香の火がなかなかつかなかった。
それでも、3人分火をつけて、妻と娘に渡し、祈った。


ばあちゃん。いくら孫がかわいいからと言って、手招きしないでおくれ。
娘が少しでもよくなるように、じいちゃんと力を貸しておくれ。



その後、親類の家に寄せてもらった。
すると、娘の1つ年上で、子どもの頃姉妹のように仲良くさせてもらった女性が、2歳の子どもを連れて遊びに来ていた。
娘は、その子が喜ぶように、アンパンマンやしょくぱんマンの絵を描いてあげたりしたのだった。
(悲しいことに、今夜、娘に聞いてみると、墓参りのことも、親類に久々に会ったことも、もう覚えていなかった。)

さて、母が亡くなってから、10年になる。
3年余り闘病した母だった。
中越地震が起きた時には、母も生きていた。
ちょうどその時には、娘と母と私と3人で揺れを味わったのだった。
あれから10年。
もっとすさまじい東日本大震災が起こってしまったのが4年前。
娘が倒れたのが2年前。
10年間にもいろいろなことがあった。
つらいこと、悲しいことも、本当に多くあるのだなあ。
これが人生というものか、とも思う。

だけど、過去を悔いていても、現在を嘆いていても、それらは変えようがない。
現在のあるがままを受け容れて、明日に向かって行くだけだ。

そうだろ、ばあちゃん。
感情の上がり下がりはあったけど、陽気でいつも笑っていたあなただったよね。
だから、娘のこともあるから、これからももうしばらく人生がんばるからね。
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娘よ(69)~ 涙 ~

2015-02-09 22:26:16 | 生き方
娘は、だいぶ足腰もしっかりしてきている。
とは言っても、おぼつかないことは変わりないのだけれど。
それでも、ふらつきが少なくなってきているので、自分が運びたいと思った時には、食べ終わった後の皿や茶わんを片付けさせるようにしている。
もともとは、結構手先が器用だった娘だ。
本当は、いろいろなことをしたいはずなのだ。
でも、両手に物をもつと、バランスを狂わしてふらつくこともあり、危ないことがある。
だから、様子を見ながら、娘にものごとをさせている。

今日は、比較的状態がよく、夕食のシチューづくりでニンジンやジャガイモなどの皮むきや、使った食器洗いなどを手伝わせたのだと、妻は言っていた。
夕食後、息子が近くにあった菓子箱から、菓子を取り出し、食べ始めた。
「それ、いいなあ。私の分も残しておいて。」
と、娘は言った。
それに対し、息子は言った。
「ねえちゃん。この菓子昨日食べてるよ。」
「うそー。」
「前の日の記録、見てごらん。」
すると、昨日の記録(前回参照)のおやつの欄に、「シュガーバターサンド」と、娘の字でちゃんと書いてあった。
息子は、さらに言った。
「その前にも食べているよ。見てみなよ。」
娘が、さらに3日前の記録を見ると、そこにも、「シュガーバターサンド」の文字はあった。
娘の顔が、急にゆがんだ。
眉を寄せ、目から涙があふれ出た。

悔しいのだ。
弟から否定されたことではなく、自分が食べた物を、食べたことをまったく覚えていなかったことが。
自分では、絶対に食べたことがない、と思ったものを、実は最近2回も食べていたということが、自分でも信じられなかったことだろう。

そのくらい簡単なことが覚えていられないのか、自分は。

そう思った時に、娘は切なくなったのだ。
切ない涙だったと思う。

でも、そのようなことを考えて、悔しさに涙を流している娘の姿が、私にはうれしかった。
ふがいない自分に涙するということは、もっと自分はできると思っているということだ。
その悔し涙が、次の自分を作っていってくれることを期待したい。

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娘よ(68)

2015-02-01 20:51:41 | 生き方
今年になってから、娘のことを中心に書いたことはなかった。
あまり大きな進展はなかったことがその理由とも言える。
幸い11月から娘に発作は起きていない。
ふらつく足元も、ようやく少しだけしっかりしてきた。
最近少しだけ活気が出てきた。

だけども、相変わらず、物事については不思議なくらい忘れやすく覚えられないままなのがやはり悲しい。
日付と曜日の確認は毎日しているが、正しい記憶は翌日には持ち越せない。
少しでも毎日の生活のことが残るようにと、入院していた時から、リハビリを兼ねて、一日の生活を本人に記録させるようにしている。
時間ごとの自分の行動、食事やおやつの内容などを、数時間おきに記録させるのだ。

しかし、起きた時間や食べた物などが正しく書けないことが多い。
着替えの時なども、「今の服は日中に新しくしたばかりだから、着替えないでね」と妻が言ったばかりなのに、着替え終わったときには、その服が洗濯機に入れられたりしていることがよくある。

注意したばかりなのに、どうして違うことをしてしまうのか。
妻にしてみると、毎回毎回同じことを言うのに覚えられないで同じ失敗をしてしまう娘の姿に、がっかりしてしまうのだ。

一昨年の秋、入院している時には、これらのことはだいぶ覚えていられるようになった時期もあった。
それが、日に5度も発作を起こしてICUに逆戻りして以降は、退院した今も、娘はさえないままになっている。
その時期からもう1年2か月以上になる。
退院してからは、4か月余りになるのに、大きな変化はない。
毎日、一日中顔を突き合わせていて、なかなか改善されない様子を見ているのだから、時々切なくなる妻の気持ちもわかる。

相変わらず薬を大量に服用しているせいか、毎日眠たがっていることが多いし、腹にガスがたまりやすく音を立ててしまうことも多い。
足元がしっかりしないし、変に疲れさせてしまって発作を誘発してはたまらないから、妻は一日中神経を張りつめて娘を見ている。
夜も発作の不安があるので、妻は熟睡できないことが多い。
だから、娘が少しでもよくなっているという実感がほしいのだが、なかなか得られない。
この季節は、積雪や降雪があるので、足元があやしい娘を外に連れ出すわけにはいかないことも、閉塞感につながっている。
娘本人は、妻から注意されると、不満そうに「怒られた」と口にする。
時に娘は、それがつらくて涙する時もある。
それでも、もともと楽しく過ごしていたい性格だから、深く悩まずにまた後には笑えることも多い。
それが救いなんだけどね。

いつか、笑い話にしてしまえるといいなあ。
いつもそう思う。
さて、また月が変わったぞ、と…。
私の生まれ月だ。
いいことがたくさんあるといいなあ…。

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