ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

また一歳

2013-12-31 17:19:12 | 生き方
数え年の考え方で言うと、明日また一歳年を取る。
一年が終わる。
今年は、娘のことだけで終わったような気がする。
好きな走りに出る練習回数が少なく、さすがに記録も右下がり。
左のカテゴリーも、「お出かけ」は、6月以降本当に少なかった。
娘のことがあったから、よりしっかりしていなくては、と思うのだが、やるべきことを忘れたり、やりかけたのに忘れたり、加齢による物忘れがかなり多くなってしまった。
もっとも、妻に言わせれば、それは昔からでしょ、ということなのだが…(当たっている!)。

明日また歳を取る、ということなので、ついに父の享年を超えることになる。
子どもの頃、体が弱かったのに、いじめられっ子だったのに、よくここまで来たものだ。(遠い眼…)
息子である私と正反対なのだが、父は、結構体が丈夫だったし、血の気が多かったのだ。
だから、戦争当時16、7歳で軍隊入りを志願したりした経験もあったのである。
気が早いからと言って、死ぬ時まで早くなくてもよかったのに…。

今年は、高校時代の同級生も早逝した。
私の方が体は弱いと思っていたのに、わからないものだ。
ただ、物忘れと言い、父の享年越えと言い、同級生の逝去と言い、人生の後半に至っていることは確かだなあと思う。
父のように突然亡くなることはないようにしたいなあ。
(今日、大瀧詠一氏がそうなったと聞き、驚いたのだが…。)

来年も、元気でいたい。
そのために、元気なスタートを切ろう!
…ということで、明日の元旦、今年同様に「村上元旦マラソン」に出て10kmを走ることから1年のスタートを切る予定だ。
明日は、弱い雨またはみぞれという予報だ。
今年の大雪に比べれば、まし、…かなあ?
タイムは、今年より悪くてもいい。
元気に走り切りたい。
…いいスタートを切りたいな。


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娘よ(28)

2013-12-30 22:40:58 | 生き方
今年もあと1日を残すのみとなった。
娘の入院は、7か月を超えた。
正月で、自宅に帰れる患者も多いようだが、娘は帰れない。
けいれん止めのD剤の点滴が欠かせないからだ。
これがないと、いつまたけいれんが起こるかわからない。
D剤の濃度が4.0から下がらない。
1.5まで下げられたこともあったのに。
医師も慎重になっている。
点滴に代わる、効果のあるけいれん止めの飲み薬があればいいのだが、なかなかそううまくあるものではないようだ。
朝食や夕食後に、娘の飲んでいる薬は、8錠1包もある。
中には、いくつか眠気を催す薬もある。
そのせいもあってか、なかなか脳の働きがしっかりしてこない。
場合によっては、ものの5分もしないうちに、前と同じことを口にしたり気にしたりする。
しっかりしたことを言う時もあるが、現実と幻想の区別がつかない時もある。

記憶が積み上がらないから、今が12月の下旬と知ると、「誕生日が過ぎたのに、何も祝ってもらえなかった…」などと言ったり書きつけたりしている。
そのたびに、ここで私が買ってきた誕生日ケーキを食べたことを話したり、母や前の職場の友人の皆さんや親類の人たちがくれたプレゼントやメッセージを見せたりするのだ。
「こんなにいろいろな人たちが、あなたの誕生日を祝ってくれてたんだよ。」という私の言葉に、涙をぽろぽろとこぼしたこともある。

ただ、最近は、書くことをおっくうがらなくなっている。
10月の頃は、書くと頭が痛くなると言っていたこともあった。
今は、それがなく、いろいろと絵を描くことがある。

ガチャピンのようなキャラクターものもあるが、そうでなく自分で勝手に描く絵もある。
最大の傑作は、看護師さんの絵である。
特に、実際にお世話になっている男性看護師のNさんを絵にしては楽しんでいるのがわかる。

そうやっていることしか、今、時間を使う術がないようだ。
元気だった頃は、テレビを流しっ放しにしていたし、時々DVDを借りてきて見たりしていたのだが、今はテレビをまったく見ようとしない。
自分のすることの選択肢にないようだ。
テレビの伝えるものが、自分の理解するスピードを超えているのかもしれない。

今日は、妻が娘のためにと、グラタンを作った。
娘が食べたいものの一つだったのだが、今までは作ってあげようと考えていると、けいれんが起こって食べさせられなくなったことが多かったのだ。
年末なのに家に帰れない娘のためにと、どうしても作ってあげたかったのだった。
夕食前に、私がそれを持って行った。
「母が作ったんだよ。」
と聞くと、娘の顔が一瞬ゆがんで泣きそうになった。
グラタンは、病院の電子レンジで温めなおして、食べさせた。
ただ、その後は、娘は、食べながらいろいろなことを考えてしまうようで、あまり感激する様子は見られなかった。
でも、「ほっとする」「おいしい」と言っていた。

今年もあと1日。
来年が、娘にとってよい年になりますように。
娘にとってよい年なら、それは私たちにとっても、よい年だということなのだから。
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がんばれ、ど根性ひまわり!

2013-12-28 23:24:51 | 草木花

病院の敷地に入ると、駐車場の片隅に、すっくとその植物は立っている。
下を見ると、枯れた芝に見え隠れして、タチアオイの葉が少しある。その株の近くから、すっくと立っているその植物は、細かい毛のような、白いとがったとげのような茎を持っている。
葉まで見ると、見覚えがある。
この葉は、夏によく見ていた、あの黄色い大輪の花を咲かせる…
ひまわりだ!
ひまわりが、冬を迎えたこの時期でもまだ枯れずに残っている。
中心部分には、きゅっと固く結んだつぼみを有している。
冷たい北風に吹かれ、吹雪にさらされ、葉はこのひと月の間にいたく傷ついた。
しかし、劣悪な環境にさらされながらも、まだひまわりは、立っている。
私は、勝手に「ど根性ひまわり」と名付けて、毎日娘の病室に行く前に、そのひまわりに目をやる。

ひまわりは、前にも書いたが、娘の好きな花だ。
新潟の冬は、寒い。
ひまわりの好む太陽の光は、本当に少ない。これからの寒さを考えると、花を咲かせることなく、やがてきっと枯れるとは思う。
だけど、ここまで風雨にも吹雪にも寒さにも負けず、枯れずにがんばっている。
困難に負けずに立ち向かっているその姿に、心打たれる。

がんばれ、娘の好きな花、ひまわり。
その姿のごとく、娘も、病に負けずがんばってほしい。
そう願いを込めている。

負けるな、ど根性ひまわり!


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佳き人の訃報に人生を思う

2013-12-25 18:05:48 | 生き方
今月、様々な方から年賀欠礼のハガキをいただいた。
私の人生に深くかかわって下さった方が亡くなった報せも、その中には、ある。
中でも2名の方の訃報は、私にとって残念至極であった。

一人の方は、自分が大学を出たばかりの頃、我が家の近くにあった住宅にお住まいだった当時校長先生だったY先生だ。
私は、通信教育で小学校教員の免許状を取得したが、教育実習で大変お世話になった。
その年、私はすでに県の教員採用試験には合格しており、あとは教員免許の取得だけが課題であった。
残るは、教育実習やいくつかのレポートと試験をクリアする必要があった。
何をおいても、まずは教育実習の単位を取得する必要があった。
Y先生は、自ら私の実習日誌にたくさん書き込んでくださり、少々長期間の出張があっても、手を抜かずに内容の濃い助言をまとめて書いてくださったりした。
その無理をしていただいたおかげで、私は、教育実習の単位を取ることができた。
やがて私は、残る科目のレポートと試験の壁を乗り越えて、晴れて翌年の4月から教員になることができたのであった。
Y先生が、私のために無理に無理を重ねて下さったことは、私しか知らないことである。
人を大切にするその行いは、まさしく教育者と言えた。
そんなY先生と、いつか同じ仕事をした者としてお会いする日を楽しみにしていたのだが、残念だ。

もうお一人の方は、大学時代所属していたサークルの2年後輩のお姉さんに当たる女性である。
その後輩は、実直な奴だったが、ユーモアもあるとてもいい奴だった。
彼は、大学卒業後ジャーナリストとして活躍していたが、脳腫瘍になり、十数年の闘病の後亡くなった。
その彼を献身的に支えていたのが、そのお姉さんであった。
ご自身は結婚されることもなく、弟のために尽くして尽くして尽くしぬいていったのだった。
その弟が亡くなった後、私の母がガンだと聞くと、遠くから励ましのお便りを何度も下さった。
自分のことだけでなく他者のことも考えて行動できる、本当に素晴らしい人だなあと思っていた。
しかし、その彼女も、ガンになってしまったと知らせる手紙が届いたときには、世の無常を思った。
私は、返す言葉が見つからず、返事も書けないままであった。
そして先日届いた、訃報。
彼女にとって、人生とはどういうものだったのだろう…と思う。

佳き人だからと言って、よい人生が送れるとは限らない。
生きているうちに、様々なことを経験する。
限られた人生の中で、皆、自分の選んだ道を行く。
だが、それが、よい人生だったかどうかなんて、他者が決めることではない。
本人にしかわからないことがある。
本人が納得して生ききることが大切なのだと思う。
最後には、自分で決めた、納得のいく人生を送りたい。
改めて、そう思ったのだ。

父の享年に達した今年の私。
その年に生じた、突然の娘の困難。
私の人生の大きなあやとなることは間違いない。
でも、これも自分の人生。
納得して生き続けていくしか道はない。
今年も残すところ、あと1週間を切ろうとしている…。

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娘よ(27)

2013-12-21 10:34:52 | 生き方
慌ただしかった。
家でパソコンを開いたのは、およそ1週間ぶりである。
まったく余裕のない日々が続いていた。
この1週間、もろに疲れた、という感じ。
そのきっかけは、先週金曜日から始まった。

意識障害が改善されないまま、娘は、その先週金曜日の夕方、突然、集中治療室から一般病棟に移された。
突然のことで、娘はパニックになったようだ。
感情が不安定で、よく泣いた。
食欲もなくなっていた。
その日の妻と私は、付き添う親として、娘をなんとか落ち着かせることに腐心した。

その晩から妻は、絶不調。
熱を出して吐き下しの症状。
土曜日から3日間、妻は寝込んでしまった。
いよいよ心身疲れきったところで、体が悲鳴を上げたか?
病院に行くことも、家事もできない、という状況。
もう、こうなると、私がやるっきゃない!…という訳で、奮戦を続けた。
家事一切と、娘の世話。
休むべき土日からくるくると働いて、週末が過ぎ、仕事上最も忙しい一週間に突入するはめとなった。

その間の娘は、不安傾向が強く、よく泣いていた。
火曜日に、やっと気持ちが上向いてきたようで、少し明るくなった。
ノートに書きつける言葉が、この日だけは、少しまともになった。
だが、記憶が積み上がらないことから、同じことに不安を抱いたり、疑問を感じたりすることしきりである。
例えば、体に付いているもの。
心電図をとるための赤青黄のコードや、点滴の管。
体に付いていることに気付くたび、「これは何?」と、取ろうとする。
そのたびに、ていねいに説明をする。
だが、記憶が積み上がらないために、5分もすると同じことをし始める…。
そういう繰り返しは、心底疲れてしまう…。

私自身の職場の仕事も、大わらわ。
だが、娘の病室を訪ねて、食事と就寝前の世話をすることは、毎日必須のこと。
さっさと最低限の仕事だけ終えて、病院に車を走らせる日々の生活。
ようやく病から回復した妻も、それゆえたまった仕事や突発的な仕事で、時々ひどく遅い帰り。
こんな訳で、病室の娘に別れを告げて帰宅し、それから夕飯の支度をして食事の準備が終わると9時。
食べて食器を洗うと、もう寝る時間。
…と身体共に疲れがMAXに達した1週間であった。

昨日は、私の職場の忘年会。
その前に、少しでも娘の顔を見たくて病室に立ち寄ると、目の周りにクマができている感じ。
最近飲んでいる薬は、夕方だと5種類で7錠1包もある。
そこには、眠気を催す働きがあるものも多い。
確かにけいれんを止める効果を確かめるものもあるが、トロンとして眠くなっていることも確か。
その後昨日は、トイレに行った時、転んで顔を打ったらしい。
行動が鈍くなっているうえに、判断力も鈍っている。
ノートに書きつけていることも、残念ながら、正常な人の書くものではない。
いつの間にか、入院しているのが「母(わが妻)」として書かれたりしている。
同じようなことばかり書かれているが、意味をなさないものが多い。
やはり、数週間前に起こった数度のけいれんが、娘の脳に悪い影響を与えているようだ。
9月、10月に起こったけいれんの後は、2週間もすれば少しは記憶の積み上げが見られるようになってきていたのに、今は、積み上がらないでいる。
会話自体は、普通の応答が成り立つのだが…。

忘年会が、盛んな時季だが、娘には文字通り、「忘年」の1年である。
今年1年が記憶に残らないまま、終わろうとしている…。
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娘よ(26)~HAPPY BIRTHDAY !~

2013-12-10 22:07:06 | 生き方

おめでとう。
おめでとう、30歳。
今日から、本当の大人だ。
20歳はまだまだ子ども。
現代では、私は、責任ある本当の大人は30歳からだ、と思っているよ。
だから、今日から本当の大人のスタートだ。

…本当は、そんな話を、あなたにしたかった。

2か月前、あなたは、医師(せんせい)に言っていたね。
“先生、わたし、誕生日までに退院できるかなあ。”
“そうだね。今の調子ならできるかもしれないね。”
そんな言葉に、希望をもって笑っていたあなただったのに。
今は、そう言ったことも覚えていない。

再び、いや何度目になるのだろう、深い混沌の中にいる。
混沌の中であがき続けるあなたの脳は、夕べ、あなたをすっかり疲れさせてしまっていたね。
“つかれた…。”
珍しくそう言って、食事用のテーブルに顔を伏せたあなただった。

“ごめんなさい”
この言葉を、あなたは、この頃よくあちこちに書きつけている。
自分の意識が平常に保てなくても、今の自分について、たくさんの人に謝りを入れているあなた。
謝ることはない。
一番つらいのは、あなたのはずだから。
どうしようもない状況に、困り切っているのは、私たちではなく、本当はあなたなのに。

まさか、輝かしい30歳をこんなふうにベッドで迎えるなんて。
たくさんの人から祝ってほしいのに、こうして家族しか会えない集中治療室で誕生日を迎えるなんて。
こんな誕生日を迎えるなんて、あなた自身全く思ってもみなかったことだろう。

“誕生日だから、何か食べたいものある?何食べたい?”
そう聞いた母に、
“コーヒーゼリー。”
と答えたのだってね。
もうそれを言ったことも忘れてしまっているけれど、訳を聞いてみたら、
“あまり高い金を使わせたくないから。”だって。
遠慮することはないのに、こんな状態でも気を使ってくれるなんて。
あなた本来の優しさが出ていることに、笑い泣きするよ。


今したことの記憶もよく残らないのに、生年月日はもちろん、自分が生まれた時間も、午後8時25分、としっかり言えるあなた。
30年前のその日、産院から帰宅途中に公衆電話で、誕生をあなたの祖父や祖母に伝え、“嫁にやりたくない”と言った私。
その話を、あなたの祖母は、何度も笑ってしていたっけ…。
あれから、30年。
生まれてベッドにいたあなたは、なぜか30年たった今、再びベッドの上で誕生日を迎えている…。
あんなに健康に、あんなに明るく育ってきたのにね…。

さて、30代の新しいスタートだ。
ゼロからのスタート、というより、状況を考えれば、ゼロ以下の、マイナスからのスタートかもしれないね。

でも、大丈夫だよ。
みんな、あなたのことを応援している。
あなたは、病と闘って懸命に生きている。
私たち家族も、あなたの存在を励みにして、あなたと一緒に闘っている。
あなたを知っている人たちも、みな、快復を願っている。
明日を信じて、生きていこうね。
ゆっくりでもいい、一歩ずつ、一歩ずつ。


はっぴい、ばあすでい、まい どーたー。

HAPPY BIRTHDAY TO YOU !

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J1新潟、2013シーズンの有終を飾る

2013-12-08 14:54:22 | アルビレックス新潟
サッカーJ1リーグ、2013年シーズン終了。
新潟は、昨季の最終戦奇跡の逆転残留、というドラマティックな15位から、今季は様々な点で、チーム史上初の記録を残し、史上2位の7位でシーズンを終えた。
○ 勝ち点55
○ リーグ戦5連勝
○ ホーム9連勝
○ 後半戦に限って言えば、勝ち点で1位。
○ FW川又選手、得点ランキング2位、チーム史上最多の23得点

楽しかった。
ホームの試合を見に行くと、必ず勝つのだから、見に行く方としては楽しい。
昨季までは、せっかく行っても、試合の最後で失点して追いつかれたり逆転されたり。
つまらない試合が多かった。
今季は違った。
点がとれるにおいのするサッカーだった。
選手たちの動きが、他チームの選手に比べて素早い。
最初から最後まで走り切っている。
試合の後半になるほど、得点のにおいがするようになった。
去年までは、失点のにおいだったのに…。
最終戦である、ホーム名古屋戦でも、それは変わらなかった。
前節、横浜・F・マリノス戦でも終盤の2得点で6万の大観衆を静めたが、今節名古屋戦でも、同様に終盤の2得点で、この試合最後にチームを去る名古屋のストイコビッチ監督に花道を飾らせなかった。
2-0。
有終の美を飾った。

さて、私は、仕事がらみで行けないはずが行けることになった(ラッキー!)
気温2,3℃の寒い中、応援に出かけた。
最終戦、ということで、試合前からNスタンドのサポーター席は気合が入っていた。


円陣ダッシュで気合を入れ、試合が始まる。

新潟の選手たちの一歩が速い。
ボールを支配している感覚がある。
攻守の切り替えが速い。
選手たちの動きを見ていると、接触プレーで倒れるのは名古屋の選手ばかりだ。
新潟の選手たちは、うずくまることが少なく、すぐ次のプレーに動いている。
しかも、チームとして連動して行っているのが、複数同時に動いていることから、よくわかる。
だから、チャンスが多い。
シュートシーンが多くなり、見ていて期待感でワクワクしてくる。
3万人を超えた観衆も、それは同じだったであろう。
ピンチには、守護神GK東口が鉄壁だ。
DFと一緒に懸命に守り、相手の強いシュート、厳しいシュートをことごとく跳ね返し、3試合連続の無失点。
気持ちがよかった。

この日で、内田潤選手が退団する。
その花道を柳下監督が用意してくれた。
アディショナルタイムに、交代出場。
新潟最後の出場を果たした。
彼の出番を作ろうと、選手たちもがんばった。
川又選手「内田さんにいい形でピッチに入ってもらうためにも追加点がほしかったし、何より勝ちたかった。」
東口選手「内田さんには楽な形で試合に出てきてもらいたかった。内田さんがピッチに入ってきたときは、こみ上げるものがあった」
…こんな思いは、スタンドにも伝わってきた。
内田選手の出場した瞬間のスタンドのどよめきは、すごかった。
Nスタンドからは、「内田潤 勝利のために 俺らと 共に戦おう」のチャントが響き渡った。

試合は、そのまま新潟が勝利。

試合後は、冷たい大雨の降る中、最終戦セレモニーが行われた。
内田選手は、「自分がベンチに入ることで、誰か一人ベンチを外れることになる。」と、仲間を気遣いながら、話をした。「新潟に来て、よかった。」と、感謝の気持ちを表していた。
スタジアムに着いた時、「選手たちにメッセージを送ろう」ということが行われていた。
私もペンをとった、内田選手にあてて。
今までありがとう、ということ、今のチーム愛を作り上げたのはウッチーだということ、第二の人生での健闘を祈っていること、など。

セレモニー後、雨の中だが、選手たちやチーム関係者が、感謝の気持ちを込めて場内を一周した。

私たちのいた席は、2階だったので、声は届かなかっただろう。

でも、今年のチームは、強くなって面白かった。
監督の言うように、「今の選手たちが残ってくれれば」来季は、もっと上位で、面白い戦いを見せてくれるに違いない。
Nサポーター席のように、今季の全在籍選手たちや関係者の皆さんに、感謝の気持ちを伝えたい。
ありがとう、アルビレックス新潟2013!

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娘よ(25)~一喜一憂~

2013-12-05 23:23:30 | 生き方
昨夜は、ひどく疲れて、真っ先に寝床に入った私だった。
今朝は、妻のすすり泣く音で、目が覚めた。

理由があった。
昨日の娘の状態が非常に悪かったからだ。
夕方に行ってみると、娘があははと笑っていた。
娘が見ていたのは、先日いただいたアルバム風の写真。
「早く元気になって」というコメントもある。
それなのに、娘は、それを見て「全部可笑しい」と言って、笑っていた。
夕食の時間なので、それを取り上げて食事を食べさせようとすると、なかなか食べようとしない。
箸でわずかのご飯やわずかのおかずをつまみながら、少しだけ口に入れて、何十回もそしゃくする。
あげくの果ては、ご飯をわずかに乗せた箸を持ちながら、「私、これ食べていいの?」と何回も聞く。
そして、泣き出す。
前回は、「哀」を感じないなどと書いたが、それが嘘のように泣いたり、そして突然笑い出したり…。
感情が滅茶苦茶で、まるで脳内を嵐が吹き荒れているかのような娘の姿だった。

後で昼食時に世話に行った息子から聞いた話では、昼食は、何も手を付けなかったのだという。
食べなよと言っても、泣くばかりで食べなかったのだそうだ。
あげくの果ては、泣いた時に鼻をかんだティッシュを、おかずのシチューに突っ込んだという。
私が行った夕食時は、あまりにも食べようとしないので、箸やスプーンを取り上げ、ひと口ひと口ご飯やおかずを食べさせてやった。
口に入れると、何回も何回もかむ。完全に口の中にものがなくなるまで、次のひと口は食べてくれなかった。
そんな時でも、少しだけ正気に近い瞬間があった。
聴いてみると、泣きながら「何が何だかわからない。」のだと言う。
そうか、頭が勝手にいろいろ考えているんだね、と言うと、そうだと答える。
「何をすればいいのか、わからない。」と言うので、「まずは食べることだよね。」と何度も言い聞かせ、食事を口に運んだ。
娘に食べさせるなんて、赤ん坊の時以来、28,9年ぶりだった。
食事を終えるのに、75分間もかかってしまった。
歯みがきをさせても、「いつまで磨けばいいの?」などと聞いてきたりもした。
動作はスローモーだし、判断力はないし、言うことはハチャメチャだし、こちらとしては、本当に途方に暮れながら世話をしたのだった。

だから、疲れた。
半年以上たって、またおかしくなっている。
なぜ悪化したのか、状況の悪いのがいつまで続くのか、ひょっとすると、もうよくなることはないのか、といろいろと考えた。
それは、妻も同じだった。
だから、夜中に目が覚めたら、娘のことを思うと、もう涙を流すことしかできないのだった。


今日、私は、数時間休みをとって、午前中から病院に行った。
行ってみると、娘は、髪をとかしていた。
おはよう、と話しかけると、幸い、娘は、前の日には言わなかった言葉を言った。
「父、髪切った?」
「…それ、71回目。」
と言うと、娘は明るく笑った。
それでもまだ、次の言葉は今日も言っていた。
「私は、何をすればいいの?」
「今は、病気だから入院しているの。だから、病気を治すのが一番いいの。でも、することがないから、絵をかいても、本を読んでも、自由に何をしてもいいんだよ。」
などと、ノートやもらったアルバムなどを見せながら、2,3回説明した。

やがて、昼食時間になったら、娘は、献立をノートに書いた。
そして、しっかり自力で食べることができた。
途中で、頭が少しだけしっかりしてきた、と思える瞬間があった。
「父は、お昼はどうするの?」
「途中で、ラーメンでも食べれば?」
…人の心配ができるとは、いいことだ。
具合が悪い時は、自分のことしか考えられないのに、人の心配ができるとは、うれしい。
今日は、少しよくなっている、と確信した時、娘は、また本日何回目かのセリフを言った。
「父、髪切った?」
「それ、78回目。」
まあ、いいや。
床屋へ行ってから、10日間言われっぱなしだけど、昨日とは違う娘だから。

夜、家に帰ると、病室を訪ねてきた妻や息子が、昨日と違った娘の姿に、やはり喜んでいた。

…ずっと一喜一憂する毎日が続いている。
できれば、「一喜」は数多くあってもよいのだが、「一憂」は一つもない方がよいなあ、と思ってしまう私たちである…。

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娘よ(24)

2013-12-03 23:57:42 | 生き方
娘がICUに戻ってから、早くも2週間。
その5日後、途中で再度発作を起こしたせいか、娘の意識障害は、なかなか前回のようには戻って来ない。
最も最近のけいれんの発作から8日がたつ。
1週間以上経過するのだから、そろそろ脳の働きもしっかりしてきてほしいところだ。
その回復度合いあたりが、前回までに比べてもどかしいように思ってしまう。
D剤もまた0.5ずつ濃度を落としてきて、3.5にまでなってきた。
それなのに、ぼーっとしていることは多いし、「父、髪切った?」はとっくに質問回数50回を超えてしまったし。
少しでも、記憶が積み重なっていかないものか、と思ってしまう。

さて、今日は、2時過ぎの面会時間に行くと、療法士の方と、ICU内を歩行器(あの、4本足の、椅子みたいなやつ)を使って歩く訓練をしていた。
娘が歩く訓練をしているのを見たのは、久しぶりだ。
まあ、ちびっこマラソンの全国大会まで行ったとは思えないほど、ゆったりした歩みだけれども。
それでも、立って歩けるならいいじゃないか、とは思った。

昨日は、前の職場の人が2人して、わざわざ娘に「誕生日プレゼント」を持って来てくれた。
娘の大好きなガチャピングッズと、何よりすばらしいアルバム風。
1ページ1ページに、一人一人の写真とメッセージ付箋が付いていた。
はるばる訪ねてくださったことや、こうして娘のために、労力をかけてすばらしいプレゼントをしていただいたことに感激して、私は、涙が出てきて困った。

しかし、病室に持って行ってそれらを見せても、もう少し脳の状態が回復しないと、今のままの娘では、それらを見てすぐに涙にむせぶ…まではいかない。
それよりも、「30才」と書かれた文字を見て、「みそじだあ~」とヘン顔している、今の娘である。
それでも、それなりに真剣な顔をして読んでいた娘ではあったけれども。
感情で「喜怒哀楽」と言うが、けいれんを起こした後の数日間は、娘の感情は「喜怒楽」であり、「哀」はあまりないように感じる。
涙を見せられるということ、泣けるということは、人としての思いがあってからのことだと思う。
娘の様子を見ていると、「喜」「怒」「楽」は、動物でも感じられる単純な感情だが、「哀」はものを複雑に考えられる人間ゆえの感情のように思えてくる。
本来であれば、今の娘の状況は、本人に記憶が少しでもあれば、どれだけ悲しみを感じなければいけない状態なのか、と思う。
特徴的なこの病気のせいで、自分の厳しい状況を忘れてしまうからこそ、すごく単純に生きることができているように思えてしまうのだ。
そのことが、時にありがたく思えることもある、入院後半年経過した12月の今である。
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