去年、自分を元気づける歌を集めてCDを編集したということを載せたら、SUNQさんが、ドリカムの「何度でも」を聴いてほしい、ということを書き込んでくれた。
8月に、NHKの「SONGS」という番組の一部を見たら、ドリカムの特集をやっていた。
アメリカ進出に失敗したことなどを取り上げた後、その経験を生かして、ラブソング中心だった歌から、人を励ます歌を歌うようになった、ということが放送では言われていた。
その中に、「何度でも」があった。
NHK第64回紅白歌合戦の放送終了後のアンコールでこの歌を歌ったというエピソード映像も放送されていた。
そんな番組を見てから、SUNQさんから教えてもらったことを思い出した。
翌週、BOOKOFFに行って、ドリカムのCDを探し、「何度でも」が入っているアルバムを買った。
当時入院中で、外出で往復する車の中で、この曲を流して娘に聞かせたこともあった。
もともとこの歌を聴いたこともあったようで、娘は、その時珍しく「このCD、貸して。」と言ったこともあった。
その後で聴いたのかどうか、聞いても娘はすぐに忘れてしまうから、定かではなかった。
それからまもなく娘は退院してしまったし、直後に再入院の憂き目にあったから、なおさらよくわからなかった。
家で、私は、夕食後の皿洗いなどの際には、よくCDの曲を流すことが多い。
娘が退院してからもそうだ。
先日、この曲「何度でも」を流しながら皿洗いをしていたら、急に娘がやってきて、巻き戻しを行った。
もう一度聴きたいのかと聞くと、そうだと言う。
そんなことが2度あった。
そのうち一度は、聴いて涙を流していた。
なんでも、その理由を、「今の自分に合っている。」という内容のことを言っていた。
こみ上げてくる涙を 何回拭いたら
伝えたい言葉は 届くだろう?
誰かや何かに怒っても
出口はないなら
そう。娘は何回泣いたかなあ。
思い通りにならない体。
出てこない言葉。
出口のない病状。
一万回だめで へとへとになっても
一万一回目は 何か
変わるかもしれない
希望の持てない毎日の繰り返しだけれど、何か変わる時を待ちたい。
本当にそう思っていることだろう。
それは、娘も私たちもそうだ。
そういう日が来ることを信じたい。
歌はさらに続く。
終末は、次のような歌詞だ。
この先も躓いて傷ついて傷つけて
終わりのないやり場のない怒りさえ
もどかしく抱きながら
どうしてわからないんだ?伝わらないんだ
喘ぎ嘆きながら
自分と戦ってみるよ
一万回だめで 望みなくなっても
一万一回目は 来る
きみを呼ぶ声 力にしていくよ 何度も
明日がその一万一回目かもしれない
もどかしく切ない日々が、娘には続く。
「一万回だめで 望みなくなっても
一万一回目は 来る」
「明日がその一万一回目かもしれない」
そんな気持ちで、毎日毎日を過ごしている。
いつか―。
そのいつかを待ち続けていこう。
何度でも。
8月に、NHKの「SONGS」という番組の一部を見たら、ドリカムの特集をやっていた。
アメリカ進出に失敗したことなどを取り上げた後、その経験を生かして、ラブソング中心だった歌から、人を励ます歌を歌うようになった、ということが放送では言われていた。
その中に、「何度でも」があった。
NHK第64回紅白歌合戦の放送終了後のアンコールでこの歌を歌ったというエピソード映像も放送されていた。
そんな番組を見てから、SUNQさんから教えてもらったことを思い出した。
翌週、BOOKOFFに行って、ドリカムのCDを探し、「何度でも」が入っているアルバムを買った。
当時入院中で、外出で往復する車の中で、この曲を流して娘に聞かせたこともあった。
もともとこの歌を聴いたこともあったようで、娘は、その時珍しく「このCD、貸して。」と言ったこともあった。
その後で聴いたのかどうか、聞いても娘はすぐに忘れてしまうから、定かではなかった。
それからまもなく娘は退院してしまったし、直後に再入院の憂き目にあったから、なおさらよくわからなかった。
家で、私は、夕食後の皿洗いなどの際には、よくCDの曲を流すことが多い。
娘が退院してからもそうだ。
先日、この曲「何度でも」を流しながら皿洗いをしていたら、急に娘がやってきて、巻き戻しを行った。
もう一度聴きたいのかと聞くと、そうだと言う。
そんなことが2度あった。
そのうち一度は、聴いて涙を流していた。
なんでも、その理由を、「今の自分に合っている。」という内容のことを言っていた。
こみ上げてくる涙を 何回拭いたら
伝えたい言葉は 届くだろう?
誰かや何かに怒っても
出口はないなら
そう。娘は何回泣いたかなあ。
思い通りにならない体。
出てこない言葉。
出口のない病状。
一万回だめで へとへとになっても
一万一回目は 何か
変わるかもしれない
希望の持てない毎日の繰り返しだけれど、何か変わる時を待ちたい。
本当にそう思っていることだろう。
それは、娘も私たちもそうだ。
そういう日が来ることを信じたい。
歌はさらに続く。
終末は、次のような歌詞だ。
この先も躓いて傷ついて傷つけて
終わりのないやり場のない怒りさえ
もどかしく抱きながら
どうしてわからないんだ?伝わらないんだ
喘ぎ嘆きながら
自分と戦ってみるよ
一万回だめで 望みなくなっても
一万一回目は 来る
きみを呼ぶ声 力にしていくよ 何度も
明日がその一万一回目かもしれない
もどかしく切ない日々が、娘には続く。
「一万回だめで 望みなくなっても
一万一回目は 来る」
「明日がその一万一回目かもしれない」
そんな気持ちで、毎日毎日を過ごしている。
いつか―。
そのいつかを待ち続けていこう。
何度でも。