ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

さらば、矢野貴章…

2013-01-07 22:52:54 | アルビレックス新潟

【2007年11月の試合場での画面↑】
ついに公式発表されてしまった。
J1新潟の矢野貴章選手の名古屋への移籍。
すでに新聞報道では確実視されていたけれど、正式に発表されてみると一抹の寂しさがあるなあ。
若き矢野が所属していた柏レイソルがJ2に降格した年に、新潟に移籍してきた矢野。
初めの頃は、よく相手選手に転ばされていて弱さを感じたっけ。
それが、次第にたくましさを身につけ、新潟のサポーターの期待を一身に受ける人気選手となった。
攻撃に転じた時のあのスピードのすばらしさ。
そのうえ、彼は攻撃の選手なのだが、守備もさぼらないのだ。
ひたむきで、泥臭いプレーぶりに、応援する人は皆魅せられたのだ。

他チームに移籍の話が出た時は、引きとめたい新潟のサポーター席にこのコレオグラフィが生まれたこともあった。


そして、W杯南ア大会の日本代表メンバーに選ばれたことや、W杯前最後の試合で彼のゴールを期待して応援の歓声を上げたこともあった。
W杯後に移籍したドイツから再び戻って来た昨年は、また新潟で躍動する矢野貴章が見られる、と、新潟の人々は皆喜んだものだった。

だが、残留争いに巻き込まれた昨シーズンは、矢野選手本人にとっても、よい年ではなかった。
ドイツに渡る前のような切れ味がなくなっていて、次第に控え選手としての働きが求められるようになってしまっていた。
でも、まだまだやれると、矢野本人も周囲の人々も私たちもそう思っている。
ただ、残留争いをしてしまった新潟は、もっと強くならなくてはいけない。
矢野選手も、もっと出場機会が多いチームに変わって、新しい刺激を受けながら成長しなくてはいけない。
そんな事情がある。

矢野が大好きな新潟の人々は、他チームへの移籍を機会に、もうひと花咲かせてほしいと願っている。
矢野のチャントは、皆に愛され何度も歌われてきた。

 オレたちとともに 戦おう
 矢野貴章 矢野貴章 オメキメレ貴章

「オメキメレ」は、「お前が決めろ」の新潟弁方言の言い方だ。

さよなら、矢野貴章。
新潟に、熱いプレーをありがとう!
コメント
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