ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「冷たい恋と雪の密室」(綾瀬隼著;ポプラ社)を読む 

2025-01-04 17:11:17 | 読む

1月といえば、雪の季節。

近年の降雪量・積雪量はかつてほどではなくなったとはいうが、いざ降るとなると「やめてくれ!」と叫びたくなるほど降るときがある。

今、北海道や青森などはそんな状況かもしれない。

新潟県内でも、上・中越地方の山沿いではかなりの大雪になっていて、「雪よ降るな」と言いたい地域もあるだろうと思う。

幸い私の住む地域では、平野部ということもあってさほどでもなく、今朝でも5cmくらいの積雪であり、その後積もっていないので助かっている。

 

だが、平野部であっても、いざ降り出すとひどい雪になることもある。

2018年の1月には、JR信越線の列車が大雪のために三条市内で立往生となって、乗客約430人がおよそひと晩、列車内に閉じ込められるという出来事があった。

15時間半という長時間に及んだから、これに対しては、当時の菅官房長官が不快感を表明したりもした。

大手の新聞社など、メディアもJRや新潟県知事のバッシングに走ったりしたという記憶がある。

なぜ途中で乗客を降ろせないか、なぜ救助に行けないかということが、雪国でない人たちには到底わかってもらえないゆえのバッシングであったことだろう。

 

前置きが長くなった。

本書「冷たい雪と雪の密室」については、昨年末の新潟日報の書籍の紹介ページに出ていた。

上記の立往生の列車を舞台にした作品だったので、興味を持った。

当市内の本屋に行くと、店頭に並んでいたのを見たことがある。

昨秋に出た、高校生が主役の恋愛を描いた本だった。

60代後半のオッサンが買うにはちょっとひけるので、図書館で検索してみたらあったので、幸い借りることができた。

 

発行元のポプラ社は、本の内容について、次のように紹介している。

 

2018年1月11日。

新潟県三条市で、JR信越線が大雪で立ち往生するという事件が発生。

高校生男女たちも電車に閉じこめられ、

15時間”密室”となった車内で、熱い恋が動き出す……!

実際に起きた事件を基に、ラストの思いがけないどんでん返しまで鮮やかに描き切る、綾崎隼、待望の恋愛ミステリ。

 

センター試験2日前、歴史に残る最強寒波が新潟県全域を襲った。

放課後、受験勉強を終えた三条市の高校三年生、石神博人は大雪の中、最寄りの三条駅に着いたが大混雑で電車は全然来ない。自宅のある帯織駅までは2駅とはいえ約7キロあり、この天候で歩いて帰るのは難しい。

18時過ぎ、やっと来た電車に乗り込むと、大混雑の車内で偶然地元の友人、櫻井静時と遭遇する。久々の再会を喜んでいるとき、そのスマホに博人が想いを寄せる幼馴染み、三宅千春からメッセージが届いたのを見てしまう。しかも静時は気づいたはずなのにメッセージを開かず、通知は300を超えていた。密かに動揺する博人だったが、同じ電車に千春も乗っていて……?

はからずも雪の密室に囚われた夜、高校生たちは誰かを強く想った。逃げ出すことさえ許されない電車内で、祈るように未来を思った。

――これはそんな夜に起きた、たった一晩の、まだ愛には至らない恋の物語。

 

…このように紹介されていた。

紹介ではあまり聞きなれない「恋愛ミステリ」とも書いてあった。

 

さっそく読んでいく。

本書は、実際に起こったその列車立往生トラブルをもとにして、その密室の列車内で高校生たちの友情がからんだ恋愛が動いていくという物語。

雪に閉ざされ停車して動けなくなった列車の中という、逃げられない状況の中で、もう一つ恋愛を巡って逃げられない人間関係のストーリーが展開していく。

なるほど、「恋愛ミステリ」だわ、これは。

登場人物たちの、列車内に閉じ込められ、動けない追い込まれた状況と、せっぱ詰まった恋愛の状況が、話に緊迫感を生んでいた。

愛に対する執着心が、さらに重苦しさを増していった。

最終的にどう決着するのだろう、という好奇心で一気に読んでしまった。

読み終わったときには、まるで閉じ込められた列車から解放されたように、重苦しさから解放されたように感じた。

 

設定が実際にあった出来事であり、そこで時間の進展とともに起こったことをよくとり混ぜてストーリーを展開していた。

作者は1981年新潟県生まれと書いてあるが、あとがきの一部にこう書いている。

私は、真冬に生まれ、雪国で育っています。

試験前日の朝まで雪に囚われた高校生たちが経験する恋模様。

自分が書くべき物語な気がしました。

 

着想が新鮮だった。

事実をもとにした恋愛ミステリ。

最後まで結末が予想できずに読んでいったよ。

登場人物たちの純粋な思いに、若さと怖さを感じながら。

 

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「NHK にっぽん百低山 吉田類の愛する低山30」(吉田類著;NHK出版)を読む

2024-12-26 20:21:50 | 読む

NHKの番組に、「にっぽん百低山」というのがある。

著者の吉田類さんは、民放のBSの番組にも、酒場探訪のような番組に出ていたのだが、NHKのこの番組で見るようになってから、好感を持つようになった。

 

登っているのは、「低山」ということで、あまり高い山には登っていない。

番組では、だいたいは登る山の近くで出身という女性がゲストとして一緒に登っている。

そして、登頂後は、下山してどこかで必ず酒を飲むという構成になっている番組だ。

以前は、地デジで昼の時間帯に放送していたのに、4月の番組改編以来、この「にっぽん百低山」は、BSで毎週金曜午後5時30分からか、毎週月曜正午からの放送となってしまい、見る機会が減ってしまったのが残念なのである。

 

図書館で、「にっぽん百低山」の本を見かけた。

それが、「NHK にっぽん百低山 吉田類の愛する低山30」(NHK出版)である。

なんだか懐かしい人に会ったような気分になって、さっそくその本を借りてきた。

「30」であるから、多くはない。

でも、借りてきて見てみると、新潟県の代表的な低山が2つ紹介されていた。

それが、日本海に面する場所にある、角田山と弥彦山である。

 

この2つの山は、何度か登ったことがあり、懐かしさを感じながら読んだ。

角田山は、「新・花の百名山」にも選ばれているし、いろいろなコースが7つほどある。

そのうち、角田岬灯台コースなら、まさに波打ち際の海抜0mから登って行くという面白さもあるのだ。

本書ではそのコースをたどって登ってくれていた。

かつて私も、3、4度この灯台コースを登ったことがある。

その他のコースを使っても、何度か登った。

でも、近年は、登っていない。

読みながら、そうそう。そうだった、そうだった。…と懐かしさがよみがえった。

せっかくだから、自分が登ったときの写真を上に載せておいた。

 

同様に、弥彦山も登った。

本書で紹介してくれているコースは、弥彦神社の奥から登っていくポピュラーなコースだが、私は、このコースなら16年前の1度しか登ったことがない。

全く違う「西生寺」近くのコースなら、40年ほど前、3年連続の遠足のコースで、6、7回くらい子どもたちや先輩職員と登ったことがあった。

でも、登れば頂上は同じだ。

 

懐かしかったのは、実はこの2山だけではない。

先月行ってきた袋田の滝からは、「月居山」という山に登るコースがある。

双耳峰だということを読んで知り、先月何気なく撮った写真のこの山だということが分かった。

まあ、われわれは登らなかったけれど、その気になれば行けたんだね。

 

あとは、TV放送でも見たことがあった、千葉県の鋸山もあった。

ここは、母が生前元気な時に家族旅行で行き、ロープウエーで登ったことがある。

「地獄のぞき」は横で見ている方が怖かったっけな。

 

また、9合目まで車で行き、そこから登ってぐるっと歩いて回った、花の百名山伊吹山もあった。

あそこは、たしかに、イブキジャコウソウとか、いろいろと美しい花が咲いていたよなあ…。

 

…、とまあ、こんなふうにかつて自分が登った山や知っている山も一部にあって、楽しく読めた。

 

番組では、一緒に登る女性のゲストがいたはずだが、本書ではその実名は出していなかった。

また、下山後にはその地元の店に寄って、地酒で乾杯していたが、放送では店名も酒の名も隠してあった。

だが、本書では、店名も酒の名もしっかり紹介している。

写真が多くて、1つの山について4~8ページなので読みやすい。

その山についてのコラムやアクセスも書いてあって、行きたくなってくる。

70代の吉田類さんが登っているのだから、低山ならわれわれもまだ登れるはずだ。

…なんて思ってしまうから、元気も出た本であった。

 

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「ブログ100万」からの「100万つながり」で『100万回生きたねこ』(佐野英子著;講談社)

2024-12-21 22:27:24 | 読む

以前に、「ブログ開設6000日」と載せたのだけれど、そのとき、もうすぐトータルの訪問者が100万人を超えるということを思った。

 

ブログ開設6000日 - ON  MY  WAY

はて!?今日のブログ、何を書こうかなあ、と考える。今日は、天気が悪かったけど、20年近く前に亡くなった伯母の墓参りに行ったから、そのことにしようか。それとも、アルビ...

goo blog

 

 

その日は、その10日後、今からもう数日前に過ぎた。

100万、ミリオン。

百万長者とかいう言葉もあるから、「100万」は、すごく多い数字だと思う。

そのうちの1万回くらいは、自分が訪問者かもしれない。

まあ、それはおいといて、百万という数に、それをタイトルに入れた絵本があったなと、思い出していた。

それが、「100万回生きたねこ」。

11月の下旬に、大人になってから読んでも心に刺さる「ベストセラー絵本のおすすめ人気」ランキングが公開されたというのを何かの番組で見たことがあった。

1位が「ぐりとぐら」で、3位が「はらぺこあおむし」だった。

そして、2位になったのが、この「100万回生きたねこ」だった。

それを知ったから、家にもその絵本があるのでもう一度読んでみたくなって読んだことがあったのだ。

 

いろいろな人に会って、いつも愛されていながら、ねこは自分を愛してくれる人を嫌う。

自分が死んだときに、みんな深く悲しみ泣いてくれるというのに。

100万回生きて100万回死んだのに、自分を愛して泣いてくれたのに、愛することはなかったねこ。

ねこが愛しているのは、自分のことだけだった。

だが、白いねこに会って、そばにいることで愛を知る。

その白いねこが死んだとき、ねこは初めて泣く。

そして、二度と生き返らなかった。

 

…そんな話だった。

 

他の人(ねこでも何でもいいが)から愛されるだけでは、愛は分からない。

生きる喜びも半端なものでしかない。

自分を愛するだけでは愛を知ったことにはならない。

ほかの人(ねこ)を愛することによって、愛を知り愛が分かるようになる。

そして、愛する者を失ったときに、共に生きる喜びが何物にも代えがたいものであったことに気づく。

愛と共に生きることが、生きることの大切な意味を持つ。

…そんなことに気づかせてくれる絵本だった。

だから、大人になっても読みたい絵本の2位の人気があるのだろうなあ。

 

こうして、ブログ100万人訪問から、100万つながりで、100万回のねこの話を思い出したのだった。

 

このたび、図書館で、見たことのあるねこの絵が表紙になった本を見つけた。

その書名が、「100万分の1回のねこ」。

なんでも、「200万部のベストセラー絵本『100万回生きたねこ』に捧げるトリビュート短編集」とのこと。

江國香織、岩瀬成子、くどうなおこ、井上荒野、角田光代、町田康、今江祥智、唯野未歩子、山田詠美、綿矢りさ、川上弘美、広瀬弦、谷川俊太郎らの著名な作家陣が、短編を書いている。

よし、100万の記念だ、とばかりに借りてきて、ただ今読書中。

 

…と、100万つながりの今日のエントリーでありました。

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箱根駅伝本選まであと2週間 「俺たちの箱根駅伝(上・下)」(池井戸潤著;文藝春秋社)を読む

2024-12-19 19:21:38 | 読む

1週間前、箱根駅伝に出場する大学の16人のエントリーメンバーが発表された。

だんだん、その本選の日が近づいてきた。

その箱根駅伝は、今度で101回になる。

ずいぶん伝統のある大会だ。

 

その箱根駅伝をテーマにした池井戸潤の小説がある。

「俺たちの箱根駅伝」だ。

これは、「週刊文春」に、2021年11月11日号から2023年6月15日号まで連載されたものだ。

連載当時から、単行本化を望む声が多かったと聞く。

それが、上・下巻の2冊になって、今年4月25日第1刷発行になった。

読んでみたいな、と思ったが、1冊「1800円+税」。

上下巻で2冊買うと、4000円近くかかってしまう。

だから、図書館から借りるしかないかな、と思って、初夏に最寄りの図書館で検索したら、あるにはあるが、なんと予約者が10数人!

さすがの人気だ。こりゃあ、時間がかかりすぎる。

しばらく、あきらめよう。

 

そう思ってから、早いもので半年。

先日図書館に行ったら、返却本の本棚に、「俺たちの箱根駅伝」が上下巻そろっておいてあるのが目に入った。

これは、ラッキー、もう借りるしかない。

 

さっそく借りてきて、ページを開くと、引き込まれて一気に読んだ。

さすが話題作、さすが池井戸潤、面白かった。

 

本作は、ウイキペディアによれば、

箱根駅伝本選での活躍を目指す大学陸上競技部のランナーたちと、中継を担うテレビ局の裏側を描く群像劇。

箱根駅伝本選を目指す予選会から本選までの様子を描いた第1部(単行本上巻)と、箱根駅伝本選の様子を描いた第2部(単行本下巻)からなる2部構成。

 

たしかにそうなのだが、紹介し足りないのが、「箱根駅伝本選での活躍を目指す大学陸上競技部のランナーたち」のことだ。

この話に登場する彼らは、予選会で敗れた大学から選抜された関東学生連合のチームメンバーだ。

21番目のチームとして箱根駅伝を走ることはできるが、チームとしても個人としても順位はつかない。

そんなチームだから、出場する意味があるのか、という疑問を持つ人もいる。

寄せ集めの連合チームだから、チームワークもとりにくいし、走る目的や目標を共通にすることも難しい。

この物語では、そんな「関東学連」チームの奮闘を描いている。

 

そして、箱根駅伝と言えば、日本テレビだが、この物語では、「大日テレビ」という架空のテレビ局の話として、ストーリーが展開される。

ちゃんと本の最後には、「本作品はフィクションであり、実在の場所、団体、個人等とは一切関係ありません。」と表記されている。

だが、箱根駅伝をテレビ中継する企画を立て実現に尽力した伝説のプロデューサー坂田信久氏や、坂田を支え「箱根駅伝 放送手形」という台本を自ら作って番組を構成したディレクター田中晃氏は、実在の人物である。

また、箱根駅伝の放送に要する中継場所やカメラの数等も正確だ。

そんなところからも、作者池井戸潤氏の取材の細かさ、広さ、深さを感じた。

だから、「不可能」と言われた箱根中継を成功させた伝説の男から、現代にまで伝わるテレビマンたちの苦悩と奮闘を描くことができているのだろう。

 

単純にランナーたちだけを描くのではなく、番組を作るテレビマンたちの深い思いにも寄り添って物語が進むから、面白さが増すのだ。

ネタバレになってしまうのは惜しいから、これ以上ストーリーにふれるのはやめておく。

ただ、さすが池井戸潤氏の作品だ、とそれだけは言っておきたい。

 

箱根駅伝にかけるランナーやテレビマンたちの思いをのぞき見たような気がする。

フィクションとはいえ、この小説で知った事実も多い。

2週間後となった、箱根駅伝がますます楽しみになったよ。

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元アルビ監督反町氏の著書を読む~「サッカーを語ろう」(反町康治著;小学館)~

2024-12-15 19:42:18 | 読む

アルビレックス新潟、松橋監督退団。

また新しい監督の下でのサッカーになるなあ。

噂では、2003年、初めてのJ1昇格を決めたあの決勝ゴールを決めた「あの選手」が監督となって帰ってくるのでは…などという噂もある。

だけど、まあ噂は噂、誰が来るのかは今後のお楽しみ。ということにしておこう。

誰が来ても、監督は大変だね。

勝って当たり前、負けるとボロクソに言われるからね。

 

今回読んだのは、2003年当時アルビレックス新潟の監督だった反町康治氏の著書。

その名も「サッカーを語ろう」だ。

副題に、「~日本サッカー協会技術委員長 1457日の記録~」とついている。

 

反町氏が日本サッカー協会の技術委員長をしていたのは知っていたが、その日本サッカー協会のWebサイトでコラムを連載していたことは知らなかった。

本書は、2020年4月からの在任4年間に反町氏が書いた36回のコラムを、テーマごとに分けて章としてまとめたものだ。

第1章 技術委員会について語ろう

第2章 日本代表を語ろう

第3章 育成について語ろう

第4章 指導者養成を語ろう

第5章 サッカーとの関わりを語ろう

…となっていて、最後に反町氏と中村憲剛との特別対談「今一度、サッカーを語り合おう」が入っている。

 

技術委員長と聞くと、その仕事は日本代表を強くするための仕事かと思っていたら、そんな単純な仕事ではなかった。

現在から未来にかけて、日本を強くするための仕事をしていたのだった。

 

読んでみて、反町氏の誠実で真剣な仕事ぶりがよくわかる本であった。

誠実で真剣なのは、章の並べ方からも分かる。

最初に、技術委員や技術委員長の仕事はどういうものかについて語っている。

そして、そこから、読者が関心を持っている日本代表のこと。

そして次世代の選手を育成するためのこと。

選手を育成するためにはしっかりした指導者を養成する必要があり、どうしたらよいか、どうしているかということ。

そして、最後には、自分がサッカーに興味をもってきたことや、影響を受けた人のことなどを語っている。

特に、オシム氏のことは詳しく書いてあり、反町氏の感じた悲しみから、改めてオシム氏が日本のサッカーに与えた影響は大きかったことが伝わってきた。

 

こうして書かれている全てを読み終えて、代表のことだけでなく、日本が強くなるために今しなくてはいけないことを真剣に考えて真摯に取り組んでいたことがよく分かった。

だから、指導者の養成にも話が及んでいるのだが、若くから監督をする人が日本には出ないことから、どうすべきか考えたり策を打ったりしていることも知り、へえ~と感心したりした。

 

ただでさえ技術委員長と「長」の付く仕事で大変だろうに、反町氏の在任期間中は、COVID-19感染症の世界的流行期間と同時期であった。

だから、いろいろなことでそれが障害となっていたこともよくわかった。

そのような出来事があっても、前に進めなくてはいけないことがある。

あまり影響がないと思われる指導者養成だってそうだった。

 

新潟人としては、アルビレックス新潟の監督としてチームを指揮していたときのことがもっと書いてあるとうれしかったのだが、そうなると本筋から外れてしまうから、それは仕方ないか。

でも、湘南や松本を率いていたとき、監督として対戦相手にどれだけ時間をかけていたかにふれていたが、それは新潟の監督時代もきっと同じであっただろう。

そのような人物に率いられていたから、反町氏の監督在任時代は、強いとは言えなくても新潟が残留争いに巻き込まれることがなかったのだろう。

 

いずれにせよ、責任のある役職についたからには、しっかりしたビジョンをもち、情熱と責任をもって、やり遂げる強い意志が必要だということだ。

そのことを改めて思い知るような本だった。

 

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「滅びの前のシャングリラ」(凪良ゆう著;中央公論新社)を読む

2024-12-13 18:09:48 | 読む

「シャングリラ」という言葉やその意味を初めて知ったのは、私が社会人になった年。

1985年に出された吉田拓郎のアルバム名「Shangri-La」からだった。

「理想郷」という意味だったが、購入したそのアルバムには「あの娘といい気分」とか「いつか夜の雨が」とかの曲があった。

だけど、「シャングリラ」の意味するものが伝わってこないなあ、と思ったのを覚えている。

 

このたびは、その「シャングリラ」の言葉を含む本を、図書館から借りて読んでみた。

凪良ゆうの「滅びの前のシャングリラ」だ。

2020年の本屋大賞を「流浪の月」で獲得した翌年に発行され、この作品は、2021年本屋大賞第7位となっている。

 

今回この凪良ゆう氏の作品を借りてみようと思ったのは、図書館で本棚を見たら、その名札の本棚に、彼の作品が置いてなかったからだ。

凪良ゆう氏の本は、図書館に9冊おいてあるはずなのに、棚が空っぽ。

つまり、その著書は、すべて借りられていたということ。

そんなにたくさんの人が氏の本を求めているのか、と思い、機会があれば読んでみたいな、と思った。

そして、なにげなく返却本のコーナーの前を通ったら、この「滅びの前のシャングリラ」を見つけたので、借りて読んでみようと思ったのだった。

 

中央公論社の本書の紹介では、次のような紹介があった。

「一ヶ月後、小惑星が地球に衝突する」

突然宣言された「人類滅亡」。

学校でいじめを受ける友樹(ゆうき)、人を殺したヤクザの信士(しんじ)、

恋人から逃げ出した静香(しずか)、そして――

荒廃していく世界の中で、「人生をうまく生きられなかった」四人は、最期の時までをどう過ごすのか。

滅びゆく運命の中で、凪良ゆうが「幸せ」を問う。

『流浪の月』『汝、星のごとく』で

二度の本屋大賞を受賞した著者による 心震わす感動作

 

読み始めてみると、本書は4つの章に分かれていた。

初めは4つの短編かと思ったが、違っていた。

1か月後、小惑星が地球に衝突する、という滅びのパニックの状況下で、章ごとに中心人物を変えて、ストーリーが進んで行った。

3章目までの3人には、家族というつながりが見つかって話が進んだ。

だが、最後の4章目の山田路子だけはちょっと違っていたが、やはり家族や友人とのつながりが描かれていた。

 

この作品は、前半を中心に、ちょっと暴力シーンが多かったのだが、置かれている状況を描くためには仕方がないのかな。

ひと月後に小惑星が地球にぶつかって世界が終わる、そう分かって、人々がパニックになる絶望的な状況下で、殺人や暴力が横行する。

そんな中で、高校でいじめられている人物が、好きな子のために身を投げ出しても守ろうとする。

母は、生まれ来る子どものために、暴力を振るう相手から逃げ、何をしても子どもを守ろうと育ててきた。

殺人を犯してしまった人物が、家族とのつながりに心が許せることを見出したり、愛おしさを抱いたりして、荒れて油断のできない日々を、家族を守ろうとする。

「自分は独りではない」と分かることが、どれだけ人間にとって心の支えになることか。

ストーリー全体に流れているのが、「愛」。

それに包まれていることが、登場人物たちにとって「シャングリラ」となっているのだろうなあ。

地球が滅ぶという、どうしようもない直前のことではあるけれども…。

それでも、この作品からは、「シャングリラ」の意味が伝わってきた。

 

凪良ゆうの小説、他の作品はどんななのだろう?

2020年に本屋大賞を取った「流浪の月」にも関心がわいてきた。

機会があれば、読んでみたいな。

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「松岡まどか、起業します ―AIスタートアップ戦記― 」(安野 貴博 著;早川書房)を読む

2024-12-10 21:04:20 | 読む

これは、今年出た本だ。

本書の帯には、こう書いてあった。

22歳の非力な新卒社長のミッションは たった1年で 10億円企業を作ること⁉

AIエンジニア&起業家にしてSF作家が描く、令和最強のお仕事小説!

 

出版元は、早川書房。

早川書房と言えば、SFやミステリー関係のイメージが強い。

なのに、お仕事小説?

 

ということから、著者の安野貴博氏についてちょっとGoogleで調べてみると、

どーんと出てきてびっくりしたのが、

「安野たかひろ(東京都知事候補)公式ホームページ」という文字列。

えっ!?この人、東京都知事選に出ていたの!?

 

 

そこをのぞいて、「プロフィール」を見てみたら、

テクノロジーを通じて未来を描く」活動をしてきた33歳・無所属のAIエンジニア&起業家&SF作家。 1990年、東京生まれ。東京都文京区育ち。

だって。さらに、

開成高校を卒業後、東京大学工学部システム創成学科へ進学。「AI戦略会議」で座長を務める松尾豊教授の研究室を卒業。外資系コンサルティング会社のボストン・コンサルティング・グループを経てAIスタートアップ企業を二社創業。デジタルを通じた社会システム変革に携わる。日本SF作家クラブ会員。

 

へえ~。

この安野氏、先の都知事選に立候補し、5位の得票数15万4638票を獲得していたのだそうだ。

AIエンジニアだけあって、「テクノロジーで誰も取り残さない東京へ」をスローガンに、AIやSNSを駆使した選挙戦を戦ったようだった。

 

さて、そんな安野氏が書いた小説だ。

これは、サイエンスに関するから、早川書房なのか、と思いつつ読んだ。

ちなみに、表紙のカバー裏には、こんな紹介文があった。

 

日本有数の大企業・リクディード社のインターン生だった女子大生の松岡まどかはある日突然、内定の取り消しを言い渡される。さらに邪悪な起業スカウトに騙されて、1年以内に時価総額10億円の会社をスタートアップで作れなければ、自身が多額の借金を背負うことに。万策尽きたかに思われたが、リクディード社で彼女の教育役だった三戸部歩が松岡へ協力を申し出る。実は松岡にはAI技術の稀有な才能があり、三戸部はその才覚が業界を変革することに賭けたのだった――たったふたりから幕を開ける、AIスタートアップお仕事小説!

 

出てくる社名等も、リクディード社、ビズリサーチ、ユアナビなど…よく聞く名称をもじっているから、連想できるのが楽しい。

おそらく自身の経験がもとになっている部分があるのだろうけれど、専門的な知識を持たないと分からないと書けないよなあ、と感心した。

それゆえ、ITの専門用語や経済用語は、私のような門外漢には聞きなれなくて分からない言葉の連続だった。

ローンチ、ギーク、アサインする、ベットする、ファインチューニング、プロンプトチューニング、エレベーターピッチ、ピボット、LLM…etc。

でも、門外漢でもシロウトでも、話自体は面白い。

なんてったって、主人公の松岡まどかは、起業するとはいえシロウト。

そのシロウトゆえ、様々な困難に会うが、AIを頼りにしながら前に進んで行くのだ。

色恋沙汰は全く出てこないが、とても面白かった。

 

SFの早川書房だから、これはサイエンスフィクションにすぎないのか。

いや、なるほどと思うところが多いから、きっとこの小説に書かれてあることは、もうフィクションではないのだろうな。

安野氏の専門的な知識が生かされた小説だ。

ドラマになったら、きっと受けるだろうなあ。

「ミッションはAIで働く人を助けること」

「世界に君の価値を残せ」

うーん。響いてくる言葉だなあ。

 

この松岡まどかのその後がどうなっているのか、続編が生まれてもいいな、と思った作品であった。

安野氏の広く深く豊かな才能、なかなかすごいですね。

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「こども六法の使い方」(山崎総一郎著;弘文堂)を読む

2024-12-03 20:08:46 | 読む
以前、「こども六法」なる本について、ここに書いたことがある。
困っている子どもを法律で助ける本ということだった。
その本のよさから、子どもに法律を教えた方がいいのではないかというようなことも思った。

だが、その考えは底が浅く、著者にとっては不本意なとらえ方だったようだ。
大人の読者から「『こども六法』の本があれば、子どもにやっていけないことを根拠をもって教えられる」という意見がたくさん寄せられたのだそうだ。
子どもが悪いことをしたときに、「『こども六法』に、法律でダメって書いてあるから、そんなことしちゃダメ!」というような使い方は、なぜ法律を守らなければいけないかという子どもの疑問に一切答えていないから、子どもの理解を得られない。
だから、本書で法教育の目的や重要ポイント、法教育の基本となる大切な考え方について、大人向けにできるだけやさしく興味を持ってもらえるように、と考えて書いたのだという。

興味深かったのは、後半、「大人」と「子ども」を分けるものは何か、という内容にふれていた所だ。
それを「責任を取る能力」ということで語っている。
民法では、18歳で成年になる。
成年になることで、自分の意思だけで自由に契約を結ぶことができるようになるが、同時に契約に対する「責任」も負うようになる。
ただし、「責任を取る能力」(正式には事理弁識能力というらしい)があるとする年齢は、刑法では、なんと14歳。
「責任を取る能力」をシンプルにいうと、「自分の行動を理解し、選択する力」があるということ。
責任とは、自分の選択に対して負うものだということ。
そう考えると、例えば殺人罪は、「相手を殺さないという選択ができたのに、あえて相手を殺すことを選択した」ことを非難するための刑罰であるといえる。
なぜ、ここを強調するかというと、人生は選択の連続だから。

大人でも、何かを選択して失敗したとき、他人のせいにすることがある。
「アドバイスどおりにやったのに失敗した」「本当は違う方法でやりたかったのに」など。
子ども時代に親の教育・躾の中で「選択する機会」を奪われてきたのではないか。
刑法の14歳という年齢は、自らの責任において「犯罪をしない」という選択をできる力は、14歳までに身につけておかないといけない、ということ。
この力は、その4年後、18歳になったときには、約束(契約)を守り、債務を果たす力につながっていく。
さらには、将来にわたって自分の人生を選択し、責任を負える力になる。

このような考えには、深く同意する。
こういう責任を取る力が、子どもだけでなく大人にもついているのかについては疑問符がつくような現代日本になってはいないだろうか?
年齢だけは大人となっているが、自分の言行に責任を負えない、いや負うことができない身勝手な人が多くなってはいないだろうか、と思う。

自分の選択に責任を持てる大人になること、それこそが人生を自分のものとして生きる基礎であることは言うまでもないでしょう。大人が子どもに教えてあげられることのゴールと言っても過言ではありません。法教育に携わる者としては、ぜひ法律をツールとして子どもたちにその力を身につけてほしいと願っています。

親子といえども別の人間で、それぞれに別の人生があります。親が子に対して責任を負うべきは、子どもの人生ではなく、成長なのではないでしょうか。
つまり親の責任とは、子どもが自分の人生に責任をもって一人で生きていけるように育てる責任であって、いつまでも子どもの一挙手一投足に目を光らせる責任ではないと私は考えます。

これは、子育てで本当に大切なことだと私も常日頃から考えていたことだ。
若いながら、著者がしっかりした考えを持っていることがうれしかった。
これ以外にも、読んでいて非常にすっきりする考え方で、うなずける部分の多い本だった。

また、著者は、自身が子どもの頃ひきこもりだった経験で、大人に助けてもらえなかったうらみがあったという。
助けてもらえなかった大人に対する不信感が大きくて、どうしても法律を自分の側、子どもの側に有利なように活用することばかり考えがちになっていたと、現在はみとめている。
だから、今は、子どもの側にも大人の側にも目をやって子どもたちを救おうとしている。
素直にそのことを書いているのも好感が持てた。

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「想い出にかわるまで」(内館牧子著;角川文庫)

2024-11-27 18:24:05 | 読む

 

別れたらそれっきりというのは、淋しすぎる。

想い出にかわった時、元恋人は「一番大切な他人」になっているんだわ。

 

久々に恋愛小説を読んだ。

その書名が「想い出にかわるまで」(角川文庫)。

著者は、内舘牧子。

この文庫本が出たのは、平成5年だったから、今から30年以上前になる。

手元にあるのは、平成10年の第19刷のものだから、本当に昔のものだ。

本棚の陰にずっと隠れていた一冊。

 

この本の最も印象に残る文章は、冒頭に載せた2文。

60代後半の自分だが、胸がきゅんとする文章だ。

「一番大切な他人」かあ。

言い得て妙だなあ…。

しかも、それが「想い出にかわった時」だというのだからなあ。

 

ストーリー自体は、主人公のるり子が、婚約者のエリートサラリーマン直也を、実の妹の久美子に強引に奪われるというもの。

そんな妹の姿には、多少おどろおどろしさがあった。

印刷屋の町工場の父母、るり子と妹、弟を交えた家族のつながりについても描かれているから、ああ、あの頃はまだこんなふうな家族関係だったな、とか跡継ぎの問題は必ずついてまわっていたな、などとも思ったりした。

恋愛小説に家族小説の要素が入り込んでいたのは、いかにも、という感じで懐かしさを覚えた。

 

この作品について調べてみると、あの金妻(金曜日の妻たちへ)のシリーズと同じ夜10時の時間帯に放送されたテレビドラマから、放送終了後、書籍化→文庫化されたものだった。

金曜10時台のドラマは、それこそ「金曜日の妻たちへⅢ」しか見たことがなかったので、ドラマ放送されていたとは知らなかった。

この「想い出にかわるまで」のドラマは、1990年1月から3月までの放送で、主演は今井美樹と石田純一だった。

私にとっては、魅力的なシンガーとしてしか知らない今井美樹が出演していたことなんてあったんだね。

しかも、姉から婚約者を奪い取る妹役は、当時21歳の松下由樹だったなんて、「へえ~」だった。

おまけに、主人公のるり子に心を寄せ、時には彼女の支えになるカメラマンには、あのチューリップの財津和夫が起用されていたというのも、興味深い。

財津氏は、ドラマに出たこともあったのか、…知らなかったよ。

…と、いろいろと珍しいことを知ることができた。

 

こういう恋愛小説を読むと、自分と違っていてうらやましくなったり、自分が経験したこととの共通点を見出したりしてしまう。

終盤に移ってきた自分の人生と比べながらも、気持ちが若くなるような気もするものだなあ。

 

 

話は変わる。

ああ、アルビレックス新潟。

今日は島田譲選手の契約満了の報せだ。

連日の満了発表、つらいなあ…。

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この頃古い児童書を読んでいる

2024-10-04 20:21:51 | 読む

最近は、図書館に行っていない。

その理由は、古い児童書によるところが大きい。

 

もうアラフォー世代となったうちの子どもたちの部屋にあったものの片づけもしているのだが、そこで見つかる本がある。

しばらくぶりに見ると、ほこりだらけになっていたりしみができたりしている。

さすがに汚くなっているので、これを古本として買い取ってもらおうなんてことはしない。紙ごみの日に捨てるしかないだろうと思っている。

先日ここで書いた「西遊記(1)」もそんな本のうちの1冊であった。

だけど、本を捨てる、ただのゴミに出しちゃうなんてことは、ちょっともったいないのだ。

本って、やっぱり自分にとって宝の1つなのだよな。

そう思えてならない。

ならば、本は読まれてこそ本なのだから、捨てる前にもう一度読んであげなくては、なんて思ったりする。

だから、子ども向けの本でも、ちょっと気になって読んでみようかな、と思ったのだ。

ここに挙げた4冊の児童書は、いずれも「フォア文庫」のものである。

子ども向けだから、短い時間で一気に読むことができた。

 

 ところで、裏表紙を見たら、同じフォア文庫なのに出版社が違っていることに気がついた。

「目をさませトラゴロウ」(小沢正・作;理論社)   A010

「ぬすまれた教室」(光瀬龍・作;岩崎書店)     A074 

 「ふしぎなアイスクリーム」(手島悠介・作;金の星社)A044

 「学校で泣いたことある?」(末吉暁子・作;岩崎書店)A059 

なぜかな?と思って、もう一度本の終わりの方のページをよく見てみた。

すると、こんなふうに書かれてあった。

フォア文庫

 この文庫は、岩崎書店、金の星社、童心社、理論社の四社によって協力出版されたものです。

 …なるほど、そうだったのか。

4つの出版社が協力して出版しているから「フォア(four)文庫」なんだね。

 

そして、ナンバーの前についている「A」は小学校低・中学年向けであることを示しているのだそうだ。

もし、「B」なら小学校中・高学年、「C」なら小学校高学年・中学向けというわけだ。

60代の後半になって30年以上前の児童書を読むのも、意外と悪くない。

文字は大きめだし、理解しやすいし。

さらに言えば、想像力を使って読むから、なかなか楽しい。

まともに考えれば、動物たちが人間の言葉をしゃべったり、宇宙人が日本語を使えたりするわけがない。

でも、その壁を乗り越えて読むと、作者が子どもたちに託したい夢が伝わってきたり、読み手として優しい気持ちになれたりするのがいい。

 

そんなわけで、最近は、少し古くなった児童書ばかり読んでいる私であります

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