ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

ひめさゆりが咲いていた

2011-05-31 23:27:06 | 草木花
代休の日。
この日は、一日雨の予報だった
まあ、家族のためにカレーを作ったり、買物をしたり、少しだけ車庫の書類や書物を片付けたりはしたのだが、家で一日過ごすのがいやだった。
でも、雨の中、出かけて外を歩くのはつまらない。
が、昼過ぎに少し空に明るさがさした。
やっぱり近くのどこかをうろついて来よう。
そう思って、半月前に登った臼ヶ森山に再び登ることにした。

春からすっかり夏の山に変わろうとしていた。
半月前に咲いていた草花は、ほとんどが終わっていた。
ツクバネウツギも、花が終わって、ガクが文字通り「羽」に見えた。
まだつぼみだったタニウツギが、ほとんど咲き終わっていた。

再び臼ヶ森山に登ってみようと思ったのは、前に登った時、頂上付近でユリのような植物を見かけたからだ。
あのユリは、もしかして、ひめさゆり?

ヒメサユリのピンクは美しい。
初めてじっくり見たのは3年前。
新潟県三条市の下田地区だった。
2年前は、福島県喜多方市の熱塩加納地区に出かけた
去年も、下田地区でいっぱいのヒメサユリを見たのだった。

あのピンクが見られたらいいなあ、そう思って一気に登り続けた。
頂上が近づくと、
あった!!

まぎれもなく、ヒメサユリ!
雨の水滴がついているが、やはりきれいだ。
以前見た方が色は濃かったけど、淡いピンクもまたよし。

低い山なのであっという間に頂上に到達。
水が張られ、苗が植えられた水田も美しい。

そして、ここには固まって咲いている数本が。


いい気分転換になった。
「姫早百合」に出合えて、満足。
よし、また翌日からの1週間を乗り切ろう、そう思った。
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向かい風に負けずに走れた

2011-05-30 21:34:59 | RUN
今日は、風が強かった。
台風後の温帯低気圧のせいだな。
1日、くもり時々雨だった。
それでも、午後からは、小雨で、時には薄日も射したりした。
風は強いが、夕方、走りに出た。
いつも走っている道は、田んぼの中の農道が中心である。
周囲に風をさえぎるものはない。
往路は、追い風だった。
最近にない速いペースで走っている自分がいた。
復路は、当然、向かい風。
風の強さがいやになるかなと思ったが、結構向かっていけた。

4月頃は、38,or39分くらいかかっていた。
それが、ここ2回くらいは、35分49秒とか36分13秒など、36分前後で走ることができている。
7kmという距離なら、慣れたということだろう。
楽と言うほどではないが、同じペースを崩さずに走ることができている。
向かい風に負けないように力強く走ることを心がけていったら、35分46秒。
今季最高記録であった。
タイムをよくするために走っているのではないが、気持ちよく走れることがうれしい。
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運動会の後悔、40年以上たっても…

2011-05-29 20:31:48 | 「育」業

子どものころの私は、走るのが苦手だった。
だから、運動会が好きではなかった。
当時はひょろひょろしてひ弱な子どもだった。
運動、特に短距離走が苦手だった小学校の頃の私にとって、運動会は、一番嫌いな行事だった。
ところが、昔は運動会というと、地域中の人たちが集まるのだった。
衆人環視の中、50m走や100m走などでいつもビリを走る姿を見られるのだ。
小学校の6年間、毎年、子ども心につらくて仕方がなかった。
クラスのほかの子からは、
「男のくせに、おまえは、女子より遅い。おまえ、本当に男か?バ~カ!」
「おまえは足が遅いから、おれたちと同じ組だと負けてしまう。同じ組に来るな。」
こんなふうに馬鹿にされていた。
 いよいよ小学校最後の6年生の時、私は、作戦を立てた。
「100m走は、どうせビリの5位だ。だから、興味走の『障害物競走』に集中して3位を目指そう。1位や2位は無理でも、3位になって、少し見返してやろう。」
 運動会当日、その作戦通り、障害物競走はうまくいっていた。
なんとか3位でゴールテープの前まで来た。
後ろから別な組の子が迫って来るのを、なんとかぎりぎり抜かれずにゴールした。
「やった。目標どおり、3位だ!」
そう思ったのに、ゴール係をしている赤組の、けんかの強い子の一言がすべてを変えた。
「今のは、最後に赤組の子が抜いて、3位だ。絶対、最後に抜いた!」
そう言うと、周りの子どもたちを、じろっとにらみつけた。
周りの子たちは、怖くてそれに従い、3位だったはずの私は、4位になってしまった。
悔しくて悔しくてたまらない私は、もう、完全にやる気を失くした。
その後に、徒競走の100m走があった。
「一生懸命にがんばったのに、4位にさせられた。100m走なんて、どうせまじめに走ったって、オレはビリに決まってる。バカバカしくて、まじめに走ってなんかいられるか!」
そう思った私は、わき腹に手を当てて、腹が痛いふりをして、100m走をタラタラ走ったのだった…。

あれから、40年以上がたった。
小学校最後の運動会のことを思うと、今でも悔しくてたまらない。
でも、悔しいのは、4位にさせられたことではないのだ。
あの後、なんで100m走を本気で走らなかったのか、手を抜いてダラダラ走った自分のことが悔しくてたまらないのだ。
最後までがんばって走ったのなら、堂々とビリになっても、きっと自分をほめてやることができただろう。
当時の学校も、統合されてすでになくなっているというのに、こんな悔いを40年以上も残している私である。(苦笑)
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よい運動会ができた…

2011-05-28 22:18:45 | 「育」業

朝、6時過ぎに雨が降り出した。
一時的なもので、やがて止んだが、すぐに「今日の運動会はやるのですか?」という電話が何本か入る。
こんな時代なのだなあと思う。
ピンポイント予報では、6時台に1mmの弱い雨。
その後は、くもりで、降水量の予報は0mm。
3種類の天気予報を見てみたが、大きく変わらない。
日中まとまった雨にならないことは、予報ではっきりしているのに。
大雨などで中止の場合のみ連絡が行くといってあるのに。
大人なのだから、少しは自分で考えてほしいなあと思ったりもした。

さて、運動会は、子どもたち一人一人がすばらしい姿を見せてくれた。
あんなにひ弱だった子が、転んでも泣かずに走りとおしていた。
特別な支援を要する子が、練習にはまったく参加できなかったが、本番は、自分なりに懸命に競技や演技を行った。
人間関係が苦手な子が、借り物(人)競走で、「きれいな女のひと」というのを引いてしまったが、自分で働きかけていって、まったく知らない人を連れて走っていた。
応援席で、応援団でなくても、たくさんの子が自分たちから声を出して応援していた。
高学年の子どもたちは、自分の仕事をするために一生懸命に走ったり運んだり声を出したりしていた。
応援団のリーダーの子は、競技の部では負けたが、応援賞を獲得できたことに、心から喜びを表していた。
閉会式終了時には、自分の目に涙が湧いて来たのを感じ、何度も急いでぬぐってしまった。

すばらしい姿を見せてくれた子どもたちを、指導・支援してくれた職員にも感謝したい。
駐車場の整理や演技中の用具の移動、運動会終了後の後片付けを積極的に片付けてくれた親御さんたちにも、心から感謝している。
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明日は運動会

2011-05-27 21:58:01 | 「育」業
明日は、運動会。
1学期最大の行事と言ってもよいだろう。
個と集団の力が発揮され、高まりが感じられるはずだ。
見る大人にはなんてことのないことばかりなのだが、子どもの動き一つ一つに実は大きなドラマがある。
どの子を主役にしても語れるくらいのストーリーができあがる。
天気が不安だが、雨が降らないことを願いつつ、明日の子どもたちの健闘に期待しよう。
明日は4時起きだ!?
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アルビレックス新潟牛乳…から、現在の思い

2011-05-26 22:14:59 | アルビレックス新潟

今日、昼の食事についたのは、この牛乳。
いわゆるJAのものだ。
日頃は、「農協牛乳」なのだが、実は、この牛乳も、新潟の農協牛乳の1つなのだ。
新潟県の農協も、アルビレックス新潟の公式スポンサーになっている。
この牛乳を初めて見かけたのは、8年ほど前だった。
あの頃は、アルビレックス新潟がJ1に上がった頃で、最も盛り上がっていた頃、と言えるかもしれない。
その後、7・13水害、中越地震、中越沖地震、豪雪…と、結構大きな災害が相次いだ。
それらのことをすべて知って乗り越えて来たアルビレックス新潟の選手は、もう主将の本間勲だけかな?
いろいろなことを乗り越えながら、J2に落ちることもなく、アルビレックス新潟はよく健闘してきた。
かつては、J1老舗(?)のチームに、5,6点取られて負けることもよくあったが、ここ1,2年、そんな大差で負けたことはない。
まあ、前々週の柏戦は0-3という久々の負けだが、それでも0-3だ。
前回のガンバ大阪戦は、一度同点に追いついてから勝ち越されて、1-2の負け。
以前に比べたら、大敗しなくなったと言える。
次戦は、この牛乳を初めて見かけた頃、J1に上がった新潟を支えていたのは、FWエジミウソンだった。
そして、近年支えてくれたのは、MFマルシオ・リシャルデスやDF永田充だった。
その彼らが、現在在籍するのは、浦和レッズ!
次戦は、そのレッズと対戦する。
新潟のサポーターにとって、最も負けたくないチームだ。
アウェーではたしか、勝ったことがない!!?
不名誉なデータをくつがえそう!
がんばれ、アルビレックス新潟!!!
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せめて、今の学校生活が少しでも楽しいものであるように

2011-05-25 21:09:26 | 「育」業
今まで明らかにならなかった(わからなかった)こういうニュースが耳に入ると、やはり切なくなる。
自分の家に帰れず、避難している人々たちにとっては、少しでも早く家に戻って、自分の生活を安定させたいことだろう。
でも、危険区域だから避難せよということで、やむなくその指示に従っているのだ。
早く帰れるためには、被災した原発の安定化が欠かせないのだが、克服すべき難題がこうして次々に現れて来る。
難題をクリアするためには、今までの予想よりさらに時間が必要なことは間違いない。
避難している人たちが帰るまでに、また余計な時間がかかるということである。

毎朝、出勤する時、1台のマイクロバスとすれ違う。
バスの前面には、ゴシック文字で行き先が「○○小学校」と書いた札が貼ってある。
避難生活を送っている人たちが生活している温泉地から、受け入れ先となった学校まで子どもたちを運ぶバスだ。
ひと月前に、避難先が体育館から温泉地に変わったのだが、一度入った学校が再度変わらなくてもよいようにという配慮から、マイクロバスでの送り迎えがされているのだ。
望んではいない転居と転校。
4月からのこの学校には、もう慣れただろうか。
他には言えない苦労をしていると思う。
早く2か月半前の環境に戻りたいだろう。

それなのに、こんなニュースは、さらにそれが遠のく気がする。
せめて、子どもたちに今の学校生活が少しでも楽しいものであることを祈っている。
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自らさばいたイナダの刺身はうまかった!

2011-05-24 22:49:57 | 生き方
魚をさばく。
わが家では、かつて母の仕事だった。
母が亡くなって、魚をさばく人がいなくなった。

スーパーで魚の切り身や刺身などが売られているのを見ると、やはり金額的に高い!
だから、好きでも刺身はなかなか買わない、ということになる。
ところが、時々、丸々一匹魚が安く売られる時がある。
そんな時、妻いわく、
「ねえ、夫、やる気、ある?」
なんのことはない。
魚をさばく気があるかどうか、なのだ。
妻は、10年ほど前に2度手首の手術をしてあまり力が入らない。
そして、魚の血を見るのがきらい。
以前は、母がやっていた。
でも、もう頼りになった母はこの世にいない。
だから、私が、さばくことになった。
ところが、たまにしか魚をさばく機会はないうえに、私は覚えが悪い。
だから、毎回、
「この後、どうすればいいの?」
と妻に聞くはめになり、そのたびに
「何度やったら覚えるの?」
とあきれられることになるのだ。
それでも、サバをさばく(!:オヤジですから…)ことには慣れた。
今回は、イナダであった。
イナダ1匹298円。
日曜日、「刺身、煮魚にどうぞ」という札とともに、スーパーで売られていた。
切り身にして売られている金額と1匹まるごとが似たような値段。
ざっと4分の1以下の金額で刺身が食える!
妻の目がキラ~ンと光った。
「ねえ、夫~…。」
「はいはい、わかりました。がんばりますよ。」
ということで、今回は、イナダを3枚におろして、刺身を作った。
魚肉の付いている部分や骨の部分は、煮て食べることにする。
おろすのはスムーズにいかなかったが、それでもなんとか刺身の出来上がり。
不器用な私が、家族の役に立って、魚をさばく。
すばらしいじゃないか!?

今回のイナダの味は?

うまい!!

「この刺身、おいしい!」
と家族から言ってもらえて、それだけで満足した私であった。
イナダの刺身で、熱燗で酒を飲み、さらに満足したのであった。
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寺原隼人投手の奮闘に拍手!

2011-05-23 22:54:44 | ひと
「寺原、あなたはえらい!」
別にオリックスファンでも寺原ファンでもないのだが、思わず叫んだ。

9回表、自軍の攻撃は、簡単にツー・アウト。
ここまで120球を投げていたオリックスの先発投手、寺原の打順になった。
誰もが、代打で交代だと思った。
ところが、岡田監督は、動かない。
寺原も、自分が行く!とバットを持つ。
打席に立った寺原。
パ・リーグは、日頃、投手は打席に立たない。
案の定、ここまでの寺原は、3打数ノーヒット。
2三振であった。
期待はできない。
あっという間に、2ストライクをとられ、追い込まれた。
ところが、ここから粘る。
ファウルを打つ。
バットに当てて、ファウルにする。
ボール球は、見極める。
ファウルで粘ったかいがあって、フルカウント。
ここから、またファウルで粘る。
そして、9球粘ってついに四球を選び、塁に出る。
ここで冒頭のことを思ったのであった、「えらい!」と。

そして、誰もが思う。
「塁に出ると、疲れる。ランナーになると、走るし、余計に体力が奪われる。無理しなくてもよかったのに。」
でも、また、こうも思う。
「ここまで、寺原ががんばっているんだ。だから、オリックスの打線よ、打ってやれよ。」
と。

その願いが通じたのか、次打者の坂口は、ツーストライクと追い込まれながら、投手の足を強襲する打球を放つ。
はじかれた打球は、三遊間へ。
二死ながら、ランナー1,2塁。
チャンスだ。
「次のバッター。寺原がここまでがんばっているんだから、楽に帰って来られる打球を外野に打てよ。」
なんて口にしてみたら、次打者山崎の打球は、レフトスタンドへ。
見事、期待に応える勝ち越し3ラン。

9回裏、マウンドに上がった寺原投手は、巨人打線を三者凡退に抑えた。
133球の完投勝利。
甲子園で当時高校最速の速球を投げたことで期待されて入団した福岡ダイエーホークス。
その後移籍して昨季までいた横浜ベイスターズ。
いずれも、十分な成績を残したとは言えないまま、今季はオリックス・バファローズに移籍。
完封勝利を2度収めるなど、がんばっている。
寺原投手の中で、何かが変わった。
それを思わせる、今日の続投、守備での執念、打席での粘りと出塁、すばらしい完投勝利だった。
これからの一層の活躍を楽しみにしたい。
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改めて大きな地震だったと再認識

2011-05-22 22:25:55 | 自然・季節
昨日は、埼玉県の北部に行ったのだが、改めて驚いたのは、3・11の地震の被害のことだった。
埼玉県は、秩父古生層の関係で、地震には強いと言われていたのだ。
だが、3・11の地震では、死者は出なかったが、結構被害が出ていたということである。
訪れた周辺の町でも、建物の損壊や瓦の落下など、住宅等の被害が100軒以上あったということだ。
墓参りに行ってみると、被害のなかったその地域なのに、墓石が倒れていたのも見ることができた。
東日本大震災、当初は東北・関東大震災とも言っていたとおり、沿岸には、大きな被害が出ていた。
ただそれだけでなく、確かに関東地方の内部にも大きな影響を与えていたことがわかった。
被害が報道されていない地方でも、地震の被害が結構出ていたのだという認識を新たにした。
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