ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

15kmを1時間20分で走れるか!?

2012-10-30 22:20:31 | RUN
11月3日にあるロードレースに出ることにした。
10kmと20kmがあるのだが、迷った末に20kmに申し込んだ。
わが息子も最近走ることに熱を上げていて、10kmに申し込んでいる。

迷ったのは、20km走り切れるかどうか、ということではない。
15kmで関門があるのだ。
1時間20分の制限である。
1km5分のペースでいけたとして、15kmで75分、つまり1時間15分。
残りは、5分しかない。
こんなに速いペースで自分は走れるのだろうか?
先日の新潟シティマラソンでは、フルマラソンだったとはいえ、前半は、1kmあたり6分20秒もかけていたのだから。
それに比べたら、断然速いペースである。
若い頃ならいざ知らず、50代半ばの自分には厳しいペースである。

それなのに、先日寒さで風邪をひいてしまったし、新潟シティマラソン後は天気が悪いのと夕暮れが早くなったのとで、全然走れていない。
ヤバイよ、これは。

そう思っていたら、あっという間にレースの日が近づいてきて、もう1週間もなくなってしまった。
いよいよもって、これはまずい。

…ということで、昨日の月曜、何があっても走ってみようと、日没暗くなっている中を走ることにした。
この距離をクリアできるペースで走れるかどうか、知りたかったのである。
時刻は、夜6時30分前からである。
すでに辺りは真っ暗であった。
反射シールのついたタスキをかけ、走り出した。

最初の2kmは、4分51秒で走れた。
次の1kmが、5分1秒。
そんなふうに、7kmまで1kmあたり5分足らずで走ることができた。
それ以降は、1km5分以上かかってしまった。
しかし、14kmあまりを走って、1時間14分ジャストであった。

これなら、ギリギリだけれど、15km1時間20分の時間制限をクリアできるかもしれない。
一応、自信になった。
そういう意味でよい試走になった。

明けて今日は、多少の筋肉痛や関節痛が出ている。
しかし、これは、まだ想定の範囲内。
しばらくはこの疲れをいやして、3日の本番に備えようと思う。
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いただいたサンマは、最高の食べ方で…

2012-10-28 21:14:57 | 生き方
新鮮なサンマを送っていただいた。
しっかりクール便で届いた魚は、氷の中。


こういう時に、最もおいしい食べ方は、「サンマのタタキ」。
カツオのたたきと違って、あぶったりはしていない。
生のサンマを、包丁で細かく「たたいて」、同様に細かく刻んだネギやショウガを混ぜて、さらにたたいて混ぜる。
それを、しょう油をかけていただくものである。

わが家では、母亡き後、魚をさばくのは私の役目。

サンマを一匹一匹、三枚におろす。

以前は時間がかかっていたが、今は、かなり早くできるようになった。

三枚におろした後、包丁を使いながら、背中の皮をはがす。
そして、切ったネギやショウガを混ぜて、たたく。

完成だ。

不器用な私は、10匹余りの魚をここまで手を加えることに、2時間弱の時間をかけている。(来客があったせいもあるけどね。…ささいな時間であったが…。)

でも、その分、できたサンマのタタキは…、

うまい!

…送ってくださったのは、いわき市の親類である。
2年前まで、たくさんのサンマの水揚げがあるのは当たり前であったことだろう。
それが、昨年の東日本大震災・原発事故のおかげで、そうではなくなった。
それなのに、特別なルートで手に入れて送ってくださったことに、心から感謝したい。
だからこそ、自分の知っている一番うまい食べ方をしたかった。
手間ひまかかっても…。
骨に残った部分も、煮て食べられるようにした。


ごちそうさまでした!
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痛い負け 私は早くも2012シーズンの終戦 … 鳥栖戦

2012-10-27 22:34:29 | アルビレックス新潟
We are one.

残留を目指すアルビレックス新潟の合言葉である。
みんな、1つになってがんばろう。
そういう願いがある。

今日は、サガン鳥栖戦。
J2時代から、新潟のホームでは負けたことがない相手である。
なんとしても、今日は、勝ち点3。
選手、サポーターみんなの願いであった。


スタジアムの近くでは、去年に続き全治8カ月の重傷を負った東口選手への励ましのメッセージを、と声をかける人たちがいた。


ノートにも、そして、フラッグにも書いた。

「不死鳥たれ!」
何度でも復活してほしい!

試合前に勝ち点3を願って、33mの弾幕が3本バックスタンド側トラックに並べられた。


さて、試合である。
We are one.

そのように書かれたTシャツが販売された。

願掛けで、私も購入した。

選手たちもそれを着て入場した。

ゴール裏は、最初から熱くなっている様子が見られた。
選手たちの円陣も、気合が入っていた。


ところが、サポーター席からの最初の応援歌が終わらないうちに、あっさり先制されてしまった。

最初のシュートでやられるとは。
しかも、相手の最も警戒すべきFWを自由にさせてしまっての失点。
なんとしても追い付きたいところだったが、逆に前半のうちにもう1失点。

しかも、同じFWをフリーにさせてしまった失点。
なんとも…。
やはり守護神東口と鉄壁のDF鈴木大輔(警告累積で出場停止)がいないと、だめなのか…?

負けは許されない新潟は、後半に18歳FW鈴木武蔵と19歳酒井宣福の2人を起用。

懸命に得点しようとがんばってプレイする選手たちの様子は、伝わってきたけれど、守備を固める相手のゴールは割れず、0-2のまま、試合終了。


降格圏脱出の当面の相手、大宮は、難敵柏に4-1で圧勝。
ついに、勝ち点で5の差がついてしまった。

残りは、4試合。
崖っぷちとなった。
残りは、清水、川崎、仙台、札幌と続く。
4戦全勝するくらいでないと、J1残留はできないであろう。
厳しい。

熱を入れて応援したいところだが、私は、今後すべての土曜日に予定が入っている。
ひと足早く、私は終戦である。
気持ちの入った試合を、選手たちは見せてくれている。
あと4試合。
この気持ちが実ることを祈るばかりである。

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成長している子どもの話を聞くのは本当に楽しい

2012-10-26 22:22:39 | 「育」業
昨日は、残念な思いのまま、去年の思い出を書いた。
今日は、勤務時間終了後、およそ35kmを車を走らせ、前の勤務先に行ってきた。
明日は来られないけど、代わりに今日、あいさつに来たよ、と。
夜なので、子どもたちはいないが、去年一緒に勤めていた何人かの職員の方々が、残ってくれていた。

どうしても、話は、私の知らない今年の子どもたちの活躍している姿が中心となった。
去年までの姿とは違う姿は、十分な成長をうかがい知ることができた。
今は最高学年となった子どもたち。私が着任した時は、トラブル続きだった。
今は、聞いていて、とても頼もしかった。
登山の折も、軽率な行動が目立った子が、体重が軽いのに、2学年下の体重がかなり多い子を支えて、最後下山したとのこと。
音楽会の練習で、皆の中に入って練習できなかった子が、今は普通に練習しているとのこと。
毎日母が送迎しなければならなかった子が、今は一人でバスに乗ってきているとのこと。

こういう、子どもたち一人一人の成長こそが、この仕事をしている喜びだと思う。
残ってくれていた皆さんのおかげで、たくさんの子の成長した話を聞くことができた。

そのうちのお一人から、

「普段接していると見過ごしがちな成長を改めて口にしてみると気付くものですね。
“即時賞賛”忘れず頑張ります。話ができ楽しかったです(^.^)」

というメールをいただいた。
自分と同じ思いで仕事をしている人がいるとわかり、うれしかった。

今の勤務先でも、たくさんの子どもたちの成長している姿を認めていきたいと思う。
それこそが、私の仕事の生きがいなのだから。

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夕暮れRUNNER ~去年の今頃を思う~

2012-10-25 22:22:24 | RUN
夕暮れRUNNNER


夕暮れ 日は落ちた
西の空 橙色が朱の色を強めていく
やがて朱の色があせ セピア色が深くなる

グラウンドに降り立つ
少しずつ空気が冷たくなってくるのを感じながら
走り出すために体を伸ばす 
四肢を曲げ伸ばす

足元の土が黒さを増していく中を走り出す
空気が 顔に脚にぶつかってくる 
ひんやりとしているが 心地よい

走り始めると 目に見えるものが変わっていく
杉木立は すでに真っ黒なシルエット
周辺の秋の草たちは 茶・こげ茶
足元のラインは消えかかり わすかにうっすら白く浮かんでいる

ここを 昼間 子どもたちが駆けていた
キラキラした瞳で 一人一人風を切っていた
薄暗くなった同じ場所を 私一人が駆けている

いつの間にか空は青が深みを増している
西の空にひときわ輝く星
頭上にはきらめく星が増えていく
駆ける大地は 草もくぼみのありかもわからなくなってしまった

カーブを曲がる車のライトが時折まぶしい
黄色いライト オレンジ色のライト ライトブルーのライトたちが 
私の走路を惑わせる
足元は暗闇 それでも大地の存在は足の裏からどっしり伝わってくる

どこからともなく心地よい香りが漂ってくる
これはキンモクセイ 
昼間見たその花の咲く姿を思い浮かべる
今はどこにもその存在は見えないが 
ある場所を走る時 独特の香りに包まれる

かん高い笑い声が道路から聞こえてくる
ライトをつけた自転車が行く
電柱の下通り過ぎる時だけ 中学生の女の子たちとわかる
自転車で楽しそうに話しながらそれぞれの家路を進んでいく
声が遠ざかっていく

空はすっかり暗色を深めた
星たちがこんなにいるのかと見上げながら走る
闇の中から響くは 虫の声
近ごろめっきり少なくなったが まだ鳴き続けるものもいる

今 このひとときがなんと快いことか
走っている 生きている 
かく汗も
湧いてくる思いも
すべて今だけのもの

走っている 生きている
今 この場所で
今 この時を



(2011年10月20日。
 こんな思いで時間を過ごした一瞬がありました。
 前の勤務先でのことでした。
 あれから、すでに1年がたってしまいました。
 懐かしい地へ、今週末行けるチャンスがあったのですが、
 他の用ができ、その機会を断念せざるを得ませんでした。
 非常に残念です…。)
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中越地震から8年

2012-10-23 22:48:55 | 生き方
そうか、8年か。
10月23日。
あの日は、土曜日だった。
あのときは、サッカーJ1の浦和を応援してテレビ観戦していたのだった。
浦和が、エメルソンの活躍で(?)勝利した放送が終わろうとしていた時だった。
ぐらぐらと、大きな、長い揺れが来たのは。

あのときには、余命半年と言われてから半年がたった母がまだ元気に生きていた。
次第に元気を失っていったのは、そのひと月後くらいからだった。

妻は、2度目の手の手術で新潟に入院していた。
息子は、まだ大学に入学して半年の1年生だった。
母と、妻の見舞いをするために専門学校の寮から帰ってきていた娘と、3人で揺れが収まるのをひたすら待ったのであった。


あれから8年。
被災状況がひどかった旧山古志村は、今は長岡市と合併している。
その後、復興し、箱根駅伝で優勝した東洋大学が合宿をはって、山古志を走って練習したのは有名な話だ。
しかし、住民の土地離れが進み、少子高齢化が一段と進んでいる。

山古志に近いところに勤めていた知り合いは、当日勤務先の学校の周年行事が終わってホッとしていた時だったそうだ。
ひどい揺れが収まると、学校の前の民家がつぶれて、目の前から消えていたのだそうだ。
100km以上離れた所に住む、両親は死んだのではないかと、覚悟したそうである。
周年行事だったため、なんと礼服で被災し、着替えは住居においてきたため、その後1週間、住民の避難先となった学校で、ずっと礼服で過ごしていたのだそうだ。

中越地震から8年。
そして、東日本大震災から1年半。
中越地震から真の復興ができたのかどうか、検証もしないうちに東日本大震災が起こってしまった。

地震の多い日本。
これからも油断できない生活が続く。
が、何よりも被災地の復興を急がなくてはならないと思うのだ。


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水石山、40数年ぶりの山頂で…

2012-10-22 22:51:19 | 新潟
昨日、いわき市から新潟への帰り道。
すんなりいわき中央ICから乗らずに、いわき三和ICから乗ることにした。
すると、途中、いわき三和ICの近くに「水石山公園→」という案内板を見つけた。
懐かしい!と思った。
中学1年生のころだから、40年以上も前、母方の祖母が亡くなった折に来た時だったと思う。
親類に、水石山に連れて行ってもらったことがあるのだ。
山の頂上付近の芝生の上で、キャッチボールやら何やらして、夏の日に遊んだ覚えがあった。
その後、いわき市に来た時、どこだったのだろうと思っていたのであった。
今回、その入口を見つけたことで、いっぺんに行きたい気持ちが高まった。
「6km」とのことだったが、車でくねくねと登って行くのは、なかなか遠く感じた。
こんなに遠かったかなあ…と思いながら、登って行き、ようやくたどり着いた。


昨日は、2~3人とかで来ている人が少しいただけ。
昔は、たくさんの子どもが親子連れで来ていたと思ったが、やはりさびれているイメージは否めなかった。
山頂が近付くと、いわき市平の中心部がよく見渡せた。


斜面を登って行くと、草を刈った場所もあるが、野草が残っているところも多くあった。
その中に、ツリガネニンジン(ハクサンシャジン?)を見つけ、何枚か写真を撮った。

風が強く、なかなかピントが合わなかった。


山頂部には、らせん階段を登る展望台があった。

かなり古く感じられたから、きっと40数年前に行った時も登ったことだろう。
階段のさびた部分や欠けたコンクリート、はげかかった外壁などに、さすがに古さを感じた。
思わず、遠くの海岸部に目をやった。

海の色が濃いので、陸地との違いはわかる。
うすぼんやりと見えるのは、塩屋埼灯台だろうが、はっきりとはわからない。
40数年前は、まさか震災や津波が起こるとは思っていなかった。見えなかったが、その北側の方に原発ができるとは、そのうえ事故が起こるとは思ってもみなかったことだ。

近くに人はいたが、極端に少なかったこと。
秋のススキが風になびいていたこと。
青空の下、だいぶ西に日が傾こうとしていたこと。
…そんないろいろな要素が、40数年という時間の経過とそれに伴う感慨で、しばしぼうっとした瞬間があった。
あの日子どもだった自分は、もう中年の後半を迎えている。
自分を取り巻く人々も、同じだけ年を重ねたりすでに鬼籍に入っていたり…。

時間が過ぎたのだなあ…。

青空。秋の夕方近い陽射し。ススキ。風。

様々なものに囲まれ、人生も秋なのか?
…と、しばし物思いにふけった水石山であった。
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1年半ぶりにいわき市の海岸部を訪ねる

2012-10-21 23:22:27 | お出かけ
新潟県内には、完全に新米が出回るシーズンとなった。
その新米を購入して、福島県いわき市の海岸部に住む親類(正確に言うと、亡き母の実家(伯父)、伯母1、伯母2)の家3軒を、新米を届けつつ回ろうと計画し、今日日曜日に行って来た。
昨年、震災が起きてから1ヵ月半後に訪ねて回ってきたが、それ以来である。

さすがに、それから1年半もたっているので、あの時道路の両脇いっぱいにあったがれきは、なくなっていた。
なくなっていたとは言うが、他県で処理することは、遠い岩手県であってもなかなか受け入れてもらえないという事実からすれば、どこでどうのように処理されているのかは不明だ。
そして、さら地になっているところもあれば、新しい家が建っているところもあった。
着実に復興に向かっているのがわかる。
しかし、震災の影響が半端なく残っているのだ。
建物しかり、人しかり。

海岸に近いところは、防潮堤を建てる計画らしいが、住民のニーズに合った計画ではなく、古い防潮堤の場所でなければならないとか、堅苦しい決まりを盾にしているとのことであった。
古い防潮堤は、かなり陸の中に入り込んでいて、海岸からはかなり距離があるのに、である。

伯父宅は、足場が組まれ、外壁や屋根の修理の真っ最中であった。
震災の影響で、雨漏りがひどくなっていたり、地盤沈下で家が相当きつい影響を受けたようだ。
修理しないととてもじゃないが、使えないとのことであった。

伯母宅のうち1軒では、1階の柱だけ残して津波にやられたのだが、この半年あまり前に、住めるように修復してもらったのだそうだ。
ただ、地震のせいで施設に入ったりした伯母が、慣れない生活で転んでから、歩けない生活となってしまった。
そのため、家の1階は、バリアフリーに改装したとのことだった。
もう一人の伯母も、つい先日まで体調が悪かったとのことだ。
さらに、いとこたちには、くも膜下出血で倒れて入院した人あり、心臓の具合が悪くなることがある人ありであった。

やはり震災や原発事故からの生活の変化等による心身のストレスが大きいのではないだろうか?
会った人たちは、皆それらのことを明るく笑って話してくれた。
強いなあと思う反面、その強い人たちにも様々な影響があるのだと、知った。
離れているとわからないが、今日、往復約500キロをかけて会いに行って、いろいろあっても元気に生きていることと、上記のことなどを知ることができたのはよかったと思っている。



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秋の志賀高原を巡る その2

2012-10-20 22:16:07 | お出かけ
2日目は、前日以上のいい天気。
前日より少し、草津へ続く坂道を登った所からのスタート。
今回歩くことに決めたのは、「池めぐりコース」。
エメラルドグリーンに輝く大沼池を目指して歩くのだ。
全長10.3km。所要時間3時間30分。標高差200mというコースである。
硯川の前山リフトを利用して、少し山登りをかせぐ。

リフトを降りると、目の前のスキー場や紅葉に目を奪われた。


歩き始めて、ほどなく、渋池に着く。


ここから先は、トウヒやコメツガ、ダケカンバなどの林が続く。

スタートしてから約1時間後、四十八池に着く。

ここからは、志賀山に登れる。たくさんの人たちがそちらを目指すようだが、我々は、体力温存、そのまま大沼池方面に向かう。

そこからさらに30分余り歩いていたら、突然見えた。

目指す大沼池だ。
なるほど、美しい。
この近くにある草津白根山の湯釜と似ている色をしていた。

見えた辺りからは、下る一方であった。
帰りは、この道を通ったら、きっと上りばかりでいやになることだろう。
四十八池を出て約1時間後、大沼池到着。

池の乳白色っぽい水色と、周辺の木々の紅葉・黄葉が非常にきれいだった。

今日の昼食は、長野県の名産物、おやき!である。

野沢菜、きりぼし、なす、リンゴとチーズ、いも栗…と、今日も「道の駅 北信州やまのうち」で買ってきた、様々な種類のおやきをいただいた。
おいしかった。とてもよい食文化だと思った。
なすのおやきがこんなにうまいとは…。
ただ、高原のせいもあり、寒い!
水上を渡って来た風が、非常に冷たい。

追い立てられるように、帰ることにした。帰りは、池尻を経由。
その間にも美しい水の景色が展開された。

最後にもう一度、きれいな水の風景を目に焼きつけた。

そこから、バス停目指して歩いた。
途中では、

シラタマノキの実や

ゴゼンタチバナの実を見つけて喜んだり、紅葉のきれいなポイントに出合って喜んだり。

1時間余り歩き、バス停へ。
バスに乗って、蓮池に行き、乗り換えて硯川へ戻る予定だった。
ところが、なんと蓮池行きのバスが出てから4,5分がたっていた。
はあ…。
仕方がない。蓮池までそんなに遠いはずはないと、昨日車に乗って知っていたので、歩くことにした。

550mあるトンネルを含め、1kmくらい歩いていくと、そこは蓮池。
昨日見た風景が再展開されていた。


バス停を見つけ、待ち時間30分ほどを費やすと、バスが来た。
午前中に止めておいた、懐かしい愛車に出合い、その後4時間近くかけて、新潟のわが家に帰ったのであった。

トレッキングコースがたくさんある志賀高原。
今度は、山のお花が美しい夏に訪れてみたいものだ。
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秋の志賀高原を巡る その1

2012-10-19 22:25:47 | お出かけ
土曜日の振替休日を生かして、日・月の2日間で紅葉を求めて志賀高原に行って来た。
ここは、4年前にも行って来たことがある。
その時は、10月の下旬になっていて、少しピークを過ぎたころかなと思っていたから、それより少し早い中旬に行ってみたいと思っていた。

志賀高原には、池や沼が多い。
それらは、結構散策によいのである。
今回も、琵琶池から蓮池を中心にして、「池めぐり」をした。
一沼→琵琶池→蓮池→丸池というコースである。
最初に出合う紅葉ポイントは、「一沼」。
たくさんの人が、ここで車の足を止める。
都合のよいことに、駐車場が近いところにある。
そんなに大きくはないが、「わあ、きれい!」と感じる。

池のほとりの紅葉が、池に映る。
それが美しく感じるのだ。

今のデジカメでは、うまく紅葉が撮れない。
続いて、琵琶池の方へ。
まだ、紅葉真っ盛り…にまでは、いっていない。


このほとりでは、ウメバチソウを見つけた。

さすがに寒さで?枯れかかっていた。

この後は、ブナ・白樺林の中を歩く。

ここでは、昼の時間になったので、昼食。
昼食は、麓の「道の駅 北信州やまのうち」で買った、「笹ずし」。

シンプルな笹の葉に乗った、すし飯。
ちょっとした、楽しい名産品?

食後、歩いていると、紅くきれいなツルリンドウの実を何回か見かけた。

林の中の紅葉や黄葉も美しかった。


歩道を出ると、志賀高原歴史記念館。

館内には、長野五輪の記念になるメダルやユニフォーム、記念品など様々なものも置いてあった。
あの熱狂にわいたのは、もう14年も前のこと、懐かしい…。

そして、館外に出ると、そこは、蓮池。

池のほとりの木々が、紅葉&黄葉。
見事なビュー・ポイントである。
この畔を歩いて、紅葉・黄葉を楽しむ。


そこで気付いたのが、4年前との相違。
4年前には運航していた、ロープウエーがない!
志賀山の方につながる長いロープウエーが、なくなっていて驚いた。

最後に、丸池周辺を巡った。

ここだけではなかったのだが、立派なカメラを構えて、すばらしい紅葉写真を撮ろうという人々を多く見かけた。
サンバレースキー場の一部を歩いて下りる。
すると、そこには園芸種だと思うが、八重のサフランが咲いていた。


この後、奥志賀高原の方にドライブして回った。
こちらから、秋山郷の方にも行けるのだが、もう夕方が近い。

周辺で美しい紅葉を愛でて、今夜の宿へ帰ることにした。
帰途「ダイヤモンド湿原」なる、すばらしい命名の湿原も歩いてみたが、もうここは晩秋。
何も見るべきものがなかった。
ワレモコウを除いては…。


曇り空のせいか、夕暮れが迫るのが早い。
予定より早いが、車で山を下りて行ったのであった。
(行った先は、中野市のイオンであった…。)
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