ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

何度でも

2014-10-29 22:41:22 | うた
去年、自分を元気づける歌を集めてCDを編集したということを載せたら、SUNQさんが、ドリカムの「何度でも」を聴いてほしい、ということを書き込んでくれた。

8月に、NHKの「SONGS」という番組の一部を見たら、ドリカムの特集をやっていた。
アメリカ進出に失敗したことなどを取り上げた後、その経験を生かして、ラブソング中心だった歌から、人を励ます歌を歌うようになった、ということが放送では言われていた。
その中に、「何度でも」があった。
NHK第64回紅白歌合戦の放送終了後のアンコールでこの歌を歌ったというエピソード映像も放送されていた。

そんな番組を見てから、SUNQさんから教えてもらったことを思い出した。
翌週、BOOKOFFに行って、ドリカムのCDを探し、「何度でも」が入っているアルバムを買った。

当時入院中で、外出で往復する車の中で、この曲を流して娘に聞かせたこともあった。
もともとこの歌を聴いたこともあったようで、娘は、その時珍しく「このCD、貸して。」と言ったこともあった。
その後で聴いたのかどうか、聞いても娘はすぐに忘れてしまうから、定かではなかった。
それからまもなく娘は退院してしまったし、直後に再入院の憂き目にあったから、なおさらよくわからなかった。

家で、私は、夕食後の皿洗いなどの際には、よくCDの曲を流すことが多い。
娘が退院してからもそうだ。
先日、この曲「何度でも」を流しながら皿洗いをしていたら、急に娘がやってきて、巻き戻しを行った。
もう一度聴きたいのかと聞くと、そうだと言う。
そんなことが2度あった。
そのうち一度は、聴いて涙を流していた。
なんでも、その理由を、「今の自分に合っている。」という内容のことを言っていた。



こみ上げてくる涙を 何回拭いたら
伝えたい言葉は 届くだろう?

誰かや何かに怒っても
出口はないなら



そう。娘は何回泣いたかなあ。
思い通りにならない体。
出てこない言葉。
出口のない病状。




一万回だめで へとへとになっても
一万一回目は 何か
変わるかもしれない




希望の持てない毎日の繰り返しだけれど、何か変わる時を待ちたい。
本当にそう思っていることだろう。
それは、娘も私たちもそうだ。
そういう日が来ることを信じたい。
歌はさらに続く。
終末は、次のような歌詞だ。




この先も躓いて傷ついて傷つけて
終わりのないやり場のない怒りさえ
もどかしく抱きながら
どうしてわからないんだ?伝わらないんだ
喘ぎ嘆きながら
自分と戦ってみるよ

一万回だめで 望みなくなっても
一万一回目は 来る

きみを呼ぶ声 力にしていくよ 何度も
明日がその一万一回目かもしれない





もどかしく切ない日々が、娘には続く。
「一万回だめで 望みなくなっても
一万一回目は 来る」
「明日がその一万一回目かもしれない」
そんな気持ちで、毎日毎日を過ごしている。
いつか―。
そのいつかを待ち続けていこう。


何度でも。


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夕方RUN ~オレンジにつつまれ心やさしく~

2014-10-21 22:34:57 | RUN
走り出した夕方のランニングロード 未だ咲き誇る花だんのマリーゴールド 心やさしきオレンジ
街路樹のけやきの木々 赤に緑に交じって色づいた黄葉 心やさしきオレンジ
ロード沿いの家の垣根越し 粒ぞろいの実がなるピラカンサス 心やさしきオレンジ

足どりを止めた横断歩道 立ち止まる車にアルビレックス新潟のステッカー 心やさしきオレンジ
ロード上に立ち話の3人のおばあさん その両手に袋いっぱいの柿 心やさしきオレンジ
乳母車を押すおじいさん 孫に指差す先に沈みつつある夕陽 心やさしきオレンジ

農作業を終えた軽トラック 灯つけ走り出すヘッドライト 心やさしきオレンジ
次々と灯り始めた道の端 点々と行く道を照らす街灯 心やさしきオレンジ
続く藪群生しているセイタカアワダチソウ 街灯に照らされ変わる濃さ 心やさしきオレンジ

すっかり暗くなった舗道上 人をいざない浮き上がる誘導用ブロック 心やさしきオレンジ
線路をくぐって地下歩道 街のあかりが照らす足元 心やさしきオレンジ  

息荒げ戻って来た家の窓 見上げると何より暖かくこぼれるわが家の灯 

とびっきりの 

心やさしきオレンジ

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娘よ(61)

2014-10-17 22:18:18 | 生き方
先月1回目の退院をしてから早くも1か月。
ただ、その1回目の退院の2日後には、浴室で痙攣を起こして救急車で運ばれる憂き目にあった娘であった。
その1週間後に早めの退院をさせてもらったが、幸いにしてその後3週間、大きな変化は起こっていない。
とはいうものの、足腰のふらつきは時々あって、ハッとすることがある。
ハッとするだけでなく、ドシンと尻餅をついたこともあるし、よろけた先で支えたこともある。
日中は、天気が良く調子も良ければ、近くの公園へ妻と二人で散歩に出たりすることもある。
およそ3,000歩ほど歩いて帰ってくるのだとか。
それ以外にも、体調が良ければ、買い物に同行させることもあるのだそうだ。
家にいれば、テレビをぼんやり見ていたり、ナンプレをしたりして過ごしている。
動くことが少ないので、体重が減らないのが難点だ。

1年前の「娘よ」を見ていると、時々今より認識はよかったなあ、などと思う。
主治医の先生に「12月の誕生日までに退院できるかな?」と聞いたりしたことや、以前の職場の同僚と電話で語り、泣いたり笑ったりしたことなどは、間違いなく現在の状況よりよい姿であった。
あの11月の1日5回の痙攣の発作が、本当に良くなかったことだと、改めて思う。
そのことが惜しく、悔しい。
あの後、それ以前よりよくなっていないなあと思う。
だけど、過ぎたことを「たられば」で語っていたって、現実が変わるわけではない。
今、娘は家でなんとか生活できている。
誰かがそばで見ていないと、不安が大きいが、今は家で過ごせている。
命の不安があった時もあったじゃないか。
その時に比べたら、はるかにいいじゃないか。
そのことを何より喜ぼうじゃないか。
そう思っている。
くだらないことを言って、笑い合うこともある。
不意の「発ガス」を、みんなで笑う時もある。
家でそんな瞬間があることを、何よりだと思って喜ぼう。
痙攣の不安はぬぐい去れないが、毎日毎日が大過なく過ぎていくことを何よりだと思いながら暮れていく日々である。

これは、先日、親類へ書いた手紙に添えた娘のメッセージである。
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ハーフを完走 新潟シティマラソン2014

2014-10-12 22:06:41 | RUN

新潟シティマラソン。
今年は、去年感じた自分の実力と練習できない毎日の事情により、エントリーはハーフマラソンだった。
要項を見ると、去年フルマラソンで31kmから1kmほど一緒に歩いたIさんの名前も、今年は私同様にハーフのところに名前があった。
やはり、60歳が近づくと、ちょっと限界を感じるのかもしれないなあ。
フルマラソン5時間は、この年齢の市民ランナーにはきつい。
息子は元気にフルマラソン挑戦。


さて、南から台風が近づいているが、新潟は、今日は快晴であった。
それどころか、陽ざしが強く、陽が当たると熱を感じる。
私の走る予定時間は、ハーフを2時間程度なので、Cの札の位置からスタートとなった。


去年の南魚沼グルメマラソンでは、暑さに負けてしまったので、今回はそれよりよければいいかな、ということ。
可能なら、2時間切りを果たしたい。
そう思っていた。

ゲストランナーは、3年連続で高橋尚子さん。
スタートラインに移動してから、ずっとスタートまで立って待つ訳だが、その時間は長く30分近くになる。
高橋尚子さんの話が面白かった。

「小出監督からは、『高橋。ウオームアップをしても、それから7分たつと、してないのと同じになってしまうんだ。だから、並びながらでも体を動かせ。』と言われました。」
「走ると、ひざにきますよね。だから、ひざを…」と、並びながらでもできるひざの準備運動の仕方を教えてくれたり、軽くジャンプしたりするとよい、ということを教えてくれたりして、号砲5分前まで、ランナーのためになることを熱く語ってくれた。

さて、スタートだ。
今回は、6分ペースで走っていき、15kmあたりからスピードを上げて、後半型の走りをしてみたいと思った。
いつも前半から突っ込んでいき、後半バテてしまうからだ。
1km6分くらいなら、たぶん楽に走れるだろう。
でも、そうすると、ゴールは、2時間6分くらいになってしまう。
だから、後半ペースを上げられると、2時間に近づけるのではないかと思ったのだ。
出発点の市役所前から西堀通を通り、柾谷小路(と言いながら広い道なのだ)を駆け、信濃川にかかる萬代橋を渡る。
その後は、信濃川の右岸の道を走り、新潟県庁へと走る。
一緒に走っていた人々が、次々と前に行ってしまうのだが、ずっと、楽に走れるペースで行くことだけを考えていた。
今日は、陽ざしが強い。
県庁内での初のドリンクエイドは、アミノサプリと水。大変ありがたかった。
千歳大橋、関屋大橋を上り下り、やがて10km地点へ。
その手前のエイドステーションで、「体が疲れたら、水を、首の後ろにかける」と、聞いたばかりの高橋尚子さんの言葉を思い出し、さっそくやってみた。
ビシャッ、とやったところまではよかったが、背中がぬれ、上半身のランニングウエアが水で重くなってしまった。
なんてこった!
ちょっぴり下向きの気分で関屋分水路左岸を走りぬき、街の中を抜けると、日本海夕日ラインへ。
もうそこでは、折り返し点を回って戻ってくるランナーたちもいた。
13km地点を過ぎると、向かい側から知っているNさんが走ってくるのに会って、思わず声を掛けた。
Nさんは腰が痛いということで、ここ数年走っていなかったが、今年復活して走っている。
私より1km近く先を行っている。
もとは、30代、40代と走ってきた人だ。
さすが。速いということがよく分かった。
やがて、私も折り返し点を回った。
まもなく、今年もフルマラソンに挑戦している同年代のSさんに会った。
「がんばって。」と、思わず声を掛けた。
その少し後、NHKの「ランスマ!」に準レギュラーで、今回番組作りで参加し走っているハブさんとすれ違い、「がんばってください。」と、片手ハイタッチをかわした。
昨日の土曜日に見た「ランスマ!」では、レギュラーの人が、金哲彦さんから「16kmを過ぎたらペースを上げてよい。」というアドバイスをもらっていたことを思い出した。
少し早いが、14kmから少しペースを上げてみたら、1,2kmしか速いペースはもたなかった。
1kmあたり5分30秒くらいのペースでしかなかったのだが。
やがて、浜浦橋から関屋分水路の右岸を走ると、17km地点の橋の下に、高橋尚子さんが激励に立っていた。
「がんばってください」と言う彼女の左手とハイタッチを交わした。
去年はハイタッチできなかったので、今年はできたことにうれしさを感じた。
その後の4kmが長かった。
タイムは、18kmから19kmまではこの日最速の1km4分56秒であった。
しかし、脚の裏が、張っている。つりそうな感じだ。
「ラストでは、腕を振ってください。足が疲れていても、腕を振れば振っただけ足は動きます。」
という、高橋尚子さんの話を思い出し、腕だけは懸命に振った。振り続けた。

ようやくゴールである新潟市陸上競技場に入った。
ゴール直前、ラストスパートをかけ、何人か抜いた。
200mほど歩いて、記録証をもらったら、悔しさが。
正式記録は、2時間1分余りなのだが、( )内に「参考記録:2時間00分01秒」と書いてあったからだ。

わお。あと1秒で目標の2時間ジャストではないか。
ラストスパートがもう少し早ければ…。
まあ、いいか。無事にゴールできただけでも。

この後、サトウの切り餅を、

3回も並んで3個食べ、フルマラソンから帰ってくる息子を待った。

息子は、4時間30分台のタイムであった。
歩いたけど、自己新記録なのだそうだ。
しかし、完全に体力を消耗していた息子であった。
とりあえず、父子で自分の種目を完走できたことを喜んだ。

やはり今の自分には、ハーフマラソンの距離がちょうどよい。
それでも、限界を少し超えている。
フルマラソンだと時間制限にかかってしまうが、ハーフだとそれはない。
ハーフ3405人中1100番までいかないところでのゴール。
全体の3分の1以下でゴールできた。
このことを喜びつつ、またいつかしっかり練習できるようになったら、フルマラソンにも挑戦したいなあ…とも思った。
今年は、気持ちよく終えられた新潟シティマラソンであった。
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川崎相手に3-0で快勝!今季初の連勝

2014-10-06 22:41:23 | アルビレックス新潟
J1リーグ、アルビレックス新潟が、今季初めて連勝した。
しかも、優勝争いをしている川崎フロンターレを相手に3-0である。
今回は、ホーム新潟での戦いなので、応援しに見に行った。

9月中ごろのホーム戦、ベガルタ仙台戦では、大雨に打たれながら、レオ・シルバ選手のFK一発で勝ったのだったが、この日も雨が降って少しスリッピーかなと心配したが、アルビの選手たちにその心配は無用だった。
DFセンターバックの舞行龍(マイケル)が、前日の練習に遅刻した制裁として、この日はメンバーから外されていたことが、不安材料でもあった。
しかし、その代わりに大野和成選手をセンターバックに使い、大野選手が日頃守っている左サイドバックには、高卒の小泉慶選手を抜擢した。
今季やっているサッカーは、川崎も新潟もよく似ている。
しかし、この日は、新潟の選手たちの動きが川崎の選手たちの動きを凌駕していた。
そして、ゴールが3発。
1発目は、ひと月前の試合の再現となる、いやそれに勝るとも劣らない、レオ・シルバのすばらしいフリーキックがゴールの右側に突き刺さった。
2発目は、シーズン途中に磐田から加入してきた山本康裕選手。
3発目は、同じく今シーズン途中に加入し、先発2試合目のラファエル・シルバ選手。
決まるたびに、座っている周囲の、知らない人たちと、ハイタッチし合って、喜びを分かち合った。
2点目・3点目は、シーズン途中の加入メンバーの得点である。
そして、無失点で抑えた。
守りの正選手、舞行龍が欠場だったというのに、この結果である。
昨年のレギュラーが移籍してしまったり出られなかったりしているだけある、という結果であった。
様々なよくない状況をかかえながら、間違いなく、今季のベストゲームであった。

職場で、家庭で、結構いろいろなストレスを抱えているがゆえに、この日の勝利は最高の勇気づけであった。
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娘よ(60)

2014-10-04 12:57:51 | 生き方
2度目の退院。
その退院までの期間が今までになく早かった。
何せ、倒れてから1週間後である。
だから、足元がふらふらする、というのは仕方のないことであった。
退院してから数日は、朝起き上がる時も、自力ではうまく立てず、手を借りてやっと立ち上がることができるような様子であった。
日中でもよろけることがよくあり、見るからに不安であった。
そのために、家ではあまり活動量がないようにして過ごしていたこの1週間であった。
散歩や買い物に出ることも控えていた。
入院した2つの病院に通って、医師と話し合い、その後の状況を確認してもらった。
リハビリをしてもらう病院では、まだ先日倒れたダメージが残っているからと、退院後初めてとなる今回のリハビリは中止。
次週に行うことにした。

それでも、日がたつにつれて、何とか回復してきたようで、ここ1日2日は、歩く姿は普通に近い早さになってきた。
前回7月の痙攣では、退院まで3週間余りもかかったのだから、今回少し早く退院させてもらったとはいえ、やはり足元がしっかりしてくるまではこうして2週間くらいは要するのだなと改めて思った。

今日は、今朝突然私の弟が、千葉から訪ねてきた。

娘にとっては、「おじさん」は2人しかいない。
私の弟と妻の兄である。
漢字で書くと、叔父さんと伯父さんである。
偶然、今日は、伯父さんから娘へお菓子が送られてきたところだった。
そこへ叔父さんの来訪である。
娘は、数少ない「おじさん」の来訪を喜んでいた。
まあ、失礼ながらいえば、私は若いころからだが、50歳を超えて弟の頭部もだいぶ薄くなっていたことを(?)面白がっていたようだが…。
また、スマホで見せてもらったその叔父さんの子どもたちがすっかり大きくなっていることに驚きながら、自分たち姉弟と「似ている」ことも楽しんでいた。
自分のことについては、「若年性の認知(症)だよ」などと言っていたが。
倒れるまで乗っていた自分の車とおじさんの車が色違いで同じものだったので、そのことを楽しみながら、見送ったのであった。

まずは、とりあえず今日は元気に過ごしているところを見てもらえてよかった。
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