ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「レッドスワンの絶命」(綾崎隼著;KADOKAWA・メディアワークス文庫) …続編を読みたくなった

2025-02-06 19:05:26 | 読む

読み終わって、続編があるならすぐにそれを読みたくなった。

 

本書の著者は、先月読んだ「冷たい恋と雪の密室」、「青の誓約」を書いた綾崎隼氏。

「青の誓約」を読んでみたら、この著者は、サッカーが好きなんだなと思った。

 

「青の誓約 市条高校サッカー部」(綾崎隼著;KADOKAWA)を読む - ON  MY  WAY

この前、「冷たい恋と雪の密室」を読んで、綾崎隼という作者が新潟県に関係していると知った。「冷たい恋と雪の密室」(綾瀬隼著;ポプラ社)を読む-ONMYWAY1月といえば、雪...

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だから、彼の書いたサッカー物の小説が「レッドスワンシリーズ」として数冊あることを知り、読んでみたくなったのだ。

 

どれが最初に出た本なのかな、ということを、出版日等を調べて確認し、本書「レッドスワンの絶命」が始まりであることを知った。

幸い、最寄りの図書館に単行本があったので借りてきた。

本書は、KADOKAWAから単行本が出ていて、その後メディアワークス文庫からも出版されているが、内容紹介は次のようになっていた。

 

私立赤羽高等学校サッカー部『レッドスワン』。

九度の全国大会出場経験を持つ新潟屈指の名門は、不運なアクシデントが続き崩壊の危機に瀕していた。

試合中の負傷によって選手生命を絶たれた少年、高槻優雅は為す術なくその惨状を見届けるのみだった。

しかし、チームが廃部寸前に追い込まれたその時、救世主が現れる。

新しい指揮官として就任したのは、異例とも言える女性監督、舞原世怜奈。

彼女は優雅をパートナーに選ぶと、凝り固まってしまった名門の意識を根底から変えていく。

どんなチームよりも〈知性〉を使って勝利を目指す。

新監督が掲げた方針を胸に。

絶命の運命を覆すため、少年たちの最後の闘いが今、幕を開ける。

 

あとがきで、綾崎氏は、16作目となるこの作品で初めてサッカーを題材として書いた小説なのだと書いていた。

しかも、デビューする遥か前からサッカーを題材にした小説を書きたいと思っていたとのこと。

作品の中で、サッカーのルールやポジション、サッカー用語の解説などにふれていることなどに、その思いがあふれているのが分かった。

読み進むうちに、情熱をもってこの物語を作ったことが伝わってきた。

 

数か月後の大会で決勝まで行かなければ、廃部という条件を突きつけられてしまったチーム。

主人公の少年は、けがをするまではサッカーの天才的な存在だったということになっている。

普通の物語なら、その少年の復活と活躍で勝ち進むような展開になるのだろうけれど、そうではない。

主人公がけがをしたまま、ストーリーは進む。

そこで力を発揮するのが、女性監督である舞原世怜奈。

彼女が、「人を生かす」という目で選手を見たり働きかけたり起用したりしていく姿は、非常に共感できて面白い。

 

自分も、仕事をしていくうえで、そのことを大事にしていた。

学級を持っていたときにも、それぞれの子が輝くように、周囲から認められるようにということを心がけて働きかけていた。

また、後年勤務先を任されたときも、それぞれの職員が持つ力を生かせることを考えて、運営に当たったことがよみがえってきた。

それぞれがもつ長所をどう把握し、どう生かすかが、リーダーには問われている。

自分の描くビジョンにしたがって、思い通りに動かそうとすることがではない。

罰を与えたり、叱責したりするだけでは、人もチームも変わらないのだ。

 

…そんなことを思い出させてくれた物語。

 

「私立赤羽高校」の別称「レッドスワン」というのは、新潟県のスタジアム「ビッグスワン」と重なるものがある。

著者も新潟県の出身だから、舞台を新潟県に選んで書いたのだろうけど、私にとっても地元だから、興味を持って読んだ。

小説ではあるが、マンガやドラマを見ているような感覚で引き込まれてしまった。

 

「レッドスワンシリーズ」は、その後何冊か出ている。

とりあえず2作目の「レッドスワンの星冠」、3作目の「レッドスワンの奏鳴」までは読んでみようと思っている。

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「いつの空にも星が出ていた」(佐藤多佳子著;講談社)

2025-02-03 22:06:03 | 読む

今月になり、プロ野球の各チームがキャンプ・イン。

テレビのニュースで流れていたので一番多いのが、去年日本一になった横浜DeNAベイスターズ。

去年は、セントラルリーグの3位だったのに、2位の阪神タイガースも、優勝した巨人をも打ち負かして、日本シリーズに進出してしまった。

それだけではなく、日本シリーズでも波に乗って、パシフィックリーグで圧倒的な勝率を誇ったソフトバンクホークスを撃破した。

「下剋上」と言われる優勝だった。

前年度日本一のチームだから、注目度も高い。

去年は、そこまで強かったチームだけど、実は、セントラルリーグ6チームの中で、最も優勝回数の少ないチームなのだ。

 

だけど、面白いことに、セリーグでの優勝回数は2回しかないのに、日本一の回数が3回とは。

これは、去年のクライマックスシリーズに勝ったうえでの日本シリーズ優勝ということだ。

勢いに乗ると強いということなのかな。

私の好きな阪神タイガースよりも、日本一の回数は多いじゃないか。(阪神2回、横浜3回ですけどね)

タイガースも熱狂的なファンが多いけど、去年はベイスターズファンもなかなかだな、と思ったよ。

 

今回借りた本は、「一瞬の風になれ」を書いた佐藤多佳子氏の「いつの空にも星が出ていた」(講談社)という一冊。

佐藤多佳子氏の他の作品はまだ読んだことがなかったので、これを借りてみようかと手に取ったのだった。

 

あとで調べてみたら、発行元の講談社は、本書について次のような内容紹介をしていた。

 

うれしい日も、つらい日も、この声援と生きていく―。

 

本屋大賞受賞作家、40年の想いの結晶。

大洋ホエールズからDeNAベイスターズへ。

時を超えてつながる横浜ファンの熱い人生が胸を打つ感動作。

 

さえない高校教師。未来を探して揺らぐ十代のカップル。奇妙な同居生活を送る正反対の性格の青年たち。コックの父と少年野球に燃える息子。彼らをつなぐのは、ベイスターズを愛する熱烈な思いだった! 本屋大賞受賞作家が、横浜ファンたちの様々な人生を描き、何かに夢中になる全ての人に贈る感動の小説集。

 

…ということだったが、そんな内容まで知らずに本書を読み始めた私だった。

本書は、

「レフトスタンド」「パレード」「ストラックアウト」「ダブルヘッダー」

の4つの話で構成されていた。

これが、過去から時代を追って現代に近づいてくる。

しかも、大洋ホエールズ時代から、横浜ベイスターズ、DeNA横浜ベイスターズという変遷だ。

でも、それぞれの話に出てくる中心的な登場人物は、皆その当時の横浜ファンなのだ。

 

「レフトスタンド」の話は、1984年当時の弱小チーム。

出てくるのは、さえない高校の先生と、さえない囲碁同好会の高校生。

「パレード」は、1998年の優勝の頃。

主人公は、高校生時代から社会人1年生の女性とその相手。

「ストラックアウト」は、2010年の頃の再び弱かった頃。

主人公は、小規模電気店に勤める若者男性。

「ダブルヘッダー」は、2016~17年のころで、17年に初めて下剋上を果たして日本シリーズに出たときのベイスターズが出てくる。

ここの主人公は、小学4~5年生の野球少年。

 

それぞれに、熱狂的な横浜ファンなのだが、彼らの人生とその当時のチームの戦いぶりが交錯する。

それぞれの人物に起こるできごとや事件とベイスターズの試合が並行して描かれることが迫真性を増す。

その当時の印象的な試合のシーンももちろん多い。

その頃活躍した選手の名前が出てくると、とても懐かしい。

遠藤、川村、戸叶、石井琢朗、鈴木尚典、佐々木、三浦(現監督)、木塚、山﨑、今永、濱口、筒香…、それぞれの時代で輝いた選手たちの名前が続々出てくる。

 

阪神タイガースファンの私だが、とても楽しく読めた。

本書が出版されたのは、2020年10月。

だから、もちろん昨年のベイスターズの日本一は扱われていない。

でも、本書のような過去があったからこそ、熱心なファンは、去年の優勝がより一層うれしかったはず。

「いつの空にも星が出ていた」の星とは、ベイスターズから来ていたのだと、途中でやっと気づいたよ。

ベイスターズファンなら、必読の一冊だな、この本。

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「妖しい詩韻」(内田康夫著;角川春樹事務所)を読む

2025-01-30 22:30:50 | 読む

小説家の内田康夫氏が亡くなってから久しい。

彼の書いた浅見光彦シリーズは、たぶん全巻読んだと思う。

もう内田氏の作品は読めない。

残念だ。

そう思っていたところ、図書館で、内田氏のまだ読んだことがない本に出合った。

その書名は、『妖しい詩韻』。2007年に角川春樹事務所から出版されていた本であった。

(後で調べてみたら、文庫本でも2010年にハルキ文庫から出されていた。)

あと先考えずに、借りてきた。

 

あとがきには、こんなことが書かれてあった。

 

いったい人は、死という絶対的な事実に直面したり、どのように思ったり感じたりするものなのだろうか。

 

この本の特徴は、そこに焦点を当てた作品である。

さらに、次のようなこともあとがきに書いている。

 

「死者の独白」を書きたいと思っていた時に、辺見じゅん氏の歌集を贈っていただいた。何気なく鑑賞していて、ふいに触発されるものがあった。かつて萩原朔太郎の「死」という詩を見て、瞬時に巨大なストーリーの心象風景を展望した『「萩原朔太郎」の亡霊』を書いた時と、ほとんど同じような天啓であった。『妖しい詩韻』というタイトルはその瞬間に思いついたものだ。

 

ちなみにタイトルの『妖しい詩韻』は『妖しいシーン』であり『妖しい死因』でもある。

 

内田氏は、自分が浅見光彦シリーズなどでたくさん殺人事件を描いている。

その多くの殺人あるいは命がなくなるシーン、登場人物たちがどんな思いで死んでいったかを想像して書かれた短編集であった。

20のシーンが出てくるが、構成はどの話も同じ。

まずは見開き2ページ分の門坂流氏のイラスト。

次のページに辺見じゅん氏の短歌が一首。

そして、5~9ページで1つのシーンの物語が描かれている。

 

その殺人シーンとなったミステリー作品たちは、

「『熊野古道』殺人事件」「佐渡伝説殺人事件」「朝日殺人事件」「死者の木霊」「平家伝説殺人事件」「風葬の城」「『横山大観』殺人事件」「十三の冥府」「箸墓幻想」「鏡の女」「鳥取雛送り殺人事件」「戸隠伝説殺人事件」「喪われた道」「ユタが愛した探偵」「北国街道殺人事件」「鯨の哭く海」

だとのこと。

数が20に合わないのは、1つのミステリーから2つのシーンを書いたものもあるからだという。

その作品たちは、すべて読んだことがあるが、大半は一度しか読んでいないのであらすじも忘れてしまったから、各シーンがどの殺人事件のシーンなのかなどは、とても考えつかなかった。

だけど、熱烈な内田康夫ファン、浅見光彦ファンなら、

「シーン1は、『ユタが愛した探偵』のシーンだ」

などと当てることができるのかもしれない。

 

ただねえ、私には、やはり殺人シーンや人が死ぬシーンの話ばかりだから、おどろおどろしくて、あまり気持ちのいい作品ではなかったな。

まあ、男女の話だと多少エロスもからんだりしていたけど、薄気味悪くて、もう一度読みたいとは思わなかったなあ。

ほかの人にはお勧めしようとは思わない作品であった。(ここで紹介しているくせに…。)

 

でも、内田氏には、冒険的な凝った作品だったのだろうな、これは。

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「山ぎは少し明かりて」(辻堂ゆめ著;小学館)~辻堂さんの筆力に魅せられた~

2025-01-28 17:54:22 | 読む

筆力のある人だなあ。

今回初めて辻堂ゆめさんの作品を読んでそう思った。

読んだ本は、「山ぎは少し明かりて」。

枕草子から借りてきたタイトルのようだが、この作品は、三世代の母娘を描いた話である。

 

出版社である小学館による本書の紹介は、次のようになっていた。

祖母が守りたかったもの、それは?

瑞ノ瀬村に暮らす佳代、千代、三代の三姉妹は、美しい自然の中をかけまわり元気に暮らしていた。大切な人が戦地から帰ってくる日も、村中から祝われながら結婚式を挙げた日も、家で子を産んだ日も、豊かな自然を讃えた山々の景色が、佳代たちを包み込み、見守ってくれていた。あるときそんな瑞ノ瀬村に、ダム建設計画の話が浮上する。佳代たちの愛する村が、湖の底に沈んでしまうという。佳代は夫の孝光とともに懸命に反対運動に励むが──。

 

定年退職まで営業部で忙しく働く佳代の娘・雅枝と、海外留学先であるイタリアで「適応障害」になり、1ヶ月と少しで実家に帰ってきてしまった孫・都。湖の底に沈んだ瑞ノ瀬への想いはそれぞれにまったく異なっていた。

 

大藪春彦賞受賞、吉川英治文学新人賞ノミネートなど、いま最注目の若手作家・辻堂ゆめの最新刊!

都市開発や自然災害で、瞬く間に変わりゆく日本の古き良き故郷(ふるさと)の姿。私たちが得たものと失ったものは、一体何なのか。若き作家が三世代の親子の目を通じ、変わりゆく日本の「故郷」を壮大なスケールで描いた感動作。

 

三世代なので、描かれた時代は、現代からさかのぼって昭和初期の時代にまでなっている。

その構成は、プロローグ・エピローグにはさまれての3章でできているが、

第1章「雨など降るも」は、娘を巡っての現代での話。

第2章「夕日のさして山の端」は、母を巡っての昭和から現代での話。

第3章「山ぎは少し明かりて」は、祖母を巡っての昭和の初めから終わりごろまでの話。

この中で最も長く詳しく書いてあるのが、第3章。

第2章までで136ページだったのに、第3章は137ページから313ページまである。

一番古い時代の章が、一番長いのだ。

 

作者の辻堂さんは、1992年生まれ。

ということは、平成の生まれである。

それなのに、第3章の昭和初期から戦前・戦中・戦後、高度成長の時代までの人々の暮らしの様子が実によく描かれていた。

作者とは生きてきた時代が違うだろう。

しかも、普通の人でもよく知らない山村の暮らし。

そこに住む人々の風俗や習慣が細部にわたって、実に違和感なく描かれている。

自然の中で見かける多くの植物や虫たちだって出てくる。

私くらいの年代になると、田舎で暮らしてきたからその風俗や習慣は実体験したことも多く、思い出すこともできる。

だが、作者の辻堂さんが生まれ育ってきた環境では遭遇しなかったことが多いだろう。

なのに、田舎の暮らしや山村の風景が見えるようにこんなに詳しく書けるなんて、と驚いた。

 

そして、描いていたのは、ダム湖の底に沈むことになる村。

そのダム建設の話の進展の仕方についてもそうだ。

村人たちの反応や、反対運動に取り組む人たちの行動の変化などについても、非常に具体的だった。

よっぽど取材したり文献をあさったりして、資料を集める必要があるし、その資料を作品に活かせるように自分の中で咀嚼しなくてはいけなかったはずだ。

巻末には、主な参考文献として14冊の書物名が載っていたが、よくぞ自分のものにしたものだ、と感心した。

 

順番が逆になるが、第1章ではあの2019年10月の台風も出てきた。

私ごとだが、あの台風で、私は出場予定の新潟シティマラソンが開催中止になってがっかりしていたのだった。

あのときもし走れていれば、調子がよかったからきっと人生自己最高の記録でゴールできたことだろう。

そして後日、埼玉の川が暴れ狂って河川敷が大被害を受けていた悲惨な跡も見たのだった。

 

台風19号の爪あとがここにも - ON  MY  WAY

台風19号は、全国に多大な被害をもたらした。特に、短時間の豪雨によって堤防の決壊などが起き、多くの人命が失われたり、非常にたくさんの人々の生活がめちゃくちゃになっ...

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その台風被害の最も象徴的なシーンの一つに、長野で新幹線が水に浸かっていたことがあった。

本書の第1章に登場する娘の彼氏は、その台風で被害を受けた長野のリンゴ農家の息子という設定になっていた。

そんな設定からの構想も巧みだなあと感心した。

 

本書の帯には、「三世代の母娘を描いた、感動の傑作大河小説!」と書いてあった。

大河ドラマはよく聞くが、なるほど大河小説か。

言い得ている読み応え、辻堂さんの筆力をたっぷり感じて、魅せられてしまった。

またそのうち、彼女の別な作品を読んでみよう。

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「赤塚不二夫 まんが伝」(赤塚不二夫著;光文社知恵の森文庫)

2025-01-27 21:24:37 | 読む

図書館の新潟県関係の出版コーナーに、本書「まんが 赤塚不二夫伝」を見かけた。

新潟県は、多くのマンガ家を生んだ県として認識されている。

その先駆者のような存在として、ギャグマンガの王様だった赤塚不二夫が上げられる。

だけど、赤塚不二夫は、少年時代に新潟県で暮らしたことがあったということで、純粋な出身者ではない。

そのことは知っていた。

では、彼はどんな人生の軌跡を描いたのかというのは、「赤塚不二夫自叙伝 これでいいのだ」(文春文庫)という自伝を書いているからそちらを読めばいい。

だけど、文字ばかりの本ではなく、マンガ家だったのだからマンガの多いものの方が読みたいなと思ったら、本書「まんが 赤塚不二夫伝」が目に入った。

これを借りることにした。

 

本書は、文庫本であり、内容の大部分は赤塚不二夫本人が描いたマンガでできている。

だが、出版されたのは、彼の死後であり、彼が意図して編集したものではない。

これは、単行本未収録の自伝的まんがを集め、赤塚不二夫の人生をたどろうとしている。

第1章は、自伝的マンガ論。

満州から引き揚げて家族と暮らした奈良県での少年時代の、友人たちとの日常が描かれた連載マンガがあった。

マンガを描くのがうまかったから、それを見せたり描いたりすることによって、ガキ大将からいじめられずに済んだという話は、子ども時代の感覚としてなるほど、と思った。

 

また、手塚治虫のようなマンガ家を目指していた、トキワ荘での生活が描かれた作品もいくつかあった。

その中でも、石ノ森章太郎との関係はかなり濃かったことがわかった。

先にマンガ家として世に出た石ノ森にはずいぶん世話になったようだが、友人としての存在で、ずいぶん頼りになったようだった。

マンガ家になるための苦しい生活でありながら、音楽に夢中になってオーディオ機器を買う話なども、若さゆえの突っ走った逸話だ。

また、マンガを採用してくれるようにと出版社を回り、「手塚治虫のようなマンガ家になりたい」と赤塚は言うが、マンガの編集者からは、ダメ出しの連続だった。

あるとき、「手塚治虫のまねではない、自分にしか描けないマンガを」というようなことを言われた。

それが、後の、個性豊かなキャラクターたちの誕生につながっていったのだった。

 

第2章は、「記念的まんが編」。

中学生の頃に描いた幻の処女作『ダイヤモンド島』の原画が載っている。

現存する20枚の原画に登場する人物たちは、なるほど初期の手塚治虫の作品に出てくる人物たちにそっくりだ。

ほかに、雑誌『漫画少年』に初めて採用された4コマ漫画なども載っていた。

また、新潟県新発田市出身のマンガ家寺田ヒロオのアドバイスで完成した作品「おかあさんのうた」や、ほかのマンガも載っている。

 

読んでみて、赤塚本人が意図的に選んだわけではないし、寄せ集めたものを自伝的に編集したマンガ本だから、特に心に残る自伝マンガ本、とはならなかった。

でも、トキワ荘関係のマンガからは、マンガ家として世に出たい若者の熱意は感じられた。

また、ギャグマンガに登場した個性豊かなキャラクターは、奈良県での少年時代にたくさん遊んだ仲間がいたからこそ生まれたと知ることもできた。

 

実を言うと、私も、子どものころはマンガ家になりたいという夢をもっていた。

真っ白な無地ノートに、定規で線を引いてコマ割して、鉛筆でストーリーマンガのようなものをたくさん描いたものだった。

だから、子どものころ、マンガ家になるという夢を実現した先達のマンガ家たちの人生には引き付けられ、憧れるものがあった。

本書を読んで久々にそんな思いがあったことを思い出したよ。

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「青の誓約 市条高校サッカー部」(綾崎隼著;KADOKAWA)を読む

2025-01-19 20:48:54 | 読む

この前、「冷たい恋と雪の密室」を読んで、綾崎隼という作者が新潟県に関係していると知った。

 

「冷たい恋と雪の密室」(綾瀬隼著;ポプラ社)を読む  - ON  MY  WAY

1月といえば、雪の季節。近年の降雪量・積雪量はかつてほどではなくなったとはいうが、いざ降るとなると「やめてくれ!」と叫びたくなるほど降るときがある。今、北海道や青...

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図書館の新潟県に関係したコーナーに行ったら、彼の作品がずらりと並んでいた。

 

その他の作品も結構あるのだな、と、手を伸ばして最初に取ったのがこの1冊だった。

【その裏表紙にあった本書の紹介】

「好きな人が、好きな人と、幸せになれたらいいのに」

 第94回高校サッカー選手権大会を制した青森市条高校サッカー部は奇跡のチームだった。稀代の名将と、絶対的エースの貴希に導かれ、全国の舞台に青の軌跡を描いたのだ。

 あの頃、サッカー部の部員たちは、誰もが一度はマネージャーの真樹那を好きになっている。だが、皆が理解していた。真樹那が幼馴染みの貴希を愛していることを。そして、その貴希が別の誰かを愛していることを……。

『青の誓約』を胸に刻み、少年たちは大人になる。

 恋愛小説の名手による新時代の青春群像劇、開幕!

 

…へえ~、高校サッカーに、恋愛も絡むのか。

目次の構成は、こうなっていた。

第一話 異世界サッカー革命 柏原聖夏

第二話 夢見る頃は過ぎましたので 蜂屋靖彦

第三話 二人きりの椅子取りゲーム 五十嵐翔太

第四話(最終話) 青の誓約 綿貫真樹那

After story 愛も知らずに今日も私は 高橋郁美

 

じゃあ読んでみようかな、と、借りてきた。

 

第一話を読み始めて、なんじゃこりゃ、と思った。

だって、交通事故に遭ったサッカー部員が、異世界で転生する話なのだから。

サッカーで、その異世界を平和な世界にするだなんて。

まるでゲームかバーチャルの話か何かみたいな話なんだから、借りてきたのをちょっと後悔した。

第二話では、話は高校時代ではなくなって、それから7,8年たったときの話。

登場人物が一部かぶるから連作なのだと分かるが、高校サッカーの話は、登場人物の昔のことになってしまっていた。

第三話は、高校時代のゴールキーパーの話。

ゴールキーパーは、サッカーでは一人しかいない。

つまり、一つの椅子しかないそのポジションを取り合うことになる。

その座を巡っての話。

第三話までに共通して出てくるのが、サッカー部のマネージャー真樹那。

彼女のことを、登場する部員誰もが好きになっていたということが共通点になっていた。

 

そこまできて、最終話でいよいよ真樹那を中心人物にして物語が進む。

登場する市条高校サッカー部には、全国大会に優勝させるくらいの名将監督と、絶対的エースの貴希という存在があった。

皆に好かれているのに、貴希に対して幼なじみの頃から報われない片想いを続けていた真樹那。

なぜ報われない片思いなのかは、この最終話で明らかにされる。

そして、その思いの行方も…。

 

第一話ではいくら夢としてもちょっとひいてしまったが、第二話、第三話となかなかいい話だった。

第二話では、サッカーから離れてしまう登場人物。

サッカー選手としての挫折とセカンドキャリアでの苦しい体験や思いが描かれている。

まだ若いのに奥さんを亡くしてしまう友人への思いの表現には、こちらも複雑な感情になってしまった。

第三話では、サッカーを教えてくれた友人とポジションを奪い合うことになってしまったがゆえに起こる悲劇と、後になって分かる隠された真実に、ちょっと感動。

 

そして、四番目の最終話では、この物語で最も大切な人物、真樹那の心情にそって話が進む。

その心情とは、貴希に対する長く報われない愛だ。

物語の終盤になって女の子の心情にスポットを当てて、ストーリーが一気に加速するのは、先の「冷たい恋と雪の密室」と同じだなあと思いながら読んだ。

だけど、この「青の誓約」の方が無理のない展開だと思い、読後感は快かった。

おまけに、単行本書き下ろしの「After story」も、続編としてほのぼのしたいい感じの恋愛話だと思った。

こういう恋愛とスポーツが描かれている小説っていいなあ、と実感したよ。

(イツマデモ若イ気デイルカラネ…)

 

読み終えたら、本書のおしまいの方に何ページもこの綾崎隼の他の作品のCMがあった。

それによると、「レッドスワンシリーズ」というサッカー物の小説が何冊かあるそうだ。

しかも、その小説の舞台は、9度の全国大会出場を誇る、新潟県屈指の私立高校サッカー部だとのこと。

う~ん。そっちの方も読んでみたくなってしまったぞ…。

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「おじいちゃんの小さかったとき」あるいは「父さんの小さかったとき」(塩野米松:文、松尾達英:絵;福音館書店)はわれわれ世代への絵本

2025-01-14 22:03:08 | 読む

子どもの時代というと、やっぱり小学生だった頃を連想することが多いと思う。

私は間違いなくそうなのだが、そのころいじめにあっていたことを抜かせば、やはり懐かしく思うことが多い。

 

何かの折に、「おじいちゃんの小さかったとき」という絵本が紹介されているのを読んだ。

「おじいちゃんの小さかったとき」は、2019年に出された改訂版だ。

発行元の福音館書店の紹介には、こんなふうに書いてある。

ビー玉、めんこ、チャンバラ、イナゴとり……どれも昭和の懐かしい暮らしの一つ一つです。 この本は、1950年代から1960年代ごろの子どもたちの暮らしを描いた『父さんの小さかったとき』(1988年刊行)をあらためて作り直した本です。 ぜひ、お孫さんと一緒のときにこの本を広げて、一緒に読みながら、ご自身の昭和時代の体験を語ってあげてください。大好きなおじいちゃんの言葉が子どもの心に深く染み渡ります。★★★本書は1988年刊行の「父さんの小さかったとき」待望の改定版です。

 

なるほど。

1950年代から1960年代ごろの子どもたちの暮らしを描いた、ということなら、もろに自分の子ども時代と重なるではないか。

著者は、秋田県旧角館町出身の塩野米松氏で、絵を描いたのは新潟県長岡市出身の松岡達英氏という。

2人とも日本海側の県出身だし、角館と長岡と言えば雪国だから、冬のこともよく知っているだろうなと思った。

読んでみたいなと思って、最寄りの図書館で検索してみた。

すると、「おじいちゃんの小さかったとき」は、ないということがわかった。

残念だなアと思ったが、ちょっと待て。

それなら改訂される前の「父さんの小さかったとき」もないのか?

と思って、探してみると、あった!

1988年発行の「父さんの小さかったとき」の本が。

さっそく借りてきた。

 

これは、出版社の紹介では、「親子で」とか「お孫さんと一緒に」とか言っているけど、実はわれわれ世代にとって、本当に懐かしい子ども時代の生活の絵本だった。

子どものころ、夢中になって遊んだ。

その遊びや遊び方が書いてある。

めんこやビー玉は、よく出てくるが、私が子どものころ好きだった「くぎ打ち」も書いてあった。

本書では、「かこみくぎさし」という遊び方として紹介されているが、これは間違いなく私らがやっていた「くぎ打ち」。

大きめのくぎを使って、グラウンドの土の上でよくくぎを投げて地面に刺し、その点を結んで遊んだものだった。

私は、めんこやビー玉は弱かったが、くぎ打ちは少しだけ得意だった。

 

ほかにも、すもうをとって遊んだことや馬とびについても書かれてあった。

馬とびは、2組に分かれて、飛んで乗ったり乗ってきた相手達を落とそうと揺らしたりして、あの当時は熱中する遊びの一つだった。

 

遊び道具を自分で作ったりするのも、楽しい遊びの一つだった。

男の子は誰でも「肥後守」という小型の折り畳みナイフを持っていて、それでなんでも作って遊んだものだった。

私らは「えのみ鉄砲」と呼んでいたが、しの竹で作った鉄砲もよく作って遊んだ。

エノキの実を弾にするから「えのみ鉄砲」だったのだ。

 

冬は、雪の遊び。

本書では「きんこ」と呼んでいるが、私らは「ダマ」だった。

「雪玉」からの転語だったのだろうなあ。

いかに固く強い雪玉を作るか、結構工夫したものだった。

 

 

こうして、遊びのことがかなりたくさん書かれてあった。

それ以外に、衣食住の生活のことも多く紹介され、本当に懐かしかった。

今は見なくなった靴についても書いてあった。

ゴム製の「短靴」である。

あのころの男の子は、みんなゴムでできた黒い「短靴」をはいていた。

私は、親が買ってくれた運動靴を普段の履物にしていたのだが、それよりも安くてほとんどの同級生たちがはいているゴムの短靴が欲しくなって、高学年のころに初めて買ってもらったときは喜んではいて遊んでいたものだった。

 

文を書いた塩野さん、絵を描いた松岡さん、ともにこういう時代を過ごしてきたのだろうなあ。

だから、気づかいや心づかいが細部にわたって感じられた。

 

昔を懐かしんで、それがどうした、という人もいることだろう。

だけど、自分が生きてきた時代やその様子と現代を比べて見るのも悪くない。

生きてきた時代を、自分の子ども時代を大切にしているような気がしてくる。

だから、「父さんの小さかったとき」を、時代の推移に合わせて「おじいちゃんの小さかったとき」として改訂版にして刊行してくれたのは、ありがたい措置だなあと思う。

どちらにしても、われわれの年代にふさわしい絵本だよ。

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「最前線からの箱根駅伝論」(原晋著;ビジネス社)を読む

2025-01-12 21:49:25 | 読む

今年の箱根駅伝、青学大が強さを発揮して2連覇を果たした。

特に、今季は、出雲駅伝、全日本大学駅伝と、國学院大が2連勝していた。

それだけに昨年に続く優勝は難しいと思っていた。

それなのに、しっかりと優勝を果たした。

どうしてこんなに強いのだろう?

やはり、そこは指導者、原晋氏の存在に行き当たる。

原晋監督は、どんな考えをもって、どんな指導法を展開しているのだろうか?

今までも何冊か著書を読んだことはあるが、改めてそんなことを知りたくなった。

 

そんなことを思っていたら、図書館で、読んでみたくなる本を見つけた。

それが、本書「最前線からの箱根駅伝論」(ビジネス社)だ。

副題が、「監督就任20年の集大成」と書いてあった。

本書が出たのは、「2023年11月10日第1刷発行」とあった。

というと、前回と今回の2連覇が始まる直前であった。

このときは、駒澤大の強さが際立っていたときだったはず。

でも、箱根駅伝では、絶対王者と思われていた駒澤大を破り優勝し、今年も同大や國学院大を退けて優勝したのだった。

 

本書の前書きでは、氏は、「駅伝こそが日本の長距離を強くするための本丸である」との考えを主張している。

 

タイム以外に現れる真の実力を見極めるのが監督の選手の決め方だという。

タイムトライアルの結果を見てみるとき、「タイムだけでなく、選手の表情や仕草、ゴール後の余裕度まで、よく目を凝らして見ておく必要がある」という。

細かい目の配り方に注意しているのだ。

また、指導者は、その時々の速さではなく、選手が持っている〝絶対値″の見極めが大きな手腕だという。

つまり、もし、この選手が100%の力を発揮したら、どれくらいのレベルで走るのか。

また、その100%の力をどのタイミングで出せるのか。10回に1回なのか、それとも3回に1回程度は出してくれるのか。

ということの見極めだ。

また、寮での暮らしにおける生活態度なども判断材料のひとつとなる。

普段のちょっとした雑用でも何でも、最後まできちんとやり通す選手が、やはり走りにおいてもその力を遺憾なく発揮する傾向が強いのです。

そう語るところに、監督の見る目の鋭さを感じた。

 

そして、原監督は、あくまでも大学という教育の場における指導者、つまり教育者であるという立場に立って選手たちを指導している。

勝利至上主義ではなく、人間の育成を目指しているのだということが伝わってきた。

そして、選手たちを信頼して、「フィードフォワード」で育てていく。

「フィードバック」という反省で育てるのではなく、前向きに考えてやっていくことを促し、自ら実践している。

 

なるほどなあ、と思った。

一人一人にきちんと向き合って人を育てているから、選手が力を伸ばすことができるわけだ。

そして、視野の広さがあり、自分の言うことを聞いていればいい、という姿勢でないところは、信頼するに足るすぐれたリーダーだと思う。

 

覚悟を持って前向きに生きているから、説得力がある。

本書全体から、原監督の陸上競技への熱い思いが伝わってきた。

だから、後半には関東学連や日本陸連の問題も提起している。

新たな発想をもって改革に取り組む人だから、責任の所在が不明確な関東学連や旧態依然とした日本陸連に対する批判や提言もなかなか強烈だ。

その辺の細かいことは省略するが、自らの実践で変革を起こし、実績を残している。

こういう人が叫ばないと、何も変化は起こらないのだろうと思う。

 

人間の育成を基本に、真摯に陸上競技の未来について考えていることがよく伝わってきた。

いずれにしても、原監督の文章には強い説得力があった。

それが押しつけではないからこそ、皆で強くなろうとする強いチームが出来上がるのだろうな。

 

本書が出版されて以降、2大会連続して青学大が箱根駅伝で優勝しているわけがだいぶ分かった気がする1冊だった。

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「冷たい恋と雪の密室」(綾瀬隼著;ポプラ社)を読む 

2025-01-04 17:11:17 | 読む

1月といえば、雪の季節。

近年の降雪量・積雪量はかつてほどではなくなったとはいうが、いざ降るとなると「やめてくれ!」と叫びたくなるほど降るときがある。

今、北海道や青森などはそんな状況かもしれない。

新潟県内でも、上・中越地方の山沿いではかなりの大雪になっていて、「雪よ降るな」と言いたい地域もあるだろうと思う。

幸い私の住む地域では、平野部ということもあってさほどでもなく、今朝でも5cmくらいの積雪であり、その後積もっていないので助かっている。

 

だが、平野部であっても、いざ降り出すとひどい雪になることもある。

2018年の1月には、JR信越線の列車が大雪のために三条市内で立往生となって、乗客約430人がおよそひと晩、列車内に閉じ込められるという出来事があった。

15時間半という長時間に及んだから、これに対しては、当時の菅官房長官が不快感を表明したりもした。

大手の新聞社など、メディアもJRや新潟県知事のバッシングに走ったりしたという記憶がある。

なぜ途中で乗客を降ろせないか、なぜ救助に行けないかということが、雪国でない人たちには到底わかってもらえないゆえのバッシングであったことだろう。

 

前置きが長くなった。

本書「冷たい雪と雪の密室」については、昨年末の新潟日報の書籍の紹介ページに出ていた。

上記の立往生の列車を舞台にした作品だったので、興味を持った。

当市内の本屋に行くと、店頭に並んでいたのを見たことがある。

昨秋に出た、高校生が主役の恋愛を描いた本だった。

60代後半のオッサンが買うにはちょっとひけるので、図書館で検索してみたらあったので、幸い借りることができた。

 

発行元のポプラ社は、本の内容について、次のように紹介している。

 

2018年1月11日。

新潟県三条市で、JR信越線が大雪で立ち往生するという事件が発生。

高校生男女たちも電車に閉じこめられ、

15時間”密室”となった車内で、熱い恋が動き出す……!

実際に起きた事件を基に、ラストの思いがけないどんでん返しまで鮮やかに描き切る、綾崎隼、待望の恋愛ミステリ。

 

センター試験2日前、歴史に残る最強寒波が新潟県全域を襲った。

放課後、受験勉強を終えた三条市の高校三年生、石神博人は大雪の中、最寄りの三条駅に着いたが大混雑で電車は全然来ない。自宅のある帯織駅までは2駅とはいえ約7キロあり、この天候で歩いて帰るのは難しい。

18時過ぎ、やっと来た電車に乗り込むと、大混雑の車内で偶然地元の友人、櫻井静時と遭遇する。久々の再会を喜んでいるとき、そのスマホに博人が想いを寄せる幼馴染み、三宅千春からメッセージが届いたのを見てしまう。しかも静時は気づいたはずなのにメッセージを開かず、通知は300を超えていた。密かに動揺する博人だったが、同じ電車に千春も乗っていて……?

はからずも雪の密室に囚われた夜、高校生たちは誰かを強く想った。逃げ出すことさえ許されない電車内で、祈るように未来を思った。

――これはそんな夜に起きた、たった一晩の、まだ愛には至らない恋の物語。

 

…このように紹介されていた。

紹介ではあまり聞きなれない「恋愛ミステリ」とも書いてあった。

 

さっそく読んでいく。

本書は、実際に起こったその列車立往生トラブルをもとにして、その密室の列車内で高校生たちの友情がからんだ恋愛が動いていくという物語。

雪に閉ざされ停車して動けなくなった列車の中という、逃げられない状況の中で、もう一つ恋愛を巡って逃げられない人間関係のストーリーが展開していく。

なるほど、「恋愛ミステリ」だわ、これは。

登場人物たちの、列車内に閉じ込められ、動けない追い込まれた状況と、せっぱ詰まった恋愛の状況が、話に緊迫感を生んでいた。

愛に対する執着心が、さらに重苦しさを増していった。

最終的にどう決着するのだろう、という好奇心で一気に読んでしまった。

読み終わったときには、まるで閉じ込められた列車から解放されたように、重苦しさから解放されたように感じた。

 

設定が実際にあった出来事であり、そこで時間の進展とともに起こったことをよくとり混ぜてストーリーを展開していた。

作者は1981年新潟県生まれと書いてあるが、あとがきの一部にこう書いている。

私は、真冬に生まれ、雪国で育っています。

試験前日の朝まで雪に囚われた高校生たちが経験する恋模様。

自分が書くべき物語な気がしました。

 

着想が新鮮だった。

事実をもとにした恋愛ミステリ。

最後まで結末が予想できずに読んでいったよ。

登場人物たちの純粋な思いに、若さと怖さを感じながら。

 

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「NHK にっぽん百低山 吉田類の愛する低山30」(吉田類著;NHK出版)を読む

2024-12-26 20:21:50 | 読む

NHKの番組に、「にっぽん百低山」というのがある。

著者の吉田類さんは、民放のBSの番組にも、酒場探訪のような番組に出ていたのだが、NHKのこの番組で見るようになってから、好感を持つようになった。

 

登っているのは、「低山」ということで、あまり高い山には登っていない。

番組では、だいたいは登る山の近くで出身という女性がゲストとして一緒に登っている。

そして、登頂後は、下山してどこかで必ず酒を飲むという構成になっている番組だ。

以前は、地デジで昼の時間帯に放送していたのに、4月の番組改編以来、この「にっぽん百低山」は、BSで毎週金曜午後5時30分からか、毎週月曜正午からの放送となってしまい、見る機会が減ってしまったのが残念なのである。

 

図書館で、「にっぽん百低山」の本を見かけた。

それが、「NHK にっぽん百低山 吉田類の愛する低山30」(NHK出版)である。

なんだか懐かしい人に会ったような気分になって、さっそくその本を借りてきた。

「30」であるから、多くはない。

でも、借りてきて見てみると、新潟県の代表的な低山が2つ紹介されていた。

それが、日本海に面する場所にある、角田山と弥彦山である。

 

この2つの山は、何度か登ったことがあり、懐かしさを感じながら読んだ。

角田山は、「新・花の百名山」にも選ばれているし、いろいろなコースが7つほどある。

そのうち、角田岬灯台コースなら、まさに波打ち際の海抜0mから登って行くという面白さもあるのだ。

本書ではそのコースをたどって登ってくれていた。

かつて私も、3、4度この灯台コースを登ったことがある。

その他のコースを使っても、何度か登った。

でも、近年は、登っていない。

読みながら、そうそう。そうだった、そうだった。…と懐かしさがよみがえった。

せっかくだから、自分が登ったときの写真を上に載せておいた。

 

同様に、弥彦山も登った。

本書で紹介してくれているコースは、弥彦神社の奥から登っていくポピュラーなコースだが、私は、このコースなら16年前の1度しか登ったことがない。

全く違う「西生寺」近くのコースなら、40年ほど前、3年連続の遠足のコースで、6、7回くらい子どもたちや先輩職員と登ったことがあった。

でも、登れば頂上は同じだ。

 

懐かしかったのは、実はこの2山だけではない。

先月行ってきた袋田の滝からは、「月居山」という山に登るコースがある。

双耳峰だということを読んで知り、先月何気なく撮った写真のこの山だということが分かった。

まあ、われわれは登らなかったけれど、その気になれば行けたんだね。

 

あとは、TV放送でも見たことがあった、千葉県の鋸山もあった。

ここは、母が生前元気な時に家族旅行で行き、ロープウエーで登ったことがある。

「地獄のぞき」は横で見ている方が怖かったっけな。

 

また、9合目まで車で行き、そこから登ってぐるっと歩いて回った、花の百名山伊吹山もあった。

あそこは、たしかに、イブキジャコウソウとか、いろいろと美しい花が咲いていたよなあ…。

 

…、とまあ、こんなふうにかつて自分が登った山や知っている山も一部にあって、楽しく読めた。

 

番組では、一緒に登る女性のゲストがいたはずだが、本書ではその実名は出していなかった。

また、下山後にはその地元の店に寄って、地酒で乾杯していたが、放送では店名も酒の名も隠してあった。

だが、本書では、店名も酒の名もしっかり紹介している。

写真が多くて、1つの山について4~8ページなので読みやすい。

その山についてのコラムやアクセスも書いてあって、行きたくなってくる。

70代の吉田類さんが登っているのだから、低山ならわれわれもまだ登れるはずだ。

…なんて思ってしまうから、元気も出た本であった。

 

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